第5話 猫というのは


「……」


 猫カフェに入って十分ほどが経過した。


「……い、いやぁ。それにしても。高校生になって、はや一週間という所ですが。中高一貫では、何かと代わり映えしませんね」

「……そうですね」


 隣に座る日川さんはいつにも増して言葉少な。

 理由は誰の目にも明らか。


「……なぜ、陽午さんの方にだけ、集まってくるのでしょうか」

「えぇと……うぅん……」


 足の周り、膝の上、肩。

 身動きに困る程あちこち纏わり付かれた私とは対照的に、日川さんの周囲には一匹の猫とて近寄ってこない。


「き、聞けば、猫というのは平熱の高い生き物で、その分、より暖かい場所を求めて移動するのだとか……日川さんは、その、少々ひんやりしていますから……」

「ひんやり……」


 呟く日川さんは無表情だがどう見てもしょんぼりしている。折角来たのにこれでは私もいたたまれない。

 最初に足元にやって来て、今は私の膝の上にどっかりと収まっている図太そうな灰色猫にぼそぼそと声を掛けてみる。勿論、日川さんには聞こえぬよう。


(君、どうだろう。私の膝もいい加減くたびれてきたことだし……ほら、隣のお姉さんにも、ちょっと遊んでもらってきては……)


 言い終わらぬ内に「黙ってろ」という目で見られてしまった。猫というのは気位の高い生き物だ、全くもって。


「……きっと、陽午さんが心優しくて温かい方なのが猫にも分かるのでしょう。文字通り血の通っていない、冷たい私と違って……」

「そんな卑下しなくても良いではありませんか……あっ、ほら、また来ましたよ」


 帰宅途中の学生よろしく横並びになって、新顔が三匹も私達の前に現れる。私と日川さんを交互に見上げ、うろうろと周囲を歩き回り、品定めをしているようだ。


 すると日川さんは唐突にこめかみの辺りに手をやり、カチッと何かを押し込んだ。


「『鳥獣のきもち読み取り&翻訳くん』を起動します」

「え」

「対象をそれぞれスコティッシュフォールド、アメリカンショートヘア、メインクーンと断定。感情を読み取っています……」

「な、何ですか、そのオーパーツじみた機能は……」


 日川さんの瞳孔がきゅぃぃん、と音を立てて収縮し、三匹の猫を無機質な視線で見つめ返す。ややあって、日川さんは再び口を開いた。


「……読み取り完了。翻訳し、出力します。『なんだこいつ。ニンゲンの形をしてる癖に、てんで冷たいぞ』『けっ、使えねぇな。死んでるんじゃないのか』『隣のでかいのはぬくいが満席だ。よそに行こうぜ』……アプリを終了します」


 日川さんが再びこめかみを押し込んだのと同時に、三匹は連れ立って別のお客の所へ行ってしまった。

 明らかに人類がまだ到達していない域の技術を垣間見たような気もするが、今はそんな事より日川さんが心配だ。


「ひ、日川さん? 大丈夫ですか?」

「問題ありません。私はロボットです。ロボットに感情はありません」

「言い聞かせていませんか?」


 これは困った、しかし猫使いでもない私にはどうしてあげる事も出来ない。

 肩口に乗っかった猫に天然パーマのがある髪を好き放題もてあそばれながら視線を泳がせていると、一匹の小柄な猫と目が合った。


 茶黒の毛をした、眠そうな猫。柱の根元で何するでもなく店の中を眺めていたそいつは、不意に欠伸をしながらのろのろとこちらにやって来て、日川さんの膝にくっつくようにして「ごろん」と床に寝転んだ。


「……」


 恐る恐る、といった手付きで日川さんの指が猫の頭に触れる。

 暑がりなのだろうか。猫はまんじりともせず身を任せている。

 少しずつ撫でる範囲を広げながら、日川さんは呟いた。


「……陽午さんに、似ていますね」

「そう、ですか? ……あぁ、確かに、毛の色が同じですね」


 私がそう返すと、日川さんは何かを言いかけたようだった。

 しかしそれは小さな唇の端で言葉にならず消えた。

 代わりに、猫を見下ろしたまま、別の言葉がぽつりとこぼれた。


「……ソーセキ、は……まだ……」

「えっ?」

「……いえ、何でもありません」


 ソーセキ……漱石……あぁ、猫だけに、か。日川さんも本が好きなのだろうか。


 私としては『漱石』と聞くと、幼い頃に家で飼っていた猫を思い出すが。

 私が中学に上がる直前に亡くなったが、生前のあれは名に似合わず……いや、ある意味では名の通り……やんちゃな男だった。鍵を掛け忘れる度に私の部屋に入り込んでは、モノをあれこれ引っ張り出して遊んで……。


 懐かしい。



 それから店を出るまでの三十分あまり、日川さんはその茶黒の猫と過ごしていた。

 穏やかな店の空気の中でも、とりわけ私達の周りは時間が止まってしまったようで。

 退店時間の間際になって、私はすっかり冷めた二人分のカフェオレを慌てて飲み干す必要に迫られたのだった。




 ★




「今日はお付き合いいただいて、ありがとうございました」

「いえいえ、私も楽しかったですよ……日川さんは、楽しめましたか?」


 夕焼けの帰り道。日川さんは恐らく微笑んで言った。


「はい。とても」

「それは良かった」


 買い物袋を積んだ自転車が二人の脇をすり抜ける。どこからか魚の焼ける匂いがする。忙しい一日が終わろうとしている。

 何だかすっかり切り出しにくい空気になってしまったが、しかしそれでも言わねばならない。


「あの、それで……恋人の件なのですが」

「駄目です」

「まだ何も言っていませんよ……!」


 出鼻を挫かれ、私は仕方なく二の矢をつがえる。実際の所、こちらが本命だ。


「……別のご相談を。日川さんにお昼を作っていただく度に毎度こういうお返しをするとなると、私の方も大変ですから……お弁当の頻度はせめて、月に一度くらいに……」

「……」

「で、では、月二」

「……」

「しゅ……週一では?」

「…………仕方がありませんね。陽午さんがそう仰るのならば」


 日川さんは初めての表情を見せた、ように私には見えた。

 子供のようにむくれている日川さん。覚えず胸がどきりと動いた。



 しかし……弁当の件については、作戦通りに一応の譲歩を引き出しはしたが……このまま日川さんとのいびつな関係を続けていては、お互いの為にも良くない気がする。

 早々に何とかしなくては、もっと何か、重大な事態に発展しそうな予感がするのだ……。

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