第4話 お礼


「ご馳走様でした……」


 結局、すっかり堪能してしまった。日川さんの意図も分からぬまま。

 空になった弁当の蓋を閉め、包みを結びながら日川さんと言葉を交わす。


「ご満足いただけましたか、陽午さん」

「え、えぇ、とても……怖いぐらいに。ありがとうございます。容器は洗ってお返ししますので……あぁ、それと、お弁当の費用も――」

「それには及びません。容器もこちらで洗浄しますよ。明日も使いますから」

「えっ」


 日川さんはどこからともなくプリントサイズの紙を取り出しつつ続けた。


「陽午さんがお弁当を持参してくるのは毎週水曜日。それ以外の日に昼食を何かしら事前に用意してくる事は基本的にありません。ですので、これからは水曜日を除いた通常授業の日には、私が陽午さんの昼食をご用意します。勿論、無償で」

「――――」


 淡々ととんでもない事を喋っている。

 絶句する私に日川さんは取り出した紙を見せてきた。


「それと、例え好物であっても、人間の方が同じ品目メニューの連続を嫌う傾向にあるのは存じています。日によって『気分』が異なることも。そこで、こちら。明日以降の献立表を作成しました。ご確認の上、ご要望があれば都度遠慮なくお申し付けください。変更しますので」


 小学校の掲示板を思い出させる献立表には大なり小なり私の好きな物ばかりを示す活字がぴっしりと並んでいたが、もはやそこに突っ込んでいる場合ではない。


「い、いや。いやいやいや。いくら何でも。いくら何でも、そこまでしていただく訳には。週四でタダで弁当なんて。恋人どころか、今どき夫婦でもそうそうありませんよ」

「では、夫婦を超えてゆきましょう」

「恋だけに……ではなくて! どうか考え直してください。日川さんが私の為にここまでする義理も道理もないではありませんか。お気持ちは嬉しいですが……」

「お気持ちはありませんよ。ロボットですから。私はただ、秘密を守っていただく交換条件として、陽午さんの恋人らしく振舞おうとしているだけです」


 そうは言うが、どう考えてもこれはやり過ぎだ。常軌を逸している。

 どうにか説得し、せめて頻度だけでも減らしてもらわねば……。


「そ、それよりも」


 刹那、ある『作戦』を思いついた私は、半ば無理矢理に話題を切り替えた。


「明日以降の事は一旦、置いておいて。今日の分について、何かお礼をさせてくれませんか」

「お礼……ですか?」


 日川さんは目をぱちくりさせる。私は大袈裟に学ランの袖を捲って言った。


「えぇ。あれだけ手の込んだ食事を作っていただいたのですから、お代とは別にお返しをしなくては気が済みません。仁義にももとります。何か希望はありませんか。ちょうど欲しい物であるとか、手伝ってほしい事とか……無ければ、私の方で勝手に考えますが……」

「……」


 作戦の一環とはいえ、本心でもある言葉。

 ふむ、といった感じで手を口元に当て、日川さんはうつむき思案し始める。

 途中、妙な音が聞こえると思い、よく耳を澄ませば、それは日川さんの頭の中から発せられているようだった。PCのファンが回っているような音だ。考え中、という事なのだろう。


 もう少しで予鈴が鳴るという頃、日川さんは顔を上げた。


「……では、陽午さんにひとつ、お願いが。付き合っていただきたい場所があるのですが」




 ★




 放課後、制服のまま二人して訪れたのは、一年ほど前に開店した駅前の施設。

 静かな空間で読書や勉強、仕事に精を出し、それを猫に邪魔されるのが売りの、所謂いわゆる『猫カフェ』なる業態の喫茶店だった。


「意外でした。日川さん、猫がお好きなのですか」


 くつろぐ白い猫の形をした看板を見上げながら聞くと、日川さんは少し遠くを見て言った。


「好き……と言うより……最適な語句を検索中……懐かしい、と感じます」

「懐かしい……」


 また随分と人間くさい言葉選び。薄々気付いてはいたが、表情に出ないだけで、日川さんには普通に感情があるようだ。何故か当人は頑なに否定しているが……。


「このお店はワンドリンク制でして。ロボットが飲みもしない飲料を片手に入るのはどうか、と思っていたのですが。陽午さんに私の分も飲んでいただければ問題ありません」

「そういう事でしたか」


 受付を済ませて奥へ進むと、広々とした店内はそれなりに繁盛していた。

 老いも若きも各々の営みに没頭し、その足元や机の上を毛並みのいい猫たちが悠々と歩き回る。キャットウォークとはよく言ったものだ。


「あそこが空いていますね」


 貸し出されたスリッパを脱ぎ、床に直接座れるスペースの一角に座を占める。

 横座りをした日川さんから少し離れた位置に腰を下ろしていると、すすす、と日川さんが距離を詰めてきた。


「……」

「恋人ですから」

「まだ何も言っていませんよ……」


 店内の人々の生温かい視線を感じる。囁き話し合う声も。

 あらあら。放課後デートかしら。若いわね。若いって素敵ね。甘酸っぱいわ。ねぇ、うふふ……。


 耳まで赤くなって下を向いていると、見るからに図太そうな灰色の猫がのっしのっしとやって来て、私の眼前に「撫でろ」と言わんばかりに座り込んだ。人間の感情の機微など猫には関係ないのだ。


 しかし一体、日川さんはどんな風に猫と触れ合うのだろう……。

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