始まりは歪な関係

第3話 愛機弁当


 その日は朝に限らず休み時間ごとに他クラスからも同級生が押しかけてきて、まるで私と日川さんが祝言を挙げたかのような騒ぎだった。


『難攻不落の日川城、地味男代表ひまじんにより陥落』――どうも、そんな知らせが朝一番に学年中を駆け巡ったらしい。そのような不名誉なカテゴリーの代表者になった覚えは一向にないのだが。


 おまけに教室に来る人々の多くが「いつの間に仲良くなった」「どうやって口説き落としたのか」などと目を輝かせて聞いてくるから堪らない。その度に私は脂汗をかきながら即興でエピソードを創作し披露する羽目になった。


 後で十人に聞けば十人からそれぞれ違う恋物語が返ってくるだろう。今日ほど読書を趣味にしていて幸いだと思った事はない。



「陽午さん」


 そうして語る言葉も精根も尽き果てた昼休み、元凶たる日川さんが私の席にやって来て言った。


「陽午さんは、今日はお弁当ではありませんよね」

「え、えぇ、そうですが」

「恋人らしくお弁当を手作りしてきましたので、一緒に頂きましょう」

「えっ」


 顔の横で可愛らしい薄桃色の包みを掲げる日川さん。

 有無を言わさず連れ出され、気付けば校舎裏のベンチに二人して腰を下ろしている。


「では、こちらを」


 意図が読めずに困惑している私をよそに……スカートの上で包みが解かれ、楕円形の弁当箱が私の膝の上に差し出される。目で促されて、私は恐る恐る銀色の蓋を開けた。


「……おぉ……」


 予想外、と言ってしまえば失礼だが。

 彩り豊か、慎ましくも豪勢なその中身に、思わず感嘆の声が漏れる。


「手作りで、これを……? 私の為に?」

「恋人ですから。さぁ、どうぞ。召し上がってみてください」


 小さな箸を手渡され、しばしの逡巡の後、目立つ位置にでんと陣取った唐揚げをおずおずと口に運ぶ。


「どう……でしょうか」


 私の顔を覗き込む日川さんは無表情だがどこか不安げに見える。

 口元を押さえながら私は応えた。


「お、おいひいれふ。とても。しかもこれは、私の好きな塩唐揚げ……」

「お気に召しましたか。それは良かった。是非、他のおかずもご賞味ください」

「いいのですか。……では……」


 思えば、今朝は寝坊のせいで朝食をとっておらず、いたく空腹だ。

 蓋を開けるまでの不安も忘れ、私は食欲のおもむくままに箸を動かしていく。


「うん、うん……これも美味しい。素晴らしい出来栄えのだし巻きですね」

「お褒めにあずかり光栄です」

「この青椒肉絲チンジャオロースのコクといったら。我が家の味にそっくりだ」

「独自調査の成果です」

「おや……確かに私は、胡瓜きゅうりの柴漬けが箸休めの中でも一等好みですが……学校でその話をした事があったでしょうか」

「独自調査の成果です」


 合間合間に、俵型に小分けされた白米を挟みながら。

 どうやって調べたのか、それともただの偶然か……奇妙なほど全てが私好みにしつらえられた弁当を、順繰りに平らげていく。


 隣り合って座っていながら、私一人だけががつがつと食事をしているのには申し訳なさを覚えないでもなかったが。そも日川さんに飲食は必要ないのだから、そこは仕方がないだろう。



「……ん。これは……?」


 そうして九割方を食べ終えた頃、私はおかず入れの陰に隠れていた小さな袋の存在に気付いた。

 指でつまみ上げてみると、他と違って市販品らしき透明な小袋で……その中には、カラフルな星屑を思わせる菓子が数粒。


「……金平糖……」


 感慨深くそう呟く。これも私の好物だ。いや、好物だった……。


「……」


 感慨はすぐに疑念になり、やがて寒気に変じた。

 私がこの砂糖菓子を好んで食べていたのは、小学校低学年の頃の話だ。

 それがとある切っ掛けから何となく避けるようになって、もう何年も経つ。以来、自分から話題に出した事も、好きだったと語った事も、絶対にない。学校はおろか、家庭でさえ。


「ひ、日川さん……どうして、これを?」

「……」


 日川さんは答えない。藍色の瞳は瞬きさえしない。天の川のような短い髪が春の風に揺れて、表情のない顔の上に不穏な陰影を形作る。


「……そうだ。折角ですから、アレをやりましょう。恋人らしく」


 唐突にそう切り出して、日川さんは私の手から金平糖の袋をぱっ、と掠め取った。

 「あっ」という間に袋を破き、細い指が日川さんの瞳と同じ色の星屑をつまみ上げる。

 日川さんはそのまま金平糖を私の口に向かって突き出し、言った。


「はい、あーん」

「えぇ……」

「あーん」


 問答無用の圧力。自他共に認める流されやすい男の小さな肝っ玉は簡単に屈し、我が身に口を開かせる。

 気恥ずかしさから目を閉じていると、冷たい指の感触が僅かに唇に触れた。日川さんの動きはそこでぴたりと止まった。

 数瞬の後、口を閉じると、久しく忘れていた楽しげな甘みが舌の上に転がった。心理的に避けてこそいたが、好きな味である事に間違いはなかった。


「いかがですか」

「お、美味しいですよ。美味しいですけど」

「はい、どーんどん」

「わんこそばではありませ……むぐ」


 何か大事なことを誤魔化されたような気がする。

 釈然としないものを抱えながら、私は日川さんから給餌のように金平糖を与えられ続けた。

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