第36話「人形劇の真相(後)」


 アサシンギルドの隠し拠点。その地底の最深部には巨大な地底湖があった。

 順路には等間隔に魔法の明かりが定置され、そこまでの案内も兼ねていた。

 豊穣の国ラフーロより戻ったアンテドゥーロは一人、その場所を訪れていた。


 理由は唯一つ。彼女を再び、に呼び戻すためだ。

 地底湖──湖岸のふちに立つと、しゃがみ込んで水面を見つめる。

 湖水は暗く、黒く、そして深い。しかも、かすかに湯気が立ち上っている。


 水温は冷たくはない。むしろ、生温なまあたたかい。人肌の温度だ。

 遠目では温泉と見紛みまごうかもしれないが、そうではない。

 何故なら、温泉特有の硫黄いおうにおいはしないから。


 地底湖周辺はいその匂い──大海原おおうなばらの上にいるかのような、潮の香で充満していた。


「…………」


 しばらく湖面を眺めていたアンテドゥーロだが、意を決して湖岸からわずかに身を乗り出し──左手を水面へ、慎重に伸ばしていく。


 ……この作業がもっとも緊張する瞬間だ。

 決して湖に落ちてはいけないし、必要以上に湖水に触れてもいけない。


 何故なら、この湖水こそ死霊非法の根源たるもの──便宜上、〝生命のスープ〟と呼ばれる霊媒れいばいだからだ。


 これが何時からあるのか、誰が何の為に用意したのか……彼らは知るよしもない。

 それを知るとすれば彼らの、


 何故、人知を超えたと断言できるのか──その理外りがいたる証明は、この地底湖の湖岸を明かりで照らして調べればすぐに分かる。


 岸壁と湖水は一切、触れてはいないのだ。

 岸壁と湖水の間は未知の金属で完全にさえぎられている。


 そう、この金属こそが〝地獄じごくかま〟──紛れもない魔術の到達点の一つだ。


 この地底湖のように見えているものは実は地中に埋め込まれた〝釜〟の上部が露出したものであり、それ故に釜の中で煮られているものをごく自然に〝スープ〟などと呼んでいた。



*****



『──汝よ、おそれるなかれ』


 もしも、アサシンギルドに教団としての教義があるならそのように唱えるだろう。

 彼らは恐れを知らずに邁進まいしんする。策謀にしろ、秘術の研究にしろ、彼らは倫理から最も遠いところにいる。


 そんな彼らが現在進行形で手を取り合って協力し、強力に推し進めようとしているものが戦争である。彼らは人類の進歩や進化を加速させる為に必要不可欠なものこそ戦争であり、思考停止を招く悪しきものが平和であると信じきっている。


 ──凪の海では船は進まないのだ。

 退屈なる千年の平和など死んだも同然であり、歴史に記す価値もない。


 実際、現在の暦である正暦以前の歴史は暗黒歴として葬り去られたがそれを彼らは先人の取捨選択の結果だと解釈しており、英断だと評価している。


 平和とは停滞であり、ひいては衰退と退廃の温床となる。

 そのような人類史を認めてはならぬのだ。例え千年、一万年と月日を重ねようとも植物の年輪にすら劣るだろう──彼らは傲然ごうぜんと批判している。


 怠惰たいだな人類には死すら生温い。そのような人類なぞ頭数として数字に残すことすら傲慢ごうまんである。結論、まさしく「無」でよいのだ。


 ……今から百年以上前、中央の大陸で世界を巻き込んだ大きな戦争があった。

 しかし、此処にある〝地獄の釜〟はそれ以前から用意されていた。


 この地下洞窟の奥深くに巨大な釜を据え、底に天界より下った神秘の原液を張る。


 この原液こそ下界のあらゆるものをかす神秘の水であり、この水嵩みずかさを増す為に次々と放り込まれる材料はもっぱら生け捕りにされた魔物や魔石などであった。そして、これがのちに〝生命のスープ〟となるもとになった。


 今日こんにち、この釜を満たすまで増水するにはおびただしい量の魔物や魔石が必要であった。

 当時の大陸中の魔物を狩り尽くしたとしても腹の足しにもならぬほど。


 そもそも、自然発生する魔孔では増産できる魔物の数などたかが知れている。

 それに質も悪い。小粒である。気の遠くなる年月が必要だった。

 ……では、どうすれば状況は劇的に改善するのか?


 これは現在の暦から二百年以上前の話だが、中央大陸の極北に小さな国があった。

 その国の名は、ノーライト──かつて全世界を巻き込むほどの戦乱を巻き起こし、大陸の中心を制覇した現在の大国である。


 その世界大戦以降、生まれた価値観がある。

 本来、むべきものだった魔物の発生源──魔孔まこうを育てて新たな金脈とするという禁忌きんきの……あるいは、破滅への──




*****




 ……そして、今。アンテドゥーロの指先が湖面に触れようとしていた。

 湖水が指先を呑み込み、そのままゆっくりと手首の辺りまで沈めていく。


 痛みはない。感覚もない。

 この湖水に触れたが最後、たちまちのうちに消化されてしまうのだ。


 そうして、〝スープ〟の中に自身の一部、或いは全部が渾然一体こんぜんいったいとなって残る。

 死体はおろか道具、あらゆる物質を消化して、唯一ただひとつとなる。


 それこそが、この〝スープ〟が死霊非法の霊媒として機能する最たる理由。

 そして、


 ──死霊非法に挑むにあたって、挑戦者は決して恐慌してはならない。

 「汝よ、畏れるなかれ」──あるがままに、すがままに受け入れるのだ。これは試練とも洗礼ともいう。


 失ったものは取り返せ。くしたものは取り戻せ。


 死霊非法の神髄しんずい其処そこに在る。恐れるな、手を伸ばせ。にぎれ、つなげ、つかれ。

 おのが望むまま、望むものを手に入れる為に。


*


(……声だ)(声が聞こえる)


 不純物からなる暗く黒い海の中、唯一つとなっていたものから剥がれ落ち、水泡のように浮かび上がろうとする。意識が覚醒に近付くにつれ、個としての輪郭が生じ、以前の姿を取り戻していく。


 意識が再び肉体に包まれ、現世によみがえろうとしている。

 我々であったものから我になる。

 総体から別離し、いよいよ孤独となりて生まれ出ずるのだ。


 ──拒否権はない。目覚めの時は近い。


 呼び掛ける声が聞こえた。で聞き、で理解する。

 緩慢に目を開き、ぼやけた視界には彼女に差し出された手がはるか頭上にある。


 ……その手に吸い寄せられているな、と思った。彼女は今や肉体を復元して水面に浮上しようとしているのだ。


 肉体を得るまでは幾つもの思念と融合していたはずだが、今となっては全て頭から追い出されてしまったらしく、すっきりとしている。


 だから、記憶の混濁もない。

 呼吸の止まった肉体が自活し、心臓が動き出すのも時間の問題だろう。


 ……それまでになんとしても差し伸べられた手を掴まなければならない。

 暗く黒い海中にあって、彼女の手だけが色づいて見えている。彼女が掴み取るのを今か今かと待ち受けていた。


「──くっ!」


 突然、彼女の手が湖に強く引かれたかと思うと、その勢いのままに湖へと引っ張り込まれそうになった! しかし、アンテドゥーロは強いこらえて、肘──二の腕まで呑まれた左腕を逆に引っ張り上げる!


 ──その時、水中で彼女は誰かの手を握っていた。

 渦中かちゅう目覚めざめた者も彼女の手を強く握り返していた。そして──!



*



 ……二人のアンテドゥーロが、湖岸に仰向けになって胸で息をしていた。


 一人は派手な厚化粧をして、左腕が湖水で濡れている。

 その左腕は湖中で確かに失ったはずだが、〝復元もまた可能なのだ。今は、元通りになっていた。


 引き上げられたもう一人は全身ずぶつ、全裸だった。

 姿形も彼女と瓜二つ……の、はずである。


 間違いなく複製した自分自身アンテドゥーロなのに、中身は少しずつ変わってきている。

 常に同じ経験をしている訳ではないから、それも当然か。

 今は姉妹のように思っている。


「ふふ……」

「ふっ……」


 暫くして、どちらともなく笑い始める。


 ──そもそも人間一人を復元、もしくは複製する作業の負担は決して軽くない。


 魔術的に言えば、〝精気吸奪エナジードレイン〟の逆用……一時的とはいえ、復元(複製)した他人に自らの生命力を分け与えて再動させるのである。直後こそは精神の昂揚こうようでごまかせるものの、緊張の糸が切れてしまえば昏睡こんすい状態におちいるのも珍しい事態ではない。


「おかえり。シノ=アンテドゥーロ……」

「ただいま。チノ=アンテドゥーロ」


 ……彼女に微笑みかけたチノ=アンテドゥーロは満足そうに笑みを浮かべたまま、全精力を使い果たして眠りに落ちた。


「……僕は還ってきた」


 ゆっくりと上体を起こす、シノ=アンテドゥーロ。

 水に濡れた長い髪が身体の前後、胸や背中に貼り付いている。

 複製でありながら容姿に若干の違いがみられるのは不純物が混じっている証拠だ。


 それは見た目だけではなく、内面にも影響している。

 本体オリジナルも知らない記憶、感情に踊らされて暴走するのも一度や二度ではなかった。

 他人にはよく双子に間違えられるが、実質その通りだろう。


 だが、始まりの日。あの時、彼女が求めたものは姉でも妹でもなく──


「まだ、僕を捨てるつもりはないんだね。アンテドゥーロ」


 ……あれから何年経ったのだろうか?

 あの日あの時、彼女の手で暗く黒い〝生命のスープ〟から自分は引き上げられた。


 ──それまでに数人が洗礼を受けていた。

 その場に集められた少年少女のうち、アンテドゥーロは最後に挑んだ。


 最初の一人となった少年が意気軒昂に挑み、両腕を失って恐慌。

 見込み無しと即断され、スープの中に蹴落とされる。


 当然、恐怖は瞬く間に伝播。

 洗礼は続行されたが、年若い彼ら彼女らが正気を保てる訳などなく次々と失敗。

 スープの中に投棄される。


 アンテドゥーロを含め、残り二人となった時。

 もう一人、残っていた少女が志願して先に洗礼を受けた。


 錯乱して沈められた中に親友がいたのだという。それを取り返すのだと。

 「あいつらの言う事が本当ならそれが叶うはずだ」──怒りと憎しみを込めた目で大人たちを睨みながら、少女は決意を吐き捨てた。


 そして彼女は挑み、親友をその手で掴み取り──何を見て、何を感じ、何を思ってしまったのだろうか?


 彼女は魅入られたように、湖に引きずり込まれて消えてしまった。

 ……いや、違うな。傍目はためにはそう見えても彼女は望んで身を投げたのだ。

 暗く黒い湖水の中へ。水音一つ立てずに。


「アンテドゥーロ……」


 立ち上がるのも億劫おっくうだ。地面をわずかに跳ねるようにして彼女に近付く。

 気を失っている彼女の頭を、髪をくようにそっとでる。


 可哀想なアンテドゥーロ……

 教団に呪われて年をとることを禁じられた為、十数年も少女の姿のままでいる。


(あの時、君が欲しがったものはではなくだった)


 昔は自分と瓜二つの喜びも悲しみも分かち合える素直な〝身代わり人形スケープドール〟を──

 現在は素顔も本心も隠し通す自分とは正反対の、素直な〝身代わり人形スケープドール〟を──


(君もいつか僕を捨てる時が来る。でも、その日が来るまでは……)


 シノ=アンテドゥーロはチノ=アンテドゥーロを抱き起こすと、彼女の頭を自身の胸に押し付けるようにかき抱いた。


「僕が君を守るよ。アンテドゥーロ」


 捨て駒には捨て駒の、捨て駒にしか出来ない役割がある。

 シノ=アンテドゥーロに不服は無く、その現状に満足していた。



*



 ──以上。


 これが高度な政治判断でただの怪事件として処理された話の末尾まつびである。

 この矮小化わいしょうかされた事件が残した影響は計り知れず、情報を共有する事になった関係各所に衝撃と動揺が広がったのは想像にかたくない。


 では、最後に。


 不和と知略、名声と流言を司る者──アン=コモンが己の共謀者達に囲まれた際に宣言した言葉を紹介して物語をくくろう。


「世界は変わる。我々が変える。昨日までの常識が今日には逆転し、今日の非常識は

明日の常識となる。人が心を入れ替えるように世界もまた生まれ変わるべきなのだ」




<終>





……ここまでお読みいただきありがとうございました。もしも、面白かったなら☆で評価をしていただけると、非常に助かります。よろしくお願いします。


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