第35話「人形劇の真相(前)」


(沈む)(沈んでいく……)


 意識を取り戻すとそこは暗く黒い水の中だった。

 生まれ故郷である。もう一人のアンテドゥーロは水中で生まれた。


 水中だが、別に息苦しくはない。何故なら彼女の肉体は失われたままだから。

 肉体がなければ呼吸の必要はなく、従って苦しくなる為り様がないのだ。


 今は彼女の意識のみが、この暗く黒い水中に揺蕩いていた。そのうち自身の境界が曖昧になり、放散し、薄れていくことだろう。つまり、溶けて消えるのだ。


 ……いや。溶けようとも消えはしない。

 溶け込むだけだ。決して無くなりはしない。


 胎内にいるような心地よい水温の中、無いはずの目を閉じ、耳を塞ぎ、次々五感を封じていく。あとは頭だ。思考する自我。最後にここを手放せば、意識は途絶える。


 方法は分かっていた。……眠ろう。

 それが一時となるか、永遠となるかは分からないが、今は眠ろう。

 今一度、必要とされれば目覚め、さもなくば……




*




 ──暗躍者アサシン教団ギルドの象徴は二匹の蛇である。

 それがお互いの尾を食らい、円環を為している。この象徴には新生して教団化したアサシンギルドが追い求める、不滅への憧れが込められていた。


 そして、この意匠デザインにはもうひとつ、取るに足らないささやかな意味合いも含まれている。二つの蛇の頭はそのまま、派閥(秘術派と策動派)を意味しているのだ。


 ある時は協力し、ある時は出し抜きながら、一つの輪(組織)を作る。

 これが一筋縄ではいかない組織を体現していた※(現在のアサシンギルドは二派が協力して旧派を一掃し、組織を乗っ取った)


 そんなアサシンギルド最大の拠点は中央大陸の北東、〝フージ〟と呼ばれる霊峰の下にあった。フージ山の裾野すそのには地元の人間すら迷わせる樹海が広がり、洞窟も発見されているものだけで幾つもある。


 その洞窟の一つがアサシンギルドの隠し拠点に繋がっていた。

 そこは人はおろか、獣すら寄り付かない樹海の奥深く。

 ……しかも、ただ奥地にあるのではない。


 その洞窟にたどり着くまでには致死的な毒霧の立ち込めた低地や徘徊はいかいする魔獣等、大自然の脅威に擬装ぎそうした危険な罠の数々をくぐけなければならないのだ。


 そういった意味でも、今までにそこを訪れた者は皆無かいむであった。

 ……その洞窟は誰にも知られぬよう、長い期間をかけて少しずつ整備された。


 多数の人間が定住できるまで数十年、さらに拠点として使用できるまでに十数年をかけたという。内部は縦横に拡張され、図解にすれば蟻の巣穴のようである。各所にある建物や倉庫なども区画によっては一つや二つではない。


 ──ある区画の建物の一つが彼のねぐらだった。


 一階は主に酒や食糧などの備蓄倉庫であり、倉庫番として放し飼いにしている偽物の野良猫たちや魔法道具マジックアイテムの首輪をした大きな猫の魔獣(これも偽物だが)が今も暢気のんきに眠りこけている。


 一見、のどかな光景だが人目につく掃除屋が彼らというだけで倉庫の裏や物陰には人によって生理的嫌悪を催す蛇や蜘蛛、蜥蜴や蝙蝠などが無限に入り込んでくる虫や生物などを捕食して回っている。


 そして、それら生物の偽物フェイクたちはこの洞窟の最下層にて使い魔として生み出されたものだった。


 そんな倉庫の二階の部屋で男は立ち尽くしている。

 少し前まで狭苦しいこの一室で酒宴を催していた、主催者でもある。


 ──帰還した策動派の同僚たちを慰労し、歓待する。

 二重に敷いた絨毯の上に直に座り、車座になって滅多に飲めない高級酒や消費期限の切れた、或いは切れそうな食糧を肴として豪勢に振る舞った。


 その宴の跡には未だ片付けられず放置された大皿や小皿に食べ残しが残っており、酒瓶は十数本、部屋のあちらこちらに転がっている始末だ。酒瓶には中身がないのが救い──というか、卓に残った一本を除いて、半端でも中身が残っていた物は連中が全て土産として持ち帰ってしまった。


 倉庫前で見送った時はどいつもこいつも千鳥足でふらついていたが、ぼちぼち寝床に帰りついている頃合いだろう。


「……時代遅れの石頭とばかり見くびっていたが、なかなかどうして。苔生こけむした騎士団でもなさそうだ」


 同僚が鉄の国ギアリングに持ちかけた交渉は失敗した。

 すっかり散らかされた部屋の代価に足る有益な情報だった。これが伝統的な騎士団優位の国ならば、容易に術中にはまるはずだったのだが。


 そもそも、アサシンギルドの頭脳を担当する策動派──かつての戦争で作戦参謀を担った、人間ひとこまのように扱う達観した倫理観を持つ連中──その流れをむ一派が彼女に課したのは、アサシンギルドの噂を方々に流して浸透させることと民間人や兵士、騎士や官吏かんりなどをなるだけ殺害することであった。


 全ては賠償という手札を逆用する為に。筋書きも至って単純なものである。


 稚拙ちせつな殺人事件を情報操作で大事件のように煽り立て、犯人が追い詰められる──

 犯人がわる足掻あがきした後、その罪状が白日の下にさらされる──


 本当に、ただそれだけ。対象となる国すら小国であれば何処でもよかった。

 偶然、(昔に散々手を焼かされた)旧派の残党がスフリンクに滞在していると知り、白羽の矢を立てただけなのだ。


 また、目的達成に関しても取り得る手段に制限なく、秘術派より借りた人材の自由に……個人の裁量に任せている。


 そこで彼女らは下調べをし、打ち合わせを重ね……行動開始してからも密に連絡を取り合いながら、芝居が破綻しないよう自らの役を演じ続けた。文字通り、命がけの芝居は最後まで物言い一つもなく、無難に閉幕まで漕ぎつけたと言っていい。


 ──結果的に、彼女らの演劇は振るわなかった。それだけだ。


 彼女らを叱責しようものなら逆に監督不行き届きで自らに跳ね返ってくるだろう。

 我々としても彼女らの働きに不満はないし、なんら焦る必要も慌てることもない。


 ……酒瓶に少し残っていた酒を全て注ぐ。

 こんな日は蒸留酒用のグラスをゆったり回すくらい、鷹揚おうようでよいのだ。


「騎士団が柔軟か、宮廷魔術師が剛腕だったのか……さて、いずれかな?」


 事が露見ろけんして責任の所在がはっきりとすれば、取引相手はどのような態度で交渉にのぞむのか? 人命という取り返しのつかないものを奪われたのだ、それはもうここぞとばかり居丈高いたけだかに、強硬に主張してくるだろう。世論の後押しだってある。


 もしも、我々の理想通りの愚か者であれば、こちらが下手したてに出ている間に気分よく付け上がり、青天井で存分に賭け金を釣り上げてくれただろう。それが後々、自らの首をめるとも知らずに……


 閾値いきちを超えた要求は、巡り巡って自分を刺し殺すことになる。

 それこそ自業自得──抗弁もむなしく、我々の提案を受け入れざるを得ない。

 ……そのはずだったのだ。


「実に怜悧れいり冷徹れいてつ。賢明な判断だ」


 騎士団の要求を抑えきるほどの女傑なら一見の価値はあるし、自制の効く騎士団が相手なら南進する日が楽しみになってくる。どちらに転んでも都合はよかった。


 ……アサシンギルドの策動派と呼ばれる者たちはしばしば人の皮を被った怪物などと揶揄やゆされる。彼らはそれを誉め言葉として受け取っていた。


 何故なら、彼らの価値観では


(それならそれでいい……)


 かの鉄の国ギアリングが表向き死霊しりょう非法ひほうを根も葉もない噂だと否定するなら、こちらもえて静観しよう。そして、いましばらくは我らが死霊非法の陰に怯えてもらおうではないか。


 なんじが隣人を疑う、疑心暗鬼の種が発芽して根を張る、その日まで──


 グラスの酒を一気にあおり、静かに置いた。……そうして、彼は嵐の去った部屋を出る。

 彼はこの倉庫の責任者であるが、後片付けなど彼の仕事ではないからだ。




*


<続く>



・「分かりづらい部分の補足」

「(アサシンギルドは東のギアリングで事件を起こし、西のラフーロでも教団として噂をばら撒いてましたが。とはいえ、スフリンクも国として情報収集をさぼっているわけではないので、序盤にジュリアスに教えた話は彼ら独自の情報網から得たものなんです。後に対応の温度差云々とこぼす話に繋がりますが、それはノーライトの情報工作が原因だった……そういう話ですね)」


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