それから

第32話「彼は欲しがった」


 鉄の国ギアリングで起きた一連の事件に関して、ジュリアスらは自主的に口をつぐんでいた。


 黙っていたとしてもあちこちから噂は広まっていくだろうから、折を見て話を修正すればいい。一行パーティの総意として積極的に喧伝するつもりはなかった。既にそんな気も失せていたのだ。


 ……また、今回の事件での怪物退治への助勢やルービックを打ち破った働きから、ギアリングよりささやかな褒賞金を貰えることになった。後日、協会を通じて……というのが通例だが彼らは金銭でなく物品を即日で要求した。


 ──長剣ロングソードを二振り。

 中古でも構わないと言ったが流石にそれでは示しはつかず、王城の兵士が使用する予備品……だが、新品同然のものが彼らに贈呈されている。


 その後、ジュリアス一人を王城に残してその日のうちに三人は閂の国スフリンクに帰国。

 翌日、ジュリアスもスフリンクに帰国している。


 そして、あの事件から数日が経過した──



*



 ……街を出て、誰もいない道はずれの野原で。

 西日から目を背け、ディディーは肩で息をしていた。


 額からは汗が流れ、手で拭っては腕まくりして肌を晒した前腕になすりつけている。


 闇雲に剣を振り回しては限界が来たら休み、少し回復してはまた振り回す──

 訓練として正しくないだろうが、ディディーはそれを承知で繰り返していた。


 あの日、ジュリアスが頂戴した二振りの長剣はゴートとディディーに譲られた。

 そのうち、ディディーが貰った一振りは後日、違う剣の二振りに変わっている。


 立派な長剣だったが両手持ちにどうにもしっくりこなかったのだ。

 それならば、と下取りに出して扱いやすい剣に買い替えようと思い立った。


 無論、それに際して仲間の了解はとってある。


 商会の跡取りである友人に話を持ちかけるが、買い取りを拒否された。 

 その代わり、就職祝いというていで安く譲って貰ったもの──それが今、腰の革帯ベルトの左右にいた舶刀カトラスである。


 舶刀カトラスとは片手用の曲刀で握りはなたと同じくらい。

 簡素な護拳ガードがあり、刃渡りは長剣より短い分、取り回しに優れている。


 ……実はディディーに譲られたカトラスは新品ではなかった。

 商船の船員が使っていて駄目になったものを錆を落として研ぎ直し、鞘などを補修した使い古しだ。


 それでも二振りで銀貨50枚は破格であり、修繕にかかった費用もあちらで持ってくれている。ディディーは友の心遣いに感謝し、これを愛刀にした。


 今は少しでも早く使いこなそうと、全力で二刀を振り回しているところだ。

 剣の勢いに腕や体がついていっていない、まるで使い物になっていなかった。

 ディディーは未熟で素人同然である。


 だから、技とか型とかそんなものは無視して、とにかく力いっぱい振り込んで体を慣れさせようとしているのだ。しばらく、そんな自主訓練をがむしゃらに続け──


「もう、いいか……」


 荒い息遣いでそれだけをつぶやくと、二刀それぞれを注意して鞘に納めていく。


 ……腕がだるい。体がだるい。

 背中から地面に倒れ込んでしまいたい誘惑にかられたが、その後の汚れや草や実や種との格闘を考えると冷静になり、ディディーは思いとどまった。


 背中を丸め、両膝の上に両手を置き、中腰の姿勢で呼吸を深くする。

 心に隙が出来ると思い起こされるのはあの日のことばかりだ。


(何も出来なかった……)


 ──あの日。そう、あの日。自分のしたことといえば。

 王城で起こった騒動の目撃者になったことだけだ。


 本当にただ、それだけである。

 当事者であって、当事者ではない。見ていただけの単なる野次馬。


「いてもいなくても同じだった。俺は何もしなかった……」


 あの時、ジュリアスは「仕方ないさ」と慰めてくれた。

 だけど、自分と同じ状況だったはずのゴートは何もしなかったわけじゃない。

 そう、ゴートは違っていた──自分とは違って。


 ……ディディーは顔を上げる。体勢を立て直す。

 西日が眩しかった。


「帰るか……」


 鞘に納めた舶刀カトラスの柄をもどかしく握ったりしながら、ゴートは帰途についた。


 おそらく明日も人目をはばかりながら彼は自主的に訓練するだろう。

 ──力をつける為に。



*



 ゴートが外で雑事と夕食を済ませ、宿の部屋に戻ってくると窓の外はすっかり暗くなっていた。こうなると今日はもう終わり。部屋で朝を待つだけだ。ちなみに、同じ宿にジュリアスも部屋を借りているが別に隣というわけではない。その隣部屋も今は空き部屋となっている。


 ……彼が借りる部屋を見回すと、簡素な寝台ベッドと机に椅子。

 他には衣装棚クローゼットがあるくらい。

 冒険などに使う用具は寝台の下にいつでも出せるように置いてある。


 また、ゴートの部屋は出入り口からベッド、机や椅子とクローゼットは出来る限り距離を離して設置されていた。それは狭い部屋でもなるべく大きな空間をつくろうという、いじましい努力の結果だった。 


 だが、その御蔭で部屋でも長剣ロングソードを振るうことが出来る。

 勿論、傷つけないように気を遣いながら、ではあるが。


 ……部屋の明かりは主に燭台が担っていた。

 柱に油洋灯オイルランプは備え付けられているもののゴートは滅多に点けず、不精ぶしょうをしている。

 机の上に置いた燭台の方が、それに比べて手軽であるが故に。


 ゴートは今、年季の入った床板にじかに座っていた。

 かたわらには鞘に納めた長剣。体制を変えて立膝たてひざの姿勢になる。


「──ふっ!」


 その後、剣を抜いて横に薙いだ。

 両手で持ち、力の抜けた〝気〟のない素振りをする。


 ……前述したように、万が一にも部屋を傷つけたくないからだ。

 それでも几帳面なゴートらしく、次に収入を得たら敷物を買おうと決めている。


 また、これは別に言い訳ではないが、全力で剣を振るだけが鍛錬ではない。

 真剣を用い、敢えて緩慢な素振りをするのも意味はある。


 如何いかに刃を当てて長く滑らせるか──

 一人で鍛錬する時は、ゴートはそれを意識して素振りするようにしていた。


 思えば、兵役へいえき最中さなかには考えもしなかったことだ。

 あの時に過ごした無為むいな時間が今にして悔やまれる。


 ……きりのいい数字で剣を振るのを止め、剣を納めて少し乱れた呼吸を整える。

 深呼吸を何度も繰り返しながら〝気〟という概念を意識しようとする。


 もっとも、これは手探りでやっているだけなので正しいかどうかは分からないが。

 その、〝気〟という概念は稽古中の雑談でジュリアスから教えてもらった。


 曰く、武術にけるに相当するものが〝気〟というものなのだとか。

 そして、その正体も魔術師のいう魔力と変わらないのだという。


 ……「なんだそれは」と思うかもしれないが、そうなってしまっているんだから、しょうがない。


 古くからの魔術師達の特権意識──

 魔術と武術の意図的な差別化──

 縄張りを明確にして不可ふかしんにし、互いの利権を確保する──


 長年のそういった交渉と裏工作の結果らしいのだ。


 だから、ジュリアスは魔術の師にもかかわらず剣を振ること、剣の道に傾倒しても嫌な顔はしなかった。何故なら、根が同じだから。


「……同じ、か」


 その時、ゴートが思い浮かべたのは達人と呼ばれる人達の戦いの記憶。

 忘れないうちに、忘れないように折を見て何度も思い返している。


 ──人には決して越えられない才能の壁がある。

 誰も彼も生まれつきの才能に過去から現在までの不断の努力を掛け算して、そこに至っている。


(ジュリアスやガウストさん、騎士の人達だってそうだ……)


 積み重ねられたものを目の当たりし、ある者は壁、ある者はみぞ、またある者は山を幻視し、大仰おおぎょうではなく絶望する者も多いだろう。凡人では決して追いつくことなど出来やしない──と。


 そして、普通は諦める。

 分相応などと自分に言い聞かせ、身の丈に合った道へ進むのだ。


(僕には──未だに何が正しいのか、進むべき道がまるで分からない。冒険者として非日常的な体験をして尚、自分の人生に目的や生き甲斐など見出せずにいる……かといって、多くの人々がたどるだろう平凡な人生、その未来図さえ今の僕には想像すら出来ていない)


 どうしようもない半端者である。未来はまだ決まっていない。

 


 ──彼が手にしている長剣は先日、ジュリアスが交渉して手に入れたものである。

 自身(と、ガウスト)の手柄にもかかわらず、彼女の了承を得た後、銀貨の代わりにねだってくれたのだ。


(……だけど、ジュリアスには悪いけど剣の道を極めるとかはどうでもいい)


 あの日のアンテドゥーロが言った最期の言葉が脳裏に焼き付いて離れないでいる。

 「君に剣でもあればね──」と。


(出来る出来ないじゃなく、それ以前に僕には選択肢すらなかった)


 だから、彼は欲しがった。

 だから、ゴート=クラースは




*****


<続く>


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