第9話「血のアンテドゥーロ」


 アンテドゥーロはスカートのすそまみ、仰々ぎょうぎょうしく礼をした。

 その際、ちゃらちゃらと動いた首飾りを再び衣服の中に仕舞い込むと彼に向かって微笑んだ。そして──


「わたくしと貴方の出会いに、感謝を」


 アンテドゥーロは手を差し伸べてくる。

 その時、ジュリアスは彼女の手を無視したり払い退ける事も出来たが……やめた。

 大人しく黙って手を握る。


「……これはわたくしの直感ですが、貴方とは隣人りんじんになれると思いますの。どうですか、ジュリアスさん? 運命的な出会いを期に我が教団に入信しませんか?」


「お断りする。悪いが人殺し稼業なんぞ俺には向いてないんでね」


 ジュリアスは握手した手をサッと離す。

 ざまに言われてもアンテドゥーロは顔色変えず、微笑んだままだ。


「……我々はかつて、そのような生業なりわいを行う非道な集団でした。ですが、現在いまは違います。暗殺者であった者達は今はもう、。最後の一派であった数名もり所であった師父が病死すると組織から全員行方をくらましたのです。その後、鉄の国ギアリングに派遣された同胞から『そのうち一名が閂の国スフリンクのトーチャという村に潜伏している』とも聞きましたが、彼女は既に教団から除名された身であり、


「大した開き直りだな。今、世間を騒がせている事件を知らない訳じゃないだろう? 聞くところによると犯人は元暗殺者って噂もある。もしも事実なら、そんなのが村に潜んでいて問題ないとは言えないだろう?」


「いいえ、教団としては問題ありません。先に述べた通り、彼女は既に教団から除名された身。彼女が所属していた過去ならばともかく、今に問題を起こしたとして誰が我々の責任を問えましょうか? それでも問題だとおっしゃるなら貴方がたがスフリンクの衛兵に訴えればよろしいでしょう。それで万事解決ですわ」


「それはそうだが──」


「冒険者、なのでしょう? 国から小銭を得て、喜んで使い走りするその日暮らしの何でも屋。告げ口もお手の物ではなくて?」


「……なんだと?」


「失礼。しかし、事実でしょう? ごく一部の地域を除けば、この〝理想のアルカディア大陸プレート〟は死の危険とはまるで無縁です。まさに平和そのもので、実際にあるのは小遣い稼ぎのおしごとだけ。それにもかかわらず現状に甘んじ、ただのうのうと生きているだけの冒険者を果たして冒険者などと呼べるでしょうか? 例え貴方は違うと言い張っても後ろの二人はどうですか? 彼らの未来に確たる展望がありますか?」


「それは……」


 ジュリアスは言葉に詰まる。

 自分の事ならどうとでも言えるが、仲間の事に及ぶと口が重くなる。

 二人はまだ駆け出し、経験も覚悟も足りない冒険者以前の見習いだ。


 ジュリアス自身、長い目で見て育てるつもりでいるが──すると、今まで沈黙していた二人が相次いで口を開く。


「考えるまでもないよ。冒険者云々はひとまず置いといて、暗殺者の情報が事実なら協会を通じて通報すればいい」


「……だな! 問題があればしょっ引くだろうし、そうじゃなきゃ無罪放免でしょ。それで解決だ」


「連れの二人は楽天的でいらっしゃいますが、貴方はどうかしら?」


 水を向けられたジュリアスは神妙な顔つきで話し始める。


「追っている暗殺者が下っ端ならさておき、一流の暗殺者ともなれば、みだりに人を殺したりはしないものだ。そして、暗殺を生業とする者は皆、隠形おんぎょうと逃走にけている。居場所がばれたなら、逃げる。殺していいのは標的だけだからな。そのように教育されているはずだ……違うか?」


「その問いかけには肯定しましょう。……それで?」


「俺の仮定が正しいとするなら、通報してもその初動を抜け目なく察知して暗殺者は逃亡するだけだ。そしてまた、何処かに潜伏する。それでは事態の収拾、事件の解決とはならないだろう。真に解決を試みるなら、国には頼れない。個人でなんとかするしかない。対象と接触出来る可能性があるとするなら、それしか方法はない」


「その通りですわ。我がノーライトの最精鋭ならいざ知らず、スフリンク如き田舎の兵隊に捕まるような元同胞はおりませんの。しかし、なんでも屋の冒険者なら警戒はされど、言葉を交わす機会はあるでしょう。つまり、貴方がたが交渉しなければなりませんね?」


 アンテドゥーロは微笑みかける。

 その微笑みはジュリアスではなく、後ろの二人に向けられていた。


「僕達が……」

「暗殺者と対決──いや、説得するのか……?」


 ──この時、ジュリアスは敢えて口を挟まず、成り行きを見守る事に徹した。

 此処がある種の分岐点だろうと思ったからだ。


 二人の選択次第で後の運命が決まる。

 るかるか、どちらを選択しても彼は否定するつもりはなかった。

 尻込みして人任せにしたとしても、だ。


 尊重し、受け入れて、どうなるにしろ最後まで付き合ってやるつもりだった。


 ……ゴートとディディーは顔を見合わせていた。

 口を開くにはあまりに場が重く、どちらも言葉を紡げずにいた。


 弱気になるか、強気に出るか。

 先程、食事の席で何気なく呟いた一言が今になってかっている。



『結局のところ、俺らは英雄でも何でもない一般人ですからねぇ。……である以上、機密情報ってやつは一切手に入らないわけで。だから、ここであーだこーだと酒の肴にするくらいしか出来ないっていう──』



 これまでもこれからも、そのように生きていくのか。


 町の一角が世界の全て──そのようなつつましやかな人生もまた、まっとうすれば幸福であろう。地に足を付けて、堅実に生きるのか。それとも外に飛び出して──大きく張って、前のめりに死ぬ……か。


 なりたい自分ははたして、どちらなのか。


 ……その時、ディディーは現実に立ち返ってまごまごとしていた。

 しかし、。先に決断したのはゴートだ、


「──分かった。行こう、ジュリアス。ディディーも」


 今までの人生を、ゴートは流されるままに生きてきた。

 そんな彼が珍しく立ちすくんでいた友の背中を押して、共に行こうと誘ったのだ。

 冷静になって振り返れば、蛮勇ばんゆうと言わざるを得ない。しかし、


「それがお前の選択なら俺は止めはしないよ」


 ジュリアスは静かに言った。腹が決まったなら、水を差す事はしない。

 彼もまた、ゴートの背中を押した。


「……ええい、いいや! なるようになれだ、俺も行くか……!」 


 迷いを振り切り、その場の勢いに任せて、ディディーも賛同した。

 声を張ったのは内心の不安をごまかしているようにも見えた。


 ゴートの蛮勇とディディーの若者らしい血気にはやっただけの雰囲気を多分に察してか、アンテドゥーロは冷然と現実を突き付けてくる。


「女性の前で虚勢を張って、取り返しのつかない選択をする男性は後を絶ちません。今回、動機は違っていても性根は同じではないですか? 熱に浮かれて先走っても、いいことはありませんよ? 分相応ぶんそうおうという言葉はご存じかしら。……それに貴方達がこの件に介入する理由は何? お金? 名声? それとも使命感かしら。だけどそれが命の天秤と釣り合っているのか、本気で考えたことはありますか?」


「お金や名声でも、ましてや使命感でもない……と、思う。やろうと思い立ったからやる。それだけなんだと思います」


 ──売り言葉に買い言葉で、彼女に対する反発心もなかった訳ではない。


 だが、それ以外にも挙げるべき理由は複数あり、つるのように絡み付いて、ひとつをしていた。金や名声といったものも口では一旦否定したが、序列は低いが含まれている事だろう。


 そのどれもが正しく、どれもが決め手に欠けていた。

 しかし、根底にある「他人ひと任せにするくらいならば自分達でやろう」という漠然ばくぜんとした動機だけは確かだったのだ。


 そんな子供じみた純真な動機は自分以外には不透明に思えただろう。

 事実、ディディーは絶句して引いているように見えた。


 アンテドゥーロからも笑みが消えている。

 ただ一人、ジュリアスだけが言葉にも態度にも表さないがゴートを肯定した。

 ……そうして、アンテドゥーロは一つ、ため息をいた。


?」


「……いて理由を言うなら、多分そんなものです」


 確固たる理由がないなりにも、正直に答えたゴート。


「そちらの方も、それでいいの?」

「俺? 俺は……付き合うと言った以上は、付き合いますよ……!」


 一方、ディディーは言葉とは裏腹にまだ吹っ切れていない様子だ。

 無理もない、これが普通の反応だろう。


 ──二人を横目にしながら、ジュリアスが総括そうかつした。


「義侠心だろうとなかろうと実際に行動に及ぶのなら不謹慎ふきんしんでもなければ、そこに高尚こうしょう低俗ていぞくもないだろう。立派な動機じゃないかね、侍祭じさいさんよ?」


「……そもそも、冒険者としての在り方に疑義ぎぎを唱えたのは私の方ですからね。それなのに彼のを否定する訳には参りませんわ。それに加えて危険に自ら飛び込むことと、危険に無防備なことも分けて考えるべきでした」


 アンテドゥーロは反省し、微笑する。


「うふふふ……ですから、せめて不意打ちは避けられるよう、この言葉を貴方たちに送りましょう。『ネストでは世話になった。あの時の礼がしたい』──誰かを仲介して話す時、会話に混ぜるといいですよ」


「何かの符丁ふちょうかね?」


「……これはせずして前途ある若者をきつけてしまったおびですわ。しかし、わたくしを信じるか信じないかは貴方がたのご自由に」


 アンテドゥーロは向かって、再び優雅に一礼する。


「それでは、御機嫌よう。とても有意義な時間でした。貴方がたに不和ふわ知略ちりゃく名声めいせい流言りゅうげんつかさどるアン=コモンの加護がありますように……」


 横を通り過ぎようとした彼女に、ジュリアスがぼそりと呟く。


「……がお前たちの教団があがめる神様の名前かね?」

「いいえ? わたくしたちの、ですわ」


 アンテドゥーロは立ち止まり、あやしく微笑む。彼らにそう言い残して去っていた。




*****


<続く>



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