第18話「吸血鬼アルマ」
ジュデカが目を覚まし、辺りを見渡した時、その視線には混乱が浮かんでいた。
自分の鎧が脱げていることや、ブドウがこちらを見つめていること、さらには見知らぬ美女がこちらを睨んでいることに、状況を把握しきれていない様子だった。
ジュデカが大きな欠伸をした後、目をこすりながら状況を尋ねてくる。
俺は深いため息をつきながら、なるべく簡潔に事の経緯を説明することにした。
ややこしいので、アルマやシュウとのいざこざは省いて、だが。
「ジュデカさん、とりあえず落ち着いて。トロールはジュデカさんが全部倒したんだけど、その後暴走したんです。それを止めるためにブドウと、偶然ここに居合わせたアルマさんが止めてくれたんですよ」
「暴走? 俺が? それにアルマって……」
ジュデカは驚いた様子で自分の体を見下ろす。
そしてその視線が自然とアルマに向かうと、彼女をじっくりと見つめた。
懐かしそうな表情を浮かべると、唐突にこう言い放った。
「アルマって、あのアルマ=パーセル? 目立たなかったし、当時はでかいメガネかけてたから言われるまで分からんかったわ。……にしても、ふぅむ。なるほどなるほど……」
その視線が主にアルマの胸元に注がれていることに気づいた俺は、ジュデカが何を見ているのか一瞬で察した。
同時にアルマもその意図に気づいたのか、彼女は苛立ちを隠し切れない表情を浮かべ、元々着ていた厚手のローブを羽織り直した。
「相変わらずデリカシーの欠片も無い人ね。昔からそうだったけど。まさかそのままだとは思わなかったわ。士官学校卒業して騎士になった、って聞いたから少しは成長してるかと思ったけど……」
アルマの冷ややかな言葉に、ジュデカは照れるでも謝るでもなく、平然と肩をすくめてみせた。全く悪びれた様子はない。
「それで、アルマ。お前なんでこんなところにいるんだ?」
ジュデカがようやく本題に入ると、アルマは彼を軽く睨んだ後、冷静に答えた。
「新しく雷主の村の徴収官に任命されたの。その引き継ぎと下見で来たら、派手にあなたが暴れてるのが見えてね」
アルマは俺に向かって視線を投げる。
彼女にとってもそれが都合がいいと判断したようで、俺に話を合わせてくれたようだ。
その答えを聞いたジュデカは一瞬きょとんとした顔をした後、指を鳴らして間の抜けた声を上げた。
「ラッキー! アルマ、頼むよ。村の税を軽くしてくれ!」
その発言に、俺とアルマは同時に呆れた表情を浮かべた。
アルマは溜め息をつきながら腕を組み、軽蔑するような口調で言い放った。
「第一声が値切りって……あなた、それでも帝国騎士なの? 騎士なら帝国の為に大人しく定額を納めるべきじゃない?」
「いやいや、帝国騎士の前に俺は一人の人間だ! 税のせいで村の人達は苦しんでる! な、昔ほら、お前が授業で魔導具忘れた時に貸してやった事あったろ? その恩返しだと思って!」
「……そんな昔の事、よく覚えてるわね。それに、その程度じゃ交渉のテーブルにも着けない。とりあえず、村に報告に行きなさいよ。私はこの子と少し話してから顔を出すから、村長さんに宜しく伝えておいて」
アルマの容赦ない言葉に、ジュデカは軽く頬を掻きながら誤魔化すような笑みを浮かべた。
俺は彼女の正論に密かに同意しながらも、ジュデカの図太さに若干感心していた。
その後、彼はブドウを見上げながら、俺に向かって言った。
「セラ、帰る時に精霊獣の背中に乗っちゃダメか? なんか体が上手く動かねぇ……」
「……ブドウ、お願い出来るか?」
ブドウはジュデカに近づき、大きな口を開けて彼の服の背中を咥えた。
「おいおいおい! ちょっと待て! もう少し丁寧に━━━!」
ジュデカの抗議も虚しく、ブドウは彼を放り投げ、空中で器用に背中へ乗せた。
ジュデカは慌ててブドウの背にしがみつきながら、叫び声を上げる。
「お、おい! もう少し優しくしろよ!」
ブドウは小さく唸り声を上げた後、しっかりと村の方向へと進み始めた。その様子を見送った俺とアルマは、互いに顔を見合わせる。
「……相変わらず癇に障る人ね。何の悩みも無さそうで、羨ましいわ」
アルマはため息をつきながら、再び俺に向き直った。
「さ、邪魔者はいなくなったし、少し話をしましょう」
「そうだな。……まず、ここには本当に下見だけでここに来たのか? タイミングが良すぎる気がするんだが」
アルマは改めてローブを整え、俺の方に向き直った。
彼女の赤い瞳には冷静な輝きが宿っていたが、その奥にはどこか計り知れない思惑があるように感じられた。
「まずはここに来た理由を説明しておくわね」
アルマはため息をつきながら森の奥を一瞥し、ゆっくりと話し始めた。
「私がここに来たのは、トリリアの森で異常が発生しているという報告を受けたからよ。帝国が管理していたトロールの反応が突然消えたの。ま、これはあなた達がやったみたいだから、もうどうでも良い事だけど」
「……待て、トロールを帝国が管理していたってどういうことだ?」
俺は思わず眉をひそめた。
魔物であるトロールが帝国の管理下にあったという事実に、軽い衝撃を覚えた。
「言葉通りよ。トロールたちは帝国の駐屯地周辺に配置され、哨戒や警戒網の一環として使われていたの。もちろん、すべての魔物を管理しているわけじゃないけど」
「……じゃあ、村の水路を壊したのは、帝国の思惑か?」
アルマは苦々しい表情を浮かべながら頷いた。
「ええ、おそらくね。ただ、私の前任者がやらせたことで、私は関与していないわ」
彼女の言葉には弁明の色が強く、どこか申し訳なさそうでもあった。
だが、それが本当かどうかはわからない。
「……何でそんなことをしたんだ? 村を困らせて得することなんて、帝国にあるのか?」
俺の問いにアルマは一瞬言葉を詰まらせた後、静かに口を開いた。
「そこまではわからない。でも、このトリリアの森は帝国にとっても重要な場所なの。命綱を絶たせて帝国に依存させるのが目的だったのかしら…」
彼女の言うことが事実であれば、少し不可解な点がある。
「なら、帝国側から食べ物や資源の供給があった方がいいんじゃないか? 帝国側からの関与は今の所、帝国騎士であるジュデカ一人だけだろう? 依存させるには少し弱い」
「うーん、そうよね。水路については、少し調べてみるわ。ただ、分かることが一つだけあるのよ」
彼女は真剣な表情で俺を見据え、続けた。
「帝国は、精霊獣の一匹と協力関係を結んでる」
「精霊獣……?」
「ええ。前任の徴収官がこの森で精霊獣に遭遇して何かしらの契約を交わし、その精霊獣が帝国に協力するようになったの。その眷属だったのがトロールよ。他にも数種類いたはずだけど……。とにかく、そう言う訳でトロールは帝国の指揮下で動いていたの」
アルマの言葉に、俺の胸の中に懸念が広がる。
精霊獣という本来神聖ともいえる存在が、帝国の手先として利用されている。
ブドウのような存在を、帝国が思い通りに操ることができるという事実は、俺にとっても脅威だった。
「……その精霊獣ってのは、どんな奴なんだ?」
「名前はエリフェ。風の属性を司る精霊獣よ。かなりの力を持っているらしいの。おそらく、精霊獣が帝国に協力することで、トリリアの森の監視や侵入者の排除を行っていたのだと思う。エリフェが帝国に何を求めているかまでは分からないけど……。トロールや他の眷属達は大人しく帝国の言うことを聞くし、協力関係は良好みたいね」
アルマの説明を聞いて、俺はこの森がただの森ではないことを改めて実感した。
エリフェという精霊獣が何の目的で帝国に協力しているのかは分からない。
グリドアは精霊獣をトリリアの森を守る為の戦力として、力を分け与えたと言っていたが。
次にグリドアが出てきた時にでも聞いてみよう。
俺はそう思った後で、ジュデカの豹変についてアルマに尋ねることにした。
「ジュデカさんの暴走については、どう思う? 帝国騎士は全員あんな危ない物を使っているのか?」
アルマは少し考え込むような表情を浮かべた。
「ジュデカの鎧に関しては、正直、私も理解が追いつかないわ。魔女たちからの祝福を受けた装備は珍しくないけど、彼の鎧のように自己再生するような物は聞いたことがない」
「自己再生か……。確かにあれは異常だったな。暴走の原因は祝福の副作用だと思うけど」
アルマは小さく頷き、続けた。
「魔女の祝福は非常に強力だけど、過度に力を引き出すと副作用が出ることがあるの。精神の均衡が崩れることもあるし、肉体に負荷がかかる場合もある。でも、鎧が独自に動いていたようにも見えたし、何か特別な仕掛けがあるのかもしれないわね」
彼女の言葉には混乱と警戒が入り混じっているようだった。
「なるほど。ところで、アルマ。君の身分についてだが……」
俺は彼女の目を見据え、探るように尋ねた。
アルマは一瞬眉をひそめたが、すぐに諦めたように口を開いた。
「……私は、亜人の連合国『ジュリア連合』から派遣されたスパイよ」
ジュリア連合とは、レイドミナ帝国と国境を接する国で、アルマの故郷であるらしい。
様々な種族が共存しているが、その殆どが亜人と言われる種族で、帝国との関係はかなり悪化しているとの事だった。
エルフ、ダークエルフ、ドワーフと聞いたことのあるものから、珍しい種族もいるようだ。
「……レイドミナ帝国とは戦争状態にあるのか?」
「大きな戦いは無いわ。ただ、それもこの森が防波堤になってくれてたからだけど」
俺は彼女の言葉に驚きつつも、続けて聞いた。
「どうして、この森がそんなに重要なんだ?」
「トリリアの森には、いくつか亜人たちの棲家があるの。彼らは精霊獣の庇護の元で平和に暮らしてる。そして、森の奥にそびえる山脈『セレスティアルピーク』を越えると、ジュリア連合との国境がある。つまり、この森は帝国と亜人の国を隔てる重要な拠点であり、最前線でもあるのよ」
アルマの説明を聞いて、俺はこの森戦略的にも重要な場所であることを理解した。
「……なるほどな。でも、帝国がここで何をしているのか、具体的な目的はわかっていないのか?」
「ええ、だからそれを調査するのが私の任務。精霊獣を籠絡したのも、帝国が何か企んでいる証拠だと思うわ。今後、もっと詳しい情報を集める必要がありそうね」
アルマの目には確固たる決意が宿っていた。
俺もまた、この森の真実を知る必要があると感じた。
この場所で何が起こっているのか――それを知るために、俺たちは協力する必要がありそうだ。
「私の事は殆ど話したわ。……それで、提案があるのだけど」
「協力しよう、って話だろう? いいよ。アルマが動きやすいように君の秘密を守る。俺の力が必要なら、場合によっては手伝うよ」
「……随分と即決ね。あなたの影、シュウは納得しなさそうだけど」
彼女の瞳には少し遠慮と怯えの色が見える。
シュウに殺されかけたのだ。
彼女の持つ
彼女は確かに俺を操ろうとしていたが、今は普通に話が出来ている。
「俺の影とは言え、君を傷つけてしまった事は謝るよ。ごめん」
俺がそう言って頭を下げると、アルマは意外だったのか、驚いたような顔をして狼狽える。
「い、いいのよ! 強いものが弱いものに従うのは、何処の世界でも同じでしょ? …なんだか、調子狂うわね。あんなに強いのに」
「強いのはシュウだ。俺はまだまだ、魔法だって使えないしな」
シュウに何故あんな力があるのか、仮説として考えられるのは、やはり俺の
俺は今まで、シャドウマスタリは影を操る事が出来る能力だと思い込んでいたが、シュウが出てきて、圧倒的な力を見せた事で、それは違うと分からされた。
恐らく、シャドウマスタリは強大な力を持つシュウを押さえつける、もしくは従わせる特性なのだ。
シャドウマスタリを設計したラフィに、後で聞いてみよう。
あいつは以前シャドウマスタリについて尋ねた時には答えてくれなかったが、答え合わせであれば応じてくれるかもしれない。
アルマは意味ありげな視線で俺を見てから少し笑う。
「魔法使えるように、なりたい?」
彼女の言葉に顔を上げると、目の前にフードを被ったアルマの顔が見える。
暗がりでも爛々と光る赤い瞳は蠱惑的で、俺を惑わせるように舌なめずりをしているようだった。
「……遠慮しとく」
「あら、残念。私で良ければいつでも相談してね。私たちの秘密が増えれば増えるほど、私にとっても安心出来る関係になるから」
アルマはそう言うと、悪戯な笑みを浮かべる。
彼女程美しい女性に迫られれば、大抵の男は落ちてしまうだろう。
吸血という能力に、高い戦闘能力、再生する体、影を操るという潜入に向いた技能に、美しい容姿。
スパイとしては百点の逸材だ。
過去に組織でハニートラップの訓練を受けていなかったら、きっと彼女にお手玉される未来が待っていただろう。
「そういえば、傷は大丈夫か? 痛むなら村に寄って、治療してもらえばいい」
俺がそう声をかけると、アルマは刺された場所をローブをめくって確認する。
肩から胸元まで、服が引き裂かれている。
腹部にも穴が空いており、黒いインナーから白い肌が見える。
俺はデリケートな部分を見るのを躊躇い、彼女の顔を見る。
「私達吸血鬼は再生能力がトロールよりも高いから、大丈夫。ほら、傷も残ってないでしょ?」
アルマはそう言ってのけるが、彼女が攻撃されていた時、彼女は苦悶の表情を浮かべていたのを、俺は目撃している。
「そうか、なら良かったよ。改めてすまない」
「もう、謝らないでよ。大丈夫だって。ほんと、変な子ね。……あ、セラ。村長さんに挨拶しておきたいんだけど、案内をお願い出来る?」
そう言ったアルマを連れて、俺は村に戻ることになった。
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