第17話「影を操る者」


 謎の女はゆっくりとした歩調でこちらに歩み寄ってくる。


 俺の体は、依然ピクリとも動かない。


 しかしドローンで彼女の影を捉える事が出来ていた為、俺も負けじと彼女の体を拘束する。


 歩いている途中で止まってしまった彼女は、少し驚いたような顔をした。


「そっちの子の技能スキル? それとも精霊獣かしら?」


 彼女の口調には焦った様子は無く、むしろ余裕さえ感じられる。


「……拘束を解いてくれるなら、こちらも応じる」


「仕方ないな……。いいよ?」


 俺の体を縛っていた謎の力が弱まり、徐々に身体の主導権が戻ってくる。


 意を決して振り向くと、笑顔を浮かべる美女がそこに立っていた。


「……こんな状況じゃなかったら、お茶にでも誘いたいくらい綺麗な人だね」


「ふふ、ありがとう。小さいのに口が上手」


 アルマはじっくりと俺の顔を見つめているようだ。


 彼女の視線は鋭く、底知れない洞察力がありありと見て取れる。


 すでに俺のシャドウマスタリを看破されているのがその証拠だ。


 だが、それ以上に、自らの支配を確信した者の余裕がそこにはあった。


「ねぇ、私まだ動けないんだけど?」


「応じるとは言ったが、拘束を解くとは言ってないんでな」


「可愛い顔していじわるなのね……。まぁ、良いわ。自分で解けるし」


 彼女の唇に、冷たい笑みが浮かんだかと思うと、足元に伸びる影に視線を移す。


 彼女の影がビクリと動き、彼女はまるで何事も無かったかのように、リラックスした様子で手を組み、ストレッチを始める。


 俺のシャドウマスタリが効いていない。


 精霊獣と呼ばれるブドウでさえも拘束した技を、この女は目配せだけで解除してみせた。


「驚いたな。……まさか破られるとは」


「私もびっくり。まさか私と同じ影を操る技能がある人間なんて、初めて見たもの」


 彼女が一歩、また一歩と俺に近づいてくるたび、妙な冷たさが周囲の空気に広がっていくのを感じる。


 そしてまた、俺の身体は彼女によって拘束をされているようで、指先一つ動かせない。


 焦る俺を他所に、彼女は俺の目の前に立ち自己紹介を始める。


「私はアルマ=パーセル。帝国の税務局に勤めてるの。そこで寝てるジュデカとは、士官学校の同期だったわ。……それで、君は?」


「俺はセラ。……この森に捨てられてて記憶は無い。だから君に何かを聞かれても、答えられない事の方が多い」


「セラね。素敵な名前。いいのよ、分からなくっても、分かってて話したくなくても、どちらにしろ、君は私に全てを話してくれるから」


 そう言うと、彼女は俺の肩に優しく触れる。


 甘ったるいコロンの匂いがしたかと思うと、彼女は俺の耳元で囁く。


「私ね、吸血鬼なの。皆には内緒にしてね」


 彼女の囁きが耳元に届くと同時に、首筋に鋭い痛みが走った。


 瞬間的に意識が白く染まり、身体から力が抜けていくのが分かる。


 血を吸われている――理解が及んだ時には、既に手足に力が入らなくなってしまっていた。


「これで、君も私の物」


 彼女が口を離した後、赤い瞳が愉悦の色を帯びながら俺を見下ろしているのが見えた。


 彼女の唇にはまだ、俺の血が薄っすらと残っていた。


 全身が痺れているようで、自分の意思で動かすことができない。


 その感覚に不安と恐怖が胸を締めつけるが、アルマはそれを楽しむかのように冷ややかに微笑んでいる。


「セラ、膝をつきなさい」


 アルマの言葉がまるで命令のように響く。


 すると、体が彼女の指示通りに動き始め、強制的に膝を折る。


 俺の意志とは関係なく身体が動いていくその感覚は、これまで感じたことのないほどの屈辱と無力感を俺に抱かせた。


 アルマは俺をあざ笑うように顔を覗き込んでくる。


 しかし、先程までの不快感は不思議と無くなっており、彼女を見る度に胸が締め付けられ、彼女の為に何かしたくてたまらなくなる。


「さ。セラ。私の質問に答えれるかな? さっきまでここにいたトロール、倒したのは君?」


「いや、違うよ。ジュデカがやった。……でも、ジュデカも気が触れたみたいになっちゃって、それで、ブドウに助けてもらったんだ」


 俺がそう言うと、アルマは楽しげに笑顔を浮かべる。


「ブドウ? ふふ、この精霊獣の事?」


「そうさ。ホントは俺のペットにしたかったんだけど、もう別にご主人様がいるみたい」


 アルマの質問に、俺は素直に答える。


 ブドウが不安そうな顔をしてこちらを見ている様に感じる。


「ふーん。精霊獣と仲良くなるのって、難しいんだけどね。……この子、もしかしたら掘り出し物かも? ブドウは、セラの言うこと聞いてくれるの?」


「ああ。……でも命令したりは出来ないよ。ブドウは友達みたいな感じだから」


「そっか、ざーんねん。……でも君の力は役に立ちそう。じゃあ、知ってること、君のこと、全部話しちゃおっか!」


 アルマが可憐な笑顔を浮かべて、俺にそう言う。


 俺は口を開き、彼女の期待に答えようとアルマの顔を見ようとするが、突然、なんの前触れも無く、俺の影が形を変えて行き、俺とアルマの視線を塞ぐように立ち塞がる。


 アルマが何かをしたのだろうか、俺は動かずに揺れる影を見つめていると、俺の影は次第に人の形を取り始め、色づき始めていく。


「……セラ? これは?」


 アルマからの質問が届くが、彼女の声には緊張と疑問が混じっている事に気がつく。


「分からない。アルマがやってるんじゃないのか?」


 俺達が話している間に、影は完全に人の形になった。


 そして、その影の背中を何となく見つめていると、既視感のある服装をしている事に気付く。


 俺が前世で着ていた装備にそっくりだった。


「何をしているの! セラ! これは何!? あなたがやったの?!」


 アルマの悲鳴ともとれる、叫び声が聞こえるが、俺は何もしていない。


 意味が分からずに目の前の背中を見ていると、突然、影から現れた人物から声が発せられる。


「その程度で俺を支配できると思ったか?」


 その声は、俺の声とよく似ていた。


 同時に、アルマの体がどさり、と音を立ててその場に倒れる。


 アルマが倒れた場所を見ると、地面には赤い血溜まりが出来ていた。


 同時に、モヤがかかっていたような感覚が無くなり、意識が揺り戻される。

 

 アルマが負傷したことで、洗脳が解けたのだろう。


 自由に動けるようになった俺は、謎の闖入者から距離を取る。


 俺の行動を見た男は、ゆっくりとこちらに向き直る。


 目にかかるまで伸びた黒髪に、茶色い瞳。


 身長180センチ程で、灰色のチョッキを着用している。


 見間違うはずもない、前世の姿そのままの「世良 修一郎」が、そこにいた。


「……危ないところだったな。無事か?」


「……あぁ、だが、お前は一体━━」


 俺がそう言いかけた時、血まみれで倒れているアルマから突然強烈な光が放たれる。


 距離を空けたと言うのに、あまりの眩しさで目を瞑ってしまう。


 すぐに視界を通常モードから、サーモに切り替えて辺りを確認すると、アルマの首を掴む俺の影が見えた。


 アルマは手足をバタつかせながら必死に拘束から逃れようとしている。


 手をかざしてエネルギー弾のような魔法を展開し、攻撃を試みているようだが、まるで効いていないようだ。


 俺の影は、アルマの攻撃を意に介していないような態度で、俺に向かって言葉を投げかける。


「……君はセラと呼ばれていたな。では、便宜上俺のことはシュウ、とでも呼ぶといい。お察しの通り、俺は過去の『君』だ」


 そう言ったシュウの手には、俺が使っているダガーと同じものが握られている。


 シュウはそのダガーをアルマの左手首に当て、柔肌を無慈悲に切り裂いた。


 アルマは短い悲鳴を上げて、傷口からは赤い血が流れ出している。


「おい! やめろ! もう十分だろう!」


 俺がシュウにそう声をかけるが、彼はアルマの腹部にダガーを深々と突き刺す。


 アルマの表情が痛みで歪んでいき、その目には涙を浮かべている。


「……セラ。こいつは敵だ。君を洗脳し、従えようとしていたんだぞ? 殺されても文句は言えないだろう」


「だからって、簡単に人の命を奪おうとするなよ。……まだ敵と決まった訳じゃない」


 俺はそう言いながら、ブドウの方を見る。


 ブドウは少し怯えた表情をしており、いつもの覇気が感じられない。


 俺の目線に気付いたブドウは、俺の表情を伺いながらも、どうすべきか迷っているように感じられた。


「ブドウ、雷を撃ってくれ」


 小声で俺がそう言うと、ブドウは躊躇いながらも、雨雲を周囲に作り出し、一閃の雷をシュウに向かって放つ。


 雷鳴の音が響き、シュウが立つ場所に命中するが、いつの間にかシュウの周りに半透明のバリアが展開されており、彼は無傷のようだ。


「俺に魔法は効かん」


 俺が魔法を使えない事から、シュウも魔法に対して抵抗が出来ないと考えていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。


 恐らく、シュウは魔法が使えるのだろう。


「……痛いってのよ!」


 ブドウと俺に意識が向いたシュウの手を振り払い、アルマが何とか脱出に成功したのが見える。


 ダガーで切り裂かれていたハズの傷は塞がっている。


 彼女が空をなぞる様な仕草をすると、それに呼応したように空中に黒いエネルギー弾が無数に形成される。


 アルマが手を振り下ろすと同時に、その球体はシュウ目掛けて発射される。


 爆発音が連続して聞こえ、まるで空爆のような様相だ。


 ブドウもそれに応じて雷を打ち込み、シュウに少しでもダメージを与えようとしているのが分かる。


「無駄だと言うことが分からないか」


 シュウの声が響くと、彼の周りにあった土煙が一瞬で霧散する。


「な、何なのよ! この化け物! セラ! 説明しなさい!」


 いつの間にか俺の横に立っていたアルマがそう叫ぶ。


「……俺にも分からない。分かることがあるとしたら、あれは過去の俺だ」


「過去? 未来じゃなくって? 大人になったセラって事なら納得するけど……。何にせよ、魔力量が桁違い過ぎる。下手したら帝国の魔女より……。このままじゃ殺されるわ。何とかしてよ!」


 アルマは取り乱したようにそう叫ぶ。


 ブドウやアルマは魔力が見える分、シュウが強大に映っているようだ。


 彼女の言い分に、ブドウも大きく首を振って同意を示している。


「つっても、どうすれば……」


「き、君の影なんだから、責任とりなさいよね! 使用者責任って言葉、知らないの?!」


「影……? そうか。それなら……」


 俺は自分の影に向かってシャドウマスタリを使うと、シュウの動きがピタリと止まった。


 シュウは不思議そうに目線を動かしたと思うと、つまらなそうにため息をつく。


「……セラ、俺は君の為に障害を排除しようとしてるんだ。邪魔をするな」


「余計なお世話だよ。俺の影なら大人しくしといてくれ」


「……その女は危険だ。洗脳なんて真似をする奴がまともなはずが無い。……俺達を使っていた『組織』と同じくな」


 俺が昔いた組織、『特選軍』は国防を理由に敵国や潜在的な危険に対して、テロ行為や破壊活動をしていた。


 特選軍の構成員は幼少期から洗脳を受ける。


 洗脳のやり方は任務によって様々だが、個人の主義主張よりも、組織の意向に沿うようにして洗脳が施される。


 つまり、日本に都合がいいように教育が行われ、国のためという大義の元、人殺しを厭わないような人間を量産していたのだ。


 アルマの持つ吸血の力は、組織が長い時間かけて行う「教育」を一瞬で行う事が出来る危険な能力だ。


 シュウの口ぶりからすれば、それが許せなかったのだろう。


「……だとしても、帝国の人間を殺したとなれば、俺も危険に晒される」


「大丈夫だ。セラの敵になるようなら、俺が全員殺してやる。魔女も、魔物も、人間も。俺の今の任務はお前を守る事だからな」


 顔色ひとつ変えずにそう言い放つ。

 それが冗談ではない事が嫌でも分かる。


 シュウは過去の俺の記憶を共有しているようだが、何か違和感を感じる。


 昔の俺はこんなに饒舌では無かった


 単独で任務にあたっていた事もあるが、俺は人生で人に本心を言ったことは殆ど無い。


 シュウが過去の俺であれば、このように会話が成立するのがおかしい。


 本当の過去の俺であれば、言葉を交わす前に、敵の息の根を止めた後で、事態の収集にとりかかっていただろう。


「……組織の話は関係ない。とにかく、今後勝手な真似はするなよ」


「今回は大人しくするさ。体も動かないしな」


 シュウの姿が、黒い影へと戻っていく。


「アルマ=パーセル。セラに手を出そうなどと思わない事だ。次は手加減してやらんぞ」


 そう言い残して、地面に吸収されるようにしてシュウは影の中に消えて行った。


 伸びたゴムが支えを失ったように、俺の足元に影が返ってくる。


 俺はしばらく自分の影を見つめていたが、影はうごくそぶりも見せず、ただ俺の足元で静かに佇んでいた。


 アルマは深いため息をつき、その場にへたりこむようにして座り込んでしまう。


「こ、ここここ怖かった……。死んだかと思ったわ……」


 彼女は目の端に涙を溜めている。


「すまん。……とは言え、問答無用で襲いかかってきたのはそっちだ。自業自得だろう」


 俺がそう彼女に告げると、彼女は不満そうに強い視線をこちらに向ける。


「……だ、だって、こんな事になるなんて思っても無かったのよ! あんな化け物飼ってるなら先に言っといてよね!」


「俺も今まで知らなかったんだ。仕方ないだろ。なぁ、ブドウ」


「ウォフ……」


 しばらくアルマは俺に向かって小言を言っていた。


 俺はそれを聞き流しながら、乾いた喉を潤すために川辺に向かって歩き出す。


 ブドウと一緒に川で水を飲んでいると、ジュデカの体がピクリと動き、大きな欠伸をしたあとで辺りを見回している。


「ふわぁー……。よく寝た……。って、トロールは?! セ、セラ?! うぉっ! 横の人誰ぇ?!」


 ジュデカが混乱しているのを見て少し緊張がほぐれた。


 そんな俺に、アルマが近づいてきて耳打ちをする。


 また噛まれるのでは、と少し体を固くした俺に「大丈夫よ。もう噛まないから」と言った後に、耳元で囁く。


「私が吸血鬼だ、って言ったこと、ジュデカには絶対言わないで。これを飲んでくれるなら、私は二度と君に危害を加えないわ」


「……理由を聞いても?」


 俺がそう言うと、彼女は少し戸惑いながらも口を開く。


「……私は、本当は帝国の人間じゃない。スパイなのよ。吸血鬼って事がバレたら、これまで作ってきた帝国税務局員としての『アルマ=パーセル』が死んでしまうわ。お願い。私に出来ることなら、何でもするから……」


 彼女は顔の目の前で手を合わせ、祈るようにして目を閉じている。


 帝国がどんな国なのか、まだハッキリと分かっていないし、徴収官であるアルマの弱みを握れたのは俺にとっては良い事だ。


 ここはアルマを泳がせて情報を集めるのが良さそうだ。


「いいよ。俺も帝国の人間じゃないし、成り行きで村の事に首を突っ込んだだけだから」


 俺の返事を聞いたアルマは安堵の表情を浮かべると、川辺に向き直り、喉を潤し始める。


 黒い鎧の暴走、帝国の徴収官を務めるスパイ、アルマ=パーセル。


 そして俺の影から出てきた過去の俺、シュウ。


 謎が謎を呼び、考えることが増えた俺は、情報を整理すべくジュデカとアルマと話をすることにした。

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