第11話「雷主の村 再訪」


 焚き火の残り火がほんのりと温かく、ほのかな煙が立ち上っていた。


 明け方の冷えた空気が心地よい。昨日はブドウのおかげでぐっすりと眠れた。


 ブドウは既に起きていたが、俺を起こさないように動かずにいてくれたらしい。


 体を起こし、軽く伸びをする。


 ブドウも同じように上半身を伸ばすと、こちらを一瞥«いちべつ»し、森の中に消えていった。


 さて、今日からしっかり体を鍛えよう。まずはストレッチからだ。


 軽い柔軟体操をして、筋トレを始める。

 まずは、ジョギングをすることにした。


 森の中を軽く走る。拠点の周りにはいくつかのけもの道があり、走るには丁度いい。


 体が温まったところで、拠点に戻りスクワットを始める。


 そしてランジ、プランク、腹筋、背筋、腕立て伏せをそれぞれ15回行い、少し休憩をする。


 これらを1セットにして、3セット繰り返す。


 自重トレーニングは場所を選ばず自分の身一つで出来るのが魅力の一つだ。


 出来る限り、毎日続けよう。

 ゆっくり時間をかけて3セット目を終わらせると、疲労感から地面に倒れ込む。


 全身の筋肉が喜んでいるのか、勝手にピクピクと動いているのが分かる。


 そういえば、ミィチェはどこに行ったのだろう。


 そう思って周りを見渡すと、川の下流の方からミィチェがこちらに歩いてきているのを見つける。


 水浴びをしていたのか、彼女の髪が少し濡れているのが分かる。


 彼女の体に寄り添うように、火の玉が浮かんでいる。


 どうやら魔法で体を乾かしているようだ。


 いいなあ、魔法。せっかく異世界に来たのだ。俺も魔法を使ってみたい。


 乾燥した木の枝や枯葉を集めてから、石を必死に打ち付けて火花を起こし、火種を作るというプロセスを丸っと省くことが出来るのは、さぞ便利だろう。


 俺が体を起こしてミィチェの方に羨望の眼差しを送っていると、彼女はそれに気付いて笑顔で駆け寄ってくる。


「おはよ! ……って、どうしたの! 汗だくじゃない!」


「おはよう。ちょっとトレーニングをな」


 俺がそう言うとミィチェは少し呆れたような顔をする。


「昨日あれだけ派手に動いてたのに、良くやるね」


「はは、ブドウに手も足も出なかったからな。ブドウと真正面から殴り合えるくらいには強くならないと」


「……も、もう十分だと思うけどなあ?」


 そうして、朝の挨拶を終えた俺たちは軽く食事をして、今後についての話をする。


「で、どうしようか? 話し合いはいつやるのか決めているのか?」


「今日の夕方からだね。セラにも参加して欲しいんだけど、大丈夫?」


「勿論。……ただ、やっぱり顔出すのは少し気まずいな」


 演技とはいえ、門番やミィチェの父親のセイモスには刃を向けた。


 子供にも怖い思いをさせたし、村人全員に漏れなくカマしを入れたのだ。


 いくらミィチェが協力者だ、と言ったところで、俺を無条件で信用してくれる人はいないだろう。


「ま、セイモスに聞きたいこともあるし、とりあえず行こうか。ブドウは何処かに行っちゃったし、今回は2人で行くことになるな」


 まずは現状把握が一番大事だ。

 村の生産体制を見て、改善出来る箇所があればその手伝いをする。


 村人との関係値をリセットするのは大変だろうが、成果を上げれば信頼はされるだろう。


 そして、セイモスにグリドアや魔法の事、ファラリスについても聞いておきたい。

 鉄雄牛«ファラリス»という技能や、ミィチェが持つ武器キャット・ポーは、俺が知っている物と似ている。


 俺がこうして転生しているのだ。他の人間が転生していてもおかしくはない。


 そういった不明瞭な情報についても、しっかりと精査して行きたい。


「私はお仕事があるから、もう行くよ。セラは夕方まで休んでてもいいよ?」


「いや、俺も行く。仕事の様子も見たいしな。道中で村の生産体制についていくつか聞かせてくれ」


 そうして、俺とミィチェは村へ行くことを決めると、準備を始めた。


 汗を流したかったので、水浴びに行く旨を伝える。


 その間にミィチェは朝ごはんを用意してくれており、水浴びをした後に食事をして、すぐに村へ出発した。


 道すがら、朝露に濡れた森を歩きながら、俺はミィチェから村の主な食糧事情について説明を受けることにした。


「村では主に米、小麦、大麦なんかの穀物を育てているんだよ」


 ミィチェは道沿いに咲く小さな花を見つけ、足を止めながら言った。


 俺はそれを聞きながら、少し驚いた。

 米も作っているのか。どうやら村はそこそこ豊富な農業資源を持っているようだ。


「それで、野菜とかは作ってないのか?」


「うん、野菜は森で採れるからわざわざ畑で育てたりはしてないんだ。森には色んな種類の野草やハーブ、山菜なんかもあるし、果物の木も結構多いから、そういうものは採集でまかなえるの」


 俺はなるほど、と頷く。

 確かに、森が豊かなら野菜を育てる手間を省けるのは理にかなっている。


 しかし、それでは栽培したものの安定供給は期待できないだろうし、収穫時期が限られる。


「でも、それだと季節によっては不作の年が厳しいんじゃないか? 野菜が不足することもありそうだ」


「そうね……実際、収穫が少ない年は困ることが多いんだ。特に冬は、備蓄がなくなることもあるし。魔物も餌を求めて活発になるから、採集に行くのも危険になるの」


 森の自然が豊かであることは、裏を返せば危険がつきまとうということだろう。

 村人たちは生きるために多くのリスクを負っているようだ。


「穀物は井戸水で育ててるんだよな?」


「うん、井戸水を使って水を引いてるんだけど、やっぱり大変なの。村には水路も少ないし、畑に水をまくのは重労働だからね。手作業でやってる人が多いの」


 俺は腕を組んで考える。

 手作業で水をまくのは、正直言って効率的では無い。

 畑に安定的で均一な水の供給ができないし、何より重労働だ。

 それに井戸水の浪費も激しい。村の生命線である井戸水を使うのはリスクが高いと言える。


「……だが、備蓄が無くなるほど困窮しているようには思えないんだがな。これだけ自然豊かなのに、百人程度しか賄えないのは何か決定的な理由があるんじゃないか?」


「うん。うちの村は税のとりたてが厳しくて……。収穫物の七割を帝国、レイドリア帝国に持ってかれちゃうんだ」


「七割? ……そ、それはキツイな」


 レイドリア帝国についての説明を聞こうとするが、ミィチェは森の外に行ったことがないらしく、詳しいことはあまり知らないようだった。


「なるほどな……思ったよりも問題が多そうだ。でも、改善できるところはありそうだな」


「セラがそう言ってくれると、私も何だか希望がある気がしてきたよ!」


 ミィチェは小さく笑って、俺の横を歩きながら顔を上げた。

 まさか税をとられているとは、予想外の問題が出てきた。


 村の生産体制の改善だけであれば、まだ何とかなったかもしれない。


 しかし、国が関わってくるとなると、収穫や備蓄を増やしても、税の名目でレイドリア帝国に徴収されてしまう。


 さて、どうしたものか。


 レイドリア帝国の情報も集めなくてはならない。セイモスに聞いて、解決策が思いつけば良いのだが。


 考え事をしながら歩いていると、木々の間から村の門扉が見えてきた。


 ブドウが破壊した門扉は、村人たちが集まって修復作業をしているようだった。


 木材を運び、柱を組み立てる村人たちの間には、緊張感と疲労が漂っている。


 ミィチェが俺に一歩先んじて門扉へ近づき、手を振ると、村人たちは彼女に気づいて手を止めた。


 門扉の修復に携わっている中には、俺がダガーを突きつけてしまった若い門番の姿もあった。


 彼はふと俺に目をやり、一瞬硬直するような表情を見せたが、すぐにミィチェの顔を見て安堵の笑みを浮かべた。


 俺はその様子に少し胸が痛んだが、関係修復を試みるために彼へ歩み寄る。


「あの、先日は失礼しました」


 彼はやはり怖がっているのか、目を泳がせて表情を固くしている。


 するとミィチェが彼をフォローするように、俺たちの間に割り込んで来る。


「ジュデカさんは帝国から来てもらってる守衛さんでね、すっごく強いんだよ! それに、セラが本気じゃないって事も、ジュデカさんは分かってたみたいなの!」


 ジュデカと呼ばれた若者は、頭を掻きながら満更でもなさそうな顔をしている。


「は、ははは、当たり前じゃないか。俺は帝国の騎士だぜ? 殺意の無い攻撃くらい気付けるよ」


「私がセラは本当は良い人だ、って村の皆に話した時にね、ジュデカさんが助け舟を出してくれたおかげで、話がスムーズに進んだんだよ」


 ミィチェは嬉しそうに話をしている。

 確かに、俺と直接対峙したのはこのジュデカとセイモスだけだ。

 その人間が殺意を感じなかった、と言えば説得力はあるかも知れない。


 俺はジュデカに頭を下げる。


「フォローまでして貰って、ありがとうございます」


「いや、良いってことよ! 俺は帝国の人間だが、この村の発展を願ってるんだ。フフフ……」


 ジュデカは俺を見ることは無く、その視線はミィチェに注がれている。


 なるほど。ミィチェの事が好きなのか、ジュデカは。


 非常に分かりやすい男で助かる。


 帝国の騎士ならレイドリアについても詳しいだろう。


 いずれ話を聞くこともあるだろう。こいつとは仲良くしておきたい物だ。


「ジュデカさん、修繕手伝いますよ。改めまして、俺はセラです。よろしくお願いします」


 俺がそう声をかけると、彼はやっとこちらを見る。


「レイドリア帝国の黒獅子騎士団レーヴェナハトのジュデカ=ミレイアルだ。ま、そんなに気にすんなよ。ミィチェの命も、セラが助けてくれたんだろ? 恩人に門の修理なんて仕事させるわけにゃいかねぇよ」


 そう言って、彼はまたミィチェに視線を戻す。

 だらしない顔でデレデレしているが、悪い人間では無さそうだ。


「ほんと、出来た人ですね。あの時は本気じゃなかったって事ですか」


「ハッハッハ! 勿論。魔法も使えないガキに、俺が負けるわけ無いだろー? 殺す気の無い攻撃なら、避けるまでも無いしな」


「……なるほど。是非、今度ジュデカさんに稽古をつけてもらいたいですね」


 俺がそう言うと、ジュデカは腕を組んで笑う。


「いいだろう! 帝国騎士団の地獄のトレーニングを受けさせてやる! ……ま、特訓はまたにして、今日は村の様子でも見て、ゆっくりしてきなよ」


 彼は笑顔で俺を村へ入るように促した。

 その親しみやすい態度に、俺も少し肩の力を抜いた。


「じゃ、行こっか!」


 ミィチェが俺に微笑みかけて言う。


 俺は彼女に頷き、ジュデカに頭を下げてから村の門をくぐる。


 村に足を踏み入れた途端に、周囲の視線が一斉に俺に集まり始める。


 村人たちは皆、俺のことをひそひそと小声で噂し合い、遠巻きに見ている。


 居心地の悪さに息苦しさを覚えたが、仕方の無いことだ。


 俺は気付かないふりをしていたが、ミィチェはあからさまに嫌な顔をしてから、遠巻きに見る村人達に声を上げる。


「感じ悪いなー! 皆、セラに失礼だよ! 昨日皆で食べたお肉だって、セラが作ってくれたんだよ!」


 村人たちは彼女の言葉に驚き、ばつが悪そうに視線を逸らす。

 それでも、彼らの警戒心はすぐには消えない。


「ミィチェ、大丈夫だから」


 俺は彼女の肩に手を置いて言った。


「俺を怖がるのは当然だ。俺は気にしてないから」


 俺の言葉にミィチェは納得がいかないようで、憤然とした表情を浮かべたまま村人たちの方へ歩み寄り、口論を始めてしまった。


 そんな騒ぎを聞きつけて、村長のセイモスや数人の兵士が駆けつけてくる。


 セイモスは俺の姿を見つけると、少し驚いたような顔をしたが、すぐに表情を和らげて、俺に頭を下げて、礼を言った。


「セラ君、でいいかな? 娘が迷惑をかけた。すまない。そして感謝する」


 その予想外の反応に、俺は一瞬戸惑いながら答える。


「いえ、頭を上げてください。村長。こちらこそ、申し訳ありませんでした。村の事情も考えず、手荒な真似をして……」


 俺がそう言うと、セイモスはミィチェの方を優しい表情で見つめる。

 ミィチェは萎縮する村人達を座らせて説教をしているようだった。

 

「いや、遅かれ早かれ、娘がいる限りこうなっていただろう。……あの子は私に似て、頑固だからな」


「ハハ、確かに……。そうかも知れません」


「むしろ、私は一番良い形で纏まった、とさえ感じているよ。娘に聞いたが、君はどうやら特殊な事情がありそうだ。これも、雷主様のお導きかも知れない」


 ミィチェから何を聞いたのかは分からないが、確かに雷主グリドアの導きはあった。


 彼らの言う雷主はブドウ、精霊獣を指しているのかも知れないが。


「ええ、俺もそう思います。村長、少しお話をお伺いしたいのですが、お時間頂けませんか?」


 俺がそう提案すると、セイモスは頷き、自宅へと案内してくれることになった。



 

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