第6話「野生と理性」
目の前に横たわっている黒い大蛇。
全長8メートルにも及ぶ巨体に、少しだけため息が漏れる。
「どうしたもんかな……。蛇って細かい骨が多くて食いずらいんだよな」
これを解体して食べやすくするのは、なかなか骨が折れる仕事だ。
鱗が剥がれている箇所にダガーを入れて、薄皮に切れ目を入れる。
硬い鱗ごと薄皮を引っ張ると、ガラガラと鱗が擦れる音を鳴らし、皮が剥けていく。
鱗の重さで薄皮が破れ、作業が止まる事もあったが、意外とスムーズに皮を剥ぐことが出来た。
鱗の下にある肉は筋肉質で、食べごたえがありそうだ。
ただしこういった肉は筋が多いため、この場にある物で上手く料理ができるか不安を覚える。
次は、血抜きを行う。
通常は皮を剥ぐ前に血抜きを行うが、この大きさだ。
先に皮を剥いで、重そうな鱗を無くしておきたかった。
先程アレイパイソンをシャドウマスタリで受け止めた時に、一瞬でとんでもない疲労感を感じた。
恐らく、シャドウマスタリを使う際に、重い物体を動かすと余計に疲労が蓄積するのだろう。
その為、重りは外しておきたかった。
しかし、ゼタが教えてくれた
ゼタは特性は無条件で使える能力と言っていた。
回数制限や体力をコストとして払い、使うのが
魔力をや詠唱する時間をコストとして払うのが、魔法。
そのどちらでもなく、コストが無く、常時発動しているのが特性だと理解していたのだが。
考えられる可能性としては、シャドウマスタリは「影を操る
そうであれば、疲労感にも眠気にも説明がつく。あとでラフィに聞いて、答え合わせをしてみよう。
流石にそれくらいであれば、教えてくれるだろう。
これが正解だとすれば、俺は特性の選択を間違えたかもしれない。
ややこしい特性を選んでしまったものだ。
ただてさえ、ミィチェの事でメモリを使っているのに、また考える事が増えてしまった。
俺はその考え事を振り払うように頭を軽く振って、気合いを入れてシャドウマスタリを発動する。
大きな頭の影を捉えた俺は、その影を引っ張り木の上に登るように影を操る。
これがとんでもなく難しい。
皮を先に剥いだのは正解だったようで、先程よりはスムーズに操れる。
しかし、生い茂った木の葉の影が邪魔で、上手く影をコントロールすることが出来ずにいた。
「うーん、難しいな……」
俺が木を見ながら唸っていると、ミィチェが俺の視界に入ってきた。
「手伝おっか? 何か出来ることあったら言ってね!」
「んー。そうだな……。あ、付け合せの野菜とかがあると助かるな」
ミィチェはオッケーと短く返事をすると、腕まくりをして周囲を探索しに行った。
俺には食べれる植物の知識が無い為、ミィチェの存在は非常に助かる。
さて、この蛇をどうしたものか。
至近距離で直接影を踏み、ブドウの体を細かくコントロール出来た事を思い出した。
俺はアレイパイソンの影に入り、意識を集中させる。
アレイパイソンの体を空に向かって思いっきり伸ばす。
コブラが威嚇する際に、上半身を起こし首をもたげるのを知っていた為、移動するよりは簡単にイメージが出来る。
俺の思い通りに、アレイパイソンの体はどんどんと真上に向かい進んでいく。
木の枝に体をひっかけ、尻尾の先を木の幹に巻き付け、やっとの思いで体を固定をする事に成功する。
シャドウマスタリを解除すると、丁度いい具合に、俺の目の前にアレイパイソンの頭がぶら下がってくる。
首元にはブドウにつけられた傷跡がある。
硬質そうな鱗を貫通した穴から血が流れている。
俺はその傷跡にダガーを食い込ませ、首を断ち切る。
ブドウの攻撃で首元の骨が折れていたのか、思ったよりも簡単に首を切断する事に成功する。
傷口から血が流れ出す。地面に落ちていく青い液体が、バシャバシャと音を鳴らし、周囲に飛び散っていく。
不思議と血生臭い臭いは無い。
青い血液は地面に染み込んでいき、徐々に染みになっていった。
血抜きが終わるまで少し時間がかかりそうだ。
時間潰しと勉強もかねて、俺はミィチェと合流して野菜を探す事にした。
しばらく時間が経ち、血抜きも済んだところで、いよいよ解体作業に取り掛かる。
「次は骨か…」
蛇の肉は細かい骨が無数にあり、それを取り除くのが一番厄介だ。
ダガーで骨に沿って肉を切り分け、一本ずつ骨を外していく。
大きな骨は簡単に除けるが、細かい骨は慎重に扱わなければならない。
少しでも雑にやれば、喉につまらせる可能性がある。
人間ならば飲み込めないので問題ないが、ブドウの一口は大きい。
誤って飲み込んで喉につまらせでもしたら大変だ。
「ミィチェ、切り分けた肉から細かい骨をとっていって欲しいんだが、いけるか?」
「うん! 分かった!」
「あ、刃物が無いか…。どうするかな」
俺が辺りを見回して代わりになる物を探していると、ミィチェは腰についている小ぶりな器具を取り出す。
丸い金属の枠組みに、鋭利な刃物が四本ついている。
刃は湾曲しており、まるで動物の爪のようだ。
持ち手はハンドグリップの様な形で、そこを握り込む事で、その刃物が連動して動いている。
グーからパーにするような動きでガチャガチャと音を立てて、刃が動くのを見て、少し恐怖を覚える。
「そ、それは?」
「これは自衛用の武器にもなるし、調理にも使えるんだ! 私の家に伝わる便利道具の一つ!」
……俺が知る限りその武器は拷問器具だった気がするが。
彼女が持っている物は「キャッツ・ポー」と呼ばれている拷問器具に酷似している。
猫の爪の様な刃がついており、それを使って殺さない程度に痛めつける器具だ。
ファラリスの雄牛といい、キャッツ・ポーと言い、俺の前世での記憶にある物を彼女は技能や装備として持っている。
「ちなみにそれに名前はあるのか?」
「えっ? 名前? セラって武器とかに名前つけるタイプだったの?」
彼女は不思議そうな顔をして、俺を見つめている。
やはり、拷問器具だとは微塵も思っていないようだ。
十徳ナイフのような感覚で持ち歩いているのだろう。
彼女はキャッツ・ポーを持ち、俺の指示を待っている。
少し目眩を感じながらも、俺は彼女に骨の取り方を教え始める。
ミィチェに捌き方を教えていると、飲み込みが早く、手際も良い。
恐らく料理に慣れているのだろう。
……使っている器具の禍々しさがそれを台無しにしているのだが。
「やるな。結構料理好き?」
俺は拷問器具を使って料理にいそしむ彼女に、声をかける。
「うん! 毎日作ってたからね! こんなに大きな魔物は捌いたこと無いけど、ポイズンリザードとかならたまに捌いてたから」
「そっか。ミィチェは良いお嫁さんになれるな」
「えへへっ。そうかな? お嫁さんかあ。考えたことも無かったな……」
ミィチェは照れ笑いを浮かべて、すぐに作業に戻った。
二人で分担して手早く下ごしらえを終わらせ、焼きに移る事にした。
解体した肉を木の枝に刺し、川辺で焼き始める。
「ねぇねぇ、セラ。近くにハーブがあったよ!」
「お、本当か? すり潰しておいてくれるか?」
「そう言うと思って、もうやっておきました!」
ミィチェの察しの良さに感謝し、焼けた肉の表面にハーブをまぶす。
肉の香りにハーブの爽やかな香りが混ざり、食欲を誘う。
焼く前に繊維を断つようにダガーで切れ目を入れ、じっくりと焼くことで、固い肉も少しは柔らかくなっているはずだ。
「おーい出来たぞー。ブドウー」
ブドウに声をかけるが、眠っているのか、ピクリとも動かない。
肉を持って目の前まで来ても寝息を立てている。
アレイパイソンとの戦いが激戦だったのだろうか。
ブドウの鼻の先に肉を置くと、ブドウは目を閉じたまま、鼻を鳴らしている。
そしてそのまま肉にかぶりつく。
瞬間、ブドウの目は見開かれ、一心不乱に目の前のごちそうを美味しそうに食べている。
チラリと俺の方を見て、肉に視線を戻す。
フフフ、そんなに美味いか。当たり前だ! めちゃくちゃ手間かかったからな。
肉に夢中で無防備なブドウの頭に触れようと手を伸ばす。
俺の動きを見たブドウは首をひっこめる素振りを見せ、肉を噛むのを止めた。
だが攻撃してくる素振りは見受けられない。
俺は意を決して、頭の側面あたりに触れて、そのまま撫でる事に成功した。
ブドウはしばらく俺の事を見つめていたが、特に嫌な顔もせずに、再度肉を堪能し始める。
モフモフの感触を楽しんでいると、いつの間にかミィチェがお代りの肉を持ってきていた。
コーヒーを飲むのに使った器に、つけあわせの野菜や木の実を置いて、肉の端に添えている。
見た目が彩り豊かになった事で、更に食欲をそそる。
「セラの分も持ってきたから、皆で食べよ!」
「ありがとうな。ミィチェ。助かったよ」
ブドウの体から手を離し、器を受け取り、適当な石に腰掛けて、肉を頬張る。
少しパサついているが、及第点だろう。
味付けはハーブだけのため、塩が欲しくなる所だ。
アレイパイソンの肉は、想像していた通り少し癖のある淡白な味だった。
貴重なタンパク源になるため、口に運んで無心で食べる。
ミィチェがとってきた野菜の方が、新鮮で美味しく感じられた。
一方、ミィチェやブドウは無言で肉を貪り食っている。
特にブドウの食い付きが凄い。
口の周りが肉汁かよだれか分からないほど水浸しになっている。
俺たちはしばらく、目の前の肉を無言で食べ続けた。
「はー、幸せ。こんなご馳走にありつけるなんて……。セラさまさまだね」
「いやいや、ミィチェが手伝ってくれたおかげだよ」
「セラって料理も手馴れてるよね? ホントに記憶ないの?」
「無い無い。体に染み込んでる事は覚えてる、って感じかな」
疑わしげな視線を向けてくるミィチェは、俺の答えを聞くと笑顔を浮かべる。
「どーだか? ま、こんな所に住んでるんだもん。めちゃくちゃ強いし、秘密はあって当然かな?」
「秘密なんて無いけどなぁ……。な? ブドウ」
俺がブドウに声をかけると、ブドウは俺を少し見た後に「ウォウ」と小さく返事をした。
「……やっぱり、頭いいな。精霊獣ってのは、人の言葉も分かるのか?」
「ど、どうだろう? 分かんないや……。ごめんね、何も知らなくて」
「いや、いいさ。おい、ブドウ、俺の言ってる事が分かるか? 分かったら一回ウォウ。分かんないなら二回ウォウと鳴け」
俺がそう声をかけると、ブドウは眉間に皺を寄せて、面倒くさそうに二回「ウォウ」と鳴く。
「おい、分かってんだろホントは」
「ウォウ、ウォウ」
「ラリーが出来てる時点で分かってんだよ! おちょくってんのか!」
「ウォウ」
「よっしゃ、やったるわ。表に出ろブドウ! 躾の時間だ!」
ブドウと俺が立ち上がり、メンチを切りあっていると、ミィチェがクスクスと笑っている。
「二人とも、仲良くしなよー」
「ウォウ、ウォウ」
食い気味に返事をしたブドウに少し腹が立ったが、手負いのブドウをいじめたところで意味は無い。
「今日のところはミィチェのに免じて許してやるよ。命拾いしたな、ブドウ。怪我が治ったら改めて教育してやる」
俺がそう言うと、ブドウは鼻を鳴らし、そっぽを向いて傷を舐め始めた。
笑っていたミィチェは、それに気付くと立ち上がり、ブドウに駆け寄っていく。
首元から下がっているペンダントを握りしめ、ブツブツと小声で何かを囁き始める。
彼女の手に蛍のような光が集まってきて、ブドウの傷口に手をかざす。
すると、ブドウの傷口がみるみる治っていく。
ミィチェの額に汗が流れ、表情が少し苦しそうに見える。
光が収束すると、傷口は完全に無くなっている事に気付く。
頬を膨らませて息を吐くミィチェの顔には、やや疲労の色が見える。
「凄いな。回復の魔法か」
「うん。痛そうだったから、つい。雷主様、怒ってないかな?」
ブドウはミィチェの方に向き直り、頭を下げて、彼女の頬を舐める。
驚きで固まるミィチェを見て、俺の顔は自然と笑顔になった。
「怒ってないってよ。ミィチェ、ありがとな」
「び、びびび、ビックリしたー……。食べられちゃうかと思ったよ……」
何だか、俺よりミィチェに懐いているように見える。
少しのジェラシーと怒りを感じるが、彼女の笑顔を引き出してくれたブドウには感謝だな。
俺はしばらくその心温まる光景を黙って見続け、次第に時間は過ぎていく。
気がつけば、夜は更けていて、月が俺たちを照らしている。
ブドウが丸まって寝息を立て始めたのを合図に、俺とミィチェは拠点へと戻って行った。
「さて、残りの肉はどうするか…。どう見ても過剰だな。この量の肉は」
木の上からぶら下がるアレイパイソンの肉を見上げる。
「ふふ。確かに、この量は雷主様でも食べきれないね。もったいないなー。こんなおいしいのに……」
ミィチェは草の上に座りながら、何処か遠くを見ながら呟く。
彼女は村人達の事を気にしているのだろう。
「なあ、ミィチェ。話があるんだが」
「ん? どうしたの?」
俺は彼女の顔をしっかりと見据えて、語りかける。
「どうすれば、君を助けられる?」
明るい笑顔と、人を思いやる優しさを持つ彼女を覆う影を、俺は何とかしたいと思った。
俺は彼女を助けたい。
だが、俺の独りよがりな考えでミィチェを救っても意味が無い。
だから彼女がどうしたいかを、ちゃんと聞くことにしたのだ。
「……私ね、セラと一緒にいる間に考えたの」
ミィチェはこちらの様子を伺うように言う。
「雷主様が、ううん、ブドウちゃんがいれば、もしかしたらお父さんも、村の人も説得出来るかもって」
俺もそれは考えていた。
ブドウとコミュニケーションをとれる所を村人の前で見せれば、ミィチェの言葉にも耳を貸すようになるだろう。
「ブドウを村まで連れてって、説得するのか?」
「うん。……あの、私からも聞いていいかな? セラは何でこんなに優しくしてくれるの? 会ったばっかりで、素性も知れない私に」
俺はしばらく考える。
初めて会った人間だから。
可哀想だと思ったから。
昔の知り合いに似てたから。
優しいから。
全てが俺の本音だが、しっくり来る物がない。
「……何でだろう。色々あるけど、分かんないな。でも、ミィチェだって、俺に優しかっただろ? それに理由なんか無いだろうし、お互い様だろ」
「と、特に理由はないの?」
「うん。無いかも」
「……セラって物凄く強いし、ブドウちゃんとも仲良くできるし、優しいし、凄い人だからさ。高尚な理由とかがあって、私に優しくしてるんだと思った」
今の俺は何も凄くはない。
この世界の知識が無く、自分の技能や特性さえ把握出来ていない、ただの子供だ。
ミィチェは俺を真剣な眼差しで見つめて、俺の返答を待っているようだ。
「ブドウを見ててさ、余計にそう思った。あいつは寝たい時に寝て、喧嘩したい時に喧嘩して、腹が減ったら食って。嫌な奴には嫌がらせして、好きな奴には優しくしてるだろ? 言葉も話さないけど、あいつがしたい事は分かりやすい。ブドウみたいに、もっと素直になっていいんだ。俺もミィチェも」
ミィチェは視線を滑らせて、仰向けで眠るブドウの方を見ている。
腹がパンパンに膨れ上がり、呼吸をするのも苦しそうだ。
「……雷主様、ううん、ブドウちゃんは、協力してくれるかな」
「大丈夫だろ。いざとなったら、俺が影から操ってやる。でも、村の人たちを説得出来るかはミィチェにかかってるからな」
俺がそう言うと、ミィチェの目から涙が溢れそうになる。
しかし泣くのをグッと堪えて、服の裾で涙を拭って前を向いた。
「わた、私、頑張る……!」
震える声でそう言った彼女の目には、強い決意が感じられる。
「当たり前だ。フォローは任せとけ。……ついでに、村の人たちには残飯処理にも協力してもらおうか?」
そう言って俺がアレイパイソンの肉を見上げると、ミィチェは満面の笑みを浮かべる。
「……うん! うん! 凄い良いアイデア!」
「日持ちはしないだろうし、今のうちに火だけでも通しとくよ。ミィチェは水浴びでもしてきたらどうだ?」
俺は気をつかってそう言ったが、ミィチェは顔を赤くして、自分の体の匂いを嗅ぎ始める。
「あ、違う違う。入りたいかなって思っただけだよ。他意はないから」
すかさずフォローを入れると、安堵の溜息をつき、ミィチェは立ち上がって川辺に歩き出した。
彼女の足取りが、少し軽くなっているように見える。
もう心配することは、無さそうだ。
少し歩いたところでミィチェが立ち止まり、こちらを振り返る。
首を傾げて、腕を後ろで組み、何か言いたげな顔でこちらを見ているようだ。
「どうした?」
「覗かないでね?」
「……はい」
少し大人びた表情でイタズラに笑い、ミィチェは川岸へと向かった。
べ、別に興味ねぇし。等と思いながらも、ミィチェの姿が脳裏に浮かんでは消えていく。
ブドウの野生にあてられたのか、身体が若くなったからかは分からないが、心臓が少しだけ高鳴る。
俺は深く考える事は止めて、目の前の巨大な
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