第5話「守るべきは、人かルールか」


 昼下がりの柔らかな太陽の光が差し込む中、俺は何か懐かしい匂いで目を覚ました。


 香ばしい匂いが鼻をくすぐり、思わず体を起こす。


 すると、焚き火の前で何かをしているミィチェの姿が目に入った。


 太陽はすでに真上に移動しており、昼を少し過ぎた時間のようだ。大きな欠伸をしながら体を伸ばすと、俺に気付いたミィチェが振り返る。


「やっと起きた!」


 そう言って、何かを持って俺の方に走ってくる。


「おはよう。ミィチェ」


 俺が挨拶すると、ミィチェは少し頬を膨らませながら、俺の隣に座り込んだ。


「おはよう、じゃないよ! いきなり倒れちゃってビックリしたんだから!」


 そう言いながら、少し心配そうな顔をしているミィチェに、俺は申し訳なさそうに頭を掻く。


「ごめんごめん、最近寝付きが良すぎて……。手間をかけさせた。ありがとう」


「ほんとだよ、しっかりしてよね。でも、ぐっすり眠ってたみたいだね。ほっぺつねっても起きないんだもん」


 ミィチェは一瞬眉をひそめたが、すぐにイタズラな笑顔を浮かべる。


「あれ、そういやブドウは?」


 俺がふと、周りを見渡すと、ブドウの姿が見当たらない。


「セラが起きるちょっと前に起きて、どこかに行っちゃった」


 ミィチェは肩をすくめながら少し残念そうに笑った。


 俺はミィチェが手に持っているものに目をやる。


「それは? なんかいい匂いするけど、飲み物?」


 ミィチェは得意げに笑い、俺にそれを手渡した。


 彼女が持っていた器の中には、湯気が立つ黒い液体が揺れていて、どこか心地よい香りが漂っている。


「これはね、近くで見つけたコピの実を煮出して作った飲み物だよ。ほら、そこの木の上にあるおっきな実」


 その方向を見ると、確かに同じような身がついているのが確認できる。


 ミィチェは続けて説明する。


「コピの実は、すごく頑丈な殻を持ってるの。その実を半分に割って、器にしてるんだよ。中身を煮出すと、少し癖があるけど美味しいんだ。ね、良い香りでしょ?」


 俺はその香りを鼻で吸い込み、ふと懐かしさを感じた。コーヒーに似た香りだ。


「これは……!」


「嫌じゃなかったら飲んでみて!」


 ミィチェに促され、俺は器を持ち上げて、慎重にその液体を一口飲んでみた。


 思わず目を見開いた。苦味と香ばしさが口の中に広がり、まさにコーヒーだ。ほのかな酸味もあり、さらに香りが鼻を抜ける。


 超コーヒー党だった俺は、動揺を禁じ得ない。油断をすると、涙が出てきそうだ。


「……うっ、ううっ…!」


「あ、やっぱり苦い? へへ、セラって子供舌なんだねー」


「いや、美味すぎてね…。ありがとう。ミィチェ。ほんとに美味いよ」


 俺は感動し、ミィチェに向かって感謝の言葉を口にする。


 ミィチェはその反応に少し照れくさそうに笑って答える。


「そんなに喜んでくれるなんて、作った甲斐があったよ」


 俺は改めて、コピの実の飲み物を大事に味わいながら飲む。


 こんなところで、自分の記憶にある味に再び出会えるとは思ってもみなかった。


 確かに苦味が強いが、俺にとって懐かしい味だった。


 ミィチェは俺の嬉しそうな顔を見て、満足そうに笑みを浮かべた。


「じゃあ、これからも時々作ってあげるね。実は結構そこら辺にあるし、暇つぶしにもなるしさ」


「それはありがたい。次は一緒に作ろう」


 俺たちはそんな会話をしながら、しばらくの間その飲み物を楽しんだ。


 優雅なティータイムを終えると、ミィチェが身を乗り出して俺に質問をしてくる。


「でっ? 話の続き! セラ。どうやって雷主様の動きを止めてたの?」


「ん? ああ、俺の特性アビリティでな。シャドウマスタリ、って言うんだが」


「ふんふん」


「こういう風に、相手の影を操ることが出来る」


 俺はミィチェの影を踏んで、彼女の右手を操る。

 勝手に右手が動くことに、彼女は驚いていた。


「な、何これ、何これ! 手が勝手にー!」


「影が動くと、体がそれに引っ張られるみたいだな。今はこれくらいしか出来ないが、もっと凄いことが出来そうな気もする」


「……影を操る、かあ。本当に、不思議な人だね」


「そういや、ミィチェ。これからどうするんだ? 生贄になる必要はもう無いんだ。村に帰るなら、送っていくけど」


 俺がそう言うと、ミィチェは苦笑いをしてから、コーヒーを口に含む。


「村には帰れないよ。……朝に森で、私のワガママ、って言ったでしょ? 私ね、村の皆の反対を押し切って、生贄に立候補したの」


「どういう事だ?」


 ミィチェはぽつぽつと、言葉を慎重に選びながら言う。


「私の家、ファラリス家はね、代々村で生贄を選んで、儀式をする立場の人間なんだ。私の技能スキルのファラリスは、生贄を閉じ込めておくための技能なの」


 彼女の顔に、いつもの明るさは無く、目を伏せたまま話を続ける。


「私はその儀式に疑問を持ってた。仲良くしてた近所のお姉ちゃん達を、毎年一人ずつ森に差し出すのは、本当に辛かった。……それで、私が生贄になればいいや、ってね」


「技能を受け継いだのは、ミィチェ一人なのか?」


「うん、うちは一人っ子だったからね。ファラリスが使えるのは、あとお父さんだけ」


「じゃあ、根本的な解決には至らなかった訳だ」


 ミィチェは静かに頷くと、ため息をつきながら、膝に顔を埋める。


「お父さんがいれば、儀式は続くと思う。でも娘の私が生贄になることで、残された家族の気持ちが分かるんじゃないかって。村のみんなも口では名誉な事だ、って言ってるけど、別れる時は皆泣いてるんだ。声をあげなきゃ、動かなきゃいけないって思ったの」


「なるほど。……辛かったな。良く一人で、頑張った」


 俺が声をかけると、彼女の目から涙が零れ、子供のように泣きじゃくる。


 明るく振舞ってはいたが、彼女はまだ十六歳の子供だ。大人達が従うルールに逆らうのには、抵抗もあっただろう。


 村のルールに則った上で、問題提起をするという手段は悪くはない。


 だが、問題の解決には一歩及ばない。


 儀式を行うファラリス家だけではなく、犠牲に慣れてしまった村人達にも、大きな問題があるように感じる。


 ミィチェの涙を見れば、彼女もまた、解決には程遠い事が分かっているのだろう。


「…結局、私は家の事とか、村の事を言い訳にして、逃げてるだけなのかも知れない。これから出し続ける犠牲を、背負う覚悟が、私には持てなかったの」


 ミィチェの口から懺悔ともとれる言葉が零れる。


 俺は彼女の重い決意や想いに足る言葉を持ち合わせていない。


 彼女の頭を撫でることで、茶を濁す事しかできないのだ。


 彼女は俺にしがみついて、肩を震わせて泣き続ける。


 誰にも言えなかった不安や恐怖が、痛いほどに感じられる。


 彼女は必死に戦っている。


 俺とは違って、自らの意思で選択し、自分の世界をより良くしようと努力が出来る強い人間だ。


 俺は組織の命令に疑問を持ちながらも、大義の為と割り切って、人を殺していた。

 彼女の父親と同じく、ルールに縛られ、それを遵守しようと務めていた。


 俺の目には、ミィチェがある人物に重なって見えた。


 唯一、俺が組織に反抗して、逃がした後輩。


 彼女もまた、ミィチェのように不安を抱えながら生きていたのだろう。


 ミィチェの泣き声が止み、川のせせらぎの音だけが周囲に響く。


 泣き疲れたのか、不安を打ち明けることですっきりしたのかは分からないが、俺にしがみついたまま眠ってしまったようだ。


 俺は彼女を起こさないように、草を敷き詰めたベットに運ぶ。


 縛られるべきルールも無く、守るべき国も無い、ただのセラになった俺に、何か出来ることは無いだろうか。


 ミィチェを助けたいという気持ちもある。

 だが、彼女の父親の意見も分かる。


 勿論、生贄というやり方は許容できないが、村の考え方の大前提には、村を守るという意思がある。


 長年それを取り仕切ってきたミィチェの一族の、決意や覚悟を踏みにじる様な真似はしたくない。


「……よし」


 俺は通信をする事にした。


 こういう時は第三者の意見が必要だろう。

 出来れば知ってるひとが良いため、神様かラフィを想像し、通信を開始する。


 程なくして、耳に飄々とした声が響く。


「世良君じゃないか。もしもーし! 聞こえますかー! 髭の神様だよー!」


「聞こえてるよ。そう言えば、あんたの名前はなんて言うんだ?」


「ワシ? 名前言ってなかったっけ? ワシはゼタ。神界でも偉い神様だから、自慢していいよ」


「ゼタね。……今さ、ちょっと困ったことになっててね」


 俺はゼタに現状を報告しようとする。


「そこの嬢ちゃんだろー? 若いうちの苦労は買ってでも、って言うし、ほっといても大丈夫じゃない?」


 どうやら、ゼタは状況を把握しているらしい。


 放送するとか言ってたから、俺をどこかから見ているのだろう。


「あのな、可哀想だとか思わないのか?」


「そりゃ同情はするさ。でも、辛い思いをしてる人間なんてゴマンといる訳だし」


「勇気を振り絞って行動したミィチェに、救いがあってもいいだろ? 俺みたいな奴にも、あんたらは生き直す機会をくれたんだから」


「そう思ったなら、君が助けてやればいい。君が彼女に生き直す機会を与えるんだね。ワシらは見てることしか出来ないし。神様って言っても、なんでも出来るのは自分の力の領域内だけだからね」


「……俺に、その権利があるとは思えないんだけど」


「ははは。ウジウジしてる。ぷぷぷ。言ったでしょ、コホン、好きに生きろ。そして笑って死んでくれ……」


 ゼタのにやけヅラが頭に浮かぶ。


 ぶん殴りたい。ダイヤの指輪を嵌め、助走をつけて二、三発ぶん殴りたい。

 

「殴れません! はい残念。ワシの勝ちだが?」


「お前、覚えとけよホント……。分かったよ! お前に相談したのが間違いだったわ! くたばれ髭ジジィ!」


「酷い! せめて心の中で言ってよ! おとといきやがれクソ人間! やーい! お前の母ちゃんでべ━━━」


 ゼタに通信を繋ぐのは二度と止めよう。

 俺はそう決意し、ため息をついた。


 しばらく考えをまとめていると、森の茂みがガサガサと揺れる音がする。


 身を起こして音の鳴る方を見ると、ブドウが何かを引きずって歩いてくるのが見える。

 

 ブドウが引きずっているのは蛇のような見た目の魔物で、とんでもなくデカイ。


 真っ黒な大蛇で全長は8メートルほどだろうか。

 既に絶命しており、目は白目を剥いている。

 黒い鱗が所々剥がれ、青い血が流れ出し、ブドウが通った道に青い線を残していた。

 

 大きな音を立てて近づいてくるブドウに、ミィチェも目を覚ましたようで、その大蛇を見て顔を青くしてカタカタと震え始める。


「ああああ、アレイパイソン?! あんな大きいのが近くにいたの?」


「いや、でも死んでるから大丈夫だろ」


「う、うん……。でも凄く強い魔物だから怖くって、やっぱり雷主様は凄いなぁ……」


 ブドウは川の対岸にアレイパイソンを置いて、川の水を飲んでいる。


 ブドウの体にも少し傷がついており、その傷口からは血が流れている。俺たちと同じ、赤色だ。


「魔物の血は青いけど、ブドウの血は赤いぞ」


「ほんとだ。……雷主様が怪我してるの初めて見たけど、私たちと同じ色の血だね」


 穏やかに見えるこの森の奥では、熾烈な生存戦争が起きているのだろう。


 安全確保のために周囲の情報も集めた方が良さそうだ、と思った時に、ブドウがアレイパイソンをこちらに投げてきた。


 ミィチェの悲鳴が上がる。


 俺は咄嗟にシャドウマスタリで蛇の影を捉え、ぶつかる前に止めることに成功する。


「コラー! ブドウー! 危ないだろー! めっ!」


 俺はアレイパイソンを乗り越えてブドウを叱責する。


 ブドウは何のためにこれをこちらに投げたのだろう。


 そう考えていたが、ブドウは右手をはち切れんばかりに振り回している。


 どうやらこの蛇を焼いて欲しいようだ。


 俺は巨大なアレイパイソンの体を見上げる。


 硬そうな黒い鱗の下には、やや白みがかった肉がみえる。


 俺はダガーを使ってその肉を切り取る。筋肉質な肉で。かなり食べごたえがありそうだ。

 

「それ食って待ってろ! すぐ焼くからなー!」


 俺は切り取った生肉をブドウに投げる。


 べちゃり、と落ちた生肉を見たブドウは、少し残念そうにこちらを見て、肉を食べ始めた。

 

 ミィチェの問題について、考えても考えても結論は出てこない。


 こういう時は単純作業をして気分転換をしてみても良いかもしれない。


 震えるミィチェを他所に、俺は蛇の解体ショーをすることに決めた。

 


 

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