第2話「第一村人、森のくまさん」


 

 ふと目を覚ますと、柔らかな草の上に横たわっていた。寝ぼけた頭に、神様の言葉が浮かんでくる。


「好きに生きろ。そして笑って死んでくれ」


 その言葉が耳に残り、俺は苦笑いを浮かべた。


 我ながら、偉そうなセリフを言ったものだ。


「笑って死んでくれ」では無く、「笑って生きろ」が妥当だろう。


 当時は何気なく言ったのだが、俺のネガティブさがよく出ている。


 今思えば、自分がそう生きれないから、望みを託したのだろう。


 出来の悪い、優しい後輩に。


 体を起こすと、目の前には青々とした森林地帯が広がっているようだ。


 遠くに、小川のせせらぎが聞こえるだけで、どこまでも静かな風景だ。


「……とりあえず、水を確保するか」


 そうつぶやき、俺は水音のする方へ向かう。


 目線がやや低いことに気がつく。十五歳ってこんなに身長が低かったか? 150センチ程しかないように感じる。


 手足の長さが急に変わったからか、やや歩きづらい。


 ふらふらと覚束無い体を慣らしながら、音を頼りに小川へと向かう。

 

 しばらく歩き、目的の川に着いた。


 澄んだ水が静かに流れている。


 水の中には魚が泳いでおり、食料も問題は無さそうだ。


 ふと、水面に映る自分の顔が視界に入る。


 少しあどけなさの残る黒髪の少年がそこにいた。


 黒髪がだらしなく伸びており、肩くらいまでの長さがある。

 前髪も長く、右目は重たそうな黒髪に覆われてしまっている。

 茶色の瞳の下には、わずかにクマがある。そのせいで、少し陰のある少年のように見える。


「……さー、念願の自由だ。どうしよっかな?」


 俺は独り言を漏らすと、そのまま川辺に腰を下ろす。空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。


 太陽の光が暖かい。川辺の草は少し湿っているが、ひんやりとしていて気持ちがいい。


 俺は自然と目を閉じて考えにふけっていたが、いつの間にか意識を手放してしまった。


 自由とは何か、そう考えているうちに俺は二度寝をしてしまっていたのだった。


***


 バシャバシャと水がはねる音に、俺は目を覚ました。

 川の方に目を向けると、巨大な動物が魚を捕っているのが見えた。


 その姿に思わず息を呑む。


 それは、熊のような見た目をした動物で、体長は三メートルほど。


 二本足で立ち上がり、頭にはモヒカンのような特徴的な金色の毛が逆立ち、体色は紫で、所々に白い斑が見える。

 筋肉質な体には時折、雷のような光が走る。その閃光に川の魚たちは反応し、まるで飛び出すように水面を跳ねていた。


「……第一村人発見。森のくまさん、ってか」


 俺は軽く息を吐きながら、目の前の「現実」を見ていた。


 そういえば、神様がくれた特性なんかは、どうやって確認するんだろう。


 そんな事を思いながら、あーでもない、こーでもないと試行錯誤していると、瞬きをしている間に視界に変化があった。


 視界がサーモセンサーの画面を見ているような光景に変わっているのだ。川は青く、生物がいる場所は赤みがかって強調表示されている。


 神様が言っていた、装備の技能スキル特性アビリティへの昇華だろう。


 前の世界で使っていたサーモスコープを思い浮かべながら、瞬きをすると景色が変わるようだ。


 特に体調に変化は無い。デメリット無しで使えるので、これは特性に変化したと思っていいだろう。


 少し楽しくなってきた俺は、次にドローンを想像する。ドローンは周囲の偵察や哨戒にはうってつけだ。


 目を閉じてドローンを想像すると、俺の肩に一匹の鳥が止まる。

 ツバメのような流線型の体をしており、体は鮮やかな緑色。体に青い光を纏っていて、とても綺麗だ。


 …まさか、この鳥がドローンの代わりなのか? 俺はそう考えて頭の中で上空へ行け、と命令を出す。


 するとその鳥は翼を広げ、滑るようにして空へ飛んで行った。

 

「お、いけそう? 止まって。周囲をサーモで確認」


 俺の言葉に連動し、鳥が周囲を見回している。


 目を閉じると、あら不思議。上空からのサーモセンサーもお手の物。


 満足した俺はドローンを消し、森のくまさんの観察をすることにした。


 くまさんは目の前のご馳走に夢中なようだ。魚を陸に上げて、一匹ずつ丸呑みしている。


 ワイルドな食べっぷりで、こちらのお腹も満たされていくように感じる。


 ふと、くまさんと目が合う。対岸にいるとは言え、距離は近い。


 サバイバルにおける鉄則。熊と目を合わせたら、逃げてはいけない。背中を見せると、一生追いかけてくるのだ。


 アルテリアと呼ばれるこの世界でも、習性が同じかどうかは分からない。しかし、武器もない状態で、あんな猛獣の相手は難しいだろう。


 ふと、シャドウマスタリの事を思い出す。

 影を操る特性だと聞いたが、どうやって使うのだろう。


 頭の中でイメージしようにも、ドローンやサーモセンサーのように具体的なイメージが無い為、難しい。


 しかも。目の前には猛獣がいる。


 目が意外とクリクリしていて、愛嬌のある顔をしている。


 一方で口元は歪み、鋭い歯を見せびらかして、明らかにこちらを威嚇してきている。


「怖すぎる……」


 そうして10分程、睨み合いが続いた。くまさんは威嚇するのに飽きたのか、そっぽを向いて座り始める。


 後ろ姿を見ると大きなおしりにぼんぼりのような尻尾がついている事に気づく。


 か、可愛い。全体的には厳つい見た目をしているが、部分的に可愛いパーツが多い。


 俺に興味を無くしたのか、周りをキョロキョロと見回し、川の水を飲む。

 

 大きな口をくわっと開けてあくびをしたかと思うと、その場でぐるぐると回り、寝床を作り丸まって寝てしまった。


 こんな開けている場所で、堂々と寝そべっている。


 つまり外敵を気にしていないと言うことだ。


 このくまさんは、可愛いだけではない。この辺でデカイ顔ができるくらい強いという証明をしている。


 俺は警戒を解いたくまさんの大きな影を見つめる。無防備に眠っている訳ではなく、薄目でこちらの様子を伺っているようだ。


 襲ってくる様子は無いため、このくまさんで色々と試させてもらうことにする。


実験台になってくれる、大きな器も持ち合わせているようだ。


 俺はくまさんの影に集中する。くまさんのささやかで可愛いしっぽの影を見て、動かそうとする。


 すると、くまさんのしっぽの影がピコピコと動き始めた。


 それに連動するように、くまさんのしっぽも嬉しそうに動いている。


 くまさんは虫を払うかのように、後ろ足をバタつかせている。尻尾が勝手に動いているのが不愉快なのだろう。


 俺は尻尾だけではなく、彼の大きな影全体に意識を集中し。その影を固定しようとする。


 するとくまさんは口を開けたまま、その場で動かなくなった。

 

 くまさんは何が起きたか分からず、辺りを見回しているが、首を捻って困惑しているようだ。


 うーん、可愛い。決めた。ペットにしよう。名前はブドウにする。

 

 シャドウマスタリについて気付いた事がある。恐らく警戒されていると、効果を発揮しない。

 

 一度かかってしまえば、警戒されようが影を操る事は出来るようで、現在ブドウは近付いてくる俺に一生懸命吠えている。が、体は動いていない。


 操作できる箇所も、影が見える部位しか動かせない。


 開けた場所で、尚且つ光が無ければ、シャドウマスタリは使えないようだ。


 扱いが難しい特性だな。そう考えながら、俺はブドウに、にじり寄る。


 川を越えてブドウに近付くと、体からバチッという音がする。


 次の瞬間、ブドウの体は紫色の雷を放出し、俺を消し炭にしようとする。

 

 サーモを使って近づいていた為、危険を察知する事は出来た。


 しかし、雷は音速を超える。目で追うことは難しいと判断した俺は、咄嗟にブドウに駆け寄り、避雷針がわりにする。


 俺より高いところにあるブドウのモヒカン目掛けて、雷が落ちる。


 雷を使うってことは、ある程度耐性はあるだろう。死にはしないはず。


 ブドウはピィ、と巨体に似つかわしくない悲鳴を上げて、地面に倒れてしまった。


 俺は倒れたブドウの大きな体に近付いて、頭を撫でる。


「痛かったかー? ダメだろー、ご主人様に雷打っちゃ! めっ!」


「グルルルル! グルルァ! グルルルルァァァァァァア! ガルガルガルガルガルァァァァ! ブォォォォォォオオッ!」


 めちゃくちゃ拒否られてる気がする。


 しかし俺はめげない。


 密かな夢を思い出した。ありきたりだが、庭付きの一軒家で大きな犬を飼うのが夢だった。


 俺が好きに生きて、笑って死ぬ為に、ブドウには俺のペットになってもらう。


 俺はブドウの影を踏む。踏んだ瞬間に、ブドウの体は微塵も動かなくなる。


 先程まで唾を飛ばしていた口も、真一文字に紡がれ、ここでやっと恐怖の色が見え始めた。


 人を支配するのに、恐怖や暴力といった物を使うのは三流だと、組織にいた頃に習った。


 同時に、動物に序列を教え込むのには有効な手段だとして「教育」の方法も教わった。


 野生化では、力が全てだ。秩序が、法が、ルールが、そもそも言葉が無い環境では、生殺与奪の権利を持つものが正義になる。

 

 どんなに体が大きくても、力が強くても、勝てない相手が居ると、刷り込まなくてはならない。


 その刷り込みこそが最初の「躾」だ。人間を襲うペットなんて、友達ができた時に危なくて紹介できないじゃないか。

 

 鼻で荒く呼吸をして、毛を逆立てているブドウに、顔を寄せる。


 俺が近づけば近づくほど、体の震えは大きくなり、呼吸を荒らげている。

 

「体の自由が効かないのは怖いか? ならお手。お手しろ。お手! おーて! お手したら魚食べていいから! はい! お手ぇ!」


 俺はブドウの顔の前に右手を出す。


 恐怖で目を瞑っているようだ。ったく世話が焼ける。


 俺はブドウの右腕の影を操り、俺の手に乗せた。おずおずと目を開けてそれを見たブドウは、不思議そうな顔をしている。


 それを何度か繰り返すうちに、ブドウの緊張も解けてきたようだ。


 危害を加える気はない、と分かって貰えたのだろうか。いや、十分怖い思いはしているだろうが、そこは後で謝ろう。

 

 まずは簡単なルールを教えなければいけない。人間も動物も、手を取り合うところからが、スタートなのだから。


 反復練習をしたあとで、ブドウの影から離れて拘束も解く。


 それに気付いたのか気付いてないのかは分からないが、頭を下げてこちらの様子を伺っている。


 よし。体に染み付いているうちに、もう一度お手をさせて、ご褒美に魚をあげれば、友好関係も築けるだろう。


 そう考え、一歩前に踏み出して、俺は右手を差し出す。


 ブドウは自身の身体が動く事に気がついた様で、のそりと上半身を起こして右手を見つめている。


 そうそう。その右手を俺の手に乗せるだけだよ。


 俺は優しい笑顔を浮かべる。その笑顔に応えてくれたのだろう。ブドウの大きな右手が近づいてくる。


 俺は密かに拾っていた魚を左手に持ち、歓喜の瞬間を待ち構えていた。


 そして、遂に、ブドウの右手が俺に触れる。


 俺の薄ら笑いが張り付いた顔面を、大きな手で押し潰し、体ごと吹き飛ばした。


「な、何しやがんだ! この野郎め!」


 鼻血を出しながら、ブドウに文句を言っていると、ブドウの体から大量の雷が放出されている。


 今までの放電とは比べ物にならない程のエネルギー量。バチバチと周囲を照らしながら、ブドウの体にまとわりついている。


 ブドウの体から放射状に伸びた雷のエネルギーは、まるで九尾の狐の尾のように見える。


 その九本の雷の尾が、それぞれ別の軌道を描いて俺に向かってくる。


 スピードは目で追えるが、あの質量のエネルギーにちょっとでも触れたら、一瞬で黒焦げになってしまうだろう。


 俺はドローンを展開し、視界を確保する。肉眼だけでは対処し切れないと直感が告げている。


 四基ほど飛ばすイメージをしたが、出てきたのは二基だけだ。


 ドローンは恐らく回数制限がある。クールタイムは分からないが、最大展開できるのは三基までのようだ。


 上空に設置したドローンからの情報を使いながら、ブドウの尾を避ける。


 戦って分かった事だが、ブドウは戦略を立てる知性がある。


 俺の死角を狙い、後ろからの攻撃を執拗に続けているし、俺と距離をとり、一方的に攻撃が出来る場所で戦っている。


 その頭があるのに! 何故お手は出来ないんだ!


 俺の心の叫びは虚しく響き、返事として強烈なラッシュが返ってくる。


 身を翻しながら、どうすればブドウを落ち着かせることが出来るか思案していると、不意に攻撃が止まる。


 どうやら、あの攻撃にも俺のドローンのように、何かしらの規則があるのだろう。


 そしてブドウは何処かへと逃げてしまっていた。辺りにはなぎ倒された木々と、放置された魚が残されているだけだった。

 

 あの攻撃を囮に使って、上手く俺から逃げたようだ。


 やはり賢い。今回は上手くやられてしまったが、次会う時にはペットにしてみせる。


 そう強く違った俺はなぎ倒された木々を集めて、簡易的な拠点を作り、夜に向けて準備をするのだった。


 これだけの木材があれば、家を建てるのもいいかも知れない。


 ブドウの可愛いシッポを思い出し、後ろ髪を引かれながらも、俺は木材を運び、家の枠組みを作ってその上に平らな木の板を並べていき、初めての拠点が出来上がったのだった。

 

 


 




 


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