人間《ヒト》は星屑《ゴミ》だ
@tenten1111
開幕
「さあ、お集まりの皆さん! 遺書の準備はよろしいですか?」
男の声は夕闇に吸い込まれることなく響き渡った。
汐を含んだ重く強く吹く風、絶えることのない波濤、雑談をしていた数百人の話し声、それらすべてを黙らせ、スポットライトのように眼光を一点に集める。
マイクで拡大したような耳障りなノイズが少ない。滑らかでいて耳朶を震わす。オペラ歌手のような豊かな声量の持ち主は、会場の一角に設えられた壇上で妖しく微笑む。大きな体の上に載ったアジア系の顔は落ち着いた雰囲気で、白髪の多い髪を撫でつけた紳士然とした態度は、一度向けられた目を引き付けて離さない。
――と思いきや、一転剽軽な声音でくしゃりと顔を崩した。
「うっかり忘れちゃった? でも、もう手遅れですよ~? 業突く張りの親戚縁者に遺産を食い物にされちゃってくださいね~」
小さく笑いが起きる。
小さな笑いですら聞こえる程、皆が彼に耳を傾けていた。自然現象すらも止まったかのように。
「まあ、遺書なんてなくても生きて帰れば良いんですけど……それも残念……ですよね?」
生きて帰るのが残念――それはどのようなジョークだったのか。どっとウケる。
「でもご安心、この船には法律の専門家も同乗しております。お値打ち価格でご相談に乗りますよ~」
なんだ、宣伝かー?
金なら死ぬほどあるぞー!
墓も立ててきたわー
などと野次も飛ぶが、こちらも軽い口調だ。呂律も回っていない。一足早く出来上がっているようだった。
「想い遺すことがなければ幸いです! 見てください、この満天の星々を! この
そこで一斉に歓声が沸きあがる。屋外のスペースに集まっているのは年齢性別も様々な数百の人の群れだ。
ざわざわと人影が蠢き、中には興奮で足を踏み鳴らす者もいる。ここに地面があれば、地鳴りの一つも起きたことだろう。
近隣住民がいれば苦情でも入れるほどの騒ぎだったが、その心配は無用だった。大砲を打ち放ったところで、一番近くの一般人には爆竹が鳴らされたほどにしか感じないだろう。
『きらり丸』。東京近郊から出航したこの船の名前だ。
超豪華客船――とまでは言い難いが、最大乗客1200名、乗務員100名。娯楽施設まで備えた旅客船だ。
その船を使い、とあるクルージング・ツアーが催されていた。
航路は不明。乗客には北半球も南半球も経由するというとしか知らされていない。
前日夜から乗船させると、昼前に出航し、周囲を見回しても陸地の影も見えない沖合で、オープニングセレモニーが行われていたのだった。
船上に集まった多数の客の前で、男の口上は続く。
「申し遅れましたが、今回のツアーを主催いたします
一礼すると歓迎の拍手が沸き上がる。いや、止まない拍手は、見送りのようでもあった。
どれだけ雑音が増えようと、黄を名乗った男は通る声で押し流す。
「ヒトは誰しも己が一つ輝く星を持って生まれてきたのです。しかぁし、悲劇的なことに、それは何万年もの間忘れられてきました。なぜでしょう? 答えは簡単です。そこの貴女、身の回りに星を瞬かせて生きている人を見たことがありますか? そぉう、私たちはまっこと愚かしいことに目に見えるものしか信じられないのです。見てください!」
黄はばっと頭上を指し示す。赤く燃える雲が流れている。暮れゆく時間の見せる美しい光景だった。美しすぎて――計ったようで嘘くさい。感動は演出の効果を倍増させる。
見上げる聴衆の心のゲージが感動に振れようとする間際を狙うようにして、声のトーンを落とし男が続ける。それは寂しさや申し訳なさの入り混じった聞くものの涙を誘うメロディーになる。
「今、星を見ることはできません……。星は夜が連れてくるのではありません。地球の自転によって星の位置が変わることはあっても、星のない空と星のある空が入れ替わるようなことはないのです。ただ、太陽の明るさに負けて星のきらめきを私たちが見ることができない、いえ、見つけてあげることができないというだけのことなのです」
黄の眼には涙すら浮かんでいた。
それに呼応するようにどこかですすり泣きが始まる。サクラなのかもしれない。だが、白けたムードにはなっていない。次第に色を濃くしていく空のように、集まった人たちの間にも見えない――見せない黒い染みがじわりと広がっていくようだった。
「おっと、目が不自由な参加者はいらっしゃいませんよね? え? 目を閉じてた? 大丈夫、肌で感じられますよ。星の光を浴びればわかります。現に事故により眼球を失った人であっても『宿星』を見つけられた事例も報告されています」
どこで報告されたとは言わない。
黄の身振りは芝居がかっていて、実際、舞台上の俳優のように振る舞って観客の耳目を、興味を、心を離さない。いつしか、口を開けど声を発するのを忘れたように、うっとりとした顔でただ黄土砂を見ている群衆が静寂を作っていた。
「星は空へ。ヒトは地へ。しかし、別れたままではなかったのです。人と星と書いてジンセイ。それが本来の人生ということ……そんな風に思えるのです。自分だけの星を見つけられれば、
黄が口を止めてもざわめきは帰ってこなかった。この船旅の本来の目的に緊張と期待とが渦巻いている。
壇上の男がそれを確認すると、横目で合図をして乗務員にグラスを運ばせる。縁の広いグラスにシャンパンを注がせる。
乗客の間にも少し前から同じようなグラスが配られていた。ひっそり、闇からにじみ出るかのように。
全てを観察する黄の眼にも夜のドブ川のような悍ましくも綺麗な何かが満たされていく。
やがて頃合いとなり、乾杯を促すために黄の手に持つグラスは高々と掲げられ、その先に一番星が光る。
「皆様がただひとつの星に巡り合えるこっ――――」
黄の言葉はそこで途切れた。
振り上げた手からガラス細工が落ちる。
脆い工芸品が粉々に砕け散る音に、成人男性が直立姿勢から後ろに倒れる音が追いかける。どちらも耳触りが良い物ではなく、それに引き続いて女性の悲鳴でも聞こえてきそうなものだった。
だが、そうはならなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
海のうねりを覆いつくすような人の声が押し寄せる。悲鳴でも怒号でも驚嘆でもない、歓喜の色を強くして。
「星!? 星が見えたのか!?」
「ああ、ありゃ間違いないよ。俺は見たことあるからわかる」
「うっそぉ、神タイミング。やらせ? 仕込み?」
「あああああああああやったあああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
涼風を熱風へと錯覚させてしまう、熱狂とさえ言える歓声が年齢性別の隔てなく沸き起こる。
シャンパンを瓶ごと奪って床に叩き付け、誰彼問わず抱きつき、笑顔で殴り合う。
狂喜の宴が繰り広げられようとする一方で、倒れたままの主催者は担架に載せ運ばれていく。不要になった舞台装置を片付けるように乗務員は淡々と職務を遂行する。その二つの様子を並べてみるととても同じ船の上の出来事とは思えない。
いつの間にか準備していたクラシックな楽団が軽やかな音楽を奏で出していた。
海の上には星が瞬きを増やしていた。船を取り囲むように。獲物を狙う獣の眸のように。
人間《ヒト》は星屑《ゴミ》だ @tenten1111
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