序章2 『黒雨』


 魔導列車は、ここ十数年で格段に進化した移動手段の一つだ。

 魔力の燃費は格段に良くなり、王都「ウィシュレス」から東の最端にある港町「ヴィーグナ」まで、補給なしでの往復が可能となった。

 また、数年前は乗り心地の悪さへのご意見がいくつも寄せられていたようだが、列車の内側に発動する平衡感覚の自動調整、隙間風に対した防風効果の術式を、金属内にて刻み込む製造技術を取り入れたことで、苦情の声はここ数年でめっきり消えた。

 そんな魔道列車の車両内にて、列車内は静かな歓談の声は絶えず響いていた。

 小さな子供が父親の膝に乗って外の光景を指を指し、楽しそうにはしゃいでいる。

 

 

 そんな中、浮かない顔で外を眺める青年が一人。

 ラースは快適な車両内の個室にて、ぼんやりと景色を眺めていた。


――いよいよか…。


 左手に握った髪飾りの感触に彼の覚悟を伝えるような心持ちで、少々の緊張と自身の目的の成就を願い、胸に抱く。

 心が浮ついたまま、景色を眺めること数分。

 ラースの視界は違和感をとらえる。

 山と山の間に、光の反射しない黒色が空に塗りたくられたような、そんな光景が目に入った。


...ドクンッ


――あれは、、、。


 心臓が一拍、大きな脈動が木霊する。

 視界に映るのは、原色の黒で塗り潰したような重々しい雲だった。


「黒雨か…。」


 と、憎々しげに呟いたのも束の間。


~ピンポンパンポン~


≪ご案内します。この魔道列車は、29号、「ヴィーグナ」ゆきです。

途中の停車駅は、「ダイアナ」、「トーフィン」、「レルメナス」、「ビンダント」です。黒雨の接近を確認しましたので、これより、車両間の移動を制限いたします。駅員は各車両の最後尾に待機しておりますので、御用があればお申し付けください。それでは引き続き魔道列車29号との旅をお楽しみください。≫


~ピンポンパンポン~


 車内放送が終わり、雑談の声は蓋を切ったかのように、もとの音量で響き渡る。


「次の駅どうしよっか、早くすぎてくれると良いけど。」


「大丈夫だろ。結界の外に出なければなんの心配もいらないよ。」


 前方で男女の声が耳に届いた。

 列車の外ではすでにポツポツと黒い雨が地面を湿らせていた。


――のんきなもんだな。


 ラースは黒雨のことなど、気にも留めない彼らに侮蔑の感情が芽生える。

 この国に住む人間、皆が知っている黒雨の危険性。

 だが、関係ないのだ。

 善良で、言いつけをきちんと守る無垢な国民達が普通に生活している分には、その危険を被ることは限りなくゼロに近いのだから。

 ラースは列車内に向けていた意識を外に向け、ボーっと空を眺めた。

 黒雨は普通の雨とは違い、真っ黒な雫が降ってくる。

 王都に限らず、どこの街、はたまた街道にも黒雨に限定した破水効果を放つ結界が張られている。

 この雨を見るといつかの絶望を、後悔を昨日のことように想起させる。

 左手の感触が痛覚を刺激しているのではないかと錯覚させる。

 それほどまでに、黒雨はラースにとって消えてはくれない罪の象徴となっていた。

 

――ああ、ダメだ。


 明日は彼の目的を成し遂げるための大事な日なのだが、黒雨の影響か、鉄の塊が胸に詰まったように息苦しさを感じる。

 

――っっうざったい…。


 頭を振り払い、気分を紛らわすため頭の中であれこれ考える。

 さりとて、印象深いのは昨日の出来事だ。

 思い出したくなどないとしても、川の流れが不可逆なように、脳裏に焼き付いた記憶の回想は止められなかった。



――――



 ラースは、術式の運用が正常に行われたことを確認し、目の前の女性へと告げる。


「傷は完治しましたので、もう自由に動いてもらって大丈夫です。」


 体内の魔力消費によって、疲れが出てきたのか、はたまたそれ以外の要因か。

 彼の言葉はいつもよりも生気が欠けているように感じられた。


「ああ、ありがとうございます。お二人とも優れた術式をお持ちなのですね。」


 そういうと、憑き物が取れたような顔つきの女性は彼と、背後にいるもう一人の少女、アナに対して珍しものを見る目で称賛の言葉を口にした。


「優れてるだってさ、嬉しいね!ラース!!」


 背後の少女は、自分が褒められたことよりもラースが評価されていることにご満悦のようだった。


「ああ、そうだね。でもやっぱりアナの術式は特別だよ。僕なんか、、、。」


 彼は彼だけの魔法を気に入っている。

 この魔法は自身の犯した罪を自覚するのには最も優れた代物だと、自負している。

 だが、それは自身に限ってのみの話。

 第三者がラースとアナの両者を評価するというなら、アナの『セイクリッド』は、万人受けする能力だろう。

 ラースの魔法はいささか、この世界では歪な印象を与えてしまうかもしれない。

 そんなアナだからだろうか、


「そういえば、仕事って何のことだったの?」


 先ほどの女性とのやり取りで聞こえてきた、仕事という言葉について言及した。


「ああ、そうなんだよね。実はさ、教授が推薦状を書いてくれて『ホムンクラス』の入団試験を受けさせてもらえることになったんだけれど、見事に入隊許可の書状が届いたの。」


 王都「ウィシュレス」の先々代国王『グローリア・アルカナム』が組織した対魔物殲滅部隊、通称『ホムンクルス』。

 優れた術式を身に宿した王国全体の国民から選び抜かれた精鋭中の精鋭。

 本来、この国の人間の中で術式が刻まれている人間は希少だ。

 大勢の人間は、術式など持たず、体内が生み出す魔力を循環される魔力線が通ってるだけであり、魔法の使用は誰でも使用可能な元素魔法という赤、青、黄、緑、黒、白の六つの色に分けられた一般的なものしか使えない。

 術式とは、この元素魔法の枠組みを変えた、特殊な効果を発揮する魔法の発動機構と言える。

 術式が生まれながらに刻まれている人間は二通りあり、一つは親の血筋によって受け継がれ、両親の術式が混ざり合い、より優れたモノが身体に刻まれてこの世に生まれた者、もう一つは血筋に関係ない術式を持たない両親から突発的に、突然変異のように生まれた者。

 ラースは後者である。

 そんな稀な国民を集め、選び抜かれたのが『ホムンクルス』の精鋭。

対魔物に関しては彼らはエリートであり、度々起こる災害のような強力な魔物であっても、複数人での討伐が可能だ。


「、、、え、それって、、…ほんと?」


 思わず聞き返してしまった。

 学院にいた頃の記憶が脳裏をよぎる。

 学院に在籍していた生徒たちは、普通の学校とは違い、術式をもった子供だけが集まっていた。

 確かに皆、特異な術式を持った稀有な空間だったが、あの頃『ホムンクルス』に入隊していたのはカレだけだったはずだ。

 それが、、、目の前のこの少女でさえとは。


「わたし、ラースに対して嘘なんてついたこと一回もないよ~。」


 アナは、はにかみながら可憐な仕草で微笑んだ。

 見る者を魅了するだろうその笑顔に、周囲の人々は思わず見とれてしまうだろう。


――なんだよ、、それ。


 ただ、ラースだけにはその魅力が伝わらない。

 

「そっっか、、、。すごくおめでたいや。僕も嬉しいよ。アナが『ホムンクルス』の一員だなんて。」


 彼の巧みな演技はどうやら今日は不調続きなようで、ぎこちない笑みしか象れない。


「フフッ。まだ、新米の新米もいいとこだけどね。」


 謙遜しつつもどこか誇らしそうな彼女に対して、騒動の前の会話に合点がいく。


「もしかして、やりたいことって?」 

――駄目だ、聞くな。


 心中の言葉とは裏腹に、その疑問は自然と口からこぼれた。


「そう!『ホムンクルス』に入って、国民の皆を守ってあげたいの!、、誰も悲しまないように。わたしの好きな人たちが安心して生きていけるように。魔物と戦わなきゃって。」


 その言葉を聞いて、アナとの間にあったであろう、かすかな繋がりが燃え尽きてしまったのを感じた。

 アナも他の人間と同じ、自分とは違う、善い価値観を持つ者の一人であったが、まだ、元学友という肩書越しからであれば多少の仲間意識を持ち、存在を許容できていた。

 だが、それもどうやらここまでのようだ。


「、、、、、、。そっか!学院の時も思ってたけどアナってやっぱり立派だなって再認識した。やりたいこと、僕も頑張るからさ、アナも頑張ってね!」


 気づいたときにはいつもの口八丁がスラスラと並んでいた。

 それはきっと、彼の別れの言葉なのだろう。

 彼女は気づかない。

 額面通りに受け取れば、それは暖かな激励の言葉だ。


「うん!!ありがと!!!」


 そうお礼を伝える彼女の笑顔を見て、ラースの魂の焔は彼女に対する情を、灰も残さず燃やし尽くした。



――――



――失敗した。


 気分転換を目論んでの記憶の旅行はどうやら沈んだ気持ちを掬い上げてはくれなかったらしい。

 ラースのやりきれない感情は、空から零れ落ちる黒い雨のようにどんよりとしていた。


――それにしたって、『ホムンクルス』、、、か。


 その単語は引き金だ。

 心の中に沈んでいる負の感情は、意思をもったように右往左往と暴れ回り、心の内側を傷つける。

 あの日も今のように黒雨が降っていた。

 黒雨は、人間の魔力に干渉してくる性質がある。

 身体の表面から振動し、黒雨がもつ何らかの作用によって、魔力の波長を細かくさせることによって、魔力線を破壊し、断裂した場所から魔力が溢れることで身体全体が魔力の暴走を起こす。

 魔力の流れを乱すこの黒い雫は、過去にはどうやら黒雨を浴びた人間の人格までも、変えてしまった症例があったと、自室の本で目を通した記憶がある。


――確か、その人間は魔物墜ちとして認定され処分されたんだっけか。


 おそらく、昨日の魔物墜ちした小柄な化け物も王国の決まり事を知らず知らずのうちに破り、結界の外で黒雨を浴びてしまったのだろう。

 王国の法律は確かに存在するが、破るものは極端に少なく、法が適用されるのは、言いつけを守れないような無垢な子供が大半を占める。

 法を破った者は、楽園送りになるか、子供の場合は保護者に対する厳重注意と、二年の保護観察期間が設けられる。

 なぜ保護観察期間が設けられるかというと、黒雨を浴びることは魔物墜ちの要因になることが多々あるからだ。

 黒雨には、潜伏期間があり、安全と判断されるまで最低でも2年かかる。

 この保護観察も完璧ではなく、観察が解けた後でも、魔物墜ちのリスクを孕んでいる。

 観察中は言わずもがな、魔物墜ちしたら即刻処分。

 観察士は特別な免許を持った、腕の立つ魔法士が担当になることが絶対だ。

 昨日の魔物はおそらく、観察期間を終えた個体だったのだろう。

 どこの街にでも、稀にそういった事例があるらしい。


 ラースの妹も魔物墜ちした内の一人だった。



――――

 

 あの日、黒い雨が降っていた日。

 ラースの目に焼き付いて離れない。

 彼の心に癒えない傷と絶対に許されない罪が魂に刻まれた日。

 そこは、結界の外の近くの小山だった。

 山の中ではぐれてしまった妹を泣きじゃくりながら探して、やっとの思いで見つけ出したのも束の間、街の方から黒雨警報が響いてくるのが聞こえた。

 すぐに、自分の家に戻らなければと使命感に駆られた彼は妹の手を引くが、綱引きのように妹の方から抵抗が伝わった。

 驚いて妹に向き直ると、どうやら足首を捻っているようで歩くことが難しいのだと察知できた。

 危機感を募らせ、せっせっと妹を背中に担ぎ、おぼつかない足取りで少年なりの全速力で無事の帰宅を願い、走っていた。

 使命感、恐怖、危機感、経験したことのない疲れで走り続けることにだけ意識を向ける彼の鼻先に冷たい感触が伝播する。

 手遅れだったと、そう思った。

 黒雨の結界から抜け、罰を与えられた者は当時の彼の周りには存在しなかった。

 言いつけを守れなかったこと、これから下されるであろう罰に対する恐怖、自分が不甲斐ないばかりに妹も巻き込んでしまったという罪悪感。

 様々な感情がないまぜになり、少年の顔はグジャグジャだった。


「ゔぁぁぁん、どーざん、がーざん、ごべんなさい、、、。」


 ふと、頬に触れる指の感触、妹の前ではいつもかっこつけている彼も、この時ばかりは年相応の反応をした。


「やめで、、、みないでよぉぉ!!」


 妹に兄のカッコ悪いところなど見せたくない、そう言って顔を背けようとしたが、視界の端は違和感を捉えた。

 「ooonniiiiijaa!!」


 違和感を抱いたのと同時に、今まで生きてきた中で、最も底冷えした声音が耳に届く。


「えぅあ!!うわぁ!!」


 思わず両手の力を緩め、妹の重さから解放される。

 嫌な予感がし、後ろを振り返ることを躊躇するが、そんなことをしてる暇はないと覚悟を決め、向き直す。


「ほら、早くかえ…、、、。」

 

 そこにいたのは真っ黒で小柄な化け物だった。

 恐怖が電流のように身体に流れた。

 後退り、一目散に逃げ出しいところを家で読んだ本の中にあった熊と遭遇したときの対処方法が脳裏によぎる。

 それになにより、妹の姿がどこにも見当たらない。

 視線は魔物に固定して、周囲の状況を把握する。

 大きすぎず、小さすぎない声量で、妹の名前を呼んだ。


「リィナ…リィナぁぁ!」


 その単語に聞き覚えがあるかのように、化け物は身体をピクリと震わせた。


「ryyyyoyna…。」


 その瞬間、理解してしまった。

 だって、だって、彼女の名前を読んだ時の反応と重なってしまった。

 彼の足から力が抜ける。

 脱力し、現実感のない光景を見て彼は唖然としていた。

 名前を呼ばれた妹はどこか嬉しそうな様子で、兄のもとへと駆け寄る。

 そんな姿は、やはりいつもの光景と重なったけれど、声にならない音が口からはみ出した。


「……ヒィ…!」


 そんな彼の悲鳴はどこにも届くことなく、雨音に消された。

 そうなるはずだった。


ブォン!!


 激しい風圧が周囲を襲う。

 思わず目をつぶって、次に目を開けた時に目の前にいたのは怪物になった妹ではなく長身の男だった。

 今でも、しっかりと脳裏に刻まれている。 

 人を安心させる独特の空気感を醸し出し、こちらを心配そうな目で見てくる柔和な顔を決して忘れないだろう。

 そんな彼に、なにを思ったのだろうか、鋭く禍々しく伸びた爪で襲い掛かった魔物となった妹だったモノ。

 それを、、


「もう心配ないですよ。安心してください。『ホムンクルス』の僕が、誓って君に危害を加えさせません。」


 そのセリフを、男が吐いたときにはすでに終わっていた。


キィン


 澄んだ金属のような音が綺麗に響く。

 耳に心地よさを覚えるほどの研ぎ澄まされた一音。

 音の波長が耳を完全に通り過ぎる。

 ほうけていた頭は、ゆっくりと、もとの思考力を取り戻す。


「ふぇ?」


 何が起こったのか、依然こどもの頭では理解が追い付かない。

 ただ、先ほどの冷たい空気が消え、なにが起こったのかと、男の方に目を向かてしまった。


「、、、、、、、、、え?」


 妹の身体は縦に裂け、真っ二つになってひくひくと痙攣していた。

 魔力の粒子となって崩れ始める右半身の眼はこちらを見て泣いている。


「o、、、、、oni、、、、、。」


 さきほどの音が、妹の最後に聞いた音なんだとやっと理解した。


妹の誕生日に、小遣いをためて買った花柄の髪留めが、カランと地面に落ちると、妹の姿は跡形もなく空間に溶けていた。


「怪我はないでしょうか?ああ、擦りむいてしまってますね、少々待ちください。」


 何も言えなかった。

 男はなにやら作業に移ったようだが、彼の心は、ただただ己の無力感に打ちひしがれていた。

 本当は、、本当に助けてほしかったのは自分ではなく妹だった。

 この男に期待していた。

 もう大丈夫だ、妹をもとの姿に戻してくれると。

 だけど、、、。


 あまりの衝撃に貫かれた後に、襲ってくるのは無音で、無味で、無臭な虚無感。

 そんな中で、当時は後悔も絶望も憎悪も湧き上がらなかった。

 何も見たくないと、子供らしい無責任な思いが心の中を埋めた。

 ただ、理解したことが一つだけあるとすれば、




 『ホムンクルス』、こいつらが妹を、、、、妹を殺したんだ。




 


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