序章1  『それが万人を救う言葉でも…』

  


 ラース・ウィンベルの人生は19年。

 彼の人生を表す言葉として、贖罪の一言に尽きる。

 幼い頃にこの世でたった一人の妹を亡くし、そのあとを追いかけるように彼の両親もすぐに逝ってしまった。

 そんな天涯孤独の彼の一日は、痛みとともに始まる。


「あぁ、いてて…それにしても昨日のは結構効いたな。」


 表面の傷はどうとでもなるが、どうやら昨夜の日課は生活に支障をきたすほどのダメージが身体の内側に残っているのを感じとる。


――不本意だが、今日はかけとくか。


 体にへばりついた血液の跡を流し見て、不服そうに術式を唱えた。


「術式起動 術式名 『リバース』

 術式効果 促進

 対象 ラース・ウィンベル

 起動時間 設定なし

 魔力循環 良好

 術者の魔力資源 問題なし

 被術者の抵抗 問題なし

 第三者からの魔力妨害 問題なし

 発動条件クリア


 『リバース』発動。」


 術式を唱えると、暖かな熱が身体から生まれる。

 魔力は患部のあたりに集中的と留まり、くすぐったさを覚える。

 するとみるみると身体の具合が良くなってくる。

 自身の内臓の傷や、青黒くなった皮膚の内側の血管、右の手の禿げた爪までも魔力に覆われ、もとの健康的な状態へとありえない早さで身体が作り変わってしまった。


「フゥー、スッキリしたぁ。」


 快調になった身体を眺め、術式の発動が正常に行われたことを確認した。


「さてと、風呂に入って、出かけなきゃ。」


 伸びをして今日のすべきことを頭で反芻する。

 花柄の髪留めを優しく握り、彼は地下室を後にした。




―――


 風呂で自身の血痕を洗い流した後、広間で清潔な服に着替える。

 簡素なシャツと、動きやすいパンツだ。

 準備を整え、家を出る支度は完了した。

 いや、まだだ。

 地下室から戻ってきた際に机の綺麗な箱の中にしまった髪留めを再び取り出して優しく包み、おでこのあたりに近づける。

 そして外出の挨拶を口にする。


「今日も行ってきます。もうすぐ、、、

もうすぐだから。今日も君を裏切る僕をどうか・・・。」


 


 その後の言葉は口にならなかった。

 

 


 


 出立を告げ、玄関へと歩みを進める。

 姿見を確認し、ここ最近で鏡に対する苦手意識が顕著になったと自嘲する。

 鏡に映る自身と向き合う。

 今日も演じなければならないのだ、この『エイヴァロン』という国の、普通の人間として振る舞うためには。


「口角の角度がまだ甘いな…。」


 ぐいっと、指で口端の位置を固定する。

 ここで妥協してはならない。

 外の人間に嫌悪を抱くからこそ、彼らと完璧に同じに見えるようにすること、それこそに意味がある。

 理想的な顔になるまで鏡とにらめっこすること数秒。


「よし、完璧だ。」


 満足そうに笑みを浮かべる鏡の中の自分は、吐き気を催すほど外の人間の表情と酷似していた。




――――


 


 エイヴァロン王国は大陸図で見て、大陸のど真ん中に位置する国である。

 魔法技術は他国のどんな国よりも優れており、それを利用し、街から街の移動は魔力を利用した金属で造られた魔導列車にて流通や人々の交流が行われている。

 国民の生活は身分の違いはあるものの、そこに権力による圧政などこの国が許すはずもなく、優れた領主と懸命に働く領民という関係を維持している。

 民は飢えることもなく、加齢や、事故による障害により、働き口がなくなった人間の生活も国が保障する。

 この国に生きる人間にとって、生まれてから死ぬまでのあらゆるものが保障される。

 だが、この国では他国との国交は薄く、限りなく無いに等しい。

 その理由は、この国の理想的な在り方として犠牲になったもの、それが大きいのだろう…。


 




 ラースは、王都「ウィシュレス」に住む一人の青年だ。

 王都は煌びやかで、綺麗に地面は舗装されており、大通りの建物は今流行りの優秀な魔法技士と裁縫士が端正に編んで作り込まれた綺麗な服がショーウィンドウに飾られている。

 露店もそれなりにあり、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。

 昔は、地方の街では他国の人間が稀に露店を開いていたようだが衛生の観点から問題視され、今では国が許可したレベルのものでないと、露店は出せない。



 街の活気を肌で感じながら、ラースは目的の雑貨店へとたどり着いた。

 カラン、カランとなる重たいドアを開け、顔なじみの店主へと挨拶する。


「おはようございます。頼んでいた物を受け取りに来ました。」


 奥から店主が杖を付きながら表に出てくる。


「ああ、おはよう。ラース君はいつも朝が早いねぇ。」


 店主はしわの刻まれた温和そうな顔をほころばせ、挨拶を返した。


「健康な一日は早起きから始まりますからね、今日も元気です。」


――なーんて、不健康の塊みたいなやつが…。


 ラースの一日を俯瞰する者がいれば、これほどペラペラな言葉も他にないだろう。


「そうかい、わしもラース君を見習わないとね。はっはっは。ああ、そうだ。頼まれていた物の準備はできとるよ。どっこいしょっと。」


 年寄りくさい一声とともに店主は大きめの肩掛け鞄をカウンターの上に置き、その中をこちらの確認のために中を見せる。


「こいつが保存の利く携帯食三日分、清められた水三日分と、魔導列車のチケット、それとこいつが試験を受けるための推薦状だね。間違いが無いかラース君も確認してくれ。」


「はい。・・・・・・はい、たしかに。

 ありがとうございました。代金のほどは?」


「なぁに、ラース君にはいつも世話になっているからね。

 今後も顔を見せてくれるなら今回は試験の前祝いとして受け取っておくれ。」


 と、店主は人の良い笑顔をこちらに向ける。

 ラースは内心、めんどくさいことになったとため息をつく。


「そんな、悪いですよ。ちゃんと代金は受け取ってください。」


 彼にとって問題なのは、代金の話ではない。

 向こうにとっての自分との関係値が目に見えるほど上がってしまったのが問題なのだ。


「こらこら、老いぼれの厚意は素直に受け取る物だよ。まったく、あたまが硬いね君は。」


 説教臭く、拒否する店主の表情は、やはりどこか嬉しそうだ。


「はぁ、わかりましたよ。ありがたく頂戴します。今度、なにかお礼をさせてくださいね、ではまた来ます。」


 望んでない厚意は迷惑な行為と変わらない。

口だけの再来を予告する言葉に、ちゃんと色が付いているのかだけ心配だった。


「うん、またね。」


 店主は手を振り見送ってくる。

 カラン、カラン、重たい扉を開き外へと出る刹那、彼は思う。


――もう来なくていいや。





――――




 雑貨店を後にしたラースは、ひとり物思いに耽っていた。


――雑貨店のじいさんって先日、奥さんを亡くしたばっかりだよな…。顔なじみで色々融通が利くところだったけど、やっぱりアレを見ると嫌悪感がぬぐえない。


 先ほどの店主が見せた人懐っこい笑顔が頭の中でちらつく度に、彼の心にはドス黒い感情が湧き上がる。


「気分転換にいつもの露店でも行くか。」


 さっきのことは忘れようと、ラースは馴染みの露店の方角へと足を向けた。



 露店に着いたラースはいつもの注文をしようと、露店商に声をかけた。


「すみません。豚の串焼きを一本ください。」


「はいよ!っていつものあんちゃんじゃねぇか!いつもご贔屓にありがとよ!すぐ焼けるから待ってな!!」


 露店の主はいつも快活で、声が大きいのが気に食わないがここの串焼きは絶品だ。

 それになにより、この店の味はあの頃を思い出せる数少ないものだ。

 多少の不快感など、それに比べれば塵に等しい。


「へい!お待ち!串焼き一本で銅貨5枚になるぜ!」


「ありがとうございます。」


 お礼の一言とともに銅貨5枚を渡す。


「まいど!!今後ともご贔屓に!!」


 ペコリと頭を下げて踵を返し、ラースはゆっくり食べられるように近場のベンチまで移動した。

 腰を掛けたのも束の間、遅めの朝食代わりの串焼きを口にした。


「んん!!やっぱりうめぇ!!」


 素の言葉遣いが出てしまうほど、この味は舌に馴染みすぎている。




((おにいちゃん!ここのお肉、めためたおいしいよ!!))




 幻聴・・・ではない、ただの思い出だ。

 ここの味はあの頃を思い出す。

 まだ何も知らなかった、知らないままでいたかった。

 優しさで騙されていた過去の日々を。

 しんみりとした胸中とは裏腹に、胃袋は栄養を欲していたようで、あっという間に腹の中に収まってしまった。

 

「はぁ、おいしかった。」


 小腹を満たし、今日の用事も終え、帰路につこうとベンチから腰を上げようとしたとき、


「・・・ラース?」


 驚きと心配、そして若干の喜びを含んだような色の声が聞こえてきた。

 ラースは声の主のもとへ視線を向けるとそこには昔の顔なじみが真ん丸な瞳をこちらに覗かせていた。


「アナじゃん!久々だね。」


「やっぱり!ラースだった!!良かった~。」


 ラースの存在を確認した少女の名前は『アナ・カーネーション』。

 ラースの昔の顔なじみであり、今では疎遠になりかけていた内の一人である。

 そんな彼女の、だれが見ても嬉しそうな顔ではしゃいでいる様子に、ラースは頭を悩ませる。


――やばいな、いろいろと…。


 自身の内心を顔に出す愚行は、目の前の少女の前ではなるべくなら避けなければならない。


「どうしたの?こんなとこにアナが来たがるような店なんてあったっけ?」


「フフッ、なにそれ。わたしってば最近お散歩するのが趣味なんだ~。まさかこんなとこでラースに会えるなんて、今後も続ければ良いことありそう。

 ・・・なーんてね。」


 若干の恥ずかしさのようなものを感じさせる彼女の言葉は本心が透けて見える。


「ああ…成程ね。僕も最近は早寝早起きが趣味で、最近身体の調子が良いんだよ。お揃いだね。」


――へったくそか会話!しょうもない会話でぼろが出る前に帰ろう。


「あははっ。ラースってたまにおじいちゃんみたいなこと言うよね。おもしろいなぁ・・。」


「僕との会話でそんな感想が出てくるのはアナくらいだろうね。

 っとそうだ用事があるんだった。ごめんね声をかけてくれたのにゆっくりできなくて。僕はもう行くよ。またね、アナ。」


 足早に、それでいて不自然でないような態度を装いその場を後にしようとする。


「あっ、待って!まだ行かないで。」


――チっ、まだなんかあるのか。


 出鼻を折るようなその一声は、彼に焦りと苛立ちを募らせた。


「ん?どうしたのアナ?」


「あのね、実はラースに聞きたいことがあってね。その、遠回りせずに聞いちゃうんだけど、、、学院にはいつ戻ってくるの?」


――やっぱりか。本題は別にあるだろうと思ったけどさ。


 ラースがここで本当の答えを彼女に吐露することはできない、それはいつか自分の首を絞める結果となるだろうから。


「ああ、そのことか…、率直に言うけど学院に戻るつもりは無いかな。」


 そう告げると、アナは取り乱したようた。

 まるでラースが彼女に対して、心を抉るような鋭利な言葉を放ったのではないかと錯覚するほど、彼女の表情は沈痛な面持ちをしていた。

 悲しそうな顔の彼女はおもむろに口を開く。


「どうして、、、。学院にいたときは、とても楽しそうに見えた。最初は、まだあの時のことを気にしてるんじゃないかと思っていたけど、日に日に明るい顔が増えていくあなたを見て、とっても嬉しかった。」


 アナは、ラースがまだ学院に在籍していた頃を思い浮かべたように頬を赤く染めて鈴の音のような声で呟いた。

 だが突如として、表情は一変し、続く言葉は悲痛な心情をぶつけてくる。


「もう心配ない、ラースはちゃんと前を向いて、歩けるようになったんだって!心から安心したんだよ!!それなのにどうして、どうして、、いなくなっちゃったの……。」


 それは、、


「それは、他にやりたいことができただけだよ。」


「やりたいこと?」


 ここからは慎重に言葉を選ばなければならない。

 彼女を納得させ、尚且つ自身の気持ちを誇張し、自分でも納得できるくらいの嘘も本当も混じった言葉を。


「うん。アナは、僕がまだリィナのことを引きずっているものだと誤解しているみたいだけど、そんなことはないよ。」


「誤解?」


 アナはあえて口に出さなかったことを先んじて、誤解と切り捨てられてしまい実のある相槌ができなかった。

 ラースはここぞというばかりに畳みかける。


「安心していい。学院にいた4年間は、僕の心を晴らしてくれた。もう迷わない。だからこそ、やるべきことじゃない、やりたいことが見つかったんだよ。そのためには、学院以外のことに時間を使いたかっただけなんだ。学院のみんなや、心配してくれているアナにはとっても感謝しているんだよ。」


「感謝してくれてるの?」


 彼女の悲痛な面持ちに一筋の光が差す。


「勿論。だからね、心から言うよアナ。本当にありがとう。」


――七割は本音って塩梅かな。さて、これで納得するか…。


 表情を感謝の念を伝える笑顔に変えて、彼女の反応を見守る。


「そう...だったんだ。それなら、そっか、、、うん。わかった。やっぱり少し寂しいけど、ラースが決めたことだもんね。…うん。よし!!」


 アナは何かを決めたかのような吹っ切れた表情で、ラースに告げる。


「ラース!!がんばれ!!!いっぱい、いっぱい応援する!!だから、がんばれ!!」


 あたりの人々が注目するほどの声量で、彼女は激励の言葉を贈る。

 ラースは彼女に負けじと、久々の大声を出した。


「ありがとう!!」


 周囲から、フフッと微笑むような笑い声が聞こえる。

 少し目立ちすぎてしまったと反省し、もとの声量に戻して咳ばらいをする。


「フフッ、ちょっと目立っちゃったね。でもそっか、やりたいことか…。ラースにも私みたいにやりたいことがあるならとても嬉しいよ。」


「相変わらず、アナは良い人だよね。安心するよ。」


 そう伝えると、彼女は耳まで赤くして、へたりこむ。


――なにしてんだこいつ?


「どうしたの?」


「ああ…、いや、なんでもないの!びっくりしただけだから。」


「ハハッ、おかしなの。ま、そういうわけだからさ、俺は大丈夫。アナも学院での勉強頑張ってね。それじゃあ、また、、、、。」


「キャーーーー!!!!」


 と、別れを切り出そうとしたその瞬間、女性の甲高い悲鳴が大通りに響きわたった。


「だれか!!だれかぁ!!!息子が、息子が魔物墜ちに!!!」




 魔物墜ち、その言葉はラースにとって呪いだ。

 その言葉を聞くだけで、先ほど完璧に演じきった会話のすべてが、うたかたの夢と勘違いしてしまいそうなほど、現実感を帯びた灼熱の怒りが燃え盛る。

 これはいけないと直感する。

 こんなの誰であっても気づかれてはならない。

 アナはもちろん、周囲の人間にさえ。

 今あった会話の内容が、第三者から茶番であったと認識されては終わりなのだ。

 目を閉じ、体の内側へと意識を傾ける。

 熱した鉄を水で冷やすように、冷静さを取り戻すことに努めた。


――オチツケオチツケオチツケオチツケおちつけおちつけ、、、落ち着け。


 先ほどの会話が嘘となってしまうこと、アナに今の自分の様子に違和感を持たれることを恐れ、鋼鉄の精神力で怒りをこらえる。

 無事に押さえつけた炎に一安心し、ゆっくりと目を開ける。

 視界に映るのは先ほどの悲鳴の方角を指さし、何事かと騒ぎ立てるやじ馬たち。

 だがそこには、へたりこんでいたはずの少女の影は見当たらなかった。


「・・・アナ?」




――――




 大通りの一角が炎に包まれている。

 黒い煙が立ち上り、周囲の人間は魔物墜ちの仕業だと一目で直感するだろう。


 この国で犯罪は起こらない。

 いつも被害をまき散らすのは、絵本に出てくるような創作上の悪人ではなく人間ではなくなった怪物だからだ。


 周囲は阿鼻叫喚としており、被害の発生場所から散るように逃げ回る。

 件の怪物の影響なのか、異様に空気が熱を孕んで、息苦しさを覚えるほどだ。

 熱でまともに思考できなくなった人々は、我先にと冷たい空気を追い求め、その場を後にする。



 被害の震源地には腰を抜かした妙齢の女性と、炎を纏った子供くらいの背丈の化け物がそこにはいた。

 化け物は苦しみ、もがくように周囲の露店や、ショーウィンドウに飾られた衣服、しまいには逃げ遅れた人々の方角へ炎をまき散らす。


「GRYYYYY!!!!!!DHAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!」


 彼らの中には恐怖で足がすくむ者。

 一目散に身の安全を確保しようとする者。

 逃げ遅れたものをかばい懸命に手を引く者。


 そんな彼らに共通して言えるのは、恐怖の色と同居する侮蔑の表情。

 彼らには認識できない。

 その怪物が放つ、救いを望む雄たけびの殻に隠れた悲鳴を。


「GYAAAAAAAAOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!」


 身体の芯から震え上がり人々の足から力が抜けて、へたり込む者が続出する。

 だが、





 コツ、、、コツ、、、コツ、、





 と、小刻みな歩調で人々とは反対方向に向かう足音が一つ。

 その音の主は憎たらしそうに怪物に向かって言葉を放つ。


「せっかく、せっかく彼と久々に話せていたのに!!!!キミのせいで台無しじゃない。絶対に許さないから!!」


 プリプリと怒る様は、可愛らしく逃げ惑う人々には映ったかもしれないが、彼女の胸中では化け物と負けず劣らずの怒りの炎が渦巻いていた。

 彼女は、魔力をたぎらせる。

 術式の発動の前兆、強力な魔法の使い手は魔力を練る際、周囲の空気を震わせる。

 魔力によって流れる風は、身の安全を予感させる人物へ目を向けさせる。

 銀髪、銀眼のどこか神聖さを感じさせる美しい少女。

 その姿に、彼らは救いの言葉を彼女の背中に預ける。


「た、たすけてください!!!」


 その声に応えるように、彼女は口する。


「術式起動 『セイクリッド』!!!』


 術式起動の合図とともに彼女の体内に膨大な魔力が流れる。

 魔力線を伝い、途轍もない早さで術式をなぞっていく。

 刹那の間に、術式に魔力が満ちる。

 魔法が発動する。

 現象として現れるのは浄化の光。

 彼女の周囲に白く輝く光の粒子が漂う。

 それを気にも留めず、彼女は右手を前へ掲げ、声高々に宣言する。


 「破邪の光よ、集え。断罪の時間だ!」


 宙に浮かんでいた白光はベクトルを彼女の右手に与えられたかのように移動する。

 瞬く間に、なんらかの法則に従った移動によって、彼女の右手にはなにかを象った光の集合体となり、ソレは具現化する。


「『愚者への手向け《フィアー・アンチェイン》』!!」


 彼女の右手に出現したのは神々しいという言葉では生ぬるいほどの眼を焼くような光でできた大鎌だった。その名も『愚者への手向け《フィアー・アンチェイン》』。

 その鎌は咎人を絶対に許さない。


「魔物堕ち!人でなくなったお前は既に罪科を背負った獣だ。人は善性によって作られている。悪性に染まり、善人を脅かす貴様らは、我ら、対魔物殲滅部隊ホムンクルスの手を持って断罪する。」

 

 その宣言に、いかほどの意味があるのか、ただ逃げ遅れた人々の心には希望を生み出した。

 我々は正しいから守られているのだと。


「OOOOaaaaSHaaaaa!!!!」


 魔物は意図の伝わらぬ雄叫びをあげるのみ。


「いくよ…!!」


 タッ、、

 

 踏み込みの単音が獲物に届くころには、既に彼女の間合いだ。

 彼女は踏み込むと同時に鎌を振り下ろす動作に入っている。

 賽は投げられた。

 



 化け物は膝が崩れた女性へと手を伸ばす。

 いったい、その行為にどのような意図が込められていたのか。

 

「o、オアーサn」


 スパッ、、、、ゴンッ!!、、、ベチョ…。


 首から上がなくなった今では知る由もない。



――――



 ラースがたどり着いたころには、すべて終わっていた。


「あ、ラース!!追いかけに来てくれたの?」


 問われた彼は、周囲の惨状をみて、唖然とする。

 いつものような嘘のほうが先に口から出てくることを期待したが、声にならない吐息が漏れるだけだ。

 途中からだが、大まかなことは把握していた。

 アナを追いかけている時に聞こえた魔物の雄叫び。

 だが、途中で空気に安心感みたいなものが生じたことも肌で感じとっていた。

 わかってはいる。

 現状で一番正しい最適解はアナの身を案じて、労いの言葉をかける。

 そして、何事も無かったかのように、内心を悟らせぬように、アナと同じ温度の声色で会話を始めることだ。

 だけど、


――だけど、これはあまりにも…。


「助けてくださってありがとうございます!!!」


 喉から音を出そうと四苦八苦する間に、第三者の感謝の言葉が横から割って入った。

 目を向けると、そこには膝を擦りむいた妙齢の女性が、深々と頭を下げていた。

 アナは彼女の方へカラダの向きを変え、何事もなかったかのようにいつもの調子で、返答する。


「いえいえ、これも仕事の一貫ですので、お気になさらないでください。それより、お姉さんは怪我をとかしてないですか?」


――仕事?


「はい、おかげさまで大したことは、、、軽く膝を擦りむいたくらいです。」


 そう言った彼女の膝は確かに血が滲んでいた。


「軽い傷に見えても、すぐに手当てしないと重症化する場合があります。すぐに救護班が、、、っとそうだ。ラース!ラースの術式は治癒の効果も含んだものだったよね。良ければ、彼女の手当てをしてあげれないかな?」


 唐突に話題が自分へと移り、思わず体がこわばる。


「あ、ああ、うん、了解。」


 硬い相槌をごまかすように手っ取り早く作業へと移行する。

 女性のもとまで近づき、腰を低くして患部に手を添える。


――術式起動 術式名『リバース』

  術式効果 促進

  対象 未選択

  起動時間 未設定


「そういえば、この魔物の身元はご存じでしょうか?」


 術式の発動を頭で唱えている途中に、ふと、ラースの頭上でアナはそんなことを女性に尋ねた。


――やめろ、そんなこと聞くな...。


「いささか、街への被害も少々大きいですし、自我を失うほどの術式の暴走した個体でしたので、上に報告しなければならなくて。」


――言わなくてもわかるだろ!!


「・・・・はい、その魔物は、私の、、その、、息子だった、、ものです。」


 そう言って、彼女が指差したのは魔力の粒子となって、大気へと崩れていく魔物の死体だった。


「なるほど、お辛かったですね…。」


 わかっていた。

 ラースも、そしてアナも、仕事の形式上の義務として彼女に尋ねたのだ。

 だけれど、そんなこと、母親であるこの女性に言ってほしくはなかった。


「わたし、わたし、、、これからどうしたら…。女手一つで育ててきたたった一人の息子が魔物墜ちだなんて…。」


 声になりかけの音とともに、女性は言葉を紡ぐのをやめない。


「早くに夫を亡くして、生活に多少の無理があっても、息子の笑顔だけで疲れが吹き飛ぶくらい大切でした。大きくなって、成長するあの子を想像して、親離れもまだなのに寂しくなったりして、それなのに、こんな、こんなことって…。」



 女性は涙を流しながらこれからの人生に絶望しているように見えた。

 夫に先立たれ、愛情を注いできた息子は怪物へと身を転じ、自身の母親へと危害を加えた。

 完膚なきまでに励ましの言葉が出てこない。

 ラースは、今も塵へと姿を変えるヒトだったものに、何かを重ねていた。

 ここまでの光景を物語として描くなら、悲劇として幕を閉じるのだろう。



 だが、



 だがしかし、この国「エイヴァロン」はそれを許さない。


「顔をあげてください。」


 アナが、泣きじゃくる母親へと声を投げかける。

 そして、聖女のような面持ちでぬくもりとやさしさが詰まった言葉を彼女へと授ける。


「確かに、彼は魔物として命を落としました。けれど、あなたは紛れもない人間なんです。あなたに罪なんて一つもない。これは紛れもない事実です。それと同時に彼も、もとは人間だったことも変わらない事実です。あなたがともに生きてきたのは人間である彼です。どうかそのことを誇りに思って、前を向いて生きて下さい。」


 威風堂々たる振る舞いでアナは彼女に胸を張れと言う。

 それは、涙をを流す彼女はどのように受け取ったのだろうか。

 答えは見るまでもなく、伝わってくる。


「ゔぅ、ぐすっ、、、、あり、ありがどうございまず…!!」


 彼女の声はありったけの感謝の念を、アナに伝えようと必死だった。

 アナの伝えた言葉はまさに救いの祝詞だったのだろう。

 涙を拭う彼女の心は暗雲が晴れ渡ったように澄み切ったように、目の中に光が差している。

 これからの彼女の人生は時間とともに傷も癒え、新たなる出会いによって、また息子と過ごした時のように、この国のどこかで笑みを零すのだろう。

 喜ばしいことだ。

 これを、喜劇というのだろうかだなんて、










 


 




 なんて、悲劇をお手本通りの喜劇へと変えるこの国を




――認めるわけねぇだろうがぁ!!!!!


 なんて、ラース・ウィンベルだけは認めるわけにはいかないのだ。

 母親という役割を失った人型の何かに、悟られぬように顔を伏せて、唇から血が出るほど歯を肉に食い込ませ、悔しさと怒りで顔を歪める。



 前を向いて歩くことは大事なことだ。

 一歩一歩、着実に日々の中の経験を通して昨日の自分より成長していく。




――そんな、ゲロ臭い正論を僕の前で宣うな!!



 過去に縋ることは間違いなのだろうか。


 昨日の自分より半歩後ろへ後ずさるのは悪か。


 過去にできたことが、今日の自分にできないのは、罪なのか。




 みっともないかもしれない。

 生産性なんてないかもしれない。

 滑稽かもしれない。

 無様かもしれない。

 だけど、、、




 だけど、、、無価値だなんて思わない。



 元学友の吐いた言葉は、今まで聞いたどんな言葉よりも、鋭利で冷たかった。

 これが物理的な傷だったら紛れもない致命傷だった。

 それでも、心が、魂がどれだけ傷ついたとしても、こいつら人間のふりした化け物どもに、この正しさで狂いまくってる国に、



――僕は、間違ってないって証明したい。



 





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