Alter Ego 〜人は『魔法』を、彼らは『異能』を〜

七星 ケムリ

序章 『悪逆の出獄』

プロローグ 『善意で汚れた身体』

――ああ、不快。


 心の底から滲み出る。

 両の眼に否が応でも目に留まる、あたりの人間の心からの笑顔。

 こちらに見せつけてくるかのように、彼らの表情に嘘はなく、彼らの真っ直ぐで善性に満ちた心の中身を映し出しているように思えた。

 そんな街中の人々の様子に、彼は腑が煮えくり返っていた。

 喉をかきむしりたくなるほどの熱が体の真ん中を支配している。

 熱は体の中心から血液を通じて、全身に流れる。

 体中の血管と血液の摩擦によって更に熱を帯びる。

 そう勘違いしてしまうほど、彼にはその光景が許容し難い。


――何食ったらそんな顔で笑えるんだよ。


 彼の両目に映る人の姿は、自分とはカタチだけ似た、中身がまったく異なる贋作に見える。

 脳内の悪態が加速すると共に、自身の左拳にも力が入る。

 爪が肉に食い込む。

 だのに、力を一向に緩めない。


カリッ


 度が過ぎた荷重により、手のひらの皮膚の引っ張り強さを振り切る。


ポッ、ポッ


 体の中が息苦しかっただろう血液が、大気の酸素を吸い込もうと次々と外へ押し出される。

 いつものことだ。

 いつものように、彼は感情を押し殺すために自身を傷つけている。

 生傷は絶えず、治りかけの敏感な傷口であっても構わず力を入れるものだから、その痛みは常人からすれば涙目になるほどだ。

 あまりに痛々しい見た目なので、手のひらを他人に見せることなどできないし、握手なんて凸凹とした傷跡によって手袋越しでなければ感触で違和感を与えるだろう。

 

ーー握手なんて、滅多にしないくせに。


 と、自嘲していると、落ち着いてきたのか血が流れるのと並行して体の熱も霧散した。


「ふぅ…」


 熱が完全に冷めたのを確認して、自宅までの歩みを進めようと一歩踏み出す瞬間。


「あの!!」


 背後からの声に一瞬、体がこわばった。

 が、慣れたものでいつものように対応する。


「なんでしょうか?」


 声をかけてきたのは気弱そうな女性だった。

 内気なのだろう、ポツポツと彼の左手を見ながら言葉を紡いだ。


「あの…左手から血が垂れているので思わず...。」


 どうやら、この女性は彼の様子を見て、思わず声をかけてしまったのだろう。

 赤の他人の彼をほっとけない優しい女性なのかもしれない。


「ああ、ほんとだ…、気がつきませんでした。」


 そう言って彼は、まるで気がついていなかったとでもいうような態度で、右手を顔に寄せて驚いた表情を演出した。


「お怪我なされてることに気がついてないご様子だったので、、心配で、、、。驚かせてしまいすみません...。」


女性は申し訳なさそうにペコぺコと頭を下げる。


――不審に思われたら面倒だ。


「いえ、教えてくださり助かりました。それでは。」


 一礼して、歩みを再開しようと踵を返した。

 すると、先ほどの繰り返しのように、


「あの!!」


――ああ、うざったい。


「まだなにか?」


「あの…手当しないんですか?」


「ああ、、はい。お恥ずかしながら手当てできるようなものを持ち合わせてないので…。家に帰ったらすぐにでもと。」


 嘘だ。

 彼の自宅には自身の傷を癒すものなど存在しない。

 存在してはいけないのだ。


「そ、そうなんですね。あの、よろしかったらコレ使ってください。」


 そう言うと彼女は懐から小瓶のようなものを丁寧に取り出し、気恥ずかしそうに目を伏せ、差し出してきた。


「わ、わたしのお家、薬屋を営んでて外に出るときはいつも持ち歩いてるんです。だ、だから、よければ使ってください。」


――めんどくさいな。これだから...


 体の中が再び熱を帯び始める。

 この熱が体中に広がる前に切り上げ無ければならない。


――吐き気がする。こんなんばっかりだ、この国は...


 この女性に悟らせぬように。

 あたりの人間に気づかれてしまわぬように。

 これから行うことは、自分で自分の心臓にナイフを刺すのと同義だ。

 

 

 


 今日も彼は自分に絶望する。




「いえ、ほんとに気にしないでください。家まであと少しですので。その薬はあなたが怪我をしたときに使うべきです。ご親切にありがとうございました。」



 そこには、周囲の人間と同じ、屈託のない明るい笑顔の青年がいた。




―――


 帰路を終えると同時に陽も沈んだようだ。

 一人暮らしにしては珍しい一軒家、外観はありふれたもので、特筆すべき点はない。

 強いて言うなら地下室が備わっている、そんな家。

 それが彼の寝床だ。

 懐から鍵を取り出す。自宅の扉を開け、玄関をまたいでゆっくり扉を閉めた。

 どっと疲れた体を壁に預け、もたれかかる。

 ふと、玄関に備え付けられた鏡が目に映る。

 人当たりの良さそうな柔和な顔、口角はあがり、目に生気が宿っている。


「気持ち悪い。」


 その一言を発した瞬間、目の生気はなくなり、口角は下がる。

 代わりに顔に浮かんだのは、炎を幻視しそうになるほどの怒気だ。

 素の表情はあまりにもおもての人間とかけ離れたものだった。

 今日、声をかけてきた女性がその顔を見れば心配より恐怖を感じただろう。

 彼の激しく怒りを孕んだ眼孔に。

 こちらが本来の自分。

 家の中で自身の外面なんて見たくもない。

 面の皮を何枚剥いだとしても不快感が拭えない。


 玄関を抜け、広間にあがる。

 特筆する点はなにもない部屋だ。

 いや、なにもなくはない。

 潔癖にしては度がすぎた掃除用具と、先日、在庫がなくなって買い足しておいた大量の布が山積みになっている。

 それ以外はごくありふれた物しかない。

 作業用の机の隣に設置してある本棚、彼くらいの年代にしては多少本を読むのだろうか、空きは無く、みちみちと本が並んでいる。

 机の上には羽ペン、インク、洋紙、そして、異様に綺麗な箱が置かれている。

 その箱の中を丁重に、おもむろに開く。

 そこにあるのは古くさい花柄模様の髪留め。

 その髪留めを拾い上げ、両の手で優しく包み込む。

 そして、今日はじめての心からの言葉をこぼす。


「ただいま。遅くなってごめん。すぐ支度するからもう少しだけ待ってて。」


 失くしたものを嘆くような、宝物を抱いて愛でるような声音が響く。

 彼にとってこの髪留め一つが生きるための鎖だ。

 間違いだらけのこの国、いや、間違っているのは彼だ。

 正しすぎるこの国で、間違ってしまった彼は、髪留め一つに生かされている。


 たとえそれが、やはり間違いだったとしても…


 

―――



 半刻をかけ、部屋に大量に積まれていた清潔な布と、花柄の髪留めを地下室まで運び終えた。

 床一面には大量にあった布が、床に敷き詰められている。

 準備はできた。


「お待たせ。それじゃあ始めよう。」


 髪留めを大事に抱えながら、いつもの日課をこなす。

 

「術式起動 術式名 『リバース』

 術式効果 逆流

 対象 ラース・ウィンベル

 起動時間 1時間

 魔力循環 確認

 術者の魔力資源 過不足なし

 被術者の抵抗 問題なし

 第三者からの魔力妨害 問題なし

 発動条件クリア


 『リバース』 発動。」


 身体の中の術式が熱を帯びる。

 魔力線を通じて術式の上を流れる魔力が現象の輪郭を型取る。

 対象は自分自身。

 すると、術式の効果が表れる。


 ポトッ

 

 滴が落ちたような音が無音の室内に響く。


 ポトッ………ポト……ポト…ポトポトッ


 滴が落ちる音の間隔が狭くなってくる。

 

 ポトッボタッボタボタ


「ヴグッ......ッグェホッ!!!」


 ベチョッ


 喉から火の塊みたいな物体が溢れる。

 それは赤くてドロドロとした血液の塊だった。


 ドクンドクンドクンドクン........


 心臓が異様な早さで鼓動を刻む。


「っはは…これやばいかも。

 …う゛オエッ!!」


 血塊が喉から出ようと喉の粘膜に張り付き傷つける。

 鼻腔は血のにおいで充満してる。一定方向に流れ続ける鼻血が肺の換気を許さない。

 人間の脳みそは酸素が回って初めて、十分な思考力で物事に取り組む。

 密閉された鼻腔は酸素の運搬を拒絶し、彼の思考力は失われる。


――苦しい苦しい苦しい苦しいクルシイクルシイ痛い痛い痛いいあやうあうys


 痛みと息苦しさによって脳内の言葉すらまともに変換できない。

 苦しさでやむをえず涙が出てしまう。

 視界がぼやける。


 赤色に…


 自分が涙だと勘違いしたものは血涙だった。

 視界の端から赤が進行してくる。

 その異様な光景に正気を失いかけ、脳内の言葉がまともに言語化できなくなる一歩手前、両目で捉えたのは花柄の髪留め。


「ーーーーー!!」


 彼にとってソレは生きるための鎖であると同時に、罪人を苦しませるための拷問器具と同じ役目を果たす。

 逃げることは許されない。

 この身がどれだけ痛もうが、骨が軋み、血管が断裂しようと、たとえ、渇くことのない血の涙が流れたとしても、罪と向き合わなければならないのだ。

 たとえ狂気で自分の中のすべてが反転しても、中心にあるものだけは変わらない。

 大切なものなのだコレは…

 見失ったりしない。

 自分のすべきことはわかってる。


「う゛っ…ワ、ワかっってルよ...。ちゃント、苦しム、、、ニゲたりしなイ!!」


 そう言った彼は、右手で胸の真ん中を抑え、魔力の流れを感じ取る。

 自身の術式上の魔力から響いてくる魔力の波長。


「イつもよリ、ぐっっ、、細かいか?」


 魔力の波長を確認した。

 どうやら痛みと、視界の染色で魔力制御が乱れてしまったわけではなく、最初の術式発動時の時点で何かしらの見落としがあったのだろう。


――まじか....久々に調整ミスったか。


 自分で自分に術式をかけて死ぬ大間抜けは、この国ではいないだろうな。と、自嘲する。


「ッッッッいっデぇええ!!」


 気を抜くと、再び痛みによって狂気の渦へと引き込まれそうになる。

 それではだめだ。

 正気を保ったままでないと、償いにはならない。


――カタチだけのものほど、無価値なものなんてないよな。


 なんて、痛みでおかしくなった頭でも益体のない考えもできるものだと血が抜けて場違いな考えが頭をよぎる。

 術式発動の不具合だったと認識できたのは、彼に正気を取り戻す冷静さを与えてくれたようだ。


――よかった。これでちゃんと、痛みと、お前と向き合える。リィナ…。


 思い浮かべるのは遠い日の記憶。

 幼かった自分に、もみじのような愛おしい手を向けて繋ごうとしてくる太陽のような少女。


 もう今は失ってしまった大切なもの。

 誰にも思い出してもらえないもの。

 自分の中でしか生きてはいないもの。


 そこに悲しみはない、ただあるのは、歳月とともに肥大化した罪悪感。

 自身をも薪として、消えないように大切に燃やし続けた胸の中で熱く身を焦がすほどの歪みきった憎悪。


 赤色は広がり続け、視界の逃げ場が消えていく。 

 視覚が意味をなくし、他の五感が研ぎ澄まされていく。

 先ほどよりも鋭利な痛みが身体全体に刻みこまれる。


「あグァ!!!っっぐぅ…。ぎyaaうgaaa!!!」


 獣のような声が口から零れようとも、心中は冷静だった。


ーー断罪される覚悟はとうに決まっている。

 




 真っ赤になっていく視界で最後に認識できたのは花柄の髪留めだった。








 彼の一日は、善意で汚れた身体を血と痛みで浄化することによって終える。



―――




「………ん、、いたた...。」


 痛みと共に目が覚める。地下室に備え付けの時計は現在 04時28分。

 どうやら、日課を終えた後はそのまま眠りについたようだ。

 あたりを見渡す。

 赤黒くなった雑巾が散乱しており、床がむき出しになっている。

 寝起きの働かない頭で昨夜のことを思い出す。


――視界が真っ赤になった後は、痛みで這いずり回ったんだっけ?


 徐々に鮮明になっていく頭で振り返る。

 視界が真っ赤に染まった後は、耐えがたい痛みをこらえるために床を這いずり回り、壁を掻きむしった。

 壁に目を向けると血のひっかき傷がある。

 思わず自分の右手の爪を見てみると、爪はぱっくり割れ、赤黒いかさぶたが付着していた。


――まぁ、昨日は久々にしくじったからなぁ。


 頭をポリポリとかき、不甲斐ない自分に辟易とする。

 ため息を吐きつつ、自身の左手の感触はいつも通りの金属製のものであることを確認する。

 右手と比べ、左手の爪は割れておらず変に力もこもっていない。

 当然だ、今握っている花柄の髪留めは自分の命よりも重い意味を持つのだから。

 だから、彼はいつものように口にした。


「おはよう。今日もリィナのおかげで綺麗になったよ。いつもありがとう…。」


 人前では決して見せない心からのではない、魂からの笑顔。

 それは、他者からは理解できないであろう彼の胸中を表すかのように多様な色を含んだ代物だった。

 だからこそ、


「だから・・・今日も、明日も、お前を裏切る僕をどうか、、、どうか、許してください。」


 その笑みは何に例えられるのだろうか。

 あまりにも悲しく、見るものが見れば悲しみで涙を流してしまうだろうと思えてしまうほど、一般的なそれとは異なるものだ。

 その顔に、無粋だが形を与えるとしたら何が近しいのだろうか。

 一口に言ってしまえば、懺悔。

 綺麗にまとまった暗黒色の感情は彼の目尻に一粒の涙を錯覚させる。

 沈痛な声音で吐いた許しを請う言葉。

 それは、他者からは自分を傷つける鋭利な言葉と受け取る者もいるだろう。



 青年の名前は『ラース・ウィンベル』。

 彼の一日は、いまは亡き妹『リィナ・ウィンベル』への懺悔と共に始まる。



 










 




 

 


 










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