第5話
「唐揚げさん、なんで最近来てくれないんですか?」
それは確かに冬木さんだった。だがその姿は以前のようにやせ細っていた。
「最近ご飯食べてる?」
「薬は飲んでるよ。」
だがその目の焦点は定まっていない。
「宇宙のチャネリングが合わないんですよ。ピアノが沈むんです」
あぁ、これは。
「再燃してるな」
再燃。それは、統合失調症の人が症状を悪化させ、症状を悪化させることを言う。
「困ったもんだな。とりあえずまた病院に行くしかないんだな」
「嫌だ。病院は嫌だ。FBIが電波で私を馬鹿にしてくるんだ」
「困ったなぁ」
「冬木!!」
奥様だ。ここにいたのか。
「ちょっとお薬を変えてもらうだけだから。気にすることないから」
もしかしたら薬を飲みすらしてないのかもしれない。
どんなストレスがあったのかわからないが、彼女はストレスの限界値を超えてしまったようだった。大学は休学か。芸術家にはつきものというか箔のようなものだな。
警察官がやってきて、彼女を取り押さえた。そしてそのまま、救急車が彼女を運んでいく。よく見ると奥様もけがをしていた。
「措置入院ですかね」
「いえ、これは私が転んだだけですので、任意入院で大丈夫です」
「わかりました。それでは3か月ですね」
会話が聞こえてくる。
「何があったんですか?」
俺は奥様に聞いた。
「それはこちらのセリフです。一年も冬木のことをほったらかして」
「冬木はあなたがくるのをずっと待ってました。唐揚げさんがなかなか遊びに来ないなって」
「いや、おれはてっきり大学生活をエンジョイしているのかとばかり思ってたんですよ」
「あの子はそんな子じゃないんですよ」
「うまく人とはやれないし、傷つきやすい統合失調症のどこにでもいる障害者なんです。支えが必要なんです。家族以外の支えだって必要なんです」
それが俺だっていうのかよ。そんなのわからねえよ。
「そうだっていうならもっと早く連絡くれればよかったじゃないですか」
「あなたの連絡先を知っているのは冬木だけでしょ。あの子は受け身だから連絡できないんです」
「女性心理ってやつですね」
俺は粗野で野暮な男だからわかんねえよ。
「そう、女性心理ってやつです。」
過ぎてしまったものはしょうがない。
「これからどうすればいいですか?」
「休みの日でいいんです。私たちと面会に行っていただけませんか?幸い措置入院にはなりませんでした。」
「措置入院ってのは?」
「警察が介入することによる長期入院のことです」
「さっき警察着てましたけど」
「そこはなんとか3か月で出られる任意入院にしてもらいました。ダメだったらもう少し入院すると思います」
「わかりました」
「面会ですね。面会に行けばいいんですね」
「そうなりますね。会いに行くだけで大丈夫です。」
それから数か月して、面会の許可はおり、東京都立うんたらかんたら病院に家族と俺は面会に行くことになった。世の中はコロナが流行りだしていた。基本的には家族以外との面会は禁止とのことで、ガラス越しでの面会もしくはリモート面会のどちらかということになり、リモート面会なら、俺も同席してもよいということになった。
面会室の入り口に男の看護師が立っている。俺はそれを見ながら、なんとなく嫌な威圧感を感じていた。同時に、両親と俺はマスクをつけながら面会時間をつぶさに待っていた。
11時ちょうどになると小さなノートパソコンの中に冬木さんの姿が映る。
両親が矢継ぎ早に体調はどうだ?病院の中はどんな感じだ?と尋ねる。それをうるさそうにはねのける冬木さん。
そして俺に気づいたようで
「唐揚げさん!! 来てくれたんですか」
「おうっ!! 久しぶりだな」
心なしか肥えたように見える彼女はにこやかに笑った。
「病院の中はどうだ?」
「早く出たいですね。だいぶ正気には戻ったと思うんですけど、人と人のつながりが大事だなと思って。もっと唐揚げさんと逢いたいなって思ったんです。そう思ったらだんだんおかしくなってきちゃって」
彼女にとって俺はそんなに大事な存在なのか?
「からあげくん、君は冬木にとって大事な存在なんだから彼氏としての自覚を持ちなさい」
「えっ、俺って彼氏なの?」
「「「えっ、ちがうの?」」」
三重に響く声に若干驚いてしまった。
「いえ、彼氏です。自覚を持ちます。冬木さんはとりあえず安定するように療養してください」
とりあえず今はそういうほかあるまい。
面会のブザーが鳴り、30分の面会が終わった。
どっと疲れが来た。
言っておくが俺は土日休みじゃない。シフト休みと呼ばれる休みを取っていて、夜勤明け休み休みといった形態の休みを取っている。そんなわけで、必ずしもなかなか面会の日取りと休日が合致したわけではなかった。面会は二週間に一回。俺の休みと必ずしも合うとは限らない。そんなわけで実際に会えるのはひと月に一回がいいところだった。
逢った時はいろいろな話をした。風呂は三日に一度とか、同じ病院の人に意地悪な人がいるとか、就労がゴールなのだとか、早く音大に戻りたいとか、病院食が薄くてまずいとかいろんな言葉が返ってくる。病院に入院するとこういう感想を抱くんだなと思った。
俺もビルメンで骨折したら同じような感想を抱くのだろうかとなんとなく思った。上京してきたし、身寄りは故郷にいるから、骨折したらどうなるんだろうみたいなことを考えたりした。冬木さんたちの家族が保証人にでもなってくれるんだろうか。真里はもう離婚したし。
入院のシステムとかよくわからないよな。家賃滞納したら部屋を追い出されるのだろうか。労災か?傷病手当か?生活保護か?
家族のありがたさを改めて知る。俺にはそれがいない。夢を追い、東京というゲームに乗った俺は、今その報いを受けているのだろうか。
そんなことを考えながら、冬木さんの話を聞いていると、冬木さんも俺もさして変わらないことに気づく。人の人生ははかなく短くちっぽけだ。意味などほとんどないといってもいい。そこで幸せを感じられるか否かそれだけを感じられればそれでいいのではないだろうか。本来の目的は女はただ繁殖し、男は女の盾となり死ぬ。それだけの役割しかないのだから。
「唐揚げさん、聞いてますか?」
「・・・なんだっけ?」
「ほら聞いてなかった」
「ちょっと太った気がしませんか?」
そういえば彼女は初対面よりもいくらか太った気がする。
「そういえば少しだけ」
「薬のせいで太っちゃったみたいなんですよ」
「そうなんだ・・・大変だね。ダイエット手伝うよ」
「ありがとうございます。さすが彼氏ですね」
そういって冬木さんは笑った。
それからしばらくしてスマホに冬木さんからLINEが届くようになった。
大したことは何一つ話していないが、病院での出来事や、無料スマホアプリでバンドリというゲームがあること。課金できないからつまらないということ。音大に戻ったら狂気のミュージシャンとして箔がつくかな?と言ったことなど、本当にどうでもいいことばかり話していた。彼女のピアノの腕はどのくらいなのかわからなかったが、そのまじめさが彼女を追い詰めてしまうことはよくわかった。サポートが必要だというなら、俺も彼女の役に立てる努力をしようと思った。傷つきやすい彼女をサポートするのが俺の役目ってまるで俗にいう理解のある彼君みたいだなと思った。だが昔から俺はずっと理解のある彼君をやってきた気がする。一回目は真里の時。二回目は冬木さんの時か。
俺ってちょっと弱い女に弱いんだよな。
真里の二冊目の本が出る予定はなかったが、俺のXアカウントはこの前書いた漫画が少しだけバズった。ここ最近いろいろ勉強したので、双極性障害の女の子に振り回される男子を描いたギャグマンガなのだが、シリアルなようで勉強になるともっぱらの評判だ。
こういう方面が向いていたのだろうか。自分の体験をもとにした私小説的な作品のほうが向いているのかもしれないと思った。そういう意味では真里と似たり寄ったりなのかもしれない。イマジネーションは膨らませる必要はないのかもしれない。
19時過ぎになると電話室と呼ばれる場所でスマートホンで15分だけ会話できるらしく、その日あったことを毎日話した。たわいもないが、家族と話すより、俺と話すほうが心の支えになるらしい。これが理解のある彼君効果か。
俺はただのビルメン。どこにでもいる低所得のおっさんだぞ。君の思う王子様じゃない。夢を追い、多分、夢に破れ、何も残さず、67歳くらいで死ぬのだ。40を間近になるとささやかでもいいから家庭を持っておけばよかったなと後悔する。そんなことを考えながら、冬木さんもいつまでも若いわけじゃないんだよな、と思ったりもする。統合失調症のピアノの先生にはなれるだろうけど、コンクールピアニストになるほどの腕前にはならないだろう。そのくらいの安定が彼女にはちょうどいいんじゃないだろうか。できることをやればいい。B型でリネンを運んだりしなくていいし、VTUBERごっこをしなくていい。極めて現実的な選択肢じゃないか。YOUTUBER精神科医 樺沢紫苑がいっていたが、普通に統合失調症でも働ける時代だと言っていた。今はそういう時代だ。気にすることはない。ストレス少なめな環境で働けばいいんだ。無理さえしなければいい。本人にとって難しいことをしなければいいんだ。
退院の日がやってきた。タクシーには山盛りの荷物を積み、病院を後にする。心なしか太った冬木さんを連れ、車は病院から市街地へと走っていく。
そういえば東京に来てから一度も車の運転をしていないことを思い出した。ただの身分証変わりだが、マイナンバーカードがじきにその役目を果たすだろう。東京に住み続ける限り、運転免許証の優位性って薄いよな。まぁ、そうはいっても、これまではほかに代わるものはなかったんだからしょうがないか。
そんなことを思いながら大荷物をトランクに詰めたタクシーと夫婦と冬木さん、そして俺の4人はご自宅に向かった。
相変わらずでかい家だった。成功を絵にかいたような家。
そこには統合失調症の娘以外にも何人もの兄弟が住んでいるという。教団経営はそちらに任せて、冬木さんは冬木さんらしく生きればいいらしい。恵まれた環境だ。
そんなことを思いながら、荷物の運び出しを手伝う。
「ありがとうございますね」
夫人が頭を下げる。
「いえいえ、このぐらいなら」
見れば夫人も50代くらいか。俺が40代くらいだから10くらいしか違わないのか。ずいぶん成功というものは不平等なものだと思う。
「自分もいつか働かずに暮らしてみたいもんです」
「それはなかなか難しいと思いますよ。人は何かをせずには生きていけないものだから」
「冬木だって統合失調症になってもピアノ弾いてるでしょ。ピアノ講師になるのが夢なんですって」
「ピアノ講師」
「教員免許は取るけど、教師はできそうにないからせめて講師くらいは頑張ろうかなって」
「なるほど」
「頑張ってほしいですね」
「ええっ。カワイのピアノ音楽教室の講師になれたらいいわよね。無理ならフリーランスでもいいし」
「そうですね」
「支えてあげてね。あの子のこと」
「えっ?」
「わたしたちは去っていく世代だから」
「まだお若いでしょ」
「それでもあなたのほうが若いでしょ。だからあなたに託したいの。冬木のこと」
親の愛情は伝わってくる。でもまるで放り投げられているようにも聞こえてくる。
「わかりません。自分は統合失調症になったこともありませんし、そのつらさはわからないですから」
「私たちだってそうよ。でもうちはそういう家系だから。だから宗教を始めたの」
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