第4話

A型事業所・B型事業所


さて翌日、休みになった俺は、いつものように冬木さんのもとに行った。まだまだ休養中のみではあったが、だいぶ歩けるようになり、肌つやもよくなったので、A型事業所、B型事業所の見学に行ってみようということになった。俺は詳しくはなかったのだが、A型事業所とは雇用契約を結んで働く福祉施設、B型事業所は雇用契約を結ばず働く福祉施設だ。正直に言って俺はどっちでもいいと思った。でも明確な違いがあるらしく、冬木さんはまだB型でしか働けないらしい。B型にもさまざまあり、居場所を提供するような場所から、労働のまねごとをするようなところまで様々あるようだった。俺たちはB型事業所を見学に回ることにした。

一件目は、最新施設を売りにしたVTUBERやイラストレーターを養成したりする事を売りにしたB型事業所だった。うさんくせえなと思った。夢商売のまがい物みたいだなと思った。

支援員に話を聞く。

「ここはどういった施設なんですか?」

「ここは、VTUBERやイラストレーターを養成して、新時代の社会復帰を目指すB型事業所なんです」

うさん臭い。

二件目は、病院のリネンを運んで畳み、社会復帰を目指すという実業的な場所だった。こっちのほうが実業的だが、こちらには、冬木さんが難色を示した。

「あんまりこういうことはやったことない」

そうだ、この子は東大卒のエリートサラリーマンだったのだ。いきなり現状を飲み込むのは難しいだろう。

「今日は帰ろうか」

東京都発行のタクシー券を使い、家まで送ると、なんだかどっと疲れた気がした。

確かに、B型事業所というものはうさん臭いもののような気がする。労働力の搾取、障害者の居場所くらいにしか役に立たず、それなら、障害者なりに自営業でもやったほうがいいんじゃないだろうか。とすら思う。でも、現状、冬木さんに何ができる?

そこで俺はふと思った。俺は冬木さんのことを何も知らないということに。

生い立ちも趣味も家族との仲も。ただ東大を卒業して、おそらくは有名な企業に就職して、統合失調症を発症。障害厚生年金をもらいながら、現実とのギャップに苦しんでいる。そんなところではないだろうか。認知機能の低下で、彼女の能力がどの程度低下したのかわからないが、もし相当低下したのであれば、確かに社会復帰は難しいのかもしれない。

逆に認知機能が低下していなくても俺みたいに仕事ができない万年契約社員もいるわけでなかなか難しい問題ではあるな。

心の問題は難しい。目に見えないがゆえにその形状が見えないからだ。


帰宅し、B型事業所のパンフレットに目を落とす。

一か所目はDTMやイラストレーション、VTUBER活動を通して障碍者に居場所を提供します、とある。あくまでも居場所を提供するための活動であり、社会復帰は目的とされてないんじゃないだろうか。もしかすると適性があれば、そこからイラストレイターやVTUBERが生まれるかもしれないが、いくらなんでも夢を見すぎというものだろう。誰にだってなれるものじゃない。先行者利益というものがあり、既にやっている人がいる。モリノコドクちゃんとか。

俺だって漫画で食えてないんだ。障害者が急に参加してきて食えるものだろうか?可能性はかなり薄いように感じる。夢産業だ。

二か所目はリネンを畳んで運んだり、掃除をしたりして、体力や時間管理能力をつけ生活訓練を行うのがメインの本格的なB型作業所だ。社会復帰を目的とする。B型作業所の目的はA型作業所への移行とある。

本来なら2か所目に行ってもらうべきなのだろうが、彼女はどちらを選ぶのだろうか。俺は彼女のことをよく知らない。


「冬木さんは子供の頃って何をして過ごしてたの?」

「宗教活動と勉強とピアノをやってました」

宗教活動ってのが引っ掛かるが。

「ピアノ?」

「そこにあるピアノです」

確かにでかいグランドピアノがある。

「弾いてみてくれる。あんまり俺は音楽は詳しくないけど」

「いいですよ」

冬木さんは鍵盤の上に手をのせて、なにやら難し気な曲を演奏してくれた。これは何という曲なのか。俺も聞き覚えはあった。ショパンが最後に作ったとかいう。俺はなんだかわからないが、演奏の終わりには胸にこみあげるものがあった。涙が出る。不思議だ。彼女にこんな才能があるとは。

「これはなんて曲なんだ?」

「ショパンの幻想即興曲です」

「あぁ、なんかそんな感じだった気がする」

「とりあえず毎日ピアノ弾いてたほうがいいんじゃないか。厳しくないピアノの先生とか呼んで」

「なんでそう思うんですか?」

「人には向き不向きがある。別にB型から無理して社会復帰しなくてもいいのかもしれない」

「あれは何もない人が社会に復帰するためのプログラムなんだ」


「でもB型の検討もしていこう」

「もし行くのなら、どっちのB型に行きたい?」

「どっちもいきたくないです。でもどちらかに行くというならシーツになるんですかね?」

「それはなんで?」

「体力がつきそうだし、生活のリズムが整いそうだから」

「そうだね。じゃぁ、そっち側のB型に行く?」

「行きません」

「人間には向き不向きがあるからな」

「シーツを畳むことで社会復帰。生活のリズムは整うかもしれないし体力はつくかもしれないけど、必ずしも社会適応とは限らないよな。逃げたっていいんだよな」

俺だって逃げて逃げてビルメンになったようなもんだしな。

勿論いいことばかりじゃないけどな。まぁ、がんばってやりきることが大事だよな。

でも彼女の場合はそうじゃない。今は頑張らない。やりきらない事が大事だ。それにかのじょはそこまでよいよいじゃないような気がする。

散歩にでも行きながら今後のことを話そうか。


そうして俺たちは今後のことを話した。

今の薬は体に合っている事。今通っている病院の主治医が5分間診療であること。被害妄想や陰性症状と呼ばれるだるさもだいぶ収まってきたこと。認知機能に関してはかなり落ちてきていて昔に比べてやはり頭がかなり悪くなったような気がすること。具体的には本が読めなくなってきたことなどだ。

YOUTUBEなどの暇つぶしコンテンツは見れるけれども、読書などはできなくなってきていることなどが例に挙げられるようだ。

「本は本当に読めなくなりましたね。何が書いてあるのか全然わからなくなりました」

「俺はもともと、漫画家志望だったから、資料集めによく図書館に行って本を借りに行って、読書をしたりしてたから、意外とこれでも読書家だから本が読めなくなるのは辛いなぁ」

「唐揚げさん、本を読むんですか?」

「失礼なことを言うな。俺は読書家だ。金はないけどな。漫画家志望だったんだ。今だってXに投稿してる」

「ええっ、見てみたいです。どんな絵を描くんですか?」

「俺の家で見てみるか。生原稿。あっただろ、板タブとパソコンとディスプレイ」

「ありましたけど」

「どうあがいても連載が取れないんだ。Xも鳴かず飛ばずだしな」

「唐揚げさんのXアカウントは?」

「これだよ」

俺は安スマホのXアカウントを見せた。フォローしていた元妻の新刊が発売されているのが見えてしまった。

「おめでとう」

涙が出た。

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもない」

俺のはこれだよ。

「きれいな絵。イラストみたい。でもストーリーを作るのが苦手なんですね」

本質を見極めるのが得意なようで。考え事をするのが得意なゆえに、統合失調症になってしまう人もいると聞く。遺伝+ストレスが基本だとは言われているが、そればかりではないようだ。


「人とは何だと思う?」

「独りでは生きられない集合体です。故に家族を作り、社会を作った。現代はその流れに大きく反しているんですよ。絶望の世紀と言われるのはそのためだと思います。子供も作れず、社会は老人が牛耳る。本質的に人は子供を作ることにしか価値がないのに」

「俺たちが生きづらいのはなんでだと思う?」

「それは高度に発展した社会の中で孤立するように仕向けられたからです。東京へと人を向かわせ、一点集中した社会で孤独な生活を強いられる。狂わないほうがおかしいんです。」

「俺は狂ってきてるかな?」

「今はまだ狂ってきてません。 でもやがては独りきりの生活が続けば正確な判断ができなくなるかもしれません。」

俺にはそれが正解なのか不正解なのかはわからなかった。ただなんとなくカウンセラーと話しているような気さえした。俺は55歳の上司の長谷川センター長を思い出した。掃除のおばさん達には、棺桶に片足突っ込んだおばさんたちと言い、警備のおじさんたちには、突っ立てるだけで給料をもらえるおじさんたちというちょっと基地外じみたおっさんだ。

たしかに独り生活が極まるとああなってしまうのか。

統合失調症よりも人格障害のほうがよっぽど狂ってる気がするな。なんとなく独身男性67歳死亡説を思い出した。

「モテナイおっさんは狂ってくものなんですかね?」

「そりゃそうですよ。基地外になっていきます。私が言うのもあれですけど、独り暮らしをしているもてない男はどんどん自分のおかしさに気づかないまま、時間だけが過ぎていきます。そうして時計の針が狂ったように頭のねじが飛んでいくんです」

「本は読めないけど、考え事をすることは多くなったの?」

「多くなりました。人は星を眺めることで自己との対話をしてそれが天文学になったように、基本的に学問とはすべて自己との対話から始まってるんだな、とかそんなことを考えたりします」

「そりゃすげえ」

何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、この対話は貴重だなと思った。


それから結局、冬木さんはどちらのB型に行くこともなく、実家の力を使って音大受験というよりストレスのかかる道をわざわざ選ぶことになった。彼女にとってはそれがもっともストレスがかからない人生の生き方だというのだが、正直自分にはそうだとは思えなかった。演奏家になっても海外には行けないし、ストレスを感じることが多いのではないだろうか。だが、そんな心配をよそに彼女はあっさりと、中堅音大のピアノ科に入学してしまった。東大卒音大入学。なんて嫌味な学歴だろう。そう思ってしまうのは、俺が高卒だからだろうか。好きなことを好きにできる実家の太さが欲しい。そう思ってしまうのは俺のひがみだろうか。田舎者からすれば東京に実家があるだけで勝ち組なのだ。

幸い統合失調症は「再燃」することはなく、ピアノ科での学生生活は無事に進んでいるようだった。元々の美貌に、高学歴である。教養がある人間には俺の見ている世界とは違うものが見えているに違いないと思ってしまう。なんかそんな卑屈になってしまう自分がいた。

そういってしばらく会わない日々が続いた。仕事は役職が上がり、正社員になった。給与も少しだけ上がったが、たいしてあがるわけでもなく、電験三種の勉強にいそしみ、たまに漫画を描く。そんな日々を過ごしていた。

お互いの道はもう交わらないのだと思っていた。

だがそんなある日。

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