第8話
菜月と武彦は静かな午前の光の中、都営住宅の周りを歩くことにした。菜月は少しずつ歩幅を合わせながら、痛む関節を気にしつつも、武彦が自分に少しでも心を開いてくれることを願っていた。
歩きながら、菜月はふと周囲の景色を見渡した。古びた街並み、狭い路地、そしてそこに暮らす人々の姿。どこか孤独感を漂わせるこの場所で、彼女と武彦は共に生きていく道を探し始めていた。
「どうして、あんなに小さな身体で外に出てたの?」菜月は軽く尋ねた。
武彦は無言で歩き続ける。菜月は無理に答えを引き出すつもりはなかった。けれど、次第に武彦が口を開いた。
「……お母さんが、ずっと帰ってこないんだ。」小さな声で武彦は言った。「家の中、誰もいなくて、冷蔵庫にも何もない。」
その言葉が菜月の胸に突き刺さる。どんなに心細かっただろうか、どんなに怖かっただろうか、と思うと胸が苦しくなる。
「そっか。」菜月はそっと彼に寄り添った。「でも、ここには誰かがいるよ。あなたが必要な時、いつでも。」
武彦はその言葉に驚いた顔をし、菜月を見上げた。
「ほんとうに?」
菜月は微笑みながら頷いた。「うん、ほんとうに。私はあなたを大切に思うから、心配しなくていいよ。」
しばらく沈黙が続き、二人は歩き続けた。その時、菜月の携帯が震えた。メッセージの通知が来ていた。彼女は一瞬だけ歩みを止め、画面を確認する。
「生活保護の書類が届いたみたい。ちょっとだけ、家に戻ろうか。」
武彦は少し不安そうな表情を見せたが、菜月の手をしっかり握り返した。
「うん、戻ろう。」
二人は再び足を踏み出し、帰路についた。菜月の心には、これから武彦にどんな支援ができるか、そして自分がどれだけ彼を守れるかという思いが強くなっていった。
その後の数日間
菜月は、少しずつ武彦を自分の生活に溶け込ませていった。昼間は一緒に買い物に行ったり、近くの公園で遊んだりすることもあった。夜になると、菜月は自分の部屋に武彦の寝床を作り、彼に新しい服を買い与えた。最初は遠慮していた武彦も、少しずつその優しさに心を開き、笑顔を見せることが増えてきた。
だが、菜月の心の中には、武彦が本当に安心できる環境を作るためにどうすれば良いのかという不安が常にあった。生活保護を受けている自分にできることは限られていた。武彦の過去や家庭環境をどうにかするためには、福祉の手を借りる必要があった。
「武彦、これからどうするか考えないとね。」菜月は、ある晩、彼と一緒に座りながら静かに言った。
「でも、怖い。お母さんが帰ってこないかもしれない。」武彦の声は、再び小さく震えていた。
菜月はその声をしっかりと受け止め、優しく手を重ねた。「心配しないで。あなたには私がいる。そして、私たちは一緒に解決していこう。」
その言葉が、武彦に少しだけ力を与えたようだった。彼の目には、ほんのわずかな希望の光が宿っていた。
菜月は心の中で誓った。どんな困難が待ち受けていても、この子を守ると。
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