第7話「挿げ替えて差は埋まるのでしょうか」
お題:【鶴亀算】
【前回までのあらすじ】
日曜日の記憶が抜け落ちている男子高校生・
◇
壁ドン密着状態で視線を合わせること数秒。
先に根負けしたのは黒紫あげはの方だった。わりと顔が赤くなっている。夕焼けで誤魔化そうたってそうはいかないぜ。
「——あの、先輩」
「ん、何?」
「もういいですから、それでいいですから」
「それって、何?」
「もう私の負けでいいですからぁ!
早くそのなんか口説き体勢をやめてください!」
なるほど。口説き耐性は持っていなかったようだ。そうモノローグして俺は壁ドンをやめた。
「はぁ……はぁ……これで勝ったと思わないことですね先輩」
「いや負けでいいって言ったじゃん」
「そうですけどぉ!
〜〜〜〜〜〜……っ!!」
そんな声にならない声を出した後、彼女は、黒紫あげははようやく真相や己のことを語り出した。
「……まずは謝っておきます。
先輩は確かにキスはしてきました。けどベロチューはちょっと言い過ぎでした。これに関しては後で補足します」
あでもキスはしたらしい。本当に何がどうなったんだろうね俺。さっきのシチュエーションでも、事前にベロチューの話を聞かされていなかったらそのようなエッチな択はたぶん脳裏を過ぎることすらなかったであろう。謎である。後で解けるといいな。
「そして先輩があの日探していた『吸血鬼』は確かに私のことです。
でも、私は吸血鬼ではありません。でも、正解です」
「——? つまりそれはどういうことなんだ? 黒紫ちゃんは噂の吸血鬼に相違ないけど、でも黒紫ちゃんは吸血鬼じゃない、と。なんか矛盾してないか、それ?」
当然である。彼女は吸血鬼であることを肯定しながら否定している。これは矛盾している。二つの要素が螺旋構造めいて絡み合いながら矛盾を形成している——いや、矛盾螺旋か……!
そんな俺の疑問は『もう聞きました』とばかりに、彼女は黒板にチョークでとある文字を書きながら話し始める。
「——吸血鬼。それはアヤカシハンターたちが勝手に聞き間違えた呼び名です。
私の今の種族名は『吸結姫』。結末を啜るアヤカシです」
吸
結
姫
と。黒板に縦に綺麗な字で記されたそれが、彼女の種族名だと言う。
なるほど同音異義語。結末を啜るという言い回しはまだよくわからないが、とにかく血を啜る鬼ではないらしい。
「とは言え、元は私も吸血鬼だったんです。あ、血を啜る鬼の方です。悪行——というか私たちの主食が人間の血だったので、それはまあ吸っていました昔は」
「言い訳しないんだな」
「しませんよ。貴方方だって他の動植物を食べたりするでしょう? 吸血鬼にとってその対象が人間の血であり肉であったというだけのことです」
「だから、アヤカシハンターに追われていたんだな」
「そういうことです」
アヤカシハンターというワード自体さっき聞いたばかりのはずなのだが、思いの外すんなり腑に落ちたし、何か頭の中のモヤが晴れつつあるような気さえしてくる。これも日曜日の記憶と関係があるのだろうか。
「……私たち吸血鬼は、長命種ということもあって、そこまで子孫を作っていませんでした。だから、思いの外強くなったハンターたちによって狩られ尽くされたのです。もう世界中に二桁ぐらいしか残っていないんじゃないでしょうか。
——だから私はなんとか逃げおおせるために、色々と体を挿げ替えていったんです。
鶴亀算って知っていますか、先輩?」
もはやどう考えても推定年齢的に後輩なのは俺なのだが、『先輩』と訊ねられた以上はそういう体で答える。
「鶴と亀がx羽とy匹いて、足の数が2x本と4y本ある式だっけ?」
要は、
①鶴と亀の総数
②足の総数
以上の二点だけはわかっており、そこから鶴と亀それぞれの数を割り出すという問題だ。
俺がxだとかyだとかを用いたのは、これが連立方程式で解ける問題だからなのだが、
それはそれとして彼女は直前に『挿げ替え』と言う言葉を発していた。
となると——
「——ああ、連立方程式を使わない方法の話ってことか?」
「まぁ、そうなりますね。挿げ替え、そういう話になります」
——そう。例えば『連立方程式をまだ習っていない段階の児童が鶴亀算を解く』という条件において、その方式は用いられる。
方法の例としては、
鶴亀合わせて6、脚が全部で18という問題の場合、
①全て鶴であると仮定する。
②その状態で鶴の脚の数(2)に総数(6)をかける。
③18−12=6 →不足分発生。これは不正解。
④次に鶴が5羽、亀が1匹と仮定する。
⑤①〜③の流れを再演する。
⑥不足しなくなるまでこれを繰り返す。
⑦答えが出る。
⑧ハッピー!
という流れである。
ちなみに上記の場合は鶴亀それぞれ3が正解であり、
2×3+4×3=18
となる。
要は、正解に辿り着くまで、鶴を一羽ずつ亀に挿げ替えていくというわけだ。
この方式をわざわざ例えに出したということは、まあ、彼女はもうかなりキメラなのだろう。
「——黒紫ちゃん。君が吸血鬼という存在から逸脱するために、人を喰らうことをやめ、さらに気配を曖昧にするために他のアヤカシを喰らったことは不思議なことに理解できた。俺にはそういう知識があるらしい。
——でもそれはもう正体不明の、例えば鵺のような存在になるんじゃないか? 結末を啜るってなんなんだ?」
俺の問いに、黒紫あげはは一瞬目を伏せて、そして再び俺を見てこう続けた。
「色んなアヤカシの終わり——要は死体を啜り続けたんです。吸血を通して人間を眷属に変えることもできる私たちは、要は血を通してその人間と繋がっていたんです。そして私たちは人間より本来は強かった。だから吸って殺したのであって、殺して吸ったわけじゃないんです。わざわざ殺さなくても簡単に吸えましたから。
——けど、弱った状態で、他のアヤカシの血を吸うとなった場合、あるいはそれらの肉を喰らおうとした場合、そこまでの余裕はありませんでした。
アヤカシはあくまで人間にのみ相性有利なだけで、アヤカシ同士はそういうわけでもありません。
だから殺してからじゃないと吸えなかった。だから、あの時私は、多くの死と繋がったんです。吸血を通して」
それを繰り返す内に、内部構造も次第に他のアヤカシたちの力も混じりだし、そうして彼女は吸血鬼から逸脱したのだろう。
その結果、『終わりを啜る魔の姫君』に、彼女は変質していったのだ。
などと、今の俺が知り得ないことを、思い出していた。
「なぁ、黒紫ちゃん、教えてくれ。
——もしかして俺は一度死んだのか?」
忘れていた——と言うより、なんらかの要因で蓋がされていた記憶が発芽していくのを感じる。
日曜日、俺に起きた何かを起点に、俺のアヤカシハンターとしての記憶が蓋されていた。それが今——蘇る。
「あーあ。ほとんど思い出しちゃいましたか。
これはもう差は埋まらないですね。お互い立場を忘れて、ただの先輩と後輩っていう、ただの人の距離感なら、立場という名の差も埋まってくれるんじゃないかって——ちょっと期待しちゃったんだけどな」
後ろで手を組みながら、彼女は無防備に図書室を歩き回る、回遊する。
そして俺の前に立ち——
「そうですよ。日曜日、私は——
——『根源坂開登の死』という結末を、吸いました」
——そんな、致命的かつ決定的なことを告げた。
第7話、了。第8話に続く。
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