第6話「帰結からの逆算、その過程には猿」

お題:【猿】


【前回までのあらすじ】

 主人公・根源坂開登こんげんざかカイト(17歳)は、月曜日の記憶が欠落していたと思っていたが実際には日曜日の記憶が欠落していた。

 彼が不貞(ベロチュー)をしてしまったらしい相手・後輩の黒紫あげは(16歳)がその一件に関わっていることがほぼ確定となった上に、場合によっては全ての黒幕——街に潜むとされる吸血鬼——である可能性さえも浮上。

 全ての決着をつけるべく、そして場合によってはしっかり責任を取るべく、根源坂はいつも通り図書室へと向かうのであった。


 ◇


 木曜日・夕刻。


 今日に関してはもう幽かな憂いもなく、ただただ毅然と夕刻の図書室へと赴いた。

 そしてそれを、当然のように黒紫あげはは待っていた。妖しげな笑みを浮かべて。


 俺は無言で、窓際の彼女へと足を進める。


 ——ふと、昨夜の去り際に聞いた、白咲の発言を思い出す。


“ところで根源坂くん。

 実のところ、私含めて誰も、黒紫あげはなんて生徒のことを知らないのよね。

 ——彼女、本当にうちの生徒?”


 ……実際、日月の目撃談もよくよく聞いてみると、『俺と、黒い外はねショートヘアの女子が一緒に出歩いている』程度の話であり、誰一人として黒紫あげはのことを知っているというわけではなかったのだ。

 俺も実際、彼女を知ったのは文化祭の日のことである。

 ——であれば。彼女は一体何なのか?


「おや、先輩。今日はいつになく進撃一辺倒ですね。何かあったんですか?」


 笑みを絶やさず、彼女は言った。

 その間に、俺は彼女の前まで来た。

 なぜかこの時間でないと出会うことのない、彼女の前まで来た。


「何か、か。それは今日というか月曜とか日曜とかの話になるんじゃないかな」


「そうですか。少しは思い出せた——というか入れ知恵があったみたいですね。良かったです。先輩別にぼっちじゃなかったんですね」


「ぼっちかどうかは関係ない。それならそれで、違う過程でここまで来たと思う。

 でもまあ、確かに俺は一人じゃない。そのことはちゃんと分かってるつもりだよ」


 俺がそう答えると、どうしてか彼女の笑みが消えた。


「——なるほど。、ですか。

 ……じゃあ根源坂先輩。ちょっと哲学めいたお話でもしましょうか」


 そう言って彼女は、本棚へと歩を進める。


「おいちょっと待て。俺はお前に聞きたいことがあるんだよ黒紫ちゃん」


「この問答の回答次第ではお答えしますよ。

 ——っと。ありました。じゃんっ」


 そう言って彼女が提示してきたのは二冊の本。

 『宇宙』についての図解本と、『地球の歴史』の入門書のような、図鑑のような本であった。


「……結局なんなんだ、問答って」


「それはですねぇ。ズバリ、

 ——? です」


「それ本当にその二冊と関係ある!?」


 哲学めいた問答ではあるが、宇宙とか歴史とかそういうのとはなんか別物な気がする!


 そんな俺の抗議の念が届いたのか、黒紫ちゃんはつらつらと丁寧な問答導入を始めた。


「——根源坂先輩。

 猿が偶然タイプライターでシェイクスピアの文を打ち込めるか? と言った問答があるじゃないですか。私はそれが単に確率的な問題なのか、あるいは、そこについて議論したいなと思っているのです」


「それ、宇宙とかとなんか関係あるのか?」


「いい質問ですね先輩。さすがは私にベロチューした人です」


「俺はそのこともちゃんと聞いておきたいんだよ黒紫ちゃん。疑ってるわけじゃないけど、一応何がどうなってそうなったのかは聞いておきたいんだ」


 そう言うと彼女は人差し指をメトロノームのように揺らしながら「チッチッチ。まだです、いずれ分かりますから」とだけ答えて問答フェイズに入った。


「少しアレンジを加えますがこういう話があります。

 ある一定の空間内に、原子生命がいたとします。それらはいずれは死に至ります。そしてその死こそが結果です。

 そして現時点において、生命体である以上、死は確定事項となります。生まれた時からその結果は決まっています。決まりきっています。

 そして、逆に——というかフェイズを一つ前に戻してみましょう。

 死より前の始点、そう、誕生ですね。ここを今度は結果としてみましょう。誕生という結果に至るためのファクター——まあ原子だとか性行為だとか様々ですが、とにかく誕生にも始点はあるわけです。誕生という結果に至るためのファクターが、当然そこにはあるわけです。

 ——となれば。

 ある一定の範囲内に存在するあらゆるファクターを見れば——いずれそれらがどういう変化をして、そしてそれらがどういった終焉を迎えるのかさえも


 ——とまぁ。そういう話なんですけど。

 要は猿がタイプライターで名文を再現できるか否かも、実のところ始めから決まりきっているんじゃないでしょうか? 過程というものは、全て宇宙の誕生から終わりまで決まりきっているのではないでしょうか?

 ——と言ったことを議論したいなぁ、と。私は思うわけですよ先輩」


 ——昔、そういう悪魔がいたらしい。名はラプラスの悪魔。

 始点に存在する要素から、終点に至るまでの凡ゆる事象を完全に予測できるとされる悪魔。

 なるほど確かにそいつは無敵だ。そいつなら、猿がタイプライターで何を書くのか全て知っているだろう。全ての事柄は、生まれた時点で決まりきっていると、そう言うのだろう。


 ——そんなわけないだろう、俺はそう思う。


 こんなものは結果論だ。過去は不可逆だ。その悪魔は『お前の選択は全て決まっている。だからお前は“それ”を選ぶことしかできず、“それ”を選んだ今にしか続かない』——そんなことを言うだろう。永劫普遍の真実だと、そいつは言うのだろう。


 ——もうね、アホかと。バカかと。俺はそう言いたい。


 結果を見てからならいくらでもそんなことは言えるのだ。俺たちにタイムトラベルを行う力は今の所備わっていない。だからこそ過去には戻れないし、過去の選択、それのifを見ることなどできない。


 だがだからと言って、そこでifを否定しきることなどできない。その時点で存在していたであろう『未来への揺らぎ』を完全になかったと否定することなどできないはずなのだ。


 そしてこの先の未来においても発生する幾つか、或いは無数の葛藤、選択。そう言ったものたちが、ただ一つのルートしか存在しないなどと、可能性が単一でしかないなどと、断言することなどできないはずなのだ。俺は叛意を見せるためにこうして断言口調を避けている。それぐらい、ラプラスの悪魔に対してキレている、ブチギレている。はっ倒すぞって思っている。


 人の意思が、無力なものかのように扱われているように思えてしまったからだ。

 だから俺はこんなにも怒っているのだ。


「そんなわけないって俺は思うけどなァ!!

 量子力学って知ってるか!??」


 だからこうやって、上記の思考を一瞬で終えて彼女にシンプルな反論をぶつけようとしたのだが——なるほど。ここまで即座に俺の回答が出るというのは、


 

「それぐらいじゃ黙りませんよ。先輩はこのまま私に論破されるんです。ああ言えばこう言ってやりますよ。ですがそれも全て先輩を楽しませるためのいわばfor youと言った——」


 おそらく、はこの後口を塞ぐためにキスっていうかベロチューに至ったのだろう。そしてこの若干の誘導尋問っぽさ——


「——それで俺は、お前とニャンニャンしたってことか?」

「——へっ? あれ?」


 今回は壁に手をドンと当て、彼女の眼前に視線を寄せた。

 要は壁ドンなのだが。この反応から察するに、俺のこの行動は初体験のようだ。


 ラプラスの悪魔とか知るか。

 俺はこのまま、可能性だけでなく吊り橋効果すらもゆらがしてやるぞと、そう思うに至った。


第6話、了。第7話に続く。

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