第15話
――ユリウスが聖都を発つことを決めたのは、前日のことだった。
いつもの中庭で、神樹の若木の前で、情欲が枯れただの枯れてなかっただの、大聖堂にあるまじきはしたない話題で盛り上がってしまった後。
「……アレク。あの秘蹟は君のものだろう」
ユリウスは落ち着いてから、静かにそう切り出した。アレックスは否定しなかった。
「どうして黙っていたのかい。おかげで僕は元老会で何度も『よく分からない』とか『存じ上げない』とか返事する羽目になったのだよ。自分の秘蹟でないのだから分からないに決まってるじゃないか」
「お前ェが長年追い求めてたモンが、俺に先を越されたって知るとお前が悔しがって泣くだろうからな」
アレックスがそんな体面だの自尊だののためだけに黙っていたというわけではないことくらい、ユリウスにも勿論分かっている。だからこそ、薄々気づいていたこのことについて、敢えて確認せずにいたのだ。
「僕にまで隠すことはないだろうに。水臭い」
「……言ったら、俺のことを守ろうとするだろ。お前」
そう言うと、アレックスは少し身を乗り出して、二つの瞳でユリウスを覗き込んでくる。春の明るさだと瞳の赤みがいっそう強く、ユリウスは思わず見とれてしまいそうになる。彼の瞳に映る自分は、やはりとても幸せそうな顔をしていた
「俺が、お前を守りてェんだよ。お前が無茶するところなんてもう二度と見たくねえ」
「分かっているよ。君は元々そういうやつだ。
――でも、多分僕の方もそろそろ、漏れてしまいそうな気が」
言いながら、ユリウスは自身の胸のあたりを示す。ぽう、と小さな燐光が生じる。秘蹟の兆候だった。
直後、回廊に人影が現れたため、ユリウスは掌でそれを抑え込んで収める。
「……もう、どこか外でパァーっと出しちまう方がいいんじゃねえか」
アレックスは顎で聖堂の外、さらにはレピエステの外を示す。
「そうだな。じゃあ――一緒に来てくれるかい?」
ユリウスが甘えるように言って見上げると、同じように甘ったるい目をしたアレックスと視線が重なる。
「おう。断ったってついていってやるからな」
◆
「えー!?」
先日の秘蹟はアレックスのものだった。そのことに仰天するのはルジェ一人のみだった。
「僕らは二人で巡礼したからね。考えてみれば同じように歩んで植樹をしていたのだから、アレクだって秘蹟を得てもおかしくはない。あのときに発露したのはアレクの分の秘蹟だった。
だって、僕はアレクの左目を癒やしたいとは思っても、さすがに若い姿に戻りたいとまでは願わないよ」
「ああ……確かに」
ようやく納得したルジェが頷く。
「すっごい私的な願いっすねえ」
「うるせえ。俺だってもう一回お前と旅に出てェなって思っただけだっての」
拗ねるアレックスをあやすように、ユリウスはその横に立って寄り添う。少しだけ凭れてやると、しっかりとした力で支えてくれる。
「それじゃあ、もう行くよ。きっと今頃大聖堂が大騒ぎになっているから、はやく戻ってあげてくれ」
ルジェから苗木の入った荷箱を受け取って、アレックスとユリウスは並び立つ。五十年前と同じ見た目をして、しかし、五十年前よりもずっと想い合う二人。
微笑んだリューナールが見送りの言葉を発する。
「私は普遍的な教義を整備しようとは思っていますが、貴方様のような例外を排除しようとは思っていません。貴方がたが次にお戻りになるまでに……今よりもう少しは居心地の良い大聖堂にしてみせます」
「頼もしいこった。ラウル坊やももう少し頑張れよ」
アレックスに話を向けられたラウルは、しかし何も言い出せないようだった。ユリウスは手を伸ばして、自分より長身の彼の頭を撫でる。
「この若木には、君が二度とお腹をすかせないようにと願いを込めたよ。きっと美味しい実のなる神樹になってくれるはずだ」
「ユリウス様、私は――」
「着いてきたかったら、自分で秘蹟を起こしてから来やがれ」
愁嘆場になりそうだったところに、アレックスが乱暴に口を挟む。ユリウスの身柄をひょいと抱き込み、ラウルから引き剥がす。
一瞬鼻白んだラウルだが、やがて口の端を上げて、とても聖職者と思えない笑みを見せる。
「そうさせていただきます」
そうして、ラウルとリューナール、ルジェに見送られ、ユリウスとアレックスの二人は秘蹟という荷を下ろし、新しい旅へと赴いていった。ユリウスの願いの秘蹟はいつまでも空を覆い、星のように煌めいている。彼らの先行きもまた、幸に溢れたものになることが約束されているようだった。
早く聖都に戻るようにとユリウスに言いつけられていたものの、ラウル達三人は、旅立つ二人の背が見えなくなるまで、その場に立っていた。
どんどん小さくなっていく赤と銀の人影を見やりながら、リューナールが呟く。
「――私は、父よりユリウス殿への恨み言を聞かされて育ちました。あんな道を外した神官になるな、お前は正しく神官の道を上り詰めるのだと」
ラウルとルジェの視線が、リューナールに集まる。彼女は遠くの二人を見やったまま、続ける。
「学舎の頃は、彼がいったいどんな酷い神官なのかと思っていました。それから写本室へ上がって、慣れない写本の作業で参っていたときに――少し寒い日の晩でしたが、中庭で休んでいらっしゃる方がいらして」
「…………」
心当たりのありすぎるラウルとルジェが一旦目配せをし合う。
「その方が、気負いすぎないようにと、私の手を擦ってくださったのです。とても優しいお方で……後からその方がユリウス大神官だと聞かされました。それ以来、父の言葉を絶対と思えなくなってしまって。
ついに、こうしてあの方のお助けになることを選んでしまいました」
ルジェが二人の大神官を交互に、そして不躾に指差す。
「同類っすね」
「否定したいが適切な言葉が罵倒以外に出そうにない……」
「私は流石についていきたいとまでは思いませんが」
結局似た者同士っすねえというルジェの言葉に、それぞれの大神官はそっぽを向いたが、やがて点のように小さくなった二人の背に視線を戻し、思いやるように微笑んだ。
「ともあれ、彼らに久遠の幸があることを願おう」
「それは、同意します」
◆
そうして、二人は今日も歩く。地底樹を愛しながら、一歩一歩、その神威を感じながら。
「あんなに焚き付けたら本当に追いかけてくるかもしれないじゃないか」
「流石にあいつに秘蹟は宿らねえだろ。見たところ神威のかけらもなかったぞ」
「あの子は……下手すると今からでも巻き返すくらいの気概のある子だからなぁ……」
老齢に差し掛かり、二度とできないと思っていた徒歩の旅。落ち着こうとは思っていても、足がはずんでしまう。
もちろん、老いることは何かをなくしていくことではない。年月を経て得ていくものだってたくさんあった。特に自分達などは二周も大陸を巡ることでここまで強く結びつくことができたのだ。その間に費やした年月はどんなものよりも尊い。
それでも、こうして再び愛しいひとと共に歩むことができる奇跡を、ユリウスは噛み締めていた。
アレックスがぽんぽんと手を叩く。
「さ、もう他の男の話は終わりにしな。
俺だけ見て、俺だけ感じて、俺だけのユーリになっちまえ」
「うん」
素直に頷くユリウス。アレックスが目を見開く。
「愛しているよ、アレックス。他の誰よりもずっと。地底樹には悪いけれども」
「!」
それは、何十年もユリウスの心の中にあったというのに口に出せなかった言葉だった。
驚いて立ち止まってしまったアレックスに、ユリウスは少しはにかみながら歩み寄る。そして目一杯背伸びをして――触れるだけの口づけをする。
柔らかくて、温かい。
「お、ま、」
「ずっと、ずっと待たせて済まなかった。全部、君のものだ」
照れくさくなり身を引こうとしたユリウス。だが、すぐさまアレックスのたくましい腕がユリウスの身体を抱き込んだ。
「お前、いきなり大胆になりやがって……」
「そんなに感動してしまったかい。今までも何度か口が接触してしまったことくらいあったじゃないか」
「それとこれとは別だろ。お前が、自分からこんなこと……」
ぐりぐりと頬を擦り付けた末、アレックスは長く嘆息する。
「早く夜にならねえかな……はやく、お前を――」
アレックスの低く熱のこもった声。ユリウスはたまらなく愛おしさを感じる。
しかし。
「済まない、アレク。これ、多分――三日三晩くらいは光るかと……」
「あァ!?」
空を指すユリウスと、目を剥くアレックス。
見上げると、ユリウスの秘蹟で空に広がった光が、白昼にもかかわらずいまだに星のように煌めいている。
「うっそだろお前、なんでそんなに光らせたんだよ、ばか」
「ばかとは何だ。あれは僕が長年大事に積み上げてきた地底樹への愛だよ」
「あんなもんに見守られながらできるわけねえだろ」
ふてくされたアレックスの腕から抜け出し、ユリウスは数歩を進んで振り返る。
「時間はどれだけでもあるよ。しばらくは、この空の下を歩こう」
そうして、アレックスに向かって手を差し伸べる。
本当は、二人に残された時間がどれほどあるのか、誰も知らない。
それでも、二人で生きていくと決めたのだ。大事に大事に時間を使いながら。
気を取り直したアレックスが、ユリウスの手を取る。固く固くつなぎ合って、二人で歩み始める。
「ま、いいけどな。お前が一緒なら、どこでも、何でもいいんだ」
「僕もだ」
二人は示し合わせたように微笑んで、そして、
「「あいしてる」」
重なるように言葉を交わしあうのだった。
【BL】白き神官と赤き騎士、神樹の秘蹟により若返る もしくろ @mosikuro
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