第13話

 その日の晩。ユリウスは単身で、忍ぶように法王カリストの寝所を訪れた。

 もちろん正面には神殿騎士による警護はあったものの、身の回りの世話をする神官に頼み込んで、別の経路で入室を果たしたのだ。

「ここは君の赤毛の騎士の部屋ではないぞ」

「冗談が言えるようになったのだな。あの生真面目な君が」

「……お互いもういい歳だからな」

「ふふ。こうやって腹を割って話せるようになるとはね」

「イオナス様の神樹の件ならまだ許していないぞ」

 ユリウスは薄暗がりの中で大げさに嘆く仕草を見せる。

「おお、怖い。万民にお優しい法王にあるまじきお言葉。僕は今でもあのときの君の剣幕が恐ろしくて夢に見るというのに」

「それで……どうしたんだ。何かあったのか」

「安心させてあげようかと思って。

 ――君を取り巻く危険は、もうすぐ去るよ」

「……そうか」

 寝台のふちに腰掛けたユリウスは、静かに言った。

「本当に、単純なことだった。怖がらせてしまって申し訳ない」

「元老会はおそらくリューナール殿を次の法王に推したいのだろうね。神樹を損壊した僕はもってのほかだし、僕の後釜みたいなラウルだって同じように憎もうとしている」

「黒の彼は君一筋だからな……。

 元老会は自分が為せなかったことを叶えたいのだろう。リューナール殿は……長の実の娘御なのだから」

 けして身内贔屓はしない。そんなことを標榜しつつも、元老会は自分達の方針を忠実に守り、そして長の身内であるリューナールを後援しようとしている。

「バルコニーは……脇の神樹の根が入り込んだせいで崩落したというのは、正しいのだと思う。

 そのことについて元老会は前から把握していたはずだ。でも、神樹を傷つけることを是としないために何も手出しできないし、する気もなかった。それに、本当はもう少し後の年に崩れるはずだったのだと思う。いつか崩れて、先頭に立つ君が傷つくことを願って……」

 ユリウスがそれぞれの関係者に聞き取った結果を総合すると。今回の件、バルコニーを崩落させた仕組みについては、恐らく元老会の手による時限装置のようなものだった。

「だが、リューナール殿はまだ写本の数が十分ではないだろう? 今私を弑すると、彼女には逆に次の法王選出時に不利になると思うのだが」

 事故によるもの。意図的なもの。ユリウスはバルコニーの崩落に関して色々な可能性を考えたが、何者かが法王を弑するにしても時期が尚早すぎたのだ。そこで思い至ったのが、自分たちのこと。

「多分、それを早めてしまったのが、僕らの秘蹟なんだ」

「……ああ、」

「落ちる前の、あの時点で秘蹟が出かかっていたのだろうね。神樹が急に大きく成長して、根が石組みに深く入り込んで……きっとリューナール殿が法王の資格を得る頃に崩れさせるつもりだったのだと思う。

 そこで僕らが余計なことをしてしまった。崩落するわ、落ちても助かるわ、おまけにこんな姿になるわで……彼らも、随分困惑しているようだ」

 元老会は適宜構成する者が入れ替わってはいるが、彼らには独特の教義のようなものが承継され続けてしまっている。そもそも承継しうる人物を指名し元老へと招集するためだ。

 新しい考え方をする者、教義に反するものなどもってのほか、神樹を傷つける者など論外である。

 二度の巡礼により信徒のからの人気の篤いユリウスが白の大神官になったのは、彼らにとってはよほど苦渋の選択だったのだろう。

 元老の方針が一概に悪だとはもちろん言えない。古き教義を守り続けるのは美徳であり良き信仰でもある。ただし、誰かを害することで成り立つ教義は許されるものではないと、ユリウスは思う。

「それで……去るのか?」

 カリストの問いに、ユリウスはゆっくりと頷く。

「そうするのがきっと皆のために一番良いことだ。後は猊下の良いように計らっていただければ」

「自分が巡礼に行くのが楽しいだけだろう」

「さすが猊下。よくご存知で」

 ユリウスは立ち上がる。

「君や君の騎士は、確かにこの大聖堂の枠に収まらない方がいい存在だ。ここはあくまで教義を守り敬虔に祈りを捧げる者が集うべきだ」

「僕だって敬虔なのだけれど」

「敬虔な神官は夜中に人の寝込みを襲ったりしない」

「君は好みではないから襲わないよ」

「赤毛の勇猛な男が好みなのだろう」

「もう……教義から外れるような誘導はやめてくれたまえ」

 一瞬の後、二人でくすくすと笑い合う。

 かつて、カリストはイオナスの神樹を燃やしたユリウスのことが嫌いだったし、ユリウスはガイエルの没後に自分を差し置いて黒の大神官になったカリストのことが羨ましくて仕方がなかった。結局はお互い様なのだ。

「カリスト。君は、地底樹を人に例えるとどのようなお方だと思う?」

「大いなる慈愛と……、ほんの少しの悪戯心のある方、だろうか。君を見ていると後者の神威が随分と大きそうだ」

「本当に、よくご存知で。さすが秘蹟を起こしたお方だ」

「そうやって煽てて、手柄と面倒を全て私に押し付ける気だな」

 ユリウスはそれには返事をせずに、にんまりと笑って見せた。

「もう行くよ。達者でな――カリスト」

 そしてユリウスは奉公者用の小さな出入り口へ向かい、身をかがめる。

 その背に、静かな声が届く。

「どうか、幸せに。君と君の騎士に、地底樹の永き神威があらんことを」

「――ありがとう」

 それだけを言って、ユリウスは振り向かずにその場を去った。

 残されたカリストは、ユリウスが見えなくなっても暫くの間、彼らのために祈り続けた。

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