第12話

 そうして二人は再び苗木を背に、再度の巡礼行へと赴くこととなった。報せを受けた病床のガイエルは心を傷めていたが、出立前のユリウスは彼を笑顔で励ました。

「僕は彼と共に行く巡礼なら、きっと何度でも何年でも平気なのです」

 そう言って力強く笑みを見せると、ガイエルは目に涙を滲ませながら、ユリウスへの加護を願ってくれた。そして彼らが置いていくことになってしまうラウルの身柄についても、保証してくれた。

 ラウルはひとまず聖堂の学舎に入り、教義を学び、神官としての知識を身に着けていくことになる。そして所定の課程を終えてから、かつてのユリウスと同じように巡礼に出ることだろう。

 ユリウスはまた、切り倒した神樹を植えた人物、青の大神官であるイオナスにも詫びを入れに行った。イオナス自身は神樹を損壊したことに対する苦言程度で、自分が植えたという点については責めることはしなかったものの、その弟子であるカリストが半狂乱になってまでユリウスを責め立てた。当然の権利であると思っていたし、ユリウスはそれを甘んじて受け入れた。神樹を燃やすくらいなら飢えて死ねとまでは言われなかったものの、恐らく似たようなことを考えてはいたのだろう。カリストはこの後何年経っても、ユリウスのことを赦そうとはしてくれなかった。



 二周目の巡礼は、流石に前と全く同じようにはいかなかった。

 ユリウスもアレックスも、流石に三十代にもなると体力が落ち始め、足腰にも痛みが出始める。以前のような強行軍で進まず無理のないようにとのんびりと二人は大陸中を巡って、植樹をし続けた。

 美しい空を二人で見上げ、きれいな花を二人で眺め、美味しい食事を摂って笑い合う。暑さに参り、寒さに震え、かつて植えた神樹が立派に育っているのを見て感動し、新たに苗木を植えて祈りを込める。

 ――どうしようもなく、満たされ、幸甚であった。

 途中、ユリウス達はメイナスを訪れて改めて植樹を行った。夏の盛りの頃だった。神官のディアンは再会を喜んでくれていて、どうやら元老が手にしていた書簡と様子が違うと思っていると――なんと、神官ディアンは告発ではなく、ユリウスの罪の軽減のための嘆願書を送っていたとのことだった。

 こんなことがあったけれども、どうか神官ユリウスへの処罰をできるだけ軽くしていただきたい。彼は我々全ての命を救ってくれたのです、と――

 元老はどうやらその中の嘆願を全て無視し、神樹の損壊だけを取りざたしていたようだった。何度でも謝ろうと思って覚悟を決めてきたユリウスだが、ディアンに先んじて何度も礼を言われ、悲壮なまでのその覚悟は空振りに終わってしまった。

 気持ちの整理がつかないままでお別れしてしまいましたが、あれから大丈夫でしたかと心配そうにしていたディアンに、ユリウスが「おかげさまでお咎めなしですよ」と笑いかけると、多少は老いたものの、かつて出会ったときよりもずっと顔色の良いメイナスの神官は良かった、本当に良かったと泣き出してしまった。

 流行病が過ぎ去ったことで近隣の町との交流も再開し、メイナスの町も新しい住人を迎え、少しずつではあるが活気を取り戻しているようだった。ラウルの心配をしていた老人に、神官として修行を始めたのだと告げるとまたもや泣かれてしまった。

 ディアンはわざわざ臨時で鐘を鳴らして町の人々を集め、この町を救った英雄が帰ってきたのですなどと大げさに嘯いた。おかげで、ユリウスたちはもみくちゃに歓待された。

 それから皆に見守られながら無事に植樹を済ませ、以前のように逃げるようにではなく、町の皆から見送られて、二人はメイナスを後にした。

 かつて雪原だったそこには、草木が生い茂りあらゆる生命が謳歌していた。川には絶えず魚のものと思しき銀の煌めきが走り、そこかしこで淡い色をした花が夏の風で揺れている。

「冬を過ぎると……本当に美しいのだな」

 メイナスへの心残りがこれ以上はないというほどきれいに昇華してしまったユリウスは、晴れ晴れとした顔で、アレックスに笑いかけた。アレックスも同じ顔をして、ユリウスの肩を抱く。

「そういや……シュレーフェンに寄ってあの王子にも礼を言っとくか?」

「もうお会いできない立場のお方になっているだろう」

 十年ほど前。かつて二人とガイエルが何とかエスレーヤの東の分院にまで送り届けたジギスムント王子について。

 当初は分院にて大人しくしていたというが、なんと二年ほどで潜伏していた部下を集結させ、シュレーフェンへと舞い戻って王位を簒奪した。巡礼中にその話を聞いたユリウス達は仰天したものだった。

 それから十余年、今も彼の治世は続いており、シュレーフェンは王権交代の騒ぎからは信じられないくらいの立派な国として成長しつつある。

「グイドには会えるんじゃねえか。達者だといいが」

「ああ、そうだな。じゃあ、次はシュレーフェンに行こうか」

 巡礼について、東回り、北回りなど大聖堂ではある程度の順路を定めてはいる。だが二人は半ば放逐された身であり、気の赴くままに、必要とされる土地を見つけては植樹するという方法を採っていた。神官としての成績稼ぎではなく、本当に必要な場所に必要な神威を届けたい。そんな願いから二人で決めたことだった。

 そうして次の行先の決まった後。ふいに、アレックスが意地悪そうに笑う。何を言われるか想像のついたユリウスが苦笑していると、彼は予想通りの口上を述べ始める。

「知ってるか? シュレーフェンの王城の奥にはシュレーベ湖っていうでかい湖があるんだけどな――」

 

 ◆



 ――そして、話は現在へと戻る。



「それはまた、なっがい蜜月ですねぇ……」

 長い蜜月。

 たった二言で二人の二周目、十数年の巡礼をこれ以上は無いというほどに端的に言い表すルジェ。ユリウスもアレックスも、苦笑はするものの否定はしなかった。本当に幸せな二人だけの蜜月だったのだ。

 ユリウスの僧坊には物があまり置いていない。大事なひとは詰め所にいるし、思い入れのあるものは全て大聖堂ではなく、大陸中にあるからだ。

「二周目の巡礼を終えた頃には元老の面子も入れ替わりがあってね、いつの間にか僕への処断も有耶無耶になってしまって。

 結局、こうして聖都に戻って、同期よりもすこし遅れて昇任したのだよ」

「俺も騎士団に居着くことになってな。でも、ちゃんとした学校を出たわけじゃねぇから、顧問だとか特別顧問なんていう役職が新設されちまった」

「はぇ~」

 素直に話を聞いてくれるルジェには、ついついなんでも明かしてしまう。色々と話しすぎて喉が疲れてきたユリウスは、茶を一口飲んで唇を湿らせてからアレックスへと向き直った。

「アレク。明日、すこし付き合ってもらって良いか」

「ん。何なら今から一晩中でもいいぜ」

「ひゅーひゅー!」

 囃し立てるルジェと、にやにやと笑うアレックスの頬をそれぞれつねりあげて退出するように促すユリウス。

「………………朝、礼拝が終わってから来てくれ」

「わーったよ。しかし、どこかに行くのか?」

 ユリウスに背を押されて僧坊から追い出されたアレックスが振り向く。ユリウスはすこしだけ真面目な顔をして、答えた。

「青の大神官に会いに行く」


 ◆


 翌日。

 ユリウスはアレックスと連れ立って、大聖堂の最も奥に位置する写本室へと向かった。

 写本室はその名の通り、写本を造るための部屋である。

 市井で民が簡単に読むための教典には次第に印刷技術が用いられつつあるが、神官が用いるための厳密な教典は今も担当の役職を持つ者たちが厳粛に写本を行い、一冊一冊を丁寧に仕上げていく。

 神官の中でも書に親しみ、特に厳格な者が多い部署である。巡礼も義務ではなく、写本の数、質により昇任することもできる。法王補典もここで編纂されており、今頃ユリウスの秘蹟についての表記の指示が元老より出ていることだろう。

「俺、あいつ苦手なんだよなぁ……」

「僕もだよ。だから一緒に来てもらったんじゃないか」

 ユリウスが会いに来た青の大神官、リューナールはラウルよりもすこし若い、壮年の女性神官だった。

 写本室には巡礼の免除もあるためか、数少ないアルカラルの女性神官のほとんどがここに詰めている。リューナールは彼女らの長として、的確な采配により高品質の写本を多く作り出している。

 とても毅然として厳格な人物で、頻繁に型からはずれがちなのに二度の巡礼で各地の信徒に絶大な人気を誇るユリウスは、顔を合わせるたびに睨みつけられてしまうのだ。

「ユリウス殿。何か御用ですか」

 写本室は礼拝室や法王の間よりも強く陽光を取り込み、明かりすら焚いている。

「ええと……神樹祭のとき、怪我はなかったかい。リューナール殿……」

 強く鋭い眼差しがユリウスを一瞥する。

「お陰様で。ですが、補典の編纂の方で何度も元老より指示があり、難儀しているところです」

「それは……苦労をかけるね……」

 ユリウスが躊躇いがちに言うと、それまで新しい写本の点検をしていたリューナールが手を止め、顔を上げる。

 写本室の責任者の卓。長年使い込んで艶の増したそれは、寿命を全うした神樹から切り出された壮麗なものだ。

「御用があるならお早めに仰ってください」

 壮年のリューナールが青年のユリウスにきびきびと話すと、まるで教師に叱責されているかのような絵図となる。

 ユリウスは一息ついてから、真面目な顔をして問う。

「……では、訊こう。君は、どのような法王になりたい?」

「おいおい、いいのか、そんな話」

 驚いてのけぞるアレックスを手で制するユリウス。

 白のユリウス、黒のラウル、そしてこの青の大神官たるリューナール。この三人のうちから次の法王が選出されることとなる。ユリウスは元老会からとんでもなく厭われているため、時期の法王への道の現状は、実質ラウルとリューナールの一騎打ちのような状態である。

「ラウル殿の法王即位への手回しですか」

「とんでもない。どちらかというと――カリストのための、捜査かな」

 バルコニーの崩落について、ただの経年劣化及び神樹の根の侵食によるものだという確証が無いため、ユリウスは考えられる可能性の一つを確認するために、こうして苦手な女史のところまで足を伸ばしたのだ。

 ユリウスの言外の意図を察したのだろう。リューナールは小さく咳払いをしてから、口を開いた。

「私は――信仰の普遍化をしたいのです」

「普遍化……」

「たとえば……貴方がたは、地底樹に贔屓されているでしょう」

「!」

 贔屓。あまりに信仰にふさわしくない単語だった。思わず固まるユリウスに、リューナールは平然と続ける。

「そういった、例外に例外を重ねて秘蹟を起こすようなことを、常態化したくないのです。

 貴方のように、情人じみた騎士を引き連れて、情欲を適度に発散することで教義を守る、そして巡礼を何度もさせることよって秘蹟に至らせる――そんなことを常態化させるわけにはいかないでしょう」

 言い終えたリューナールを指さして、ユリウスの方を向くアレックス。

「なあ、ちょっとコイツつねっていいか?」

「そんなことを聞かないでおくれ。聞かれた限りはたしなめないといけないじゃないか。言わずにやるものだよ」

 するとアレックスは今度はユリウスを指さしてリューナール相手に主張を始めるアレックス。

「……聞いたかリューナール様。純白の君、白の大神官がこんなこと言ってるぜ」

 せっかく用意した笑いどころではあったのだが、残念ながらリューナールは長く長く嘆息しただけだった。

「そういうところですよ。ご自身の足で巡礼をし続けて祈りを絶やさなかった貴方がたには、きっと地底樹の輪郭がもう見えているのでしょう。だから、何をしたら地底樹の神威が失われるかが理解できてしまう。

 そういった特別な神官はともかく、誰しも所定の祈りを捧げれば、それに見合う神威を受け取れる――そういった教義を定めてゆきたいのです」

「地底樹の輪郭って?」

 ユリウスに向かって首を傾げるアレックスだが、その返答は前方のリューナールからもたらされた。

「長く地底樹に祈りを続けた神官は、地底樹の神威が見えるようになると言います。それが極まれば、恐らく秘蹟として力が顕現するのでしょう」

「あぁ、なるほど」

 二度にも及ぶ巡礼の他にも、ユリウスが昇任してからも二人は幾度か植樹のため、法話のために他国を訪れている。腰が痛いだの足が痛いだのと言いつつも、やはりとても楽しくて幸せな旅程で――その中で、いつしか足元から、地面から優しい力が伝わってくるようになっていた。それが神威だと気づいて、ユリウスは神官が古来より義務付けられている巡礼の本質をようやく理解したのだ。

 今でこそ訪れる地点が定められ、所定の箇所で植樹と祈祷を済ませるという決まりになっている巡礼だが、恐らく当初はこうして神威を得られるまで歩き続けることを意味していたのだろう。

 ユリウスは満足げに頷いて、最後の質問を投げかけた。

「リューナール殿。地底樹を人に例えると、どんなお方だと思う?」

「そのような不敬な質問にはお答えできません」

「どうしても、聞きたいんだ」

 ユリウスが食い下がると、その真剣な意図を察してくれたのだろう。リューナールは渋々ではあったが、どこかを見上げながら、小さく呟いた。

「……おそらく、今の教義よりも、俗っぽいでしょうね。清らかであれ、敬虔であれ。そんな教義がいささか的外れな気もするのです。人生における欲に絡んだものを全て諦めて我慢して、自分を追い込み続けることでしか得られないような神威ではなく……本当は、貴方がたのようにもっと人生を楽しみながら、そうして得たものを捧げたほうが神威を授けてくださるのではと思います」

「――ありがとう。今の言葉は誰にも明かさない、約束する」

 ユリウスが深々と礼をして立ち去ろうとするその背中に、リューナールの声が追いすがる。

「貴方には、どう見えているのですか」

 質問を向けられたユリウスは、薄く笑って隣のアレックスを見上げる。促された彼は、少しだけ思案して、答えた。

「楽しいこと好きな、やんちゃなガキだろ、多分」

 ユリウスもそれに頷く。

「――貴方がたには同じ輪郭が見えているのですね。羨ましい」

 そう言って、厳格な大神官は少しだけ笑った。


 ◆


 リューナールとの面会を終えた後。ユリウスとアレックスは大聖堂の中庭に赴いた。

 正面の礼拝堂は未だに秘蹟の残滓を求めるかのように信徒が列をなしているが、壁を隔てた中庭は静かなものだった。いつもの椅子に並んで座して、日を浴びて気持ちよさそうにユリウスは笑う。

「ラウルもリューナール殿も……若い世代がしっかりと育っていて安心したよ」

「あいつら、言うほど若いか?」

 二人とも、市井で言えば、すでに孫がいてもおかしくない歳ではある。だが、長老である元老会の言いなりにはならず、そして経験をしっかりと積んだ者という意味では、まだ十分に若さの残っている年齢でもあった。

「僕らに比べたらずっと若いさ」

「まあ俺等は見てくれはともかく、老い先が分からねえからなあ」

 二十歳ほどの見た目をしている二人が、老い先短い老人として言葉を交わす。事情を知らぬ者が見ればきっとたいそう奇妙な光景に思えたことだろう。

「悔いのないように、生きないとね」

「おうよ」

「――ところでアレク。僕に隠していることがあるだろう」

「へ、」

 硬直するアレックス。目を逸らした彼の視線を捕まえるかのように、ユリウスは腕を伸ばしてアレックスの視界に自身の指を見せる。

「そろそろ正直に言いたまえ」

「ぐ……」

 観念したアレックスは項垂れる。少しして、唸るように言った。

「実は……このナリになる前の、爺のときも……枯れてなかった」

「……は、」

 予想外の返答だった。今度はユリウスの方が硬直する。

「お前が枯れてしまったなんて言ってたから黙ってたけどよ……正直、爺のときでも全然イケた。お前が抱かれてやってもいいなんて言うから……正直、ちょっと期待しちまった」

「………………」

 ユリウスは手で顔を覆う。羞恥と照れと、名状しがたい感情が漏れ出てしまいそうになる。

「そういうことを聞きたかったわけじゃないのだけれど……」

「あんだよ、お前は俺に感謝した方がいいぞ。俺がこの五十年間、お前の笑顔だの寝顔だの寝言だのでどんだけで道を踏み外しそうになったか。爺になっても世界で一番きれいなままなのは狡いんだよ」

「うん………………、感謝は、してるけれども……」

 苦悶の表情で項垂れる神殿騎士団特別顧問と、顔を隠して背を丸める白の大神官。事情を知っていてすら、誰が見ても奇妙な光景となってしまった。

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