第11話

 シュレーフェンを経由してグイドと別れた後、ユリウスとアレックスがラウルを伴って聖都レピエステ、アルカラル大聖堂に帰参したのは、一月後のことだった。

 南の海に面しており穏やかな気候のエスレーヤはすでに春が始まっていた。どこからともなく花の香が流れてきて鼻をくすぐる。

 大聖堂前の鐘の音を聞いて、アレックスが顔を綻ばせる。

「ようやく帰ってきたな」

「……本当に、ようやく」

 ユリウスは頷く。長く息を吐くと、身体の力が抜けていく。いくら旅慣れしているといっても、やはり帰属する場所に戻ってこれた安心感はひとしおだった。

「さあ、いろんな人に君を紹介しないとね」

 ここまで慣れない身で一生懸命ついてきたものの、ついにたどり着いた大聖堂の規模の大きさに物怖じし始めたラウルの頭をあやすように撫でるユリウス。

「……はい」

 素直に頷くラウル。真っ黒な髪と真っ黒な目をした彼だが、今はその瞳には光が宿っている。道中、色々なものに目を輝かせ、ユリウスとアレックスを慕い始めた彼は、すっかりただの元気な少年といった風体になっていた。

 ユリウスはラウルを伴い弾む足取りで大聖堂へと入る。

 大聖堂は変わらず神聖な光に満ちていた。春の神樹祭が間近に控えている時期だった。

 ガイエルの無事をひとまず確認してから、苗木の担当官へ各所での使用報告をしようとしたユリウスだったが――ユリウスが口を開く前にすでに用意されていたという召喚状を手渡され、旅装のままで向かうこととなった。

 心当たりはありすぎるほどあった。

 心配そうに見てくるラウルに微笑んで見せ、アレックスに彼のひとまずの世話を頼んで気丈に振る舞うユリウスだが、これから下される処罰のことを考えると、暗い予感で指先から熱が失われていくようだった。


 ◆


 元老会は、大神官を務め終えた老齢の神官などで構成されている。長く永くアルカラル信仰を続けるべく、長年神官を務めてきた年長者の意見が尊重される場だった。


「神官ユリウス。バーテムのメイナスにて神樹を損壊したというのは、事実か」


 元老の長のしわがれた声が響く。

「……事実です。ですが、」

「ここに、メイナスの神官ディアン殿からの書簡がある」

「……!」

 ひゅ、と息を呑むユリウス。神経の細そうな彼の、去り際の強い眼差しを思い出す。どれだけ恨み言を書かれても仕方のないことをしたのは確かだった。

 長は目を眇めながら、樹皮紙に記されたそれを見ている。自分の罪を直に覗かれているような気分だった。ユリウスは身じろぎをする。

 元老会の議事の間。明かりは入っているものの、疲れのせいか、ユリウスの心境のせいか、ひどく昏く感じられる。

 五名の元老が横に並ぶ卓の向かいに、ユリウスは立っていた。

「青の大神官の植樹を切り倒し、燃やしたのは事実であるか」

「……はい」

「自身で植樹した苗木を切除し……食用に用いたのは、事実であるか」

 長のその口上を聞いている他の元老達の目もひどく険しい。

「事実です」

 頷くことしかできない。先刻から湧き出しはじめた昏い予感は、次第にユリウスの全身を包み始めていた。

「それが、どれほどの重い罪であるか、理解は」

「…………」

 ユリウスは神樹に無体を働くたびに唱えていた言葉を思い出す。

 咎は、全て僕に――きっと、今がその時だった。

 ユリウスは小さく決意をして、顔を上げて元老たちを真っ直ぐに見つめる。

「わかりません。どれだけの咎を科されても仕方のないことだと承知しています。

 ですが、あのときの私が、最善であり必要であると判断した結果の行動です」

 朗々と言い切ると、元老らはちらりと目配せをしあった後、再び長が白い髭の下の口を開く。

「地底樹アルカラルに対する、どれだけの冒涜であるか。認識はあるか」

「反省はしています。足りないというのであればどれだけでも反省させていただきます。ですが――」

 きっと、この先の言葉は言わないで大人しくしていた方が良いのだろう。また、後になって自分が正しかったのかと悩む事になりかねない。

 それでも。

 ユリウスは、元老――否、その先の地底樹アルカラルへと向けて、宣言した。

「いつか、どこかで……今回のメイナスと同じ状況に陥ったとしたら、僕はきっとまた同じことをします」


 ◆


 ――巡礼における全ての実績を剥奪する。また神官長の位に昇任することは決して許されない。この決定は最も重く、不可逆のものであることを理解せよ。

 それが、元老会から下された決定だった。

 十年にも及ぶ大陸中への巡礼の実績の剥奪。そして、巡礼後にあったはずの神官長への昇任の取り消し。

 アレックス達が騎士団の詰め所の方に行ったと聞き、ユリウスはひとまずそちらへ向かうこととした。

 夕刻の大聖堂の中庭は、変わらず美しい。規則正しく植わっている苗木たちが、傾き始めた日を浴びて輝いている。

 巡礼で用いる苗木は、大聖堂の奥にある植物園で専門に育てられている。ここにある苗木達は主に聖都での儀礼に用いられるものだ。だが、回廊を抜ける途中、ユリウスは立ち止まって、それらを見つめる。

「……ごめんね。神威を吸い上げて立派になるはずだったのに。

 これからずっと、僕は僕にできることをする。贖罪だけれど、許してもらうためじゃない。でも――謝らせてほしい。本当に、ごめん」



 大聖堂に隣接する神殿騎士団の詰め所では、アレックスがガハハと笑いながら何やら武勇伝を披露しているところだった。ラウルはといえば、なぜか部屋の端で騎士に勧誘されそうになっている。

 経歴の異なるアレックスが何段も課程を飛ばして神殿騎士として任命された当初、生え抜きの彼らとは少なからず軋轢があった。だが、持ち前の気風と実力により、次第に馴染んでゆき、何度かの帰参時の交流を経て、今となってはこうして笑い合うことができるほどになっている。

 かつては隊商の用心棒を務めていた彼は、メイナスからの帰路、シュレーフェンの騎士、グイドとも気安く会話をしていたこともユリウスは思い出していた。きっと彼はどこに行ってもこうしてうまく馴染んでやっていけるのだろう。

 ユリウスが来たことに気づいたアレックスはすぐに立ち上がった。ラウルも同じくユリウスのもとに来ようとするが、アレックスが何か手振りで指示を出したところ、彼を勧誘していた騎士がラウルを制止してくれていた。

「……あの子は?」

「少し足止めしてもらってる。真面目な話なんだろ」

 詰め所を出て、夕刻の広場へ。すでに鐘も鳴り終えており、人が捌けつつある。暗くなる前に家に戻るのが民の習わしだ。

 日が沈み、青みを帯びつつある空の下。ユリウスとアレックスは少し歩いて、人気のないところで足を止める。

 ユリウスはいつかの日、こうしてふたりきりで会話したことをふと思い出す。あのときは投げやりに死ぬつもりであることを責められたのだったか。

「――で、どうだったんだ。元老会の召喚ってのは」

「巡礼の実績の、剥奪だった」

「巡礼しなかったことになったってことか?」

 アレックスが首を傾げる。

「いや……少しい語弊があるが、巡礼により加算される成績が無くされたといった感じだろうか。神官長に昇任する目が無くなったんだ。

 だが、巡礼自体が無かったことにならない。僕が植えた苗木たちが蔑ろにされたりすることはないはずだ」

「……ってことは、実質、特にお咎めなしじゃねえの」

 今度は反対側に首を傾げるアレックス。心配そうな眼差しはなく、ただ理解ができないという顔をしている。

 ユリウスはゆっくりと頷く。自分でも納得も理解も追いついていないものの、とにかく説明をする。

「そうなんだ……どうも、元老からするとかなりの重い処断みたいなんだけれど……。

 ――大聖堂の人間にとって、巡礼は苦行だという認識がある」

 地に足をつけ、地の底からの神威を願いながら一歩一歩踏みしめることにも意味があるため、巡礼は基本的に徒歩で行うこととされている。皆が皆、ユリウスのように足腰が達者で野営がさほど苦にならないというわけではないため、大陸中を歩いて巡る巡礼は敬遠され、昇任を諦めて一神官で生涯を終える者も少なくはない。

 ユリウスが巡礼を厭わなかったのは、恵まれた体力と、そしてひとえに同行者のおかげだった。

「そんなもんか。俺らは、楽しかったと思うんだが」

「うん……君が、いたから」

 少しずつ、心苦しくなっていく。詰め所に行く前に用意しておいた言葉を、告げなければならない。

 ユリウスは唇を噛んで少しだけ逡巡した後、顔を上げてしっかりとアレックスを見据えて、言った。

「ありがとう、アレックス。君のおかげで、僕は無事に巡礼を終えることができた。十年前のあの時、出会ってくれて、蜂からガイエル様と僕を助けてくれて――本当に、感謝している。今の僕があるのは、君のおかげだ」

「どうしたよ、急に」

 ユリウスの様子に気づいたアレックスが、訝って一つしかない目を見開く。

「僕は多分、近い内にまた巡礼に行くことになる。今度は、昇任のためではなく――贖罪のためか」

「おう、二周目かよ。付き合うぜ」

「いや……君は、来ないでいい」

 間髪入れずに頷くアレックスに向かって、ユリウスは首を横に振る。

「は? 何言ってんだ」

「これ以上、君を拘束するわけにはいかない」

 アレックスの目が据わり始める。何を言われるか、気づき始めている。

 ユリウスは怯みそうになる気持ちを叱咤し、続けた。

「君は……その、僕を想ってくれているだろう」

「おう。言ったろ。愛してるって」

「!」

 これも即答。思わず硬直してしまうユリウス。これほど素直にまっすぐ想いを向けられて、嬉しくないはずがない。それでも――

「ありがとう。だが、僕はどんな状況でも、アルカラルの教義を守りたい。清らかであれという教義だ」

 アレックスの睨むような眼差しから逃れるように、ユリウスは群青に染まった空を見上げる。一番星がちかちかと光っているのが見える。

「君は……とても有能で、素晴らしい人物だ。これから神殿騎士として昇進しても良いし、市井に降りて、家庭をもって――誰かと、幸せになってくれるのも良い。

 僕に付き合っていては、どの道にも進めなくなってしまう。ただの一神官のお守りで終わらせてしまう。だから……」

 強く覚悟をしていたというのに、喉が詰まる。ユリウスは言うことを聞かない膝を叱咤して何とか真っ直ぐに立って、震える喉から何とか声を絞り出す。

「だから……君には幸せになってほしいんだ。

 僕は、君の想いに応えることができないから」


「いや、応えてんだろ」


「……は!?」

 あまりにも、平然とした即答だった。

 思わず、素っ頓狂な声を漏らすユリウス。

 アレックスは肩を竦め、何でもないように言う。

「十分、応えてるだろ。お前、俺のこと、大好きだろ」

「いや、それは……」

「たとえば、」

 指を一本立てたアレックスは、上方を指し示す。

「朝起きて、空がすごく青くてきれいだったとする。お前が真っ先にそれを伝えたいのは、誰だ」

「……」

 そんな相手は、一人しかいない。

「きれいな花を見たときも、うまい飯を食ったときも。一緒に感じたい思うのは誰だよ」

 ユリウスが口ごもっていると、アレックスはさらに続ける。

「喜びだけじゃないな。苦しいときもだ。お前が、嬉しいときも悲しいときも、苦しいときも楽しいときも、一緒にそれを感じて分かち合い合いと思えるのは、誰だと思う」

 いつの間にか、詰問のように始まったはずのアレックスの声がとても優しい響きをしていた。たまに嘘をついたりからかったりもするけれど、何度もユリウスを励まし、支えてくれたひとの優しい声。

 返答を促すことはせず、アレックスはただユリウスの出方を待ってくれている。ユリウスは胸の底から湧き出るその気持ちを込めて、言った。

「ぜんぶ――ぜんぶ、君だ」

「だろうよ」

 そのときの嬉しそうなアレックスの顔を、きっとユリウスは一生忘れることはないだろう。一つしかない瞳で、本当に愛おしそうに自分を見て、笑ってくれているのだ。 

「地底樹サマに聞かれたくないなら、返事はしないでいい。

 愛してるぜ。ユリウス」

 言いながら、アレックスはユリウスの頭を抱き寄せ、自身の胸に押し付けてきた。熱いくらいの熱が、ユリウスを包む。

「もう一回だけ、さっきの話をしてみろ。俺は絶対についていくって返事をしてやるから」

 先刻までの苦渋の決断が、霧散する。なんと幸せなことだろうか。

 腕の中からユリウスはもぞもぞと顔を上げ、自分を真っ直ぐに見つめてくるアレックスに向かって、笑いかけた。

「アレク。どうやら僕は二周目の巡礼に行くことになりそうなんだ。どうか、僕と一緒に来てくれないか」

「おう、任せろ」

 今日一番の元気の良い即答。

 それはきっと、言葉の意味を遥かに通り越して、二人だけの大事な大事な気持ちの確かめ合いの行為だった。

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