第10話

 アレックスの到着の後、しばらくして馬を曳いた五人の男たちが町へとたどり着いた。馬に繋いだそりには山のような荷が積まれていた。

 彼らはアレックスと打ち合わせながらてきぱきと荷を展開し、弱っている者への手当を始める。

 アレックスが単身で戻って来るとは思っていなかったものの、まさかここまで大人数で荷を運んでくるとも思っていなかった。

 言葉の使い方が、これまで巡礼をしてきたとある国の人間のものに近い気がした。

「……もしかして、シュ」

 荷解きの光景を眺めながらそこまで口にしたところで、アレックスの指がユリウスの唇をつついた。

「どこでもいいだろ」

 それから、アレックスの温かい手がユリウスの視界を塞ぐ。そのまま抱き込まれ、しゃがんだ彼の膝に乗るかたちで寄りかかる。

「休んでろ」

「――分かった。だが、鐘を鳴らして皆を呼んでくれ。家で過ごしている人もいるんだ。隅の家にも聞こえるようにちゃんと鳴らしてくれ。十四人が来るはずなのだが、もし人数が足りなければ直に家を――」

「寝ろ、ばか。全部こっちでやってやる。死にそうな顔しやがって」

「は、ひどい顔だろう」

 すると即答が返ってくる。

「この世の誰よりもきれいだよ」

「……っ」

「頼むから、休んでくれ」

 まるで愛を請うような声。

 そんな風に言われたら眠れなくなってしまうよ。そう言おうと思ったのに、アレックスの掌の熱が優しくて、腕から伝わえる熱が心地よくて。ユリウスの意識はいつの間にか、沈み込むように落ちていった。



 気が抜けてしまったユリウスは、それから丸一日眠りこけてしまった。

 何日ぶりか分からないすっきりしすぎた目覚めをして飛び起きて、その頃にはすっかり食糧の配給体制が整っていた。燃料も長く燃える炭に取り替えられている。

 燃やしていたはずの枯れた神樹と、何度も煮出してスープにしていた若木は、どこか見えないところに片付けてくれたようだった。

 五人いたはずの男たちは、ユーリが気づいたころには一人だけになっていた。

 今もてきぱきと振る舞うその人物を眺めながら、その一人に差し出された胃袋に優しい朝餉をぼんやりと口にしていると、隣にどっかとアレックスが掛けてきた。

「あいつらは訳ありでな、早めに帰らねえといけないやつがいるんだ」

「……彼らは、シュレーフェンの騎士なのか」

 ユリウスが小さく口にすると、アレックスは口の端を上げて笑い、肯定の意を示した。

「一番、確実だと思ったんだ」

 そうして、アレックスはユリウスにだけ聞こえる声で、彼の方の物語を口にした。



 ――少ない路銀と下っ端の神官の書状。それだけで何人、何十人もの飢えた者たちを救わねばならない。

 バーテムの王都。本国エスレーヤ、レピエステ。色々な選択肢の中で、アレックスが選んだのは、ユリウス達に少なからず借りのある、バーテムの南東にあるシュレーフェン王国だった。

 国境まで来ると、雪も浅い。関所で止められるついでに、アレックスは衛士にユリウスの書状を叩きつけた。

「俺はてめェらの王様の恩人だ。いいからこれ持って王城へ行け」

 訝る彼らを恫喝叱咤して追いやり、アレックスは関所でひたすら待った。アレクの剣幕に負けた早馬が行ったはずにもかかわらず何日経っても返答がない。しびれを切らしたアレックスが押し通って手当たり次第に食糧を確保してしまおうかと思い始めたところで、山のような荷を携えた騎士が到着したのだ。

「我が王の厳命により、大恩あるアレックス殿、ユリウス殿をお助けすべく参じました」

 アレックスは一人で戻るつもりだったが、あまりの物量で彼らの手を借りることとなった。

 その面子でバーテム側の関所を抜けるのが厭わしく、騎士たちを連れてアレックスは山を一つ越えた先の、巡礼の際にも確認したことのある抜け道を通って、できるだけ急いでここまで戻ってきたのだという。



「君の方も、苦労したんだな……済まない」

「お前ェが謝る必要がどこにあるんだよ。謝らなきゃならんのは俺の方だ。待たせて、本当に悪かった」

 言いながら、アレックスは骨ばった指でユリウスの薄くなった頬を優しく撫でる。

「しかし……裏手のあれは、随分と思い切ったな。歩けるようになったここの神官があれをみてぶっ倒れたぞ」

 その様子が目に浮かぶようだった。ユリウスは少し俯いて、告解するかのように呟く。

「あの方には心労をかけ続けて、申し訳ないとは思っている……」

「確か……神樹を傷つけると、怒られるんだろ」

 ユリウスは苦渋の表情をして頷く。

 膏薬の材料として専門の係が栽培し、所定の祈祷を済ませた上で葉を収穫することや、地域の祈りにより果樹になった神樹から果実を収穫することはある。

 その他、枯れた神樹も祈祷の末に片付けられることもあるが、自ら切り倒し火にくべ、あろうことか植えたばかりの若木を食用に用いたのはおそらくユリウスただ一人しかやったことのない凶行だった。

「そうだな……元老に何を言われるか。これ以上ガイエル様に迷惑はかけたくないのだけれど……」

「ま、俺も一緒に怒られてやるよ。見ようによってはお前以上にやべェことをやっちまったしな」

 無断で複数の騎士を引き連れて国境を越える。下手をすると戦の火種になりかねない行動である。事情をきっちりと説明できれば収まるとは思われるが、それよりもバレないうちに撤収してしまう方が確実だった。

 恐らく、荷を置いた彼らはうっかり迷い込んだ猟師のふりでもしながら抜け道を通って帰国するのだろう。

 一人残った男はアレックスと同じくらいの年頃の男で、名をグイドといった。大柄で真面目そうな容貌をしていたが、ニコニコ笑って半ば無理やり籠絡したユリウスなどよりもすでにしっかりと町の人々に馴染んでいるようだった。

「食ったらもっかい寝とけ。」

「そういうわけには」

「いいから」

 食事を終えたユリウスから匙を取り上げ、アレックスは自身の外套でぐるぐるとユリウスをくるんだ。そのままひょいと横抱きに抱え、礼拝堂の壁際にすとんと下ろす。

 顔の半分くらいまでを外套に覆われてしまったユリウスは起き上がろうとするが、それよりも先にアレックスがさらにそれを引き上げ、ユリウスの視界が覆われてしまう。

「おいガキ、こいつが勝手に働かねェように見張ってろ」

「……わかった」

 アレックスの呼びかける声と、おそらく近くにいたラウルの返事。

「いい子で寝てろ」

 その声を最後に、アレックスの足音が遠ざかる。

 ユリウスは見えないままで、アレックスの様子を耳で追う。グイドと何やら会話をして、外に出て行ったようだった。

 アレックスの気配が消えると、ユリウスの意識は内側に向き始める。

 自分のやったことが正しいことだったのか。あんなことをせずともなんとか食いつないで待っていただけでも助けが来て、ディアンが気に病んだりしないで済んだのではないか。

 もっと正しく、もっとうまくできたのではないか――心の底に、そんなしこりが生じはじめる。考える暇もなく懸命に動いてきたつもりだが、もっと考えて行動した方が良かったのではないか――ぐるぐると思考がうずまき、指先からじんわりと冷気が染み込んでくる気がした。

「……!」

 ふいに、外套を被らされたユリウスの横に何者かが座った。ためらいがちに寄り添い、やがて静かになる。

 ラウルなのだろう。背が触れる形となり、そこからじんわりと暖かさが滲んでくる。

 外套にしみついたアレックスの匂いと、背のぬくもりがひたすらに優しかった。ユリウスは少しだけ涙を滲ませてから、目を閉じた。


 ◆


 十日ほどを要して、町は何とか持ち直した。

 吹雪もやんで、曇っていても明るい日が増えてきた。未だ春の気配が感じられないものの、待っていれば必ず訪れるであろう予感だけはあった。

 ユリウス達は町を去ることとなった。雪が深いうちに、痕跡が消せるうちに出るべきと判断したためだ。

 大量の保存食などを倉庫代わりになってしまった礼拝堂に置いて、その管理をディアンに任せた。そしてユリウスとアレックス、グイド、そしてユリウスの見習いとしてラウルを加えて、四人でシュレーフェンを経由してから聖都へと帰る予定だった。

「ひどいものを見せてしまって申し訳ない。また来ます。ちゃんと、植樹しましょう」

 去り際のユリウスがディアンに向かってそう言うと、しかし彼は口を真横に結んで、黙って一礼をしただけだった。

 神樹のことで詰め寄られなかっただけでも良かったというものだ。ユリウスは指を組んで彼よりも深く深く礼をして、すっかり埋められた礼拝堂の中央、神樹の植わっていた跡にも心中で詫びてから、先に出ているアレックス達を追うためにその場を去った。



「行きましょう。先導します」

 グイドが先頭で根雪を掻き分け、道を作る。ユリウスとラウルが続き、殿をアレックスが進む。

 滋養と休息の足りた今、改めて見渡すと、雪原はただひたすらに美しい。つい先日まで、誰も見えない地平がどれだけの絶望をもたらしたことか。

 一人でいることが、どれだけ心細かったか。そして、アレックスがいる今、ただそれだけでもユリウスの身中にはどんなに幸甚に満ちていることか――そんなことを噛み締めながら、ユリウスはまとわりつく雪の隙間を泳ぐように進む。

 アレックスの背後から声がしたのは、そんなときだった。

「おい、歩けるか?」

 ありあわせの旅装で雪行に臨むことになったラウルの心配なのかと思い、ユリウスが振り返って手を差し出す。

「大丈夫かい? 一緒にいこう」

 とたん、さらに剣呑な言葉が飛んでくる。

「ガキはいいんだよ、勝手についてこい。俺ぁお前に言ってんだ」

 思わず足を止めるユリウス。並んだ少年の肩を持って、後ろから来るアレックスに抗議する。

「そういう言い方はどうかと思う。ラウルはいい子だ」

「は? お前ェこいつに唾吐かれたの覚えてねェのか。俺だったら五発くらい殴ってやらんと気がすまねえ」

「あの……お三方、進みますよ」

 険悪になりそうなところで、前方からグイドの声。ユリウスはラウルの背を押しながら、再び歩き始める。

「はあい。ほら、行って」

「……ま、元気そうだな」

 横まで来たアレックスが、上から覗き込んでくる。僅かな晴れ間を背に、赤い騎士が間近にいる。ユリウスは万感の思いを込めて破顔する。

「君のおかげでね」

「……じゃあいい」

 アレックスは照れ隠しのように、ラウル少年に向かって殴るのは帰ってからにしてやるなどと嘯いた。

 ――ちなみに、結局その後四十年経っても、その宣言が実行されることはなかった。

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