第7話

 神官ユリウスと神殿騎士アレックス。二人は事情があり、大陸巡礼を二度も行った。

 巡礼とは、地底樹アルカラルの神威を受けた苗木を大陸の各地に植樹して回る活動のことだった。高位の神官になるためには大陸中の聖堂、分院、各都市に植樹し祈祷を捧げることが必要となる。

 そうやって植えられた神樹はその土地に馴染み成長し、やがて地に根を伸ばしてゆき、地底樹の神威を地上へともたらす荘厳な導となるのだ。

 自らの足で苗木を運び続けるその行程はひたすらに長く、遠い。たとえ巡礼を半ばで断念することがあろうとも、それを笑う者は居ない。だが、やり遂げた者への評価はひたすらに高くなる。



 四十余年ほど前のこと。

 ジギスムント王子の一件が片付いた後、ガイエルとユリウスはアルカラル大聖堂へと帰参した。負傷から復帰したアレックスも、いささか慣れない視界ながらも彼らの護衛として同道した。

 ガイエルの推挙により、アレックスは神殿騎士として任命されることとなった。

 神殿騎士は本来幼齢期に洗礼を受けて研鑽を積んだ者が養成校へと上がり、そこでさらに騎士としての技能や心構えを磨いた上で任命されるものである。すでに成人のアレックスがなろうと思っても、すぐに認められるものではない。どういった手段を用いたのか、結局ガイエルはアレックスたちに教えてくれることはなかった。

 ともあれ、神官として、神殿騎士としての第一歩、大陸巡礼を二人はともに踏み出したのだった。



 苗木を収めた荷箱を分け合って背負い、二人は何年もかけて大陸中を巡った。

 一度は通い合った気がした心も、常に共に暮らしているとやはりすれ違うこともぶつかることも多かった。

 たくさん喧嘩をした。たくさん仲直りもした。アレックスの眼帯をした左目を見るたびに負い目を感じて弱気になっていたユリウスを、アレックスはわざとからかって怒らせたりもした。

 もちろん、巡礼の本懐たる苗木の植樹もたくさん行った。

 南のミノス、東のシュレーフェン、北のラセイネ――そして、最北のバーテム。

 一度に持ち出せる苗木には限りがある。何年もかけて各地を目指し、植樹を全て終えたらレピエステの大聖堂へと戻り、再び苗木を抱えて次の目的地へと向かうのだ。

 当初はガイエルが心配するほど噛み合わなかった二人は、いつしかぴたりと噛み合い、最初からこうだったと思えるほどに寄り添えるようになっていた。

 火の山を共に見上げた。遠くから見るだけでもやけどしそうなほどの、大山からとめどなく漏れ出す神威に、ただただ圧倒された。

 穏やかな海を共に泳いだ。正確には躊躇っていたユリウスをアレックスが海面に放り投げた。もちろん一悶着あった。仲直りするまでに二晩ほどかかった。

 湖は――アレックスがふざけて海だと騙したために勘違いしたユリウスが植樹の際に人前で滔々と海にまつわる壮大な祝詞を捧げてしまった後にそれが発覚し、それはもう盛大に喧嘩をした。

 このときの仲直りまでの期間は三週間。恐らく最長だった。「よく見りゃ海と違うって分かるだろうが」と言い訳するアレックスに、ユリウスは半ば泣きながら「君の言う事だから信じたのに」と言い返した。流石に罪悪感が強まったのか、しばらくアレックスが詫び続けて何とか機嫌を持ち直すに至った。

 ミノスのある街では、二人が訪れたときにちょうど祭が開催されていた。祭の最終日には、未婚の男女がとある花に言葉にできない想いを託し、想い人に渡す風習があった。

 それを知らないふりをして、アレックスはユリウスに白く可憐なその花を渡した。

 ユリウスはその花を受け取った。雪のように白いそれを見て、嬉しそうに微笑んだ。彼が風習のことを知っているかどうかは、敢えて明らかにさせなかった。

 巡礼の道のりの中。「アレク」「ユーリ」と呼び合うようになり、たくさんの会話を交わした。郷里のこと、家族のこと。アレックスが驚いたのは、ユリウスがけしておきれいで恵まれた家の出ではないということだった。ガイエルに手を差し伸べられるまでの暮らしのことを、ユリウスはぽつりぽつりと断片的にしか語らなかった。アレックスも、それ以上詳しく聞き出そうとは思わなかった。ただ、これから何倍も、何十倍も楽しい思い出を作ってやりたいなと強く思った。

 そうして、いつしか二人の間には信頼を、友愛を越えた何かが生じつつあった。

 それでも、ユリウスはあくまで神官だった。アレックスの左目を癒やすための秘蹟を密やかに願っていた。教典を忠実に守り、できるだけ多くの苗木を各地へと運び、植樹した。

 傍らのアレックスが自分を見る眼差しが僅かに熱を帯びていることに、ユリウスは気づかないふりをした。

 そうして、二人は十年ほどをかけて主だった巡礼先への植樹を済ませた。

 そうして残るは最北の国、バーテム。温暖なエスレーヤとは全く違った環境をした、白く、厳しい国だった。


 ◆


 バーテムへの巡礼は夏季を推奨される。冬の寒気が厳しいため、植樹には向かないためだった。

 だが、ユリウスは前の巡礼から戻ってすぐ、冬の間にバーテムへの巡礼へ向かうことを決めた。

 大恩あるガイエルの体調が思わしくないため、神官長への昇任を急ぎたかったのだ。

 病床のガイエルの傍についていたいという気持ちもあったが、それよりも、神官として立派になって孝行すべきだというアレックスの助言を受け入れた。

 


 大陸の最北端の国、バーテムへ。レピエステを発ってから国境にたどり着くまでにも冬はどんどん深くなり、ちらつく程度なら美しく思える雪が、次第に二人の行く手を遮り始めた。

 どれだけ装備を整えても、それに勝る寒気が人間の熱を奪っていく。

 だが、こんな環境にこそ地底樹の神威が必要なのも確かだった。

 二人は雪の中を懸命に進み、巡礼を進めていった。手はかじかみ足は熱を失い、それでも二人は歩みを止めなかった。

 どれだけ過酷な道中でも、二人でいれば乗り越えられた。熱を分け合うように寄り添って休むだけで、全身に充足感が満ちた。

 凍った土地を手で掘り下げて、神樹の苗木を託す。普通の植物であればひとたまりもない環境であっても、神樹は芽吹き、育っていく。人々の祈りがその成長を後押ししていくのだ。

 神樹を植えた周辺は、神威次第にはなるが他の植物も育ちやすい土壌となる。酷寒の地であってもそれは変わらない。

 そのためユリウスたちは各地で歓迎された。バーテムでは地底樹信仰がそれほど盛んではない。だがこうして神樹を携えて自分の手を土で汚しながら神樹を植える美しい神官のことを、わざわざ悪く思う者は居なかった。

 出会った頃にはひどく潔癖で偏屈だったユリウスだが、大陸中を巡るうちに心に余裕が出てきたのか、高潔さは変わらないままに、したたかなところも出始めた。自身の見目が物事を優位に運ぶ道具になりうると気づいてしまったのだ。

 気高く清らかにあるべしと教典に記されているとはいえ、大陸の全ての人間が同じように考え、神官の意向を尊重してくれるわけではない。ユリウスは大人になって、相手次第で出方を変えることを覚えた。そして手段の一つとして、にっこり微笑んで相手を籠絡するという、とんでもない武器を編み出してしまったのだ。

 そのせいもあり、道中、ユリウスに懸想する輩もしばしば出現した。アレックスは物取りだの山賊だのの物理的な護衛の他にも厄介な仕事が増えてしまったものだった。



 そうして雪の美しさも恐ろしさも十分すぎるほど味わって、ユリウスとアレックスは残り一株となった苗木を大事に背負いながら、巡礼最後の場所となる町を目指した。 

 バーテムの東のとある小さな町を訪れたときに、事件は起こった。

 町の名は、メイナス。

 そこは、現在大聖堂にて青の大神官を務めているイオナスがかつての巡礼の際に、神樹を植樹したことのある町だった。

 植樹を祈念するために小さな礼拝所が設けられており、一人の神官が務めていた。

 正式な分院は一つしかないバーテムだが、こうして苗木を植えた町には小さな礼拝所はいくつか設けられていた。

 寒さがつかの間緩み、雲の合間から太陽がほんの少しだけ顔を出している日だった。ユリウス達が予告をせずに訪れたため、彼はひどく慌ててしまっていた。

「つ、使いをよこしてくださればお迎えする準備をしましたのに」

 神官の名はディアンといった。年は四十ほどだろうか、ひどく痩せて顔色の悪い男だった。

「お構いなく。我々は歓待を受けるために巡礼しているわけはありません。

 しかし、この町は……どうかされたのですか」

 メイナスについてすぐに、ユリウスたちは礼拝所を目指したが、その途中で見かけた町中の様子は、他の町に比べて随分と生気が欠けているように見えた。

 石塀で囲まれた町は、太陽に照らされてもなお、どこか薄暗い様子だった。人の気配も無く、どの家も戸を閉め切っている。

 冬の寒さを凌ぐためであればもちろん不思議ではない状況ではあったが、これまで巡ってきた町はどこもそれなりに活気があった。日中から景気づけに酒をかっくらった男たちが一所に集い、妙な熱気の中で大騒ぎしたり、夏の間に蓄えた食糧や薪を大事に使いながらも、農具の手入れをし、手仕事をこなし、前向きに過ごしたりしていた。

 そういった、次の季節への希望のようなものが、この町には見られないのだ。

 ディアンが歯切れ悪そうに答えた。

「流行り病が通り過ぎまして……いえ、もう収まったのですが、冬の蓄えができずじまいでして」

「それは……ご苦労されたことでしょう」

 ユリウスが隣のアレックスに目配せして、当面の食糧として持ってきていた荷物を開くと、ディアンは目の色を変えてそれを受け取った。

 その後、植樹にあたってひとまずイオナス大神官の植えた神樹の場所を尋ねると、ディアンは再びおどおどと怪しい素振りを見せ始める。

「あ、あの、神樹はこちらなのですが、その……」

「どうかされたのですか」

「いえ……あのう……どうか、驚かないでいただきたく……実はですね……」

 そんなことを言いながら、ディアンはいつまでもうだうだとその場を動こうとしなかった。

「で、場所は?」

 しびれを切らしたアレックスに睨まれ、ようやく観念して、二人を伴って礼拝堂の裏手、石塀に囲まれた小さな庭のような場所へと向かった。

 ろくに雪を払っていないそこで、ユリウスは絶句し、立ち尽くした。

「これは……」

 神樹が、枯れていた。

 植えてから十年ほどが経過して、礼拝堂の屋根に届くほどの高さになっているそれは、しかし一枚の葉も戴いていなかった。

 雪深い地域によく生えている、真っすぐで背の高い、尖った形になる樹木によく似ているようだが、葉がないためはっきりと特定はできない。

「いえ、枯れているわけではないのです、春になれば、そこ……そう、その枝の先に新芽が出ます、ほら、ちゃんと新芽が」

 そう言って神官の男が指した先にある小さな瘤は、残念ながら新芽のようには見えなかった。

 この様子では、少なくとも枯れたから一年以上は経っていると思われた。以前にガイエルやジギスムントとともに訪問したシュレーフェンの小さな村と同じく、高位の神官の植樹を枯らしてしまったために再度の植樹の依頼を出しづらかったのか、もしくは流行り病の対応に追われているうちに祈りも手入れもできずに加護が薄れていったのか――だが、それを詰問したところで状況が改善するわけではない。

 ユリウスの表情で、言い訳が通じないことを悟ったのだろう。ディアンは今度はやけに姿勢を低くして、囁くように声を発した。

「ど、どうかこのことは聖都にはご内密に……」

 あまりに必死なその形相に圧され、ユリウスは仕方無しに小さく頷いて見せることしかできなかった。



 礼拝堂には宿坊が無く、ディアン一人が何とか休める程度の場所しかないとのことなので、ユリウスたちはひとまず宿にできる家を聞いて、そこを訪ねることにした。

 町の顔役は病で没しており、そのせいで他の町ともうまく融通がつけられなかったのだという。無事に生き残った者だけでなんとか立て直そうとしているとのことだったが、他の町に助けを呼ぼうにも、メイナスの者だと知られると、流行り病のこともあって門戸を閉ざされてしまうのだという。

 ユリウスは眉根を寄せる。一つ前に訪れた町にて次の目的地であるここの名を告げたところ、神官の代わりに神樹の世話をしている顔役の老婦人にあまり良い顔をされなかったのだ。はっきりと言葉にされたわけではなかったので気にせずにこうして訪れたのだが。

「随分と切羽詰まった状況じゃねえか」

「うん……」

 道すがら、いくつか雪の重みに負けて崩れ落ちた家があった。バーテムの雪深い地方では屋内で火を焚けば雪が滑り落ちるような傾斜のある屋根の家が多く、このメイナスでも同じような形をしていたものの、恐らく病で家の者が亡くなり、雪が積もる一方になってしまったのだろう。

 きっと一年前までは人の営みがあったはずの、無惨に崩れた家。ユーリが心中で祈りを捧げながら通りすぎた、そのとき。

 突然、横から何者かが飛び出してきた。

「うぁ……、」

 どん、と横っ腹に体当たりされて、ユリウスは柔らかい雪に投げ出される。

 状況を確認するまもなく、何者かが覆いかぶさってきて乱暴な手がユリウスの懐を弄ってきた。

「ユーリ!」

 すぐさま、アレックスがそれを引き剥がす。よほど力を込めたのだろう、雪を踏み固めた簡易の道の反対側に闖入者は簡単に投げ飛ばされた。

「大丈夫か」

 言いつつも、アレックスは振り返らない。いつでも抜剣できるように身構えて、その人物を睨みつける。

「ああ……僕は平気だ。それより……」

 何とか立ち上がったユリウスは、アレックスの腕に手を添え、剣から手を離させる。投げ飛ばされた人物が何者か分かったからだ。

 ユリウスは雪を払ってから、その人影の傍に身を屈めた。

「お金か……もしかして、食べ物が、ほしいのかい?」

「…………」

 真っ黒な髪と、真っ黒な目をした少年だった。十代の半ばほどだろうか、その瞳は夜よりも昏く、まるで果てしない闇がその身の内側に広がっているようだった。

「済まない。今はこれだけしか」

 そう言ってユリウスが手持ちの路銀を差し出したところ、少年は、それをひったくるように奪った。

 そして――空になったユリウスの掌に唾を吐きかけた。

「――っ」

 流石に驚いて硬直してしまったユリウスの前で、少年は素早く立ち上がり、通りの角を曲がって走り去ってしまった。

「おいコラ、」

 気色ばんだアレックスが少年を追おうとするのを、ユリウスは何とか制止する。

「いや……いい、大丈夫だ」

 吐き捨てられた唾には、血が混じっていた。アレックスがすぐさまそこらの雪をひと掬いもってきて、ごしごしと拭う。

「まさか、流行り病の」

「いや……これは」

 かつての、自らの体験により心当たりのあるユリウスは、沈痛そうに顔を歪め、少年の逃げ去った方向を見やる。

 雪の冷たさはさほど気にならなかった。ユリウスは拭った掌に目を落とし、躊躇いがちに呟く。

「これは……多分、飢えて、木とか石とか――木の根を無理に噛んでいるときの、口の中が切れて血が滲んだ唾だよ。もしかしたら、殴られてこうなったのかもしれないし……」

「……そういや、随分軽かったな」

 少年を片手で投げ飛ばしたアレックスが、その手を見ながら言った。

「まだ、走る気概があるようだけれど……でも、心配だ」

 その後、二人は来客を泊めてくれる家を訪問し、滞在を願い出た。

 当座の顔役を任せられているというその老人は、ユリウスたちを疲れたような笑顔で迎え入れてくれた。

 その家にもほとんど食糧は無いようだった。礼拝堂にてディアンがユリウスたちの提供した食糧を見て目の色を変えた理由を、ようやく悟る。

 ――雪に閉ざされつつあるこの町に、飢えと滅びが少しずつ満ち始めていた。

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