第6話
「ほぇ~……もう騎士とお姫様の恋愛譚じゃないっすか」
「だってよ、お姫様」
おとぎ話を聞き終えた子どものような目をしているルジェと、ニヤニヤとユリウスに笑いかけてくるアレックス。ユリウスは手を払ってその眼差しを散らす。
「こんなお爺ちゃんにお姫様などとやめておくれ」
「爺じゃねえだろ、今は」
「中身はどうしようもない爺だろう、お互い」
「そりゃそうだわな」
「――それで、その放逐された王子様って、今も分院にいるんですか? それともこちらに……?」
まさかラウル様が!? などとルジェの推測がとんでもない方向へ飛躍し始めたため、アレックスが仕方無しに訂正する。
「その2年後にはシュレーフェンに舞い戻って、王様になっちまったよ」
「うへ」
ユリウスが膏薬を片付けながら話を継いだ。
「元々神官になるつもりなど無かったのだろうね。エスレーヤで再び手勢を整えて、王位を簒奪してしまった。賢王ジーク二世だよ。十年ほど前に王太子殿下に譲位されたのだったかな?」
「どうだっけか。もう覚えてねえなあ」
さらにややこしいのはその後、後年の話である。
ジギスムントが王位を狙うにあたり、血縁のあるエスレーヤ王家の後ろ盾があった。当時はそのまま王の即位を祝して国家間に和やかな交流があったものの、世代も代わり、今のエスレーヤ王家にはジギスムント王に近い血縁は居ない。
そして賢王の治世のもとで産業の充実を図り、今となってはシュレーフェンの方が豊かで国力もある状態になっており、エスレーヤ側としては次第に脅威と化してくる。
そんな中、アルカラル大聖堂に所属しており、シュレーフェン国王に少なからず貸しのある白の大神官の扱いについても困ってくるというわけだった。ユリウスを取り巻く状況は、秘蹟がなくとも日に日に悪化していく一方だったのだ。
ふと何かに気づいたルジェが口を開く。
「そういえば、合言葉って何だったんですか」
「そんなものは無えんだな、これが」
「あらま」
ユリウスが苦笑する。
「はったりとか、でまかせとか……元々そういった権謀術数の世界で生き抜く覚悟をしていた方だった。そんな方に向かって神官のお勤めを説いてしまったよ。今思えば不敬にも程がある」
「何言ってんだよ、かっこよかったぜ。賢王に啖呵を切る小坊主」
「もう、恥ずかしい。忘れてくれ」
すごい、かっこいい。素晴らしい勇気、神官の鑑などとなおもわざとらしく讃美を続けようとするアレックスから逃れるように、ユリウスは身動ぎをする。
「結局どんな話もお二人の惚気に終着しちゃうんだなあ」
呆れ半分のルジェの言葉に反論する者は誰もいなかった。
◆
神樹祭から五日が経過して、当初の混乱は収まってきたものの、逆に秘蹟の話はどんどんと広まっていくところだった。
アルカラル大聖堂には秘蹟の残滓を求めるかのようにひっきりなしに信徒が訪れ、神樹を育む光と水に祈りを捧げていく。春の尖塔、崩落したバルコニーの近くで萌芽した神樹の若木も祈りの場所と化しており、補修が済んでおらず安全が保証できないため、警備の神殿騎士が苦慮しているところだった。
そんな中で、本来最も渦中にあるはずのユリウスとアレックスは、むしろ疎外されがちになっていた。
法王補典によれば以前に神樹の秘蹟が起こったのは百年前。当時の法王が死病の貴人を癒やして見せたのだという。
高所から転落してもふわりと浮き上がり、挙句の果てに若返った姿になったという秘蹟はどれだけ遡っても前例が無かった。
聖堂内部では、元老会と同じく、どう扱って良いのか決めあぐねている者が多いようだった。
とはいえ、ユリウスに関しては元より妙に熱量のある信奉者が多かったのだが、大聖堂に戻ってきたユリウスに対しての彼らの反応は、喜ぶ者、困惑する者、極めつけに『美しく老いた貴方が好きだったのに』と失望するものまで様々だった。
なお、一方のアレックスはというと――
「すごいっすよ。毎日暴れ回ってるっす」
ぼろぼろでぺそぺそのルジェがくたびれた声で言う。
「信徒の整理もあるし警備もあるし団長が心労で死にそうっすよ」
「……」
ユリウスの僧坊にて。訪ねてきたルジェの陳情で、ユリウスは額に手を当てて沈痛の表情をする。
老いてもなお頑強な騎士であったアレックスだが、やはり加齢で思い通りに身体が動かなくなってきていたのは確かだった。周囲には見せていなかったものの、老いに対する不安と鬱屈が無いといえば嘘になる。ユリウスもそれは同じで、一緒に老いるのだからできることをして生きていこうなどと慰めあっていたものだが――
こうして秘蹟によって若い身体に戻ったことでその鬱屈が一気に弾けたのだろう。毎日神殿騎士の詰め所に乗り込んで好き放題稽古をつけているとのことだった。
「仕方ない。少し相手をしてやらないといかんか。
ルジェ君。もう少ししたらアレクをここに呼んでおいてくれるかい」
「了解す。今すぐじゃなくていいんすか?」
ユリウスは静かに立ち上がる。入口に向かって歩きながら、少しだけ低い声で呟いた。
「少し――カリストに用があってね」
◆
「ご多忙のため、法王猊下にお会いすることは叶いません」
「……今は礼拝も無い時間だと思うのだけれど」
法王の間の扉の前にて。ユリウスは神殿騎士に通せんぼを食らっていた。
「日を改めてお越しください」
「もう三度も改めているのだけど」
「再度お改め下さい」
真面目そうな神殿騎士。アレックスの対極のような実直そうな面持ちの彼らにどれだけ談判しても埒が明かないことは確実だった。
ユリウスは少しだけ口を尖らせて嘆息してから、大きく息を吸った。そして、
「カリスト。まだ根に持っているのかい。バーテムのこと」
扉越しに大声で中の法王カリストへと呼びかける。両脇の騎士がぎょっとして身構える。ユリウスをなんとかして引き下がらせようと迫ろうとしたところで――
「……入りなさい」
中からくぐもった声がした。法王のものだった。
騎士たちが目配せをした後、不本意であることを隠そうとしない顔をして謁見の間の扉をゆっくりと押し開いた。
法王の謁見の間。中庭に面した天井の高い部屋だった。採光窓には美しい硝子がはめ込まれており、春の光を受けて煌めいている。
部屋の奥、簡素ではあるが確かな歴史を感じさせる法王座がある。カリストはそこに落ち着いた様子で座していた。
ユリウスは彼の傍まで行ってから、神官としての最敬礼をして顔を上げる。
「法王猊下。そんなに僕に会いたくなかったのか」
「……そうではない」
「では、どこかに間諜でもいるのかい?」
少し大きい声で宣言してから背後を振り向くと、ちょうど洗礼のための水盆を抱えた若い神官が通りかかったところだった。後ろめたいところでもあったのか、ユリウスと目があった彼はそそくさと去っていく。
「……物事を搦め手で進めるのを止めてくれ」
法王カリストはユリウスとほぼ同期の神官だった。神官であるため切磋琢磨するような技能があるわけではないが、お互いに神官として高位へ上り詰めていく中で思うところはあった。
ちなみに法王に即位する前は亡きガイエルの後任として黒の大神官を務めていた。法王になる気はなかったものの黒の大神官への強すぎる憧れを抱いていたユリウスは、実のところ、この件についてはそこそこ根に持っている。
図らずも人払いが済んだところで、法王カリストは少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「カリスト。怪我はないか?」
「お陰様でな。君こそ……」
「こちらも怪我はないよ。こんな有り様だが」
「…………」
ユリウスが自身の姿を示しておどけてみせると、しかし法王は逆に沈痛な面持ちをする。
「私を庇ったために、そのような……」
「いいよ。とにかく、無事の確認だけしたかったんだ。事故なら、仕方がない」
「あれは――事故だったのだろうか」
「む?」
カリストの絞り出すような声。ユリウスは息を呑む。
「調査結果が上がってきている……バルコニー両脇の神樹の根が成長し隙間に食い込んだための崩落とされているが、先人の組み上げたあの石組みが簡単に崩れるとは思えん。何者かが楔でも打ち込まないかぎりは……」
「ふむ……」
人為的なものだとすると、とてもおぞましい推論が浮かぶ。あのときバルコニーに居た誰かを、特に法王を害そうとした者がいたということになる。
否定する材料を用意できなかったユリウスはカリストに同調して唸ることしかできなかった。
「――とにかく、用心を」
「分かった。君こそ気をつけてくれ。僕にできることがあれば、何なりと申し付けてほしい」
「その身体に、まだ慣れていないのではないか。療養はもういいのか?」
法王の気遣わしげな眼差しに、ユリウスはふふんと得意げに笑ってみせる。
「すごいぞ。朝、起きてもめまいがしない。それに指が自由に動く。背中も痛くないし、夜になっても目も霞まない。夜空がとてもきれいに見える」
「……それは、羨ましいな」
厳格にして実直と誉れ高い法王カリストは、ようやく相好を崩して笑みを見せた。だが、すぐさま表情を引き締め、宣言する。
「追って沙汰を下す。それまで、蟄居を」
すでに、人の気配があったのだ。何者かが自分達の様子を伺っている。
法王の間は任命されている神官ならば自由に出入りができる。その中に何者からか――具体的には元老からの命を受けて様子を探っている者がいてもおかしくはない。
ユリウスも大人しく頭を垂れ、応答する。
「拝命いたしました」
謁見の際は扉を開け放ったままで行うため、扉の向こうに騎士も控えている。
カリストが口を噤んだのを確認してから、ユリウスは踵を返す。
「また来るよ」
「蟄居を命じたはずだが……」
呆れの滲む声を背に受けながらユリウスは肩越しにひらひらと手を振って見せてから法王の間を退出する。
扉を抜けると両脇の騎士が今度こそとばかりにずいと身を乗り出してくるが、ユリウスは毅然と声を発する。
「下がりなさい。白の大神官に向かって拳を上げる気ですか」
「――っ」
途端、騎士たちは硬直する。
だてに二十余年も大神官を務めているわけではない。
その横をすいすいと通り抜け、中庭を囲む二階の回廊を進みながら、ユリウスはひとり、決意を新たにする。
せっかくこんな身体になったのだからやりたいことはたくさんある。前例の無い秘蹟。いつまでこのような姿で居られるか分からないのだ。特にアレックスにしてあげたいことも、アレックスにしてほしいことも、たくさんある。
それでも――自分はあくまで神官なのだ。地底樹に祈りを捧げ、法王に仕える身なのだ。
神官としての務めを全うせねばならない。そのために自分にできることを尽くさねばならない。
固く決意したところで、自分の僧坊にたどり着く。
扉を開けたその先では――
「うっは、まじっすか。本当にユリウス様がそんなアホなことしたんすか」
「俺が嘘を言うとでも思ってんのか」
――騎士見習いの青年と自分の連れ合いが、腹を抱えて笑い転げているところだった。
一人勝手に抱いていた悲壮感が、霧散する。
ユリウスは苦笑し、腰に手を当てて怒っているような姿勢になる。
「何だい君たち。僕の悪口で盛り上がっていたのかい」
「お前ェが海と湖を間違えて勝手に感動してたときの思い出話だよ」
ガハハと笑うアレックスには悪びれる様子はない。
「……人の間違いをあげつらって笑い者にしてはいけないと習わなかったのかね。無礼が服を着て歩いているようだ。それも、二人もだ」
言いつつも、ユリウスとて本当に気分を害したわけではない。この二人の大人気ないやり取りに何度救われたことか。
「話の途中ってだけだぜ。今シュレーベ湖のあたりだ」
「何周目?」
「一周目」
「それもそうか。間違えたのは一周目の話だな……」
ユリウスの簡素な僧坊は、騎士の青年が二人も入るとそれだけで窮屈に見える。どうせ話はまだ続くのだろう。ユリウスは何とか居場所を確保して、腰を下ろした。
「え、何周目ってことは、お二人ってもしかして」
ルジェの抱いた疑問に、ユリウスとアレックスは揃って頷く。
「僕らは二周したんだよ。巡礼」
「わぁ……まじっすか」
ルジェの素っ頓狂な声が、再度僧坊に響いた。
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