第15話 逃避行
まるでジェットコースターだった。
走るヒカリの肩へ担がれそのまま逃走した僕達。乱立する林の木々を正確に避け、彼女の足は止まることなく進み続けた。
時に地面、時に幹に。縦横無尽に林や田畑走り抜ける。肩に担がれ揺れるだけの僕はただ耐えるだけであった。それは、大しけの時に船に乗っているのと同じようであった。
上下に激しく、時に左右に。時折空高く飛び上がり、ああ、そうかコレがあの時の――――。
そう思っていると、いつの間にか目的地にたどり着いたようだった。
「とりあえず、ここまでくれば大丈夫かな?」
そう言って彼女が立ち止まる。僕は必死に捕まっていたのであんまり気にしていなかったが、落ち着いた途端それは一気にやってきた。
「よっ、と」
背負っていた荷物を降ろすかのように僕のことを雑に放るヒカリ。着地の態勢も取れなかったねで背中から地面に叩き付けられた。瞬間、僕は急いで反転する。肘をついて身体を上げ、そのまま吐いた。
「うわ、汚!」
吐いた僕をみて彼女は言った。
何度か同じ場所で空っぽの胃から胃液を吐き出す。そういえば、昨晩から何も食べてなかったと思い出し、同時に今は何も胃に入れたくなかった。
「アタシの肩で吐いてたら頭潰してた」
嫌そうな声音でヒカリが言った。
「…………そう、言うん、だったら、もっと、優しく、運んで、欲しかったんだ、けど」
顔を上げる。回る世界の中、彼女の不快そうな表情を見てまた吐いた。
「補足されるじゃない。大体、男なら我慢しなさいよ」
呆れたように彼女は言う。
「男だからって、我慢、できるものでも、ないし。大体、性、差別だ」
そういって身体を起こす。嫌な浮遊感と揺れる景色に身体がついて行かず、仰向けに倒れた。
「情けないこと言ってんじゃない、ヘタレ」
腕組みしたまま彼女は僕を見下ろしていった。
「どうせ、ヘタレ、ですよ」
そういって横向きになり、肘をついて無理やり起こす。今だ頭の中は絶賛メリーゴーラウンド。始めて船釣りに行った時、盛大に酔った感覚と似て、胃の不快感は最高潮だ。気分はこの世の終わりの様だった。
そのままハイハイをして近くの樹木に近づき、背中を木に預けて座り込んだ。
「ちょっと、休憩」
僕は木にもたれ掛かったまま、僕は脱力した。申し訳ないが今は一歩も動ける気配がなかった。
「まったく、あの頭のおかしなのだったら"いや、中々スリリングな経験だったけど、出来ればもう少し優しく運んでほしいね"とか言って平気そうにしていたんだけど」
「それは、博士が、おかしいから」
僕は鼻で笑って言った。おそらく、彼女達を初めて見た時の話だろう。
「それはそうでしょうね。おかしい、という点にはまったく同意」
ヒカリも頷く。その様子をみて僕は短く笑い、目を閉じた。
◇
————――――。
「…………い、おい。裕志」
うっすら意識の片隅で、誰かが僕を呼ぶ声がした。
「おい、起きろ!」
大きな声で呼ばれてハッと目が覚める。頭を上げれば目の前に瑞稀がいた。
「ここは?」
見渡すと見覚えのある教室と聞き覚えのある喧騒だった。
「お前、いつまで寝てんだよ。現国終わっちまったぞ?」
呆れたように瑞稀が言う。どうやら授業中どこからか寝ていたらしい。
記憶が曖昧だ。確か…………。
「アレ? CIAは?」
何やらCIAに追われていたようなきがする。
「一体どんな夢見てたんだよ?」
聞いた瑞稀がまた呆れたように言った。
「変な博士と女の子と、逃げる……夢?」
どんな映画見てたんだよ、と瑞稀は言った。
「それよりも、だ。途中から山内の野郎お前が寝てたのに気付いてたぜ。いつ起きるか、なんて見てやがって結局チャイムが先になっちまったもんだから野郎も行っちまったよ。最後に、"そうか、私の授業はそんなに子守唄にいいか"、なんて言い残して行きやがったから、お前、次回おっかないぜ?」
「そこまで見て聞いてたんだったら起こしてほしいな!?」
意地が悪いと思う。そんな僕の様子を見て瑞稀はケタケタと笑った。
「だってお前、この前の数学ん時に俺が寝てても起こさなかったじゃねぇか。お陰で菅野の野郎に大目玉食らったろう? その時の仕返しだ」
「あの時は僕は普通に起こしたよ。けど瑞稀が、"ウルセェ、起こすんじゃねぇ"なんて言って起きないからじゃないか。だから、瑞稀の自業自得でしょ?」
それを聞くと瑞稀は面倒臭そうに半眼になった。
「その理屈だとお前も自業自得じゃねぇか」
「まぁ、それはそうだけど。瑞稀は起こしてくれたの?」
「いや、面白そうだったからノータッチ」
「友達思いだなぁ!」
それを聞いて瑞稀が笑った。
その時、甘い匂いがした。顔を上げると僕の隣を女子が歩いていった。
去っていく姿はどこか儚げで、揺れる絹糸のようなセミロングの茶色い髪が印象的だった。
見覚えのない女子だった。
「なんだお前。■■■に興味あんのか?」
瑞稀が通りすがった女子の名前を言った。
「いや、興味あるっていうか、気になったというか」
途端、何やら訳知り顔で頷き始める瑞稀。
「何? その反応?」
「いや。ただ、裕司君もそういう事に興味があるお年頃ですかそうですか」
「いや、何その腹立つ反応?」
別に別に、と瑞稀は両手を上げて、また訳知り顔で言った。…………なんかこのやり取り、前もやったな。
「だが、やめとけ。アレはどちらかといえば人類とはかけ離れた生き物だ。相手するだけ苦労する。もっとも、お前がその手合の介護を好き好んでやるっていうんだったら俺は止めはしないが」
どんな人物評? と僕。言葉の通り、と瑞稀。
「別にそう言うんじゃないんだけど」
「どういうのなんだよ。アレは高嶺の花っていう類のモノとは違う、手が届かないんじゃなくて届いちゃいけない部類だぜ?」
「評価が人を指すそれじゃないんですけど」
そりゃ人類を評価してないからな、とまた悪口を言っている瑞稀。過去に何かあったんだろうか。
ともあれ先の彼女に視線を移す。どうやら、クラスの女子に用があったらしく、何か談笑しているようだった。
「…………マジで興味あんのかよ」
僕を見て呆れたように瑞稀は言った。
「いや、だからそういう訳じゃ」
「逆に怖ェよ、興味ない女見てんのなんてよ」
それはそうだが、しかし、なんとなく気になるのだ。具体的に何故、と問われてもよく分からない。本当に、なんとなく。
「お前、まだ寝ぼけてんじゃねぇか? 外の空気でも吸ったらまた頭がはっきりするんじゃねぇか?」
そう言って瑞稀が立ち上がる。
「どうすんのさ?」
「そりゃ窓を開けんだよ」
そのまま教室の窓に近づいていく。
「真冬でエアコンも効いているのに開けたらみんな…………、」
そこまで言って教室があまり暖かくない事に気が付いた。エアコンは朝登校してからガンガンだというのに。
「大丈夫、大丈夫。少しは換気しろっていうだろ。それにちょっと前とか夏とか関係なしに窓開けてただろうが」
そりゃ流行り病が大流行してたから、という言葉を待たずに瑞稀は窓を開けた。
すると、教室の中に冬の凍えるような冷たい風が吹き込んで――――。
◇
「…………寒っ」
————突き刺さるような冷たい風で目を覚ました。
目を開くとそこにはうっすら霜の張った一面の緑だった。
――――ここは?
まだ冴えない頭で思い出す。僕は教室にいて、いやいや、それは夢だ。昨日? 少し前? に確か逃げていて。そう、頭のおかしな博士に捕まって、じゃなかった、女の子に捕まって…………。
ぼうっとしている頭だったが、吹き付ける風のお陰で急速に意識が覚醒していく。
それでCIAのロボットに襲われ、二手に分かれて逃げてきて、それで盛大に酔って木陰で休んでいたんだ。そのまま寝てしまったのだろう。冷静に考えたら20時間ぐらい起きっぱなしであの騒ぎだ、意識がとんでもおかしくない。いや、あの気絶されられた一撃はノーカウントだ。
だからここは吹きっさらしの屋外。遮蔽物なんぞなく風に当たるまま寝ていた訳だ。寒いのは当たり前で…………。
そこで思いの他寒くないことに気付く。いや、下半身は大分冷たいんだけど上半身がそこまででもない。それとほんのりとした甘い香りと、なんか普通に息苦しい。
「あ、起きた」
透き通った声が耳元で聞こえてきた。…………耳元?
振り返る。ほんの目と鼻の先に見惚れるような彼女の顔があった。
「…………え?」
ちょっと待って、今どういう状況?
「起きたんだったらさっさとどいてくれません事?」
彼女はわざとらしく丁寧な言葉で僕に向かって言った。どういう意味、と思ったところで僕がおかれていた状況に気が付いた。気が付きました!
なんと、彼女のパーカーの中にいるのです、まる。
「うわわわあああぁぁぁぁぁぁっ!?!?!?!?」
絶叫。その声に彼女はびっくりしていた。そして、僕は反射的に飛びのこうとした。したんです。
「あ、ちょっ、暴れんっ、おまっ! この! 動く、あ、こら! 伸びる、服が伸びるから! まっ! おまっ! このっ!」
当然逃げれない。そりゃそうですよね。彼女のパーカーの中ですもの。逃げれる訳がない。繊維に負けてる僕は彼女の衣服を伸ばしはすれど、それ以上離れられない。何やら行ったり来たりを繰り返す。なにせ、生まれてこの方あんまり女の子とのからみがないんですよ。それが色んな過程をすっ飛ばしてこんな大胆な事! 思春期の童貞の青年には刺激が強すぎるんですよ!
そんな暴れる僕を落ち着かせようとしているヒカリ。大体、そんな言葉が通じていたらとっくに冷静になっている。只今絶賛テンパリング中。彼女の声なんぞ脳みそに届いていない。なので。
「こ、のっ! 落ち着けっ!」
鋭い左フックが僕のこめかみを捉えた。
「…………っ!?」
鈍重な一撃。鉛で殴りつけられたような鈍痛に思わず側頭部を押さえこんだ。そして、結果的に彼女の首元に頭をうずくめるような状態になった。
「…………で、落ち着いたかしら?」
不機嫌そうなヒカリの言葉に僕は頭を押さえたまま無言で頷いた。
「よろしい。それじゃあ改めてどいていただけるかしら。今、ジッパーを外すから」
彼女の棘のある言葉に再び無言で頷く。すぐさま彼女は僕の身体に腕を回すように自分のパーカーのチャックに手を伸ばし、下げた。
「外れた」
締め付けられるような息苦しさから解放された途端僕は後ろに跳び退き、そのままの勢いで後ろの方に生えていた木に背中からぶつかった。
「あーあーあーあー、伸びちゃったじゃない、服。これ、結構気に入ってたんですけど」
そんな僕を気にする様子もなく、彼女は自分のパーカーを引っ張りながら不満そうに言った。と、いうか。
「ちょっと、何してるのっ!?」
思わず叫んだ。ヒカリは、あ?、といつもの調子でつまらないものを見るような目でこっちを見た。
「何って温めてあげたの。火使う理由にもいかないでしょ? 風邪ひくぐらいならまだしも、そのまま冷たくなられても後味悪い…………って、何顔を赤くしてんのよ」
耳まで真っ赤、と彼女は鼻で笑う。
「いや、そりゃ赤くもなるよ、…………あんな、事されたら」
言ってるそばから少し前のことがフラッシュバックする。ほぼ抱き合っているような状態でヒカリの顔が目の前に…………。
腕で顔を覆って視線を逸らす僕を彼女は見て彼女は再び鼻で笑った。
「見た目の所為でしょ。私、プロトとノイジーと変わらないんですもの。何か恥ずかしがることある?」
大ありだ。
「その見た目だから言ってるの。ていうか、なんでいつまでもその恰好なの!」
恰好? と彼女は自分の姿を見た。さっきから自分の着ているパーカーを気にしていたが、服の下は薄いキャミソール一枚でそれはそれでまた目に毒だった。
「何? 恥ずかしがってんの?」
そういうと口元を吊り上げ半目でこちらを見、立ち上がってチャックを開けたままパーカーのポケットに手を突っ込んで、ほれほれ、と挑発するように服をはためかせてきやがった。
「いいから隠して!」
叫び、顔をそらして目をつむった。そんな僕の様子を見て彼女は、あははは、と笑っていた。
「いや、割と何考えてんだかよくわかんない奴だと思ってたんだけど、なんていうか、からかいがいあるわ」
ひとしきり笑うだけ笑った彼女はそんなことを言った。
「馬鹿にしてるの!?」
怒った調子で彼女に向かった。
「馬鹿にしてんの」
悪戯っぽく微笑んでヒカリは言った。さらに腕を組み。
「大体、減るもんじゃないんだから揉むくらいしなさいよ」
なんかとんでもない事言い出したよ、この子!
「出来るか!!」
恥じらいとかないんか、こいつ。
「ていうか、他にもそんなことしている訳!?」
「してる訳ないじゃない。私を痴女か何かかかとお思いで?」
「今の姿を見たらそのものだよね!」
まごうことなきそのものだ。その言葉を聞いて彼女は不服そうにこっちを見て。
「失礼な男ね。せっかく助けてやったのに人のことを痴女扱いだとか。素直に凍死させておけばよかった」
なんて言った。
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