第3話 暗がりで

 相変わらず人気のない通りを帰路についていた。時刻は深夜10時すぎ。今日とて変わらず塾に通う日々は続いていた。気になることはあっても今は受験生。やらざるおえない事は決まっている。


 昨日降った雪は日中には溶け、障害物のないアスファルトを颯爽と駆け抜けた。身に受ける風は刃物のように鋭く、外気と肌が触れている箇所は本当に切れてしまいそうだった。


 当然帰り道なので揚水機場の前を通りがかった。そして、そこで立ち止まり山を見上げた。


 稜線から伸びる防球ネットはすっかり焼け落ち、今やその支柱のみが取り残されている。


 昨夜のことを思い出す。

 

 突如として起こった稲妻。突然、爆発する山。燃え上がるグラウンド。空を舞う少女の姿。


 どれもこれも確かに僕の頭の中にはっきりと残っているというのに、その事実を証明するものがすっかり消え去っていた。


 ————あれは幻だったのだろうか。


 件の現場に行けば何かわかるのかもしれない。いや、おそらくもう何もないだろう。


 けど、山の中や斜面を探せばそれなりになりか出てくるのかもしれない。


 そこまで考えて、自分はいったい何対してムキになっているのかと思った。知ったところでどうなるのか。


 かぶりを振るう。もしかしたら瑞稀の言う通り疲れているのだけなのかもしれない。証明したところで、なんだというのだ。


 目の前の信号が丁度青になる。もう一度だけ揚水機場を見て自転車を走らせた。 


 そのまま帰り道の桜のはだか木の並ぶ暗い川沿いを進んでいく。


 なにせ明かりはほとんどない。あるのは遠くに見える市内を突っ切る国道を照らす街灯と、月明りと、まばらに点く民家の明かりだけだ。


 暗がりの中、何気なく川を見ながら走っていると、ふと、木陰に何かあるのが見えた。目を凝らしてみると、それは人の姿だった。


 こんな時間帯に珍しい。いや、そもそも日中でもあんまり歩行者はいないのだけれども、にしたってこんな夜中でしかもこんな寒い真冬にあんな場所にいるなんておかしな人だ。


 誰かと待ち合わせか? はたまた携帯ゲームか。どちらにしても変わっていることこの上ない。


 もっとも、自分には関わり合いのない話ではあるので気にせず進む。それはそれとして通りすがりに顔ぐらいは拝んでおこう。すぐに忘れてしまうだろうが、野次馬的根性なんてそんなものだ。


 佇む人が近づいてい来る。よくよく見ると件の御仁は小柄で、真冬だというのにパーカーと丈の短いスカートなんて寒そうな恰好をした女子だった。


 真夜中に一人で不用心な。いや、不用心な事件が起きるほど人はいないが、こんな田舎にも愉快な御仁が定期的に目撃されるのだから、やっぱり不用心だろう。


 その女子は来ているパーカーのポケットに手を突っ込み、さらにフードを被って俯いていた。


 自転車の明かりに気付いたのか、俯いていた女子がこちらを向いた。向いて覗いた顔を見て息を飲む。


 フードの中から覗く容姿はおよそ日本人離れしているものだった。


 陶器のような白い肌。整った顔立ち。丸みを帯びた目にエメラルド色の眼。絹糸のようなセミロングの茶色い髪。


 まるで息の吹き込まれた人形のような趣のある端麗な顔立ちの少女は明らかに僕を見据えていた。そして同時に気付く。


 何よりその姿は昨日見た少女だったのだ。


 思いがけぬことに唖然と通り過ぎる。少ししてハッと我に返り、急ブレーキをかけた。そして、半ば反射的に振り返る。


 見れば少女も寄りかかっていた木から離れやはりこちらを見ていた。


 僕は自転車から降りた。すると、佇んでいた彼女は歩み寄ってきた。


 互いの距離が15センチくらいのところで立ち止まり、さらに思うよりも小柄な身体を傾けて見上げるように僕の顔を見た。近い、近い。


「昨日、私の事見てたよね」


 鈴の音のような声が耳に響いた。


「いや、その…………、」


「見、て、た、よ、ね?」


 険のある表情で彼女は苛立ったようにいった。


「…………は、はい」

 

 その様子と彼女の容姿にたじろいで下がる。そんな僕と言葉を聞いて彼女は何をいう訳でもなく無言で睨みつけたまま佇んでいた。


「…………あの~、何か?」


 思わず尋ねる。まるで意に返していない彼女は頭を掻きながら俯き、ため息を吐き。


「ちょっとついてきて」


 仕方ないと呟いて僕の手を取った。そして、振り返り無言で僕を引っ張って歩き出した。


「ちょっ、ど、どこに行くの!?」


 強引な態度に思わず聞くが、聞く耳持たず。返事はなく無視してスタスタと歩いていく。


 流石に訳が分からず説明を求めようと止まろうとしたがなんと微動だにしない。彼女思うよりも力強く、というかこっちが引きずられているんだけど!


「待って待って待って。ちょっと、ちょっと落ち着こう。いきなり呼び止められて引っ張られるのはとりあえずいいとして、せめて何処行くか説明が欲しいかな!?」


 慌てて伝える。それを聞いて彼女はピタッと止まり。


「必要ある?」


 少女は振り返り、説明するのが面倒臭いといわんばかりの表情を浮かべていた。


「必要があるかないかといわれれば必要があると僕は思う。というかね、初対面の人を呼び止めていきなり引っ張って説明がないのはどうかと思うな、僕は」


 それを聞いた少女は心底面倒臭そうな表情を浮かべた。そして、嫌そうに溜息をこぼすと、わかりましたよ、とつぶやいた。


「でも、一つ訂正するけど勝手に止まったのはあなた。私は立ち止まったあなたに話しかけただけ。呼び止めてはいない、いい?」


「あ、はい」


 面倒くさいなこの娘。


「そして説明するけど、私は説明の必要性を感じていない。あなたはただ黙ってついてきて、ただ黙っていればいいの。それで問題は解決する」


 まるで説明になっちゃいねぇのである。


「…………よし。言いたいことはあるけど一旦飲み込もう。それで、その問題って言うのはなんなの?」


「あなたには関係ない問題」


 うん。駄目だ。話にならない。


「ええと。僕が関係ない話で首を突っ込む必要がない問題で、なのに黙って連れていかれなきゃいけないのは何故なんだい?」


「あなたに関係がなくて首を突っ込む必要がないから黙ってついてくればいいの。お分かり?」


「オッケー。よしわかった。つまりだ。馬鹿にしてるんだな」


 冷静に考えてこんな娘が話しかけてくるなんてそもそもおかしな話だったんだ。大体、昨日の話にしたって何か自分だけが特別なものを見たような感覚に陥っていたが、ほかにも誰か見ていなかったか、なんて確証はない。


「? 何故私があなたを馬鹿にしないといけないの? それで、私に何か利益があるわけ? おかしなことを言うのね」


 いたって真面目に彼女はいった。何が信じられないっておそらくその言葉自体には本当に嘘偽りが感じられないのだ。


「兎に角、あなたは私に黙ってついてくればいい」


 相変わらず強引な彼女は一方的に告げる。


「それは出来ない。あのね、いくら美少女からのお誘いだったとしても初対面の子からいきなり一方的に黙ってついてきて、なんて言われてついて行く気になれない。絶対碌なことにならないから。大体、宗教勧誘だってもうちょっとうまいことやるよ?」


 それこそ地雷が歩いて目の前に滑り込んできたようなもの。わざわざ踏み抜くことはない。君子危うきに近寄らず。行かなければいい話だ。ただ、問題があるとすれば僕の力じゃこの手を振り払えないってことぐらい。絶対絶命である。


 しかし、その言葉を聞いた少女は先ほどとはうって変わって少し考え始めた。おや、っと思っていると再び彼女は深いため息を吐き。


「…………わかった」


 そう言うと彼女が急に身を寄せてきた。


「…………なっ!?」


 突然のことにたじろぐ。


「ちょっと、動かないで」

 

 彼女は鬱陶しそうに言うと下がる僕に構わず密着した。


 僕の顔に近づく彼女の髪から漂う花のような香りが鼻孔をくすぐる。その異性を感じさせるか細い四肢に否応なく鼓動が早くなる。

 

 彼女は密着したまま、自転車のハンドルを持つ僕の手をとり、握って引き寄せた。


 抵抗もなくハンドルからすり抜けた手。自転車はそのまま倒れ、歩道の柵に寄りかかった。


 彼女は手を握ったまま一歩分後ろに下がった。二人とも両手を軽く伸ばして手を握り合い、互いに向かい合うように佇んだ。


 ドギマギしている僕を余所に、彼女はまったく何も感じていない様子で僕を見ていた。握られた手に力は感じられない。


 先ほどまでの警戒心は何処へやら。僕の四指を包むような彼女の手に緊張しながら動けずにいた。


 突然の出来事に混乱と、少しの気恥ずかしさを感じながら延々続くようにも感じるこの時間に耐え切れず、口を開こうとした。瞬間。


「……………………ッ!?」


 全身に衝撃が奔った。


 比喩とかそういう話でない。文字通り頭の天辺からつま先まで一刺しにされるような衝撃だった。


 全身の筋肉が緊張し強張る。身体の中を走る電流のような激痛に立っていることが出来ずに彼女へと垂れ込む。


「まったく、私も手荒なことは嫌いなんだけれども」


 寄りかかった彼女の肩。隣から聞こえる声に全身の力を使って少女へと振り返る。


 視線の先。そこには変わらず興味のなさそうな表情でこちらを見ている少女がいた。


 ————僕の意識はそこで絶えた。

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