第8話 王宮

 王宮は、エントラム城の中に存在しているとのことだった。アリス曰く、エントラム城には、国王や士族達が政務を執り行う「ポリティア」と呼ばれる場所があり、それがまさに先ほどユウト達がいた「謁見の間」が入っている"巨大な塔"だった。


 エントラム中にいる士族達が毎日ポリティアに出勤し、メオレアが抱える内政や外交の問題についての議論を行っているようだった。


「じゃあ、ベルやフォートも毎日ポリティアに来ているの?」


 ユウトが尋ねる。2人が士族、しかも「始まりの4士族」という名門士族の生まれであることは、ユウトも覚えていた。しかし、先ほどの謁見の間で見た士族達の中に、2人の姿はなかったように見えた。


 アリスは答えた。


「いえ、憲兵団や騎士団などの"軍属"の士族はポリティアには来てはいません。彼らの任務は、"武力行使によって首都エントラムを守ること"ですので。」


「なるほど。そっちの仕事がメインなのか。」


「はいっ。まあ、ベルの"お父様"のトーラス卿、フォートの"お父様"のウルヌス卿は、もう軍を退役されているのでポリティアにいらっしゃいますけどね。」


 なるほど。憲兵団は治安維持部隊、騎士団は有事の際の戦闘部隊であるため、政務には直接関与していないらしい。今言ったポリティアと呼ばれる政務エリアとは別に、ソーラやアリスなどの王族が生活する「居住エリア」もエントラム城に存在しており、それが「王宮」と呼ばれている場所だった。


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 城のエントランスから出て、中庭に戻る。アリスの使用人で黒髪のスレンダーな女性・シンテットが先導し、2人も後に続いた。


 中庭から噴水を右に曲がって、石畳を進んでいく。その先に、厳重な印象を抱かせる一際重厚そうな「黒い城壁」が見えた。城壁の前につくと、シンテットが壁の隙間に人差し指をピッタリとつけ、何かを呟いた。すぐ後ろにいるユウトにも聞こえないくらいの、小さな声だった。


 シンテットが何かを言い終わると、重厚な壁の隙間がまるでジグソーパズルのようにカチカチと動き出し、そこに人が1人入れるくらいの大きさの扉が現れた。


「王宮には、限られた人間しか入ることができないのです。」


 アリスはユウトを見ながら言った。先ほどシンテットが呟いた何かは、おそらく限られた人間しか知らない「王宮への扉を出すための呪文」のようなものだった。


 ユウトは、不安になった。この国の王族が住む場所。そのような限られた人間しか足を踏み入れることができない神聖な場所に、この世界に来たばかりの「部外者」の自分が入って大丈夫なのだろうか。


 ユウトの不安を尻目に、シンテットとアリスは扉を開けて入っていく。彼も、恐る恐る2人に続いた。






「ようこそ、ユウト様。ここが、エントラムの王宮でございます。」







 扉を抜けた先で待っていたアリスがユウトに言った。そこには大きな「宮殿」のような巨大な建物があった。


 ユウトは、その大きさと荘厳な外観に驚きを隠せなかった。彼は、宮殿を目の前にした瞬間、以前テレビで見たロンドンの「バッキンガム宮殿」をふと思い出した。ただし、ちゃんと比較ができないので正確には分からないが、目の前の王宮はおそらくそれよりも大きいように思えた。王宮の門を開けて、玄関に向かう。


 アリスが教えてくれた。この王宮は、初代メオレア王の時代に建てられ、その後代々王族の住居として使用されているという。ただ、今ここで実際に生活をしているのは、国王であるソーラとその妹のアリス、そしてシンテットなどの一部の使用人達のみとのことだった。


(ということは、今この国に「王族」はソーラとアリスの2人しかいないってことか。)


 その時、ユウトはふと思った。


(ソーラやアリスのご両親は、既に亡くなってしまっているのか……?)


 もし、2人の両親が存命なら、そのどちらかが王位についていそうだが、姉のソーラが国王であるということは何か複雑な事情があるのかもしれない。


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 王宮の玄関を開けると、美しい空間に出た。おそらくここは玄関ホールなのだろう。


 高い天井に、煌びやかなシャンデリアの数々。床にはワインレッドの絨毯が引かれ、高級感のあるブラウンの下地の上に細かい装飾がいくつも施された壁紙は、王宮の伝統と気品を眩しく放っていた。


 ホールの左右には美しくカーブした階段があり、それらは壁に沿って上へ伸びた後、中央で合流するような形状をしていた。階段が合流した部分には、先ほどの謁見の間でユウトが見たものと同じ、"王家の紋"が描かれた巨大なタペストリーがあった。


「凄い……!」


 ホールを見たユウトは、思わず感嘆の声を漏らした。


「ふふっ。早速気に入ってくださり、ありがとうございます。」


 アリスがユウトを見て微笑む。


「このホールには、初代メオレア王の肖像画が掛けられていたのですが、以前お城で火災があった際に燃えてしまいました。」


 そう言うと、アリスは少し悲しげな表情でホールの中央部分を見つめていた。その顔は、何か悲痛な出来事を思い出しているように見えた。


「こちらでございます。ユウト様。」


 シンテットに連れられて、ホールから伸びる大きな廊下を進む。


 王宮の中は、豪奢で耽美な内装で出来ていた。金を基調とした美しい調度品、漆風に塗られた艶のある机や椅子などの家具、大きな天蓋のある柔らかそうなベッド、壁に掛けられた精美な絵画。それら全てが、王族が使用するのに相応しい「品位」を持っていた。おそらくこれらを「ユウトがいた世界」の価値に換算したら天文学的な価値を持つのだろうと、容易に想像できた。


 そのような豪華で絢爛な内装の部屋が、王宮の中にはいくつもあるようだった。


(す、凄すぎる。よく分かってなかったけど、この国の王族ってとんでもない身分なんだな。)


 ユウトは心の中で思った。


 豪奢で壮麗な王宮は、ただの学生だったユウトには当然のように馴染みのない場所であった。そこは、彼が元の世界で母と2人で暮らしていた「木造の小さなアパートの一室」とは間違いなく正反対の空間だった。彼は、自分自身がこの場に場違いであることを自覚し、自分のことが「王宮に間違って紛れ込んだ異物」だと思えた。


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 廊下を抜けると大きな扉があった。


「こちらが居間でございます。」


 そう言って、シンテットは扉を開けた。


 居間の中は、他の部屋よりも大きくて開放感があった。美しい装飾が施された天井。その中央には、金色に輝く大きなシャンデリアが見える。窓辺には3mほどの大きな窓枠が並び、そこから太陽の光がきらきらと部屋の中に入り込んでいた。居間全体には、ワインレッドの美しい絨毯が引かれていた。


 居間の奥に大きな机が見える。その上に、金色のティーカップとポットが置いてある。誰かがここでお茶を飲んでいたのだろうか。


 居間に入ると、2つの大きな深緑色のソファがあった。向かい合って置かれており、その間には小さな机がある。おそらく来客用のものだろう。そして、片方のソファには、1人の「女性」がリラックスした姿勢で寝そべっていた。


 背もたれの方を向いて寝ているため、顔は見えなかった。女性は、絹のような材質の白いゆったりとしたワンピースのような服を着ていた。アリスはその女性に声をかける。








「お姉様!お帰りになってたのですね。」


「えっ!?」








 ユウトは驚愕した。そこで寝ている女性がむくりと起き上がる。


 耽美で整った顔立ち、金色に輝く艶のある髪、ワンピースを着ていても分かる豊かな胸。その女性は、紛れもなく国王ソーラであった。彼女の服装が、謁見の間で見た時から大きく変わっていたので、ユウトは最初気づくことができなかった。


「こ、国王陛……」


 ユウトが、国王陛下と言いかけた瞬間、ソファにいたソーラが飛び上がり、ユウトに思いっきり抱きついてきた。


「ユウト〜!」


「わぶっ!」


 ソーラのボリュームのある胸が、ユウトの顔をぎゅっと包みこむ。


「さっきは怖い顔しちゃってごめんね……」


 ソーラの態度は、先ほどとは全く異なっていた。


「"転移者様"が、1,000年ぶりに、しかも私の在位中に現れてくださるなんてっ!ほんっと、嬉しいわ〜!」


 ソーラがユウトを抱きしめながら、身悶える。


 ユウトの顔は、先ほど謁見の間で見えたソーラの豊満で美しい双丘にぎゅっと力強く挟まれていた。服越しだが、彼女の大きな胸の丸みと柔らかさがユウトに存分に伝わる。マシュマロのような豊かな弾力を持つ彼女の胸が、少年を包み込む。


 同時に、ソーラの香水の香りだろうか、甘いバニラのような匂いもユウトの脳内に充満する。少年は、とろけるような感覚に陥った。


(やわらか……)


 ユウトは、できることならこのままソーラに抱かれていたいと思っていた。


「お、お姉様、おやめください!ユウト様が困っていますっ!」


 アリスが、ソーラの行いを改めようとする。


「え〜いいじゃん〜!」


 今のソーラは、まるで少女のようだった。


「さ、先ほどまでの威厳溢れる王の姿はどこに……」


 アリスが項垂れながら言った。薄ピンクの髪がさらりと揺れる。


「だってー。謁見の間には士族のみんなもいるし、あそこではどうしても"国王"っぽく振る舞わなきゃいけないじゃん……」


 ソーラは"少女"のように顔をむすっとさせていた。


「でも、家では"国王"じゃなくて、ただの"ソーラ"だからいいんだもーん!ねーユウトー?」


 豊満な胸でユウトを抱きしめながらソーラは続ける。


「ね!ユウトってなんか可愛い顔してると思わない?睫毛もすっごい長いし。こう、守りたくなるというか。ね、ね、アリスもそう思うわよね?」


「え!え、えと、その私はっ……」


「こんな可愛い殿方が、"伝説の転移者"だなんて!」


 ソーラは、まるで幼い子どもをあやすように、胸元に埋めたユウトの頭をわしわしと撫でながら言った。


「それに……」









「ユウト、謁見の間で会った時、私の"おっぱい"ちらちら見てたでしょ。」










 ソーラはジトっとした目で、胸元のユウトを見つめる。


「えっ!?いや、それはっ!」


 ユウトは、大人にイタズラが見つかった時の子どものように狼狽えた。


(まずい、バレてたのか……)


「謁見してる時に、国王の"おっぱい"見てるなんていいのかな〜?」


 ソーラは、わざとユウトを困らせるように、言った。アリスはその様子を見ながら、綺麗な姿勢で横に控えているメイドのシンテットにボソッと耳打ちした。


「シンテット?」


「はい、アリス様。」


「殿方はやはり、胸の大きい女性が好きなのですか……?」


 アリスは深刻な表情をしながら、サファイアのように青く美しい瞳を少し潤ませて、シンテットを見つめて言った。


「いえ、人によるかと思います。全ての男性が大きな胸を好むとは限りませんよ。」


 シンテットは表情を変えず、落ち着いた声でアリスに言った。


「そ、そうなのですね……!良かった。」


 アリスはホッとしたような様子だった。なぜ「ホッとしたのか」は、アリス自身にもよく分からなかった。


 ソーラの胸元で、ユウトは必死に釈明しようとしていた。


「ご、ごめんなさい!つい出来心で……」


「ううん、いいのよ。男の子ですものね。ユウトがそんなに私の"おっぱい"が見たいなら、好きなだけ見せてあげてもいいけど……」


 ソーラは少し声のトーンを落として言った。


「その代わり、"謁見の間で言ったこと"、よろしくね?」


 ソーラはくすっと微笑んだ。


 その笑顔は、やはりアリスの笑顔によく似ていた。



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