第2話 転移

 目を閉じ、迫り来る「死」を受け入れたはずのユウトには、何故かまだ「自分が生きている感覚」があった。


(?。今のは、夢……?)


 朧げな記憶の足跡を一つ一つ辿った。自分は高校の屋上にいた。そして、見知らぬ女性の命を救うため、代わりに空中に投げ出された。その結果、そのまま地面に落下した。


 あの感覚は夢でもなんでもなかった。あまりにもリアルだった。確かに自分は、あの時、あの瞬間、高校の屋上にいた。「落下死」という根源的な恐怖を、身体の隅々まで味わうような経験をしたにも関わらず、ユウトは不思議と冷静だった。


 記憶を一つずつ辿っていくことができるほどに。


 そして、自分が先ほど体験した記憶を辿った先に「死」が待ち構えているのは明白だった。そうであれば、今、ここで、平然と意識を持っている自分は誰なのか?


 手足を動かしてみる。感覚ははっきりしている。そして、四肢の指先まで感覚が正常なことから、身体のどこかを欠損しているわけではないことも分かった。


(あの高さから落ちて、俺は無事だったのか……?)


 そして、身体の体勢と手足を動かした感覚から、自分は何か「ベッド」のようなものに寝ているらしいことが分かった。


(ここは、病院……?)


 仮に自分が生きていたとして、「9階建ての校舎から落ちた瀕死の人間」を学校の保健室に運ぶことはないだろう。グラウンドでは部活の練習で学生達が何人もいたし、おそらく誰かが救急車を呼び、病院に運ばれた、というのが一番納得できる。


 ただ、何よりも不思議なのが、屋上から落ちて地面に激しく激突したはずなのに、「身体のどの部位にも痛みが一切ない」ということだった。ユウトはゆっくりと目を開いた。視線の先に天井が見える。


(やっぱり病院か……)


 しかし、その光景はユウトを更に困惑させた。


 ユウトは小学生の頃、骨折で一週間だけ病院に入院したことがあった。小学生のユウトには病室で過ごす時間は何より心細かったが、その時は母がつきっきりで側にいてくれた。その時のユウトの病室は「無機質」で、そこで一週間の時を過ごすユウトを歓迎するわけでも突き放すわけでもない、ただ「部屋」としての役目を果たすためにそこに存在していた。


 しかし、今のユウトの視線の先にあるものは、それとは異なるものだった。まず、部屋の内装全体が木製だった。アンティーク風な独特な雰囲気を放ち、まるで病院とは思えない。


 そして丸く楕円にカーブした大きな窓、木製の家具、暖かく優しい光を放つランプのようなもの。そのどれもが普段からよく手入れされているのか、シンプルで控えめなデザインではあるが、上品さと清潔感を保っていた。


 そして、見る者をどこか温かい気持ちにさせる、不思議な魅力と居心地の良さを醸し出していた。例えるなら、「ファンタジー世界の宿屋の一室」が一番しっかり来る印象だった。


「病室、じゃない……?」


 ユウトは困惑した。自分の知る限り、自分が通う高校の近くにこのような場所はない。彼は生まれてから18年間、一度も引越したことはなかったので、自分が住んでいる街のことしか知らないが、少なくとも自分がいた街にこのような場所はなかった。


 その時。


 誰かが近づいてくる気配がした。ユウトのベッドの向かいにある木製の扉がゆっくりと開く。


(看護師さんか?)


 扉からひょっこりと顔を出したのは、女性だった。そして、その女性が看護師ではないことは、状況を飲み込めていないユウトにもすぐに分かった。







 なぜなら、その女性はあまりに美しすぎた。







 西洋風だが、どこか懐かしさも感じる、細部まで整った壮麗な顔立ち。目元は涼しげで、儚げな印象を孕みながらも、しっかりとした意思の強さを感じさせている。そして、サファイアのように青く透き通った美しい目は、眼前のユウトをまっすぐと見つめていた。


 形が良く、花びらのように整っていながら、見るからに優しい柔らさを持つ唇が、彼女の持つ女性としての色気を増幅させているように思える。


 透き通るような白い肌。しかし、恥じらいのせいか少しピンクがかった頬は、初めて出会う人間を前にした「緊張」を表しているように見えた。


 薄いピンクがかった、しなやかで絹糸のように艶のある髪。その頭上には花をモチーフにしたようなティアラのようなものが見える。


 耳には彼女の目と同じ色をした、耽美に輝くブルーのイヤリングをつけていた。細部まで意匠が施された、彼女の髪色と近い「薄ピンクの色」を基調とした美しいドレスを見にまとい、彼女はユウトの前に立っていた。


 今の状況が把握できていないユウトにも、目の前にいる美しい女性が、「気品と高潔さを兼ね備えた位の高い人間」であることはすぐに察しがついた。ユウトは、初めて人を心から「美しい」と思った。


 できることなら、このままずっとこの人を見ていたかった。清廉さと華やかさを兼ね備えた目の前の女性が、ユウトの心の中に開いたぽっかりと開いた穴を埋め、同時に永遠の安らぎを与えてくれる気がした。







「……綺麗だ……」







「えっ!あ、ありがとう……ございますっ……」


 思わず漏れたユウトの心の声は、女性の頬を更にピンクに染めた。


(しまった……)


 ユウトは尋ねる。


「あの……」


「はい!」


「ここはどこなんですか?」


 ユウトの声に不安が混じっていたのか、女性はにっこりと微笑んで、まるで子どもを落ち着かせるように、優しい声色で答えた。鈴の音のように軽やかで、澄んだ美しい声だった。


「ここは、エントラムのメオレア王立病院ですよ」


「は、はあ……」


 ……エントラム?メオレア?


 初めて聞く地名だった。外国の地名だろうか。


 今度は女性の方からユウトに尋ねた。


「あの…?」


「は、はい!」


「貴方様のお名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」


「あ……アイザワ・ユウトです」


「ユウト様、ですね!」


 女性は、再びにっこりと微笑んだ。笑顔になる時だけ現れる小さなエクボが、壮麗な彼女にもまだ「幼さ」が残っていることを証明するようだった。


「初めまして、ユウト様。私はアリスと申します!」


 アリスという女性は、ユウトを優しく見つめた。


「そして、ようこそメオレアへ」
















「貴方様は、1,000年ぶりの転移者様です!」







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