第3話 皇女
ゆっくりとベッドから上半身を起こし、ユウトが尋ねる。
「……て、転移者?」
アリスはしっかりとした口調で答える。
「はい、"こことは異なる世界からこの世界へいらっしゃる方"のことを、我が国では"転移者様"と呼びます」
「貴方様の手の甲の紋様がその証です。」
ユウトは自分の右手の甲に視線を移す。そこには、1つの円の中心に3つの菱形が複雑に重なりあった、所謂「幾何学的な紋様」が、タトゥーのように彫られていた。
その紋様は赤く、ユウトの皮膚に焼きつくように存在していた。こんなマークはついさっき、つまり「高校の屋上にいた時」には絶対になかったはずだ。
(な、なんだ、これ……!)
「貴方様は、今朝エントラムの高台で倒れているところを街の者に発見され、このメオレア王立病院に運んでこられたのですよ。」
「は、はあ……」
「見たことのない不思議なお召し物、そして手の甲の紋様から、貴方様が"転移者"様であると判断されたのです。」
ユウトは混乱した。これは、何かの夢なのだろうか。彼女の話が正しければ、自分は「高校の屋上から落ちたと思ったら、いつの間にか別の世界にワープしていた」ということになる。
「異世界転生」をテーマにしたアニメや漫画が最近流行っているというのは、クラスの友達から聞いていた。ユウト自身、新聞配達のアルバイトで忙しく、そういったものを見る時間がなかったのでそこまで興味を持っていなかったが、今まさに、自分自身の身に「それ」が起こっている。
そんな摩訶不思議な現実に、ユウトの脳は処理が追いついていなかった。
「そ、それで、貴方は……?」
アリスは微笑みながら答える。
「私は、アリス。このメオレアの皇女、アリス・メオレアでございます」
「お、皇女様……」
彼女の壮麗な外見だけでなく、身に漂う気品、落ち着き、そして彼女が醸し出す高貴な雰囲気が、彼女が正真正銘の「皇女」であることを証明している気がした。
「この国には、"転移者様が顕現された時、必ず皇女が身の回りのお世話をする"、という言い伝えがあるのです。」
美しい女性アリスは恥ずかしそうに胸を張り、でも自信を持って、言った。
「ですから……これから私がユウト様の"お世話係"を務めさせて頂きますので、何か困ったことや気になることがあれば、何なりとお申し付けくださいねっ!」
彼女のしなやかで艶のある髪がふわっと揺れた。彼女がつけている香水の香りだろうか。彼女のイメージに合った、花のように華やかで、でも主張しすぎない、高貴で甘い香りが微かにユウトの鼻の奥をついた。
「……」
アリスをじっと見つめるユウト。今、ユウトの頭の半分は、「アリスが言っていること」について最大限理解をしようと努めていたが、もう半分は、彼女の美しさにただ見惚れ、純粋に放心しているだけだった。
「あ、あの、ユウト様?あまり見つめられると、私も恥ずかしいのですが……」
アリスの透き通るような綺麗な肌に、恥じらいの印として薄ピンクの色がかかる。
「あ!ご、ごめんなさい。」
ユウトは慌てて謝る。
「その、あまりにも急なことだったので、頭の処理が追いついていなくて……。ありがとうございます。アリスさん。」
アリスは優しく微笑んで答えた。
「"アリス"で大丈夫ですよ、ユウト様。」
そして、ユウトの目をじっと見つめ、続けた。
「……ユウト様の仰る通りです。矢継ぎ早のご説明、大変申し訳ございません。」
「い、いえ、そんな。」
「目が覚めたらいきなり見知らぬ世界に来ていて、それですんなりと状況を飲み込むというのは難しいことだと重々理解しております。」
「……」
「この世界のもっと詳しいことは、この後"謁見の間"で国王より直接お伝え頂きたいと考えております。」
「国王?」
「はい、国王というのは……」
アリスがまだ話している途中であったが、病室のドアの向こう側、おそらく廊下と思しき場所から、声が聞こえた。
「アリスー?転移者様、もう起きたのー?」
「あ!ベルですか?」
閉じられていたドアが再び開く。ドアから現れたのは、再び女性だった。そして、彼女もまた美しかった。
ベルと呼ばれたその女性は、アリスと同じく美しく整った壮麗な顔立ちをしていた。よく陽に焼けた褐色の肌と、堂々と銀色に輝く美しい髪を根元でまとめ、所謂ポニーテールのような髪型が特徴的だった。
おそらく背丈はアリスと同じ位か。しかし、彼女の「装い」はアリスとはまるで異なっていた。ドレス姿のアリスに対し、ベルは黒のタンクトップにレザーのジャケットのような上着を羽織り、下には紺のショートパンツを履いていた。
見た目の装飾などよりも、彼女は動きやすさや実用性を何よりも重視しているように思えた。太ももの付け根ほどの長さしかないショートパンツからは、ベルの褐色の美しい脚が覗かせていた。
華やかでお淑やかなアリスとは異なり、ベルは爽やかで、凛とした涼しげな雰囲気を醸し出していた。仮にアリスが「女性の可愛さ」の象徴とすれば、ベルは「女性のかっこよさ」の象徴のようだった。
走ってきたのだろうか、ベルの首元、美しい褐色の皮膚にはうっすらと汗が滲んでいた。ベルは「好奇心」を孕んだ真っ直ぐとした目でユウトを見つめ、尋ねる。
「君が"転移者"なの?」
依然状況が飲み込めていないユウトに、明確にイエスと言える自信があるはずがなかった。しかし、ベルの横に立つアリスの視線を目の端で感じていたため、彼はイエスと言わざるをえなかった。
「えっと、はい……。いや、た、多分。」
アリスがベルをさっとたしなめる。
「ベル!転移者様にそんな口の聞き方は……」
「えーいいんじゃん。」
ベルは不服そうな声を出す。
「転移者ってさー、言い伝えで聞く分にはもっとオジサンっぽいイメージだったから、なんか嬉しくて。見た感じ、年も近そうだし!ね、君も別にいいよね?」
ベルの真っ直ぐで屈託のない目、年齢はおそらくユウトと同じくらいだが、まだ幼さが残るいたずらっぽい笑顔を見て、ユウトはどきっとした。
「う、うん。」
アリスは、呆れたような口調で呟く。
「もう、ベルったら。」
ベルは改めてユウトを見つめ、言った。
「初めまして、ユウト。私はベル・トーラス。アリスの親友だよ。」
アリスもそれに応えるようにベルを見て優しく微笑む。ユウトは、「親友」という言葉をこうもスムーズに、澱みなく言うことができるベルの眩しいばかりの純粋さを、どこか羨ましく思った。
「……アイザワ・ユウトです。よろしく。」
ベルもユウトに返答するように、優しく微笑んだ。
「それで、これからどうするの?アリス。」
ベルはアリスの方を向いて尋ねる。
「はい、ユウト様にもっと詳しくこの世界について知って頂くために、この後"謁見の間"で国王に拝謁しようかと考えています。」
「そっか。うーん、それならさ、先にエントラムの街を見せてあげない?」
「先に街を?」
「多分ユウトも、口で説明されるより、実際に自分の目で見た方が色々理解できると思うんだよね。」
ベルはユウトをちらっと見ながら言った。
「あたし、一応今勤務中だし、これから師団の兵舎に戻るからさ。その道すがら、色々見せてあげようよ」
「うーん、そうですね。おね……いや、国王には後程拝謁する旨をお伝えしておいて、ユウト様には先にエントラムをご覧になって頂きましょうか。」
アリスもベルの意見に賛同する。ユウトも確かに気になっていた。このファンタジー世界から飛び出してきたような不思議な場所、そして自分の目の前にいる美しい女性達。今自分がどこにいるのか、それを正しく素早く理解することが、今のユウトの第一の願望だった。
アリスは、廊下の方へ声をかける。
「シンテット。いますか?」
「はい、アリス様。」
女性の声がした。少し低く、でもどこか安心感を与える声だった。おそらく「部屋の外にいるであろう人物」が返答したのだろう。
アリスは続ける。
「これから少し街を見て回るので、国王には謁見まで少しお時間頂きたい旨をお伝えできますか?」
「はい、承知致しました。アリス様。」
「ありがとう。」
アリスはユウトの方を向いて、にこりと微笑んで言った。
「ユウト様、それではエントラムの街を見に行きましょう。きっと、ユウト様も気に入ると思いますよ!」
「う、うん。」
アリスの屈託のない笑顔が、ユウトの心をぎゅっと刺激した。
「と!その前にさ、ユウト、着替えた方がいいんじゃない?」
ベルは、ベッドで上半身を起こしているユウトの身体を見ながら言った。
「多分だけど、その格好は元世界のものだよね?」
「え?う、うん、そうだけど。」
「見慣れない服装だし、街のみんなも警戒しちゃうって。」
確かに、ユウトは高校の制服である紺のブレザーを着たままだった。少なくともユウトの中では、先ほどまで「屋上」にいたのだから、それも当たり前だった。
「それもそうですね……」
アリスは、再びシンテットという人物に呼びかけ、直ちにユウトのために服を用意するよう伝えた。
それから3分も経たないうちに服が部屋に届いた。部屋を開けて服を届けに来た人物「シンテット」をちらりと見ると、彼女は背の高いすらっとした綺麗な女性だった。
メイドのような服装をしており、ユウトと目が合うと微かににっこりと微笑んだように見えた。黒くさらさらとした長い髪が、彼女の「誠実さ」を主張するようだった。彼女はユウトに服を渡し、部屋を出る前にアリスと少し会話をしていた。
会話中の彼女は基本的に無表情だったため、少し冷たい印象を受けたが、決して不機嫌なわけではなく、皇女であるアリスへの忠誠心や、自らの仕事に専念する真面目な姿勢を表しているようだった。
「じゃ、玄関で待ってるねー。」
そう言って、ベルとシンテットは部屋を出て行った。ユウトはシンテットから渡された服を見た。通気性の良さそうな白いシャツは、おそらく麻のような素材でできているように見える。
そして、サスペンダーのついたブラウンのズボンもとても肌触りが良く、何より動きやすそうだった。ユウトは汗が滲んだ制服を今すぐにでも着替えたかったが、アリスがまだ部屋にいるので着替えることはできなかった。
「……」
「……」
「あ、あの。」
「は、はい!なんでしょう、ユウト様。」
「服を着替えたいから、部屋の外にいてもらえるかな。」
アリスは少し驚いたような顔をしたが、ユウトをじっと見つめ、答えた。
「いえ、ユウト様……。私は、ユウト様のお世話係です。ユウト様の身の回りのお世話をするのが、私の使命なのです。」
アリスの目は真っ直ぐだった。
「ですから!お着替えも手伝わせてくださいっ!」
アリスは所謂「ばんざい」のポーズを取って、そのままユウトに近づき、彼のブレザーを脱がそうとした。
「はい、ユウト様。腕を上に上げて、お召し物を脱ぎましょうね」
「いや!だッ……大丈夫だから。1人で着替えられるから、とにかく、外に行っててよ。」
「うぅ、わかりました……。」
アリスは、少し寂しそうに項垂れ、「悪戯をして主人に叱られた子犬」のようにしゅんとしたまま、部屋を出て行った。ドアを開けて出て行く時、彼女の薄ピンクの美しい髪がふわっと靡いていた。
アリスの表情を見て、ユウトは多少の罪悪感を感じたが、メイドがついているような身分の高い人間に着替えを手伝ってもらうのは流石に気が引けたし、何より、自分の身体をあのような「美しい女性」にまじまじと見られるのは、18歳のユウトの羞恥心を刺激するのに充分だった。
服を着替える。不思議なことに、サイズはピッタリだった。
そのまま部屋を出て、玄関に向かった。病院はシンプルな作りだったので、玄関の場所はすぐにわかった。病院の内装は、やはりファンタジー世界を具現化したような作りをしていたが、壁紙や院内の調度品、そのどれもがユウトに不思議な安心感を与え、ユウトの来訪を歓迎しているようにも見えた。
玄関では、アリスとベルが待っていた。
「おー似合っているじゃん。」
「確かにお似合いですね!」
2人の美しい女性がユウトの装いを褒める。嬉しさと気恥ずかしさで、ユウトの顔は少し赤らんだ。玄関のドアは3mほどの高さの大きなものだったが、ベルはすんなりと開けていた。
ドアが開いた瞬間、涼しい風が吹き込んでくる。風がユウトの頬を優しく撫でた。
ユウトの目に、様々なものが飛び込んできた。
映画でしか見たことがない、中世ヨーロッパのような美しい街並み。古く磨り減った石畳が、歴史の重みを感じさせるように光沢を放っている。そして、その脇には多くの木組みの家が並ぶ。色鮮やかに花が飾られた窓枠や、特徴的な屋根をした家々が、ところ狭しに存在していた。商店のようなものも見える。見たことのないカラフルな果実や、瑞々しく、いかにも新鮮そうな野菜が並んでいる。
人々も激しく往来していた。今のユウトのようなシンプルな服装の人もいれば、カラフルな帽子やマントを身に纏っている人、見たことのないアクセサリーやキラキラと輝く美しい髪飾りをつけている人など、「千差万別」の様相だった。
物を売る人の客を呼び込む声、足を止めて会話する人、人混みを駆け抜けていく子供たちの無邪気な笑い声、様々な人の「活気」と「熱量」が街という器をこれでもかと満たしているようだった。
風が運んでくる多くの匂いもユウトの鼻を刺激した。どこかで料理をしているのか、香辛料のようなスパイシーな香りと、肉の焼ける美味しそうな香り。焼きたてのパンのような食欲をそそる香り、ハーブのような爽やかな香り。様々な匂いが風に乗ってユウトのもとに運ばれてきている。
「すごい……!」
思わず、ユウトは驚嘆した。その様子を見て、ベルもどこか誇らしげだった。アリスもユウトの様子を見て、優しく微笑んでいた。そして、ユウトに向かって言った。
「ユウト様」
「ようこそ、エントラムへ。」
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