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それから三年ほど経って、僕は彼に再び会った。
その日のことを書く。
僕が大学院入試の合格発表を待ち焦がれていた二月十日の十三時二十六分、彼はのぞみ号から品川駅のホームに降り立ち、いくつも並んだ改札口のひとつを抜け、そこで僕らは三年ぶりの再会を果たした。
「相変わらずの格好なんだね、可愛いよ」
「君こそ少しも変わってないじゃないか」
「いやだな。君に会うために特別に昔の自分に戻ったのさ」
「僕だってそうだよ」
僕らは山手線に乗り、渋谷まで移動した。
生まれて初めてスクランブル交差点に来た彼の感想は、
「東京はやっぱり何もかもが違うな」
ということだった。
たしかにそこは僕らがもと居た街とは何もかもが違うところだった。
駅前にはどうやって組み立てたのか分からないほど巨大な液晶画面がはめこまれたビルがいくつも立ち並び、これほど狭い土地のどこに埋蔵されていたのか分からないほど大量の人間が地上にひしめき、空中にも地下にもどこかで絡まってしまいそうなほど多くの線路が重なって走り、広場にはどうしてこれほど大きくする必要があったのか分からないほど大きな広告看板が立っていて、それは二人の男が向かい合ってビールを飲んでいる白黒の写真だった。
彼はその写真を見て言った。
「不思議だね。なんだってこんなハイテクシティのど真ん中に、古めかしいモノクロの写真を置かなきゃならないんだろう」
「きっとカラーフィルムを忘れたんだよ」
「まさか」
僕らは約束の東京観光を始める前に、昼食を済ませるため渋谷駅から少し歩いたところにあるカフェに入り、めいめいのサンドウィッチとコーヒーを注文した。
「元気?」 彼は片目をつぶりながらアメリカンを一口飲んで聞いた。
「どう見える?」
「——そんなに元気でもないが、まあまずまずってところかな」
「お互い様だね」
パリ風のジャズが、ガラスの壁から差し込む正午の光の中を心地よく流れていた。
「ところで、彼女の話をしないか?」
「代名詞で言われても分からないよ」
「ガールフレンドのことさ」
「ああ」 僕は口元に持っていきかけたトーストサンドBLTを置き直してから答えた。「でも、もう別れたよ」
「知ってる」 彼はアメリカンをまた一口啜って言った。「彼女から聞いた」
「どうして?」 全く思いがけない話だった。「どうして君と彼女が知り合いなのさ?」
「ある日あの子が突然バーを訪ねて来たんだよ、どうやって捜し当てたのかは知らないけど、君がよく店の事を話していたのを思い出したんだって言ってた。まあでも、あそこはノンケもOKな半分観光バーも兼ねたようなところだったから、店も彼女が通って来るのに嫌な顔はしなかったし、話して面白い子だったし、一風変わった縁には思えたけれど、とにもかくにも、以来私たちは親しくなった」
「なるほどね」
「彼女に会いたくはならないのかい?」
彼は僕の眼を覗き込むようにして聞いた。僕はあわてて眼を逸らして、ダークモカ色のウィッグの毛を指でもてあそびながら、ひとしきり考え込んだ。
「会いたくないわけはないよ。でも、会わない方がいいという気がするんだ。彼女とはそういう話になっているから」
悩んだ末の言葉だったが、正確さを欠いているとも思えた。
「ふむ」 彼は窓の外に視線を抛りながら言った。「あの子は今、精神病院に入ってるよ」
再び思いがけない話だった。
「去年の春に大学で一つ下のストレートの女の子を好きになったらしいんだ。猛アピールして付き合うところまではいったけれど、やっぱりそのあとがうまくいかずに、——どうやらセックスの問題らしかったけれど——結局そう長くは持たないでその年の秋に別れた。それから夜の名古屋港で入水しようとして、溺れかけているところを工場作業員に見つかって失敗した。失恋だよ」
「知らなかった」
「僕にもよく相談してきたんだ。でもしてやれることなんて何も無かった。だって私はゲイで、まともで純粋なストレートの子にそこまで一途な恋をしたことはなかったから、うかつな助言なんて出来なかったんだ。それでも本当は何かしてやるべきだったのかもしれない。季節が移ろうごとにあの子は傷ついて、顔色も肌も髪質も服装も悪くなっていった。地面に落ちたイチョウの葉が全部茶色になった頃には、見ていられないくらいに痛ましかったよ」
「いいんだ。君が責任を感じる必要はないよ。もし僕が君の代わりにそこにいたとしても、やっぱり彼女を救う事なんかできなかっただろうから」
「君がいたら、彼女はそのストレートの子のことを好きになることもなかった」
僕はとっさに返す言葉を探したが、見つかるはずはなかった。
「寂しがっていたよ」
「そうか」 僕はまつ毛を伏せた。こういう時にこの手のポーズを取るのは卑怯なことだと分かっていたが、そのときの僕にはそれ以外にどうしようもなかった。
彼はたまごサンドをあわてて飲み下して言った。
「別にいいんだ。君を責めてるわけじゃない。たしかに君はあの年、私やあの子と別れて街を出ることになっていた。これは事実だ」
僕はうなずいた。
「私たちは出会ったときからすでに、別れる運命にあったともいえる。だから仕方のないことなんだ。誰のせいでもないし、何を言っても始まらない。受け入れるだけさ。私たちはそういう風に世界を生きてる」
僕はうなずきながら一口目のトーストサンドBLTを食べた。
「ちなみに、彼女はいま経過観察中で二日前までに病院に連絡を入れておけばいつでも面会できる。病院の場所は後でLINEしておく」
「ありがとう。考えてみる」
「どういたしまして」
僕らはその日の午後いっぱいを使って、目が回りそうなほど弾丸的なスケジュールで東京都内をまわった。渋谷のハチ公像前で写真を撮り、原宿でクレープを食べ、新宿では都庁の目の前まで行き、上野にある僕の大学を紹介して、秋葉原のメイド喫茶で水色のソースのかかったオムライスを食べ、浅草で口直しの食べ歩きをし、二十二時三分発のひかり号にぎりぎり間に合うくらいの時間に東京駅に着いた。本当は他にも紹介したいところが山とあったのだが、それでも彼はけっこう満足そうにしていたから、僕はすこし安心した。
入場券を買ってホームまで見送りにいった。発車ベルが鳴るまで僕らはホーム際で話した。
「また会いに来てもいいかな」
「もちろん。久しぶりに女装をする口実ができるからね」
「こっちに来てからは女装はしてないの?」
「前にも言ったような気がするけど、女装することに対しての理解は日本ではまだイワシのパイほどにも広がってないんだ。名古屋にいたときだって女装してたのはブル―フロックに行くときぐらいだったよ」
「よく似合ってると思うけどなあ」
「そういう問題じゃないんだ」
「ふむ」
「そんなことより、抱いてもいいかな」
「ああ」
僕らは白色のホーム柵の前で人目もはばからずに抱き合った。彼のコートの襟に頬のフェイスパウダーがついたのを払って落とした。
乗車を促すベルが鳴った。
彼は後ろを振り返ることもなく、新幹線に乗り込んだ。僕は彼の後ろ姿に向けて手を振った。
そして、新幹線が行ってしまうと、僕はひとりやけに広々とした、黄色味がかった光の下の灰色のホームに取り残されたのだった。
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