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「明日、朝一番のバスで東京に行くんだ」

 僕は五日間「ブル―フロック」に通い続けて、三月二十一日の閉店間際になって、ようやく話を切り出すことができた。

 彼は僕が喋り終えるとしばらくうつむいて、ミードで半ばまで満たされたグラスの底をじっとのぞき込んでいた。

「一年間かかって、とうとうホテルには連れ込めずじまい、っていうわけだね」

 ママが慰めるようなしんみりとした調子で、彼を見つめながら言った。ニーナ・ハーゲンは、僕と彼とママの三人しかいなくなった店の中でも相変わらず一九七〇年代のパンクロックを歌い続けていた。

「何日か前から、君が話をしたがっているのは分かってたよ」

「うん」

「それにしても、カップル解消というのは、いつにあっても辛いもんだね」

 ママが、

「これ君の旅立ちに向けて、サービスね。二人で食べな」

といって僕と彼との間に湯気の立ったフライドポテトを置いた。

「東京に行ったら、少しは楽しいことが待ってるのかな?」

「さあね、でももう当分の間、女装は出来ない」

「それは災難だね」 彼はミードを一口飲んでから首を振った。「全く災難なことだ」

「僕はこれまで昼は男の格好をして、夜に女装する生活をしてきた。いってみれば昼の時間は偽りで、夜の時間が本当だったんだ。でも今日から僕は夜を失くすことになる」

「昔は私にもそんなことがあった」

「夜が過ぎ去っていくのは、悲しかった?」

「さあね。悲しかったのかもしれない。でももう思い出せない。時が経てばみんな白黒さ」

 僕は肯いて、最後のジンジャーエールを一口飲んだ。

 



        ⁂




 この小説はあと三千八百七十四字で終わる。

この小説は大変短い。僕と彼女や彼との愛が、あっけなく切断されてしまったのと同じくらいに。

 僕はこの小説の中で愛の経過を記述しようとはしなかった。それは冗長なことだし、第一、僕には彼女や彼との愛の始まりがいつだったかということすら決めかねるからだ。僕らは出会う以前から、僕らの知らないところで、あのようにして出会うべく定められていたのかもしれないし、あるいは僕らは終わりの段階に至ったときでさえ、まだ何事も始まったとは言えないような、空虚な状態にあったのかもしれない。

 また、起源を探求することもしなかった。どうして僕らは出会ったのか、僕らを互いに引き寄せた力がなんだったのか、その反対の力はなんだったのか、運命か、偶然か、万有引力か、分子間力か、それらはあくまで二次的な問題だからだ。

とにもかくにも僕らはくっつき、そうして離れた。単にそれだけのことがあった。

 ところで、世界中の誰も(もちろん僕も含めて)がカラーフィルムをいつも忘れないでいられるとしたら、僕がこの小説を書く意味も失われてしまうというものだろう。

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