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少しだけ、僕自身のことを語る。
僕は小学校の高学年くらいの頃には、すでに女装に目覚めていた。中学生にもなると、両親のいない隙に部屋に忍び込んで衣装箪笥を手荒くあさり、女性物の服を着て鏡台の前に立ち、そこに映し出される自分の姿を飽かず眺めるということもしばしばだった。きっかけが何だったかは分からない。見た目も運動神経も振るわなかった僕は、男の子らしいカッコよさよりも、同学年の女の子のかわいらしさに惹かれていたのかもしれない。
しかしながら(もしくは、当然のことながら?)、僕の周りにいる、大部分の大人は、僕のこの性向を好もしく思わなかった。僕は変態だとみなされたのだ。
とりわけ深刻に受け止めたのが母親だった。子供心に僕も自分の女装趣味を何とはなしに悪習と考えるところがあったから、なるべく人目を避けて扮装を行っていたのだが、それでも何かの間違いで、女装した僕の姿が母親の目の前に露わになると、彼女はこれ見よがしに長く溜息をつき、迫るような目つきでこちらをじっと見つめるのだった。
だから僕は、自分の女装姿を人目にさらすことは長い間しなかったし、他人に自分の姿を評価してもらう機会には恵まれなかった。また、高校の文化祭などでクラスの男子の何人かとふざけて女装することはあっても、そういうときに一部の女子生徒からもらえる「かわいいね」という言葉は、どこかお愛想じみていて僕の心を満足させはしなかった。
そのため、僕のことを何にも知らない人間から、「かわいい」という評価を受けたことは、僕にとってちょっと記念すべき事でもあったのだ。
「本当によくできてるよ、その女装」
男はうっとりしているのか酒に酔っているのか分からない、とろんとした目つきで僕のことを見つめながらそう言った。
「どうもありがとう」
「なあ、私たちふたりでカップルにならないか?」 男はグラスの底に残っていた酒を一息で飲み干すと、ママに指で、もう一本、と合図した。「もちろん、性的交渉は大人になってからでいい。もしくは一生おあずけにしておくのも、それはそれでいいさ」
あまりに突然で思いがけない誘いだったので、僕は少々困惑した。
「あの、その前に、……一つ質問してもいいですか?」
「ああ、いいとも」
「お酒を飲んでいるのは面白いですか?」
男は一瞬まじめな顔つきになって考え込んだ。ママがミードを男の前に置き、BGMをかけ替えて戻ってくるまでの時間、彼は腕を組んで黙りこくった。そして、
「さあね。そもそも人生なんて最高にくそ面白くもないものだから、ちょっとお酒を飲んでみたところで面白くなるようなもんじゃないのかもしれない。少し頭が痛くなるだけさ」
「じゃあ、どうしてお酒なんて飲むんですか?」
「ふむ」
彼は再び、さっきと同じ時間だけたっぷり考え込んだ。その間にビリー・ジョエルが「ロンゲスト・タイム」を始めから終わりまで歌い終えたほどだった。
男はミードを素早く一口飲んでから、
「私みたいな生き方に不平を言う人間はそれほど少なくない。真面目じゃない、っていうんだ。週に五日間、面白くもない大学の講義に出席して、夜になったらゲイバーに来て、お酒を飲んで、いい気分になって、少しだけ頭が痛くなる。これが今のところの私にとっての生きることだ。たしかにあまり人生を真剣に生きている人間のルーチンには思えないかもしれない。だが俺にも言い分はあるさ。だって、これの何が悪い? これだけのことしかしていないのが悪いのか? そんなことを言ったって、いま君は生きてるし、私も生きてるし、たまには外も天気がいいし、地球は不格好に傾きながら回ってる。
『でも、何のために?』って連中は言うだろう。だがな、『でも、何のために?』に対するあらゆる答えは私たちからは失われてしまっているんだ。今の私たちに出来るのは、お酒を飲んで、いい気分になって、頭が痛む、明後日は天気がいい、地軸の傾きは二十三・四度。それだけさ」
僕はすっかり感心した。彼は僕の顔を眺めて、満足気にまたミードを飲んだ。
「カップルの話、お受けしますよ」
「ありがとう」
男は僕の隣の席に移動してきて、そこで僕らふたりは乾杯をした。僕が暖かいフライドポテトを彼に勧めると、彼は美味しそうにそれを頬張った。
カウンターの中でママがグラスを拭きながら、やれやれ、という風に首を振った。
こうして僕と彼とは出会った。
しかし、こんなに素敵な出会いから始まった僕と彼の関係も、いつかは終わらなければならない。素敵な出会い。僕はそう思うと胸が詰まった。三月十五日の夜、僕はとうとう話を切り出せなかった。
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