第43話 恋人?
自由騎士団が戦ったグリムフォード砦の英雄譚は、こう語り継がれている。
“悪しき公爵ディオニーは
国を奪えと勇み足
グリムフォードの砦にて
英雄ヴァルクを捕らえけり
英雄ヴァルクを救うべく
独り挑むはリオネル王子
悪しき公爵ディオニーは
王子に毒をまき散らす
立ち上がるは英雄ヴァルク
王子が託せし白きマントを
その身に纏いて勇ましく
敵の軍勢 蹴散らせり
砦は崩れ 戦の終焉
悪しき公爵ディオニーは
白きマントを血に染めて
英雄ヴァルクが王子に捧ぐ
勝利の光、彼らの前に
新たな時代が今 開く”
「いい加減な歌だね」
天蓋のベッドに横たわったリオネルは、窓の外から聞こえてくる兵士達の歌声にぽつんと呟いた。ベッドの傍の椅子に腰掛け、林檎を剝いていたヴァルクが「ああ…」と開きっぱなしの窓に視線を向ける。
「吟遊詩人が歌ってるのを憶えたんでしょう。最近、あちこちでよく耳にします」
「あの歌は間違いだよ。僕は独りで挑んだわけじゃない」
「カイル達は砦の外に控えていたので、独りで挑んだというのは別に過言ではありませんよ。それより俺が殺人狂みたいに歌われてるほうが気になります」
「実際、マントは血染めになってたじゃないか」
「イソルテ軍が、公子を取り戻そうと襲いかかってきたので防いだだけです」
「うん。君が公子を拉致してくれたおかげで、交渉はとても有利に進んだよ」
イソルテ軍は公子とともに退却したし、賠償金もがっぽりせしめることができた。
「レア王国を救うつもりだったなんて、ネチネチ文句言ってたけど……父上がベルディン帝国に手紙を送ってくださって解決したし」
「陛下は手紙に何と書いたんです?」
「同盟国に、ご心配おかけしましたってありのままを報告しただけ。イソルテ公国はベルディン帝国の従属国みたいなものだから、帝国に頭が上がらないんだ。で、帝国としてはイソルテ公国が勝手に領土を広げたり、国力を増すことを良しとしてない。今回、イソルテがレア王国を掌握しようとしたことは明らかだし……帝国からイソルテ公国に、なんらかの警告でもあったんじゃないかな。蛇に睨まれた蛙みたいにおとなしくなったからね」
それにベルディン帝国の皇帝と父上は、若い頃からとても仲が良かった。まだ二人が王子であった頃、皇帝が父に剣を習いにくるほど。つまり、ベルディン帝国の皇帝は、大袈裟にいえば父の剣の弟子でもあるのだ。
「ただの報告の手紙だけど、父上が書いたから皇帝は動いたのかも。僕じゃ、ああはいかなかっただろうな」
「陛下はお目覚めになったとはいえ、まだ病床の身です。殿下がいなければ今頃、この国はディオニーとイソルテ公国に乗っ取られていたでしょう」
ヴァルクは林檎を剥き終えると一口サイズに切り、その一つをリオネルに差し出した。リオネルがぱくりと林檎を頬張ると、微笑ましげに見つめられる。
「殿下は俺の、命の恩人です」
「……どこが? しっかり歌われてるよ。助けにいって、まぬけに毒に倒れたって」
「毒が抜けて良かったです。この一週間……俺は気が気じゃありませんでした」
リオネルはつい先日まで、父親のように寝たきり生活だった。意識はぼんやりあるが体が動かせなかったのだ。エリアナは泣いてばかりだったし、カイルやジェラルド達も、葬式みたいな顔で見舞いに来ていたのを憶えている。
寝てばかりだったせいか体はだるいけれど、今ではもう前と同じくらい元気だ。ただちょっと久しぶりの自室のベッドが広くてフカフカしすぎて、落ち着かないというだけ。
「本当に……俺がもっと早く動けていたら……」
「仕方ないよ。僕のせいで気絶してたんだから」
「殿下の護衛になると宣言した直後に、あの有様で……情けないです」
「君が守ってくれなかったら、僕は今頃イソルテ公国で薬漬けだったよ?」
ヴァルクの手の中で林檎がぐしゃっと潰れた。励ますつもりで言っただけだったのに、ヴァルクのこめかみの血管がヒクつき、目つきが据わっていたので、リオネルは慌てて「ごめん」と謝った。
「感謝してるって伝えたかっただけなんだ」
「いえ……すみません、俺こそ取り乱してしまって……ああ、林檎が」
すまなさそうにヴァルクが、無残な姿の林檎を皿に置く。そうしてヴァルクは――汁に濡れた自分の掌をぺろりと舐めた。それは何気ない仕草だったが、リオネルは落ち着かない気持ちになった。あの舌に舐められたことを思い出したからだ。
「僕の護衛騎士になりたいって、本気なの?」
「はい」
「僕をあ……愛してるから?」
「……はい」
こっちを見ないヴァルクの横顔が、林檎みたいに赤くなる。きっと自分の頬も、同じくらい赤いんだろうなとリオネルは思った。
人の愛情を信じるのは怖い。たとえ本気で言ってくれていたとしても、いつ消えるかわからないから。
でも――リオネルは毛布の上で、ぎゅっと拳を握った。
「……そういうのって、護衛じゃなくて……こ、こ、恋人、とかじゃないの」
言っていて、自分で恥ずかしくなる。
ヴァルクのことは信じられる。信じられるし、もしヴァルクがいつか心変わりしたとしても……他でもない自分自身が、ヴァルクを好きだと思っている。
彼が傍にいない間、どんなに寂しかったか。殺されて失うかもしれないとわかった時、どんなに怖かったか。
初めて他人に抱くこの執着めいた好意を、ヴァルクが特別なものとして受け止めてくれるというのなら、こんなに嬉しいことはない。
「いえ、恋人ではなく護衛です」
しかしヴァルクはキッパリと言った。
「俺が殿下をお守りしたいから、そうするというだけの話ですので」
「……」
リオネルは、イラッとした。
ヴァルクは自分の気持ちを伝えただけで自己満足して、こちらの気持ちなど考えてもいない。まるで愛の告白を受けても、リオネルが何も感じないと思っているみたいだ。
それこそ人を、人形か何かだとでも思っているんだろうか。あんなキスまでしておいて。
「そう……じゃあ、もう二度と、僕にキスしたりしないね?」
「……はい。もう二度と、あのような無礼な真似はいたしません」
「もし約束を破ったら、責任取って恋人になってもらうから」
「はい。約束を破ったら責任を取って恋――……えぇっ!?」
ヴァルクの声が引っくり返った。勢いよく立ち上がったせいで、ついでに椅子も引っくり返っていた。ガターンと絨毯の上に倒れる。
真っ赤になっているヴァルクを恨めしく睨んで、リオネルは頭から毛布を引っ被り、彼に背中を向けた。
「疲れたから寝る。おやすみ」
「あ、え……は、はい……おやすみなさい」
ヴァルクがぎこちなくそう答えて、そしてゴトゴトと椅子を直している音がした。それから窓を施錠し、カーテンを閉めている。寝ると言ったから、戸締まりをしてくれているのだ。相変わらず律儀な男だ。
人が、勇気を出して誘ったのに。
でもよく考えたらヴァルクの愛情は忠誠心で、自分とは違うのかもしれない。キスしたのだって、出陣前に気が高ぶっただけかも。そう考えたら、ヴァルクの言動にも納得がいく。こんなに好きなのは、自分だけなんだ。
ヴァルクの足音が、遠ざかっていく。リオネルは体を縮こめ、強く目をつむった。扉の、鉄の擦れる音。ヴァルクが部屋を出て行ったのであろう音に、リオネルは胸が苦しくなって涙が滲んだ。
「殿下」
出て行ったと思い込んでいたのに急に背後で声がして、リオネルは悲鳴を上げそうになった。少なくとも思い切り体は跳ねた。ヴァルクがすまなさそうに言う。
「驚かせてしまってすみません。でもその……一つ、確認しておきたくて」
「……何」
「先程の、キスすれば恋人だという話は、冗談ではないんですよね?」
どうしよう。
冗談だと言った方がいいんだろうか。そのほうが今後、お互い気まずくないかもしれない。ヴァルクはそう言ってほしいのかもしれない。
そう思って口を開いたが、嘘をつきたくなかった。それは、あまりにも虚しすぎた。
「好きに解釈したら」
だから、突っぱねるような声が出た。ヴァルクが少し、間を置いて答える。
「わかりました」
ギシリとベッドが揺れた。え、と思って顔を上げた時にはもう、リオネルはヴァルクに唇を塞がれていた。
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