第42話 決着
粉塵が煙たい。目を開けてられない。息が苦しい。
ゲホゲホと噎せながら身を起こそうとすると、背中の重みが呻き声を上げた。
「ヴァルク……っ」
そうじゃないかとは思ったが、自分を庇ったのはヴァルクだった。満身創痍のくせに、背中に石礫を浴びて気を失っている。
「ヴァル――う、わ……っ」
起き上がれないでいるヴァルクに呼びかけていると、急に背後から腕が伸び、抱き上げられていた。ぎょっとして振り返れば、赤毛の男が目に入る。
「トリスティン公子……っ」
「悪戯が過ぎますよ、殿下。砦を吹き飛ばすなんて」
耳朶に口づけるような距離で囁かれ、不快感に鳥肌が立った。
「離……っ」
「ああ、おいしそうだ。今すぐ食べたくてたまらない……」
やっぱりこいつは人肉嗜食の気があるんじゃないか。ヴァルクに噛みついているのを見た時はゾッとした。こんな奴に、ヴァルクを食べられると思って。そして、ものすごく腹が立った。僕の大事なヴァルクに噛みつくなんて――と。
「そう暴れないでください。私は殿下を、こいつらから救い出しに来たんですよ?」
「僕は頼んでない」
「なんてこと言ってますが、どうします。ディオニー公」
砂埃が舞う中、トリスティンが声をかけたほうを見れば、ディオニーがいた。粉塵に汚れてぼろぼろで、怪我をしたのか腹を押さえている。彼は憎悪のこもった目でリオネルを見ていた。
「殿下が素直に従うならと心が揺らいだのが、間違いでした……。公子様、これを」
ディオニーが差し出したのは、紫色の瓶だった。子供の頃から何度も――それを見たことがある。宮廷医に、父上が飲まされていた薬。
「即効性があります。飲ませれば全身が麻痺し、すぐおとなしくなるでしょう」
「そのあとは私の可愛い人形になるというわけだ。ふふ……さあ、殿下。その小さな口を開けてください」
「嫌だっ、よくも――ディオニーッ!」
ずっと信じていたのに裏切ったばかりか、自分にまで毒を飲ませようだなんて。
悔しい。悔しい。悔しい。
こんな奴の機嫌を取って好かれようとしていた自分を、殺してやりたい。
トリスティンが背後から自分を羽交い締めにし、鼻を押さえた。たとえ窒息死しようが絶対に口なんか開けるものかと歯を食い縛る。だがディオニーが顎を掴み、唇の割れ目から瓶を押し込むと、生ぬるい液体が歯の隙間から流れ込んできた。
――嫌だ。こいつらの人形になんかなりたくない……!
「がふ……っ」
目の前でディオニーがおかしな声を上げ、唇に捩じ込まれていた瓶が落ちた。見れば、ディオニーの腹から大剣の切っ先が生えている。
「き……さま……」
恨みがましい目を向けながら崩れ落ちたディオニーの後ろには、青ざめた顔をしたヴァルクが立っていた。
「……殿下を離せ」
「く、来るなっ」
ヴァルクの狂気に満ちた目に、トリスティンが怯えたようにいっそうリオネルを締め上げた。けれどその途端、圧迫感に耐えかねたのか懐にいたものが勢いよく襟元から飛び出した。
「チュウッ」
「ひっ!?」
ネズミに驚いたトリスティンが、リオネルを突き飛ばした。リオネルは自分の足で立とうとしたが、なぜだか足の感覚がなかった。膝から崩れ落ちて倒れ込むのを、誰かの腕に支えられる。ヴァルクだった。何か大声で怒鳴っているみたいだが、耳鳴りがひどくてうまく聞き取れない。聞こえない。
「殺しちゃ……だめだ」
ヴァルクが今にも誰彼構わず斬りかかりそうだったので、リオネルは必死に、声をしぼりだした。
「トリスティンは……人質にして、交渉……」
イソルテ公国と敵対する気はない。そのためにトリスティンがいる辺りには、雷火玉を仕掛けなかったんだから。公子を人質にとり、その上でイソルテ公国に今回の件を強制的に謝罪させ、公子を送り返す――そういうシナリオなのだ。なんだったら砦の賠償金くらいせしめてやろうと思っていた。
でも殺したら、本当に戦争になってしまう。だからだめだ。
「だめ……」
そう言いたいのに、リオネルの意識は暗い渦に引きずり込まれていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます