第40話 雷火



 数刻前――グリムフォード砦東側の森。

 

「なんですか、これ……涸れ井戸?」


 自由騎士団副団長兼補佐官、カイル・デューイは怪訝そうに、板で封をされた井戸を眺めた。朽ちかけた釣瓶はあるものの蜘蛛の巣が張り、どう見ても十年以上は放置されている。ここは森の中で集落はない。砦の近くとはいえ結構な距離があり、ここまで水を汲みに来るのはどう考えても不便だから、放置されてしまったのかもしれない。

 彼が質問を投げかけたのは、すぐ傍で板の上の石をどかしている、金髪の美青年――リオネル王子である。腰まである長い黄金の髪を一つの三つ編みに束ね、ウールの布鎧を纏っていた。


「違うよ。これ、井戸じゃないんだ」

「え、でも……」


 どう見ても井戸にしか見えない。リオネルが細腕で一生懸命、石をどかしているのが目に余ったのか、護衛につれてきた騎士が進み出た。


「お手伝いします……殿下」


 殿下と付け加えるのに少し抵抗がある様子で言ったのは、これまでリオネルのいる塔で看守も務めていたイードだ。王都からグリムフォードまでカイルと一緒にリオネルを護衛してきたものの、未だに目の前にいる美青年と、娼婦遊びをしていた堕落王子が結びつかないらしい。だが、それはカイルも同じだ。ヴァルクの奴め、何が金髪美女だ。


「私も、手伝います」


 野営地で合流した騎士、ヨナスも石を掴んで手伝い始める。

 野営地にいた自由騎士団の面々は、カイルが連れてきた美青年が誰だかわからず困惑していたが、カイルが王子である旨を告げると、やっぱり困惑してざわめいていた。

 リオネルが少数で動きたいと言ったので、ヨナスだけを連れてきた。そのため王子の護衛はカイル、イード、ヨナスの三人しかいない。

 石をすべて取り除き、封をしていた板を剥がすと、中は暗い穴がぽっかりと空いている。小石を落としてみるが、水音はしなかった。やはり涸れ井戸だ。


「父上の話通りなら、少し下に――…あ、そこだね。窪みがあるの見える?」


 カイルが石造りの井筒の中を覗き込むと、一定間隔で底へと続いている窪みがあった。


「それを掴んで、梯子代わりに降りるんだって」

「は? 降りる? ここを?」

「うん。これ、グリムフォード砦に続いてる隠し通路だから」


 隠し通路。

 カイルだけでなく、イードとヨナスもポカンとした。


「隠し……通路。そんな便利なものが」

「確かに要塞なら、あってもおかしくない……」


 そんなことを口々に呟く。カイルは思わず言った。


「隠し通路があるなら、教えといてくださいよ! そしたらヴァルクだって……」


 リオネルはムッとしたように顔を上げる。


「だって、グリムフォードで戦ってるなんて誰も僕に言わなかったじゃないか」

「……はい、その通りですけども」

「喋ってる時間がもったいない。早く行こう」


 リオネルが井戸に足をかけるので、カイルは「ちょ、ちょっと!」と慌てて背中から掴んで止めた。リオネルが「わ…っ」と体勢を崩して、カイルの腕の中に落ちてくる。

 抱き止めたが、同じ男かと疑いたくなるくらい軽かった。背中から抱かれたまま、リオネルが上目遣いで睨んでくる。


「なんだよ、危ないじゃないか」

「危ないからやめてください! おれ達が行きますから!」

「……なんで僕はだめで君達ならいいわけ?」

「そりゃ……王子様、ですし……」


 処刑を検討し、牢獄に閉じ込めたまま放ったらかしにしていた事実を思うと、なんとも説得力がなかった。


「この中で砦内部に一番詳しいのは僕だよ。子供の頃、父上と一緒に来たことあるんだ」

「……砦にはイソルテ軍がいるんですよ。鉢合わせたらどうするんです」

「僕は殺されない」


 確かに。向こうは王子の身柄を要求しているのだ。少なくとも、すぐに殺しはしないだろう。


「……っ、わかりました。けど、おれが先に降ります。殿下は最後です」

「なんで?」

「落ちても、下にいりゃ受け止められるからですよ」

「君が落ちたら、誰が受け止めるの?」

「はあ?」


 まさかとは思うが今、王子はこちらの身を心配しているのだろうか。あの堕落王子が?


「言い出したのは僕なんだから、僕が先に降りるよ。君が足を滑らせても……受け止められはしないかもしれないけど、クッションにはなれると思う」


 真顔で言うリオネルに、カイルだけではなく騎士達も言葉を失っていた。カイルは「あの」と信じられない気持ちで、リオネルに言った。


「おれ達と、殿下の身は……対等、だとお思いですか」

「どういう意味?」

「だから、つまり――なぜ高貴な身分であらせられる殿下が、おれのような平民のクッションになるなどという発想に至るのか、知りたいんですが」

「じゃあどうして君達は、高貴な身分である僕を処刑しようとしたの」


 カイルは言葉に詰まったが、リオネルは話を続けた。


「僕は守られるような価値はないよ。わかったら、そろそろ離して欲しいんだけど」

「副団長。自分が先に降ります」


 そう声を上げたのはヨナスだった。

 彼は先日の戦いで裏門の奇襲部隊を任された隊長であったが、新兵の統率に失敗し、己の失態をひどく悔いていた。自責の念を抱くリオネルに、共感するものがあったのかもしれない。すばやく井戸の縁に足をかけ、窪みを掴んで降り始めた。

 リオネルが「あっ」と声を上げる。


「僕が先に行くって言ったのに」

「一番体力がなくて落ちやすそうな殿下が、最後であるべきです」


 それには反論できなかったらしく、イード、カイルと続き、結局リオネルが最後になった。リオネルは口は達者だったがやはり体を動かすことには慣れていない様子で、ひどくモタモタして危なっかしかった。落ちはしなかったものの、最初に行かせなくて良かったとつくづく思った。

 松明に火をつけ周囲を照らせば、なるほど井戸の奥に細いトンネルが延びている。隠し通路というのは、本当のようだ。カイルは尋ねた。


「ここから侵入して、ヴァルク達を助け出す作戦ですか?」

「そうしたいところだけど砦の牢獄は二カ所に別れてて、隠し通路の出口からも離れてるんだ。イソルテ軍に見つからずに彼らを助け出すのは無理だよ」

「この通路の先は、どこに出るんです?」

「砦の地下倉庫」

「へー」


 それなら、いきなり敵に鉢合わせる心配もなさそうだ。カイルが松明を手に歩き出すと、リオネルがついてきながら言った。


「昔、父上はここから砦に侵入して、イソルテ軍を破ったんだ」

「ほー……は?」

「いきなり砦内に現れたレア王国軍に敵は大混乱で、落とすのは簡単だったって」

「へ、陛下は裏門から奇襲されたのでは?」


 喰い気味に尋ねたのは今回、その役目を担ったヨナスだった。けれどリオネルは「違うよ」と否定する。


「裏門はあとで開けたんだ。待機してた兵士達を入れるために」

「聞いた話と違うのですが」

「うん。最初は“奇襲をしかけて勝った”って話だったらしいんだけど……ほら、隠し通路って隠しているわけだから、具体的な場所は機密事項でしょ。どこから奇襲をかけたのか、噂じゃ曖昧になったみたい。増員部隊は裏門から来たわけだし、その辺りの話がごっちゃになったのかもしれないって、父上が」


 カイルは「つまり…」と、二十年以上前に王が通った暗いトンネルを、松明で照らし歩きながら呟く。


「剣の腕だけで裏門を突破したはずの英雄は……実はこの道を通って安全に侵入して、イソルテ軍を撃退したと」

「そうらしいよ。父上が言うには、吟遊詩人が酒の肴に歌う英雄譚なんて、ほとんどホラ話ばっかりだって。でも本当のことを言うと格好悪くなっちゃうから……」


 まあ、わざわざ噂を訂正して評判を下げることはない――という王の考えはわかる。わかるけど、なんか地味でガッカリだ。


「父上と一緒にこの道を通って戦った護衛騎士達は、ディオニーと仲が悪くて……いつのまにか城から追い出されたんだ。このことを知ってるのは、城内ではもう僕だけだと思う」


 言いながらリオネルは、首から提げた紐を引っ張りだした。紐の先には、鍵がついている。


「地下倉庫の鍵も宝物庫から持って来た。……僕が“英雄”の息子で良かったでしょ?」


 確かにこれは“英雄と賞賛された男”の息子だからこそ知っている裏話で、リオネルがいなければ決行できない作戦だった。王は目覚めたといってもまだ記憶が曖昧で、動けもしない。こちらとしては、ありがたいのひと言に尽きる。


「で、この偵察がうまくいったら、陛下と同じようにここから突入するというわけですか」

「そしたら人質の命を盾に取られるだけだよ」

「じゃ、どうするんです」

「火薬で砦ごと吹き飛ばそうかと思って……」

「なんて?」


 聞き間違いに違いないと思ったのに、リオネルは律儀にも「火薬で吹き飛ばすんだよ」と繰り返した。


「もちろん人質を安全な場所に移動させたあとでね。そしたら、いちいち戦わなくてすむでしょ」

「すみません、ちょっとうまく理解できないんですが」

「リンドハーフ港を知ってる?」


 なんで急に港。困惑していると、ヨナスが「存じ上げております」と答えた。


「ここから馬で半日ほどの距離にある港街ですよね。我が国の貿易港でもあります」

「うん、そう。今は同盟国が増えて落ちついてるけど、昔は他国の武装船や海賊船に襲われたりして、割と戦が多かったんだ。で、その時に水上でも使える火薬っていうのが重宝されててさ。“雷火”っていう特殊な液体火薬で、火がつくと一瞬で高温に延焼して、それこそ雷が落ちたみたいな爆炎を巻き起こすんだ」

「そんなにすごい火薬があるんですか?」


 カイルが驚いて言うと、リオネルは「調合が難しい上に特殊な鉱物を使うから、かなり高価で量産は難しいんだけどね」と言った。


「威力が強すぎて危険だから人里で大量保管できなくて、港から離れてるグリムフォード砦に半分、備蓄されてるんだよ。ちょうど、今から行く地下倉庫に」


 通路を奥まで歩ききると、鉄扉があった。リオネルが持っていた鍵で解錠し、扉を開ける。カイルは少しばかり緊張した。ここから先は、グリムフォード砦の中なのだ。

 扉は手前に引くタイプのもので、開けた先には木箱が無造作に積んであった。どうやらこれで隠し扉をカモフラージュしているようだ。王が使ったあとにやったのかもしれないが、すごく適当だ。奥にはもう一つ小部屋と、そして砦内部に出るのだろう鉄扉がある。リオネルがカイルの視線に気づいて、小声で言った。


「あの扉は、この鍵がないと開かないんだ。だから、敵兵は入って来ないから安心して。でも、大きな音は立てないように注意してね」

「はい」


 やたら重い木箱の蓋を開けてみれば、一つ穴が空いた丸い陶器壺がたくさん入っている。陶器の中はカラのようだ。別の木箱には、中間辺りで結び目が作られた短い縄が入っている。何に使うんだろう。


「雷火はこっちの奥だよ」


 言われて奥に行くと、暗い部屋に人間が入りそうなほど大きな黒い壺が置かれている。こちらだけやけに暗いと思えば、さっきの木箱の部屋には通気用窓があるが、こちらには窓が一つもないせいだった。


「松明、近づけすぎないで。火の粉が落ちても危ないから」

「そんなに着火力がすごいんですか?」

「水で消される前に燃やし尽くす――っていうのが、海戦用火薬だから」


 カイルは持って来ていた松明を、壁掛け台に置いた。リオネルが黒壺の重そうな蓋を開けようとしているとすかさずヨナスとイードが手伝い始める。蛹から蝶に孵化したような見た目のせいか、それともリオネル自身の言動にほだされ始めているのか、すっかり王子の手下になっているようだ。


「う……っ、すごい匂いだな」


 壺の蓋を開けた途端、なんともいえない鼻につく匂いが広がる。中を覗き込めば、確かに液体が入っていた。リオネルが小部屋内に置かれていた、柄杓ひしゃくを持ってきて言う。


「さっきの部屋にあった小さな陶器に雷火を入れて、結び目のついた縄を捩じ込むんだ。縄の結び目が蓋代わりになるし、火をつければ導火線付きの玉になる」

「なるほど……。小さい壺一つで、どれくらいの破壊力があるんです?」

「小舟一つ吹き飛ばせるくらい。二、三個使えば、正門の格子門だって倒せると思う。ヴァルク達はそこから逃がそう」

「正門を破壊して?」

「城壁沿いにも外から仕掛けて壊しちゃおうよ。そしたらどこからでも逃げられるよ。あ、でも裏門側には仕掛けないようにして。森に燃え移ると大変だから」

「それなら結構な数の玉がいりますね」

「十個もあれば外からの破壊は充分かな。残った雷火はここで燃やして、砦を破壊するのに使おう」


 それほど威力があるものなら、この地下で雷火に着火すれば確かに砦は傾くだろう。カイルは歴史ある堅牢な砦を見回し、躊躇した。


「本当に壊しちゃうんですか?」

「二度も敵に占拠されるような砦なら、ないほうがいい」

「そりゃあまあ……」


 理屈はわかるが、それでもこれだけ立派な建造物だと尻がむず痒くなる。しかしリオネルはちっとも迷っていない様子で「さっさと雷火を詰めちゃおう」と、柄杓を手に騎士達に指示していた。

 この決断力、行動力、そして知性――ごくりと喉が鳴る。ヴァルクが「殿下、殿下」とうるさく心酔するわけだ。ただの平民にすぎない自分ですら、こいつは名君に化けるのではないかと思ってしまう。いや、もうそうなりつつあるのかもしれない。

 雷火玉を作って荷袋に詰め終えてから、ヨナスが言った。


「だけど、ここにある火薬にどうやって火をつけるんです? 誰かここに残るんですか」

「そんなことしたら、火付け役は死んじゃうでしょ」

「団長達を助けられるなら、自分は構いません」


 ヨナスは真顔で答えた。よほど奇襲作戦が失敗したのを悔いているらしい。リオネルは「だめだよ」と一刀両断した。


「君みたいな忠誠心の高い人材こそ、これから必要になるんだから。それに、誰かの命を犠牲に助かったって彼は喜ばないと思うよ」

「殿下はあいつのことをよく理解されてるようで」


 カイルは思わず冷やかした。これはヴァルクの片思いではないかもしれない。しかしリオネルは「まさか」と素っ気なく呟く。


「僕はヴァルクが、嘘ついて出て行くなんて思わなかった」

「あっと……それは心配させまいとして」

「この壺、一つでいいからそっちの部屋に運べる?」


 黒壺を指してリオネルが言う。もうヴァルクの話はいいと言わんばかりに。これは結構、怒っていそうだ。カイルは、この砦のどこかにいるだろうヴァルクに同情した。


「そこの、通気孔窓の横において」

「運ぶのは一つでいいんですか?」

「うん。これだけ狭い場所なら、一つが炎上すれば他のにも燃え広がるはずだから」


 言われた通りに壺を隣の部屋に移し、通気孔窓の下に置いた。窓には格子が嵌められている上、床の壺からはだいぶ距離がある。

 リオネルはそれを眺めて「うーん…」と考え込むように唸った。


「……木箱の上に、壺を置ける?」

「やってみます」


 木箱を移動させていると、イードが「うわっ」と嫌そうな声を上げた。何かと思って足元を見れば、薄汚れたネズミだった。カイルは呆れて言う。


「ネズミくらいで騒ぐなよ。女じゃあるまいし」


 言ってから、しまったと思った。王族のリオネルはどうせネズミを嫌って騒ぐに違いないからだ。しかし――振り向いたカイルは驚いて目を見張った。リオネルは逃げたネズミを素手で摘まみ上げると、信じられないことに自分の懐に入れたからだ。


「で……殿下? あの、それ、ネズミですよ」

「うん。ここにいると死んじゃうでしょ。外に連れてくよ」

「はあ……」


 あの堕落王子が、ネズミの心配……。

 四人がかりでなんとか、木箱の上に壺を置いた。それでも、壺から通気窓まではまだ距離がある。リオネルは別の木箱に登り、通気窓の外を確かめた。


「いい位置だ。ここの外は砦の広場だよ。ここから導火線を垂らして雷火に着火させれば、砦は傾いて崩れる」

「しかし導火線を垂らすといったって、ここにある縄はみんな短く切られてます」

「縄の結び目をほどいて、一つずつ結びつけて長くするのはどうでしょうか?」


 ヨナスが縄を一つ手に取って提案する。面倒だが、それしかなさそうだ。しかしリオネルは腰からナイフを引き抜くと、おもむろに三つ編みに結った自分の髪を掴んだ。


「殿下、何を――」


 カイルが尋ねる間もなく、リオネルはうなじの辺りから髪を切った。その場にいる全員が硬直しているうちにナイフを鞘に収め、そして三つ編みの尻尾の部分を通気孔の格子に結いつけた。三つ編みがほどけていく毛束の先を、壺の中に落とし込む。


「これで導火線はできた」

「な……何も髪を切らなくったって、縄を結んでいけば」

「無駄な時間をかけたくない」


 リオネルは言うと、木箱の上からぴょんと飛び降りた。短くなった黄金の髪が跳ねる。


「早く、ヴァルク達を助けに行こう」


 そう言って、もうここに用はないと言わんばかりに隠し通路の扉から出て行く。カイルは急いで壁の松明を手に取り、後を追いかけた。ヨナス達も雷火玉が入った袋を抱え、慌ててついてくる。

 ああ、まずいなあとカイルは苦々しく思った。ヴァルクみたいに変な意味じゃないけど――この王子に仕えたいと思ってしまう。新しい遊びを思いついた子供の頃みたいにワクワクと胸が弾んで、どうしようもなかった。





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