第37話 ジリオン王




 城の兵士達は、エリアナと一緒にいるのが誰なのかわからなかった。わからなかったが王女が一緒なので声をかけるのも憚られ、引き留めることもしなかった。

 王の寝室の扉を開け、リオネルとエリアナは室内に駆け込んだ。息を切らす二人が目にしたのは、カーテンの開いた明るい部屋、ベッドに上半身を起こして座っている、痩せ細った王の姿だった。青い目が、兄妹を見て眩しそうに目を細める。


「リオネル……エリアナか?」

「父上っ」

「お父様!」


 二人は小さな子供のように、父のベッドに飛び付いた。声を上げて泣きじゃくる兄妹の頭を、しわがれた手が撫でる。


「いつのまに……こんなに大きくなったのだ?」


 王はどこか夢現のように呟いた。長い旅から帰ってきたような、時間を越えて現れたような。衰えた体、手足は枯れ枝のように細い。周囲にいた侍女や兵士達は、親子の再会を見て思わず涙ぐんでいた。

 リオネルは涙をこぼしながら「どうして?」と父に尋ねた。


「ずっと、何年も…っ、治療したって、だめだったのに」

「その件ですが……」


 ヴァルクが連れてきた下町の医者が、言いづらそうに口火を切った。


「どうも、その治療に原因があったのではないかと。薬を飲まなくなってから、陛下は顔色がよくなられていきましたので……」

「宮廷医が、毒を飲ませていたというのか?」

「それならディオニーの仕業に違いないわ。だって、彼が雇った医者だもの」


 そう言われたら、その通りだ。王が倒れ、ディオニーは責任を取らせる形で以前の宮廷医を解雇した。そして新しく連れて来たのが、ビリエルだった。革命軍が現れた途端、患者である父を放り出して逃げた、あの医者……!

 何もかもが頭の中で繋がっていく。倒れた父、後見人に名乗りを上げたディオニー。最初から何もかも、ディオニーの仕業だった。

 そして今も、ヴァルクの命を握っている。


「……許さない」


 ディオニー・スヴァンテ。

 こんなにも誰かを憎いと思ったのは、生まれて初めてだった。


「リオネル……おまえ、その格好はどうした」


 王はぼんやりと、リオネルの姿を眺めて不思議そうに言った。

 ボサボサに乱れた髪、擦り切れた麻のローブ、裸足。そして汚れた体。とても王太子らしくない格好だ。王が顔を上げて、室内を見回す。


「……それに、見ない顔ばかりだ」


 いつの間にか追いかけてきていたカイルが、扉の前で居心地悪そうにしていた。リオネルは王の手を握る。


「父上。以前、僕にグリムフォード砦の武勇伝を聞かせて下さいましたね」


 王はしばらく記憶を辿るように虚ろな目をしていたが、やがて悪戯っぽく微笑んだ。


「ああ」

「あの話は、僕以外にしていないとおっしゃいました。ディオニーも知らないことですか?」

「そうだ。王になるおまえだからこそ、聞かせてやった」


 ならば、勝機はある。

 リオネルは涙を手の甲で拭った。


「エリー。父上を任せた。僕はやることがある」

「はい、お兄様」


 リオネルは妹と父を残し、足早に部屋を出た。カイルが「あ、ちょ…っ」と泡を食ったように追いかけてくる。


「あのぉっ、殿下。好きに歩き回れるのはちょっと……どこへ行かれるので?」

「湯浴みをする」

「はい?」


 戦に出る前は、体を清める。父からはそう教わった。

 リオネルは浴室に行き、石鹸を泡立てて一人で手早く体を洗った。髪も洗って長い金髪から水気を絞り、湯から上がる。すると衝立の向こうに控えていたのは、あのカイルとかいう男ではなく、眼鏡をかけた長髪の若い男だった。彼は全裸のリオネルを見て、たじろいだように視線を落とした。


「リオネル殿下……でいらっしゃいますか」

「誰?」

「ジェラルドと申します」

「ああ……書記官の」


 ヴァルクがそう言っていた。貴族だが革命軍に加わった一人だ。ジェラルドはリオネルにガウンを羽織らせて言った。


「補佐官――カイル卿から事情は聞きました。彼は王女殿下の護衛ですので、王のもとへ戻らせましたが」

「そう」

「王には、エリアナ王女から事情を話してくださっています。殿下はまだ幽閉を解かれたわけではございません。どうか塔にお戻り下さい」

「ディオニーは僕達と引換えに、ヴァルクを返すと言ったそうだけど。リーダーを見捨てるつもり?」

「これは執政官の命令でもあるのです。自分が敗れたらグリムフォードは諦め、防衛に力を入れろと」


 ヴァルクらしい。リオネルは小さく笑みを浮かべた。


「悪いけど僕は彼の部下じゃない。そして父上が目覚められた今、この国のトップは君でもヴァルクでもなく国王陛下だ。王の許可無く僕を幽閉することはできない」

「しかし……!」

「僕は部屋に戻る。誰か侍女を付けてくれ」


 ジェラルドは皮肉まじりに「侍女?」と聞き返してきた。


「よろしいのですか。また毒を盛られるかもしれませんよ」

「そんなもの、もう怖くない」


 自分の命なんかより、大切なものがある。リオネルは鬱陶しい髪を掻き上げ、ジェラルドを見た。それだけでジェラルドは、怯んだように口を噤む。


「君はどうして、革命軍に加わったんだ?」

「……無能な連中がのさばり、国が滅びるのを眺めているのが嫌だったからです」

「イソルテ軍を止めないと、国は滅びる」

「わかっています。そのために各地で徴兵を……」

「求心力となる将たる英雄がいないのに、人なんか集まるわけがない。無能な連中みたいに民の人権を無視して、強制徴兵するなら別だけど」

「……っ、なら、どうしろと言うんです!」


 縋るように叫んだジェラルドに、リオネルは静かに告げた。


「僕がグリムフォードに行って、ヴァルクを救出する」

「人質交換に応じるつもりですか? そんなことしたって……」

「わざわざ向こうから僕を入れてくれるというんだ。これを利用しない手はない」


 ディオニーは、リオネルが革命軍を嫌っていると思っている。カイルが言ったように『自分を逮捕して牢獄にブチ込んだ』相手であり『恨みこそすれ、友達だなんて一生思えない』のが普通だからだ。

 ジェラルドは「しかし…」と戸惑うように言った。


「連中が門戸を開くのは、殿下に対してだけです。護衛は入れません。お一人で何ができるというんです」

「できるよ」


 リオネルはあっさり断言した。


「忘れてるかもしれないけど、僕は英雄の息子だからね」





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