第35話 慰め
自由騎士団が敗北し、ヴァルクが捕らえられたという情報は瞬く間に王都に届いた。書状を読み終えたカイルは、怒りのあまり思わず握り潰した。
「ふざけやがって……! おれが行く」
「いけません」
早朝、エリアナ王女の寝室前通路。扉の外で護衛をしていたカイルに書状を見せたジェラルドは、カイルが言い出すことを予測していたかのように反論した。
「行ってどうするんです。我々は戦力で劣る上に、向こうには人質もいるんですよ。今、我々に必要なのは時間です。各領地の騎士団や傭兵に徴兵をかけています。軍勢が整うまで動くわけには」
「その間に、あいつが死んだらどうする! 丁重に客としてもてなされているとでも思うのか!?」
「執政官の命令を思い出して下さい。自分が潰れた場合には、グリムフォードを取られてもいい。防衛線を張って、これ以上侵入させないように……殿下達に手を出させるなと、そう言われたでしょう。彼は敗れ、グリムフォードは落ちたんです。我々は民衆を守るため、軍備を強化しなければ」
「……っくそ!」
カイルは苛立ちを抑えきれず、廊下の壁を殴りつけた。すると王女の寝室内で物音がして、カチャリと扉が開く。白い部屋着姿のままのエリアナが、不安げに顔を覗かせた。
「あの……何かあったのですか?」
ジェラルドは王女に「おはようございます、殿下」とにこやかに微笑みかけた。
「なんでもございません。カイル卿がよろけて手をついただけです。……少し休んだほうがいいですね」
ジェラルドは「それでは失礼します」と頭を下げて、立ち去っていった。俯いたままのカイルに、エリアナが心配そうに声をかける。
「……大丈夫ですか。顔色が真っ青です」
全然大丈夫じゃない。ヴァルクが殺され、イソルテ軍が王都に攻め入り、再びこの国はディオニーの手に堕ちる。そんな最悪の未来が、すぐそこに迫っている。
「カイル様?」
この王女も――ちょっとからかっただけで真っ赤になる初心な王女も、イソルテ軍に引き渡され、誰かに娶られるだろう。相手はイソルテ公国の貴族かもしれないし、ディオニーかもしれない。どのみち彼女に幸せはない。この国と同じく、死ぬまで蹂躙されるだけだ。
「部屋に入ってください。お茶を用意しますから」
細く小さな手に引かれ、カイルは王女の寝室に入った。長椅子に座らされ、王女が侍女に命じて紅茶を用意させる。こうしている間にも、ヴァルクは――でも、どうすればいいんだ。
王子達を引き渡し、ヴァルクが帰ってきたとしても……イソルテ軍が攻めてくる、その結末は変わらないだろう。
「さあ、一口お飲みになって。気分が落ちつきます」
茶なんか飲んだくらいで、どうこうなる問題じゃない。茶を飲むどころか動きもしないでいると、膝の上で握りしめていたカイルの手に、エリアナの手がそっと載った。
「何があったのかわかりませんが……わたくしが力になれることはありますか?」
「……お姫様が力になれること?」
敵はリオネルとエリアナの身柄を要求している。親友を助ける代わりに行ってくれと言ったら、この王女はどんな顔をするのだろう。
おかしくなって、カイルは鼻で笑った。笑ってから虚しくなる。
「じゃあ……慰めてください。落ち込んでいるんです」
「わかりました」
エリアナは頷いて、それからカイルの頭を撫で始めた。少し恥ずかしそうに言う。
「どうでしょうか。子供の頃、つらいことがあるとお兄様がこうやって慰めてくれたのですが……」
平和ボケした見当外れの回答に、脱力する。
「男が求める慰めというのは、もっと違うものです」
エリアナはきょとんとカイルを見つめ返していた。どうせディオニー達の慰みものになるくらいなら、今ここで自分が教えておいてやろうか――そんな凶暴な考えが頭を過り、半開きの唇に口づけようとした。
が、突然エリアナに抱き寄せられ、カイルの唇は彼女のやわらかい胸に押し潰された。あまりのことに驚いて動けないでいると、ぽんぽんと優しく背中を叩かれる。
「そうですよね。男性でも、甘えたい時はありますよね。わたくしも、どうしようもない時はマリアンに慰めてもらうんです。怖かったり、不安な時は……人の体温を感じると落ちつきますから」
全然違うとも言えないが、合っているとも言えない。けれどエリアナの体はやわらかく、花のような優しい香りがした。なんにも考えず、このままボーッとしていたい。そんなふうに思ってしまう。
けれど、それも束の間だった。エリアナが力強く抱きしめるせいで、カイルは胸に顔が埋まって息がうまくできなかった。苦しい。やばい。死ぬ。カイルはもがいて、エリアナの体を引き剥がした。
「ふはぁっ、ゲホッ、殺す気かよ……っ!」
「えっ? ご、ごめんなさい」
「ほんっとにお子様はこれだから」
「わ、わたくしはもう大人だと以前にも申し上げたはずです!」
とにかく悲嘆していても仕方がない。やれることはやっておかなければ。カイルはカップを取り、紅茶をぐいと一息で飲み干した。勢いよく立ち上がる。
「王子殿下のところへ行ってきます」
「お兄様の……?」
「ええ。一緒に行きますか?」
「いいんですかっ!?」
エリアナはパッと嬉しそうに顔を輝かせた。こんなふうに明るく笑顔を浮かべるエリアナを、初めて見たかもしれない。カイルはまじまじとエリアナを眺め、そして彼女の白いレースの襟元に視線を落とした。
「お姫様って、けっこう豊満な胸をしているんですね。俺の好みです」
エリアナは「え…」と目を瞬かせ、それから熟れた林檎のように真っ赤になった。平手打ちが飛んできて、小気味良い音が鳴る。
痛かったが、カイルは笑った。もう落ち込む気にはならなかった。
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