第34話 英雄の敗北



 砦正面の丘に布陣を敷いたヴァルクは、できるだけ敵を焦らし、精神的に消耗させてやるつもりだった。砦の兵士はどれだけ警戒を強めても、自分達から外に出てくることはない。しかける側の気分でいつ始めてもいいというのは、心理戦的には有利だった。

 もう少し、月が高く昇ったら――細い三日月を見上げ、そんなことを考えていた時だった。突然、砦の兵士達がワアワアと騒がしくなった。


「なんだ?」

「さあ……」


 ヴァルクの傍にいた騎士達も困惑している様子だ。


「たっ、大変です!」


 砦の周囲に配置していた偵察隊の一人が、血相を変えて馬で駆けつけてきた。


「裏門の奇襲部隊が戦闘を開始しました!」

「なんだと?」

「すでに乱戦状態で、森に撤退をかけている状況です」


 なぜそんなことに――起こったことは仕方がない。問題は裏門の奇襲部隊が制圧されれば、イソルテ軍は正面に全戦力をぶつけてくるということだ。まだ裏門が乱戦状態だというなら、突入のタイミングは今、この時しか残されていない。


「進軍開始!」


 唐突な号令に、本隊兵士達は慌てた。まだ突入はないと踏んで、馬から降りて用を足していた兵士もいたくらいだ。そんな彼らが慌てて前を整え、馬に跨がった時にはもう、ヴァルクと一部の精鋭騎士達は、先陣を切って砦へと馬で駆けていた。

 ヴァルクは焦っていた。早くこちらが攻撃をしかけなければ、裏門にいるヨナス達が全滅してしまう。彼らが森に撤退する時間を稼ぐためにも、本隊で敵軍を引き付けなければならない。

 砦の正門は固く閉ざされていた。だが――


「投石部隊、放て!」


 あらかじめ準備を整えさせていた投石部隊に命じる。すると巨大な匙のような投石機に積んでいた石が、砦の正門に向かって勢いよく放たれた。一機目、二機目、三機目と、大きな石が正門扉に打ち込まれていく。扉が外れて倒れ、ヴァルク達は一気になだれ込んだ。イソルテ公国の兵士達が叫ぶ。


「敵襲っ」

「先頭指揮官はヴァルク・カーディアです!」

「敵将だっ、討ち取れ!」


 軍勢が一気に、ヴァルク目がけて集まってくる。襲いかかってくる兵士達を、ヴァルクは馬上から剣で切り伏せ続けた。ある程度敵が集まったら退いて敵軍を誘い出す予定だったが、ヨナス隊の動向がわからない今、自分が囮にならなければ彼らが危ない。

 城壁から階段を駆け下りてくる連中、馬を取り囲もうとする奴ら、敵兵の動きを確認しながら指揮官の姿を探す。

 ディオニーのクソ野郎は、いったいどこにいるんだ!?


「格子門を降ろせ!」


 城壁の上から、声が響き渡った。ヴァルクの背後にあった正門、篝火の傍で兵士が鎖を引くのが見えた。まずい。


「来るなッ、退け!」


 外から入ってこようとしていた味方の兵士に叫ぶ。瞬間、鉄の擦れる音が響いて格子門が勢いよく降りた。誰か巻き込まれたかもしれなかったが、敵兵が邪魔で確認できない。見えるのは閉ざされた門だけだ。

 分断された。格子門を開けない限り、撤退もできない。投石機では、鉄製の格子門を破壊することは難しいだろう。

 誰かが内側から、あの鎖を引かないと――二千人も敵兵がいる中で?


「降伏するんだな、ヴァルク・カーディア」


 城壁から階段を降りてきたのは、赤髪の若い男だった。派手がましい鍍金された鎧を着ているあたり、イソルテ公国の指揮官だろう。


「おまえ達は少数で、退路も断たれている。この場にいる仲間の命を大切にしたいなら、剣を捨てて馬から降りろ」


 見れば自分と一緒に突入してきた仲間達が、敵兵に囲まれ剣を突きつけられていた。


「団長……」


 完全な劣勢――敗北に、彼らも戦意を喪失し、縋るような目をこちらに向けている。ヴァルクは大きく息をついた。

 ここまでのようだ。馬から降り、言われた通りに剣を捨てる。たちまち近くにいた兵士達がヴァルクの手を後ろに拘束し、頭を乱暴に掴んだ。額を叩き割る勢いで地面に押さえ付けられ、視界に火花が散る。


「く……っ」

「なんだ。近くで見たら、割と良い男じゃないか」


 篝火で反射して輝く鉄製の靴が目の前に来て、暢気な声が頭上から降ってくる。


「ディオニー公。これも、私がもらっていい?」


 ディオニー!?

 ヴァルクは押さえ付けられた頭をムリヤリに持ち上げ、顔を上げた。すると、城壁の石段を降りて来る男が見えた。灰色の髪を一つに束ね、口髭を生やしている。


「残念ですが公子様、それは我が国を蹂躙した大罪人です。自由騎士団などというふざけた逆賊どもを黙らせるためにも、処刑して首を晒さねばなりません」

「殺して首を晒したら、向こうもリオネルの首を切っちゃうんじゃないか?」

「そうなったところで、奴らの罪状が重くなるだけです。我々が正義で悪を討つという構図に何ら変わりはありません」

「だめだ。リオネルは私にくれるという約束だろう」


 王子が死んでもいいというディオニーの発言も許せないが、このイソルテの公子がリオネルと馴れ馴れしく呼び捨てるのも気に入らなかった。

 今、自分の首と引換えにこいつらが死ぬというなら、喜んで命を差し出すのに……!

 ディオニーはしばらく考え込んで言った。


「では、こうしましょう。この男と引換えに再度、リオネル殿下とエリアナ王女を差し出せと奴らに要求するのです。そして二人の身柄を確保したのち、この男ともども自由騎士団の連中を始末するというのは」

「向こうが二人を連れて来なかったら?」

「王都に攻め入って救出するだけです」

「結局、最初の計画通りってことか。いいんじゃない」


 赤毛の公子はヴァルクの頭を鉄靴の爪先で小突き、ふわあと欠伸をした。


「じゃ、そいつら牢に繋いどいて。私はもう寝るから」

「おやすみなさいませ」


 ディオニーは、まるで主君を相手にするかのごとく、恭しくお辞儀をした。


「売国奴め……!」


 憎悪を込めて呟いたヴァルクに、ディオニーは振り返って笑みを浮かべる。


「今のうちに吼えておけ。明日の今頃には、悲鳴を漏らす気力もないだろうからな」

「……っ」

「卑しい身の分際で私の平穏を破ったことを、たっぷり後悔させてやる」





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