第31話 ディオニー・スヴァンテ



 グリムフォード砦の最上階では、豪華な晩餐が開かれていた。テーブルには焼きたてのパン、塩漬けされた肉、熟した果物、そして香り高いワインが所狭しと並んでいる。


「民が飢えて反乱を起こしたと聞いていたが、しっかり食い物があるじゃないか」


 満足げに呟いて肉を頬張るのは赤毛の若き公子、トリスティン・ギデンズ・イソルテだ。イソルテ公国大公エバルドの息子であり、此度の進軍における指揮官でもある。


「領民達が我々を歓迎しているという証ですよ」


 ディオニー・スヴァンテは、悠然とグラスを傾けてワインを味わいながらそう答えた。痩せてはいるが長身で、白髪交じりの灰色の髪を垂らし、口髭はゆったりと生えている。

 料理や飲み物はすべて、彼が兵士達に命じてグリムフォード領の民から無理矢理奪い取ったものだ。とはいえディオニーに奪ったという認識はない。下々の者が領主に食料を差し出すのは当然の義務であり、そのために民が餓死しても仕方が無い。死んだらまた産ませればいいのだ。どうせ平民など、ネズミと変わらぬ勢いで増えるのだから。


「彼らのためにも我々は早急にリオネル殿下とエリアナ王女を助け出し、国を取り戻さねばなりません」

「取り戻した暁には、我がイソルテ公国に国土の半分を差し出す。そういう話だったな」

「はい。僭越ながら私が領主として、管理させていただきます。……もっとも、そのもう半分もじきに手に入るでしょう。何しろリオネル殿下は王と同じ病を発症しておりますから、国を治める余力などございますまい」

「もったいない。リオネル殿下には十年程前に一度お会いしたことがあるが、とんでもない美少年だったぞ。今が食べ頃だろうに、薬漬けにしてしまうのか?」

「病が発症すれば、薬は必要ですから」


 何が食べ頃だと、ディオニーは胸糞の悪さをワインで誤魔化す。ディオニーには理解のできないことだが、イソルテ公国では貴族の嗜みの一つとして同性の愛妾を持つことが流行っていた。トリスティンも多くの男娼を抱えている。彼の好みは女性的な容姿をした若い男であり、リオネルが太っていなければ彼の好みそのものであるだろう。


「ふむ、ではその時は我が城で療養させるといい。私が自ら丁重に看護しよう」

「恐れ入ります。妹姫はいかがなさいますか?」

「そっちは病に倒れる“予定”はないのか?」

「子を産む女は、男より丈夫ですので。エバルド大公にお許しいただけるなら、私が娶ろうかと考えております。統治するのに王家の血があれば、都合がいいですから」

「私の父が欲しがったら?」

「もちろんお断りする理由はございません」


 もしエリアナが、死んだ王妃エヴェリナと同じ黄金の髪だったら――彼女のような、妖艶な美しさを兼ね備えていたなら。自分はきっと何としてでも、手に入れられなかった王妃の代わりに彼女を求めただろう。しかしエリアナは栗色の髪で、美しい顔立ちをしているが父親似だ。存在感も薄く、エヴェリナのような華々しさもない。イソルテ公国が差し出せと言うなら惜しくはないし、いらないというなら利用するだけだ。トリスティンはどちらかといえば男色の気のほうが強いようで、あまり興味なさげに相槌を打った。


「まあ父からは何も聞いてないし、ディオニー公の好きにすればいいだろう」

「ありがとうございます」

「その代わり、兄のほうは私がもらうからな」

「かしこまりました」


 とはいえ今の丸々と肥えたリオネルの姿を見れば、トリスティンは興味を無くすだろう。リオネルは――男であるのが惜しいくらいに、エヴェリナに似ている。彼女が自分以外の男との間に作った子とはいえ、エヴェリナに似たリオネルをオモチャにされるのは、あまり良い気分では無かった。

 あれを利用していいのは、育てた自分だけだ。懐けば扱いやすいので甘やかしていただけだが、いいように太ったのは結果的にリオネルにも幸運だったというわけだ。

 もっとも毒漬けにすれば、ジリオン王と同じように痩せ衰えていくだろうが……。


「……」


 ジリオンがエヴェリナを妻にしなければ――エヴェリナが王女出産後に、命を落としたりしなければ……親友に毒を盛るなんてことは、しなかったかもしれない。

 侯爵令嬢だったエヴェリナとの婚約話が持ち上がったのは、自分のほうが先だった。それなのにジリオンが、茶会で出逢ったエヴェリナに目をつけた。王太子であったジリオンから婚約申し込みがあった途端、エヴェリナの両親はスヴァンテ公爵家との婚約話を白紙に戻し、彼女はジリオンと結婚した。

 初恋の女性を親友に奪われた、あの屈辱は今でも忘れられない。エヴェリナと比べたら、どんな女も霞んで見えた。それでも彼女は王妃として幸せそうにしていたから我慢したものを……。

 彼女が死んで、何もかもが虚しくなった。なのにジリオンは息子と娘に囲まれ、幸せそうにしていた。エヴェリナを孕ませて死に追いやっておきながら。

 長い年月をかけて石を削る雫のように、彼女がいない虚しさとジリオンに対する憎しみは、心に深い穴をもたらした。だから宮廷医と元老院を抱き込んでジリオンの玉座を奪い、思い知らせてやったのだ。エヴェリナを自分から奪い、死なせた罪の重さを、当然の報いを与えてやったのだ。

 あの毒は大量に摂取すれば立ち所に意識を失う。そして毎日、少量ずつ摂取させれば生かさず殺さず、長い間苦しめることができる。エヴェリナのもとに、そう簡単に逝かせては面白くない。自分が生きている限り、ジリオンにも苦しんでいてもらう。

 けれど革命などという、平民ごときのふざけた愚行がすべてを台無しにした。今となっては宮廷医がどうしているかもわからない。毒が切れてジリオンが目覚める前に、さっさと始末をつけてしまわなければ。


「それにしても私の初陣が、よもや叔父が死んだこの砦になろうとはな」


 トリスティンがワインを飲み干しながら、面白がるように言った。


「剣豪ジリオン王の英雄譚……“グリムフォード砦の戦い”だったか。まだ若かったジリオン王が少数精鋭の部隊でイソルテ軍勢を突破し、我が叔父上を討ち取ったとか」

「ただの奇襲です」


 英雄譚などと、大袈裟すぎるのだ。ディオニーは失笑した。


「この砦の西側は見晴らしのいい丘が広がっていますが、東側は深い森に覆われています。ジリオン王は少数で見つからないよう森の中を突き進み、裏門から突撃したのです。叔父上殿はよもや一国の王がそのように卑怯な不意打ちを突いてくるとは思わなかったのでしょう。軍の姿も見えないうちから奇襲に遭い、命を落とされた。いわば、戦というより暗殺です」

「なるほどな。では裏門の防衛を手厚くしておくか」

「そう心配されることはありません。剣豪ジリオンは来ませんし、彼と共に戦った騎士達もとっくに私が国から追い払いました。来るとしたら、この間まで農具を振り回していた騎士団気取りの平民達です。イソルテ公国の優れた兵士達にとっては赤子も同然。おとなしく王子達を差し出すならよし、そうでなければ蹴散らして、王都へ向けて進軍するのみです」


 ディオニーは、カラになったトリスティンのグラスにワインを注いでやった。


「グリムフォードの英雄は、後世ではジリオンではなくトリスティン公子の名が語り継がれることでしょう」

「その時はレア王国史ではなく、イソルテ公国史だな」


 二人は笑い合いながら、晩餐を楽しんだ。


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