第30話 互いの夢



 何か、塔の外が騒がしい。

 馬の嘶きやら、兵士達の掛け声やら、鉄の擦れ合う音なんかが、牢獄の格子窓から聞こえてくる。軍事訓練でもしてるのかなと思いながら、リオネルはベッドに寝転がったまま、本のページをめくった。

 “クリストバルの航海日記”。子供の頃に好きだった本。十八歳になったら航海に出ようと決めていたのに、いつのまにかその年齢をとっくに過ぎてしまった。


「もう一生、むりだろうなぁ……」


 何せ、城の中すら自由じゃないんだから。ディオニーなんかに躍らされて、なんて無駄な時間を過ごしてしまったんだろう。だからといって病気の父や妹を置いて、出て行けるわけはなかったんだけど。

 人の足音が、階段を上がってくる。少し早足の歩き方は、ヴァルクだ。本を閉じて、身を起こす。律儀なノックが聞こえた。


「殿下、俺です」

「どうぞ」


 こっちは囚人なんだから、勝手に入ってくればいいのに。入って来たヴァルクの様子に、リオネルは目を瞬かせた。


「どうしたの、それ。かっこいいね」


 ヴァルクは赤い外套付きの鎧を着ていた。近衛騎士、それも王族直属である親衛隊の鎧だ。ヴァルクは顔を赤らめて「すみません」と謝った。


「俺はもう近衛騎士じゃないし、王族の親衛隊でもなかったんですが……城にある一番いい鎧がこれだったので、お借りしました」

「別にいいんじゃない? 似合ってる」

「……これ着るの、実は夢だったんです」


 ヴァルクが照れくさそうに笑う。リオネルは「そうなんだ」と意外に思った。


「王族が嫌いなんだと思ってたけど」

「陛下は、俺の憧れでした。陛下みたいな剣士になりたくて……」

「騎士でそういう人、多いよね。僕は全然、剣の才能がなくってさ。父上に『やる気はあるのか』って聞かれて『ない』って言ったら『じゃあ、別のことをしろ。おまえには他の才能があるんだろう』って、あっさり諦められちゃって。しつこくされるのも嫌だったけど、簡単に諦められるのもムカつくというか。まあ結局、勉強してるほうが好きだったし、本当に諦めたんだけど」


 腕を組んで思い出しムカつきをしながら話すと、ヴァルクはおかしそうに笑った。でもなんだか悲しそうで、笑い方に元気がないように見える。


「……それで、どうかしたの? そんな鎧着ちゃって」

「ちょっと、遠征に行くことになりまして」

「遠征?」

「一応、革命軍のリーダーですから。王都以外がどうなってるか、巡回する必要があるでしょう」


 まあ、確かにその通りだ。リオネルは、まじまじとヴァルクを眺める。


「革命軍のリーダーとして巡回するのに、近衛親衛隊の鎧を着るのは嫌味すぎじゃない?」


 ヴァルクはふっと破顔した。


「本当にそうですね」

「……どれくらいで帰って来られるの?」

「数週間程度かと」


 待つには長い時間だ。ヴァルクは「それで…」と言いづらそうに呟いた。


「殿下のお食事ですが、信頼できる者達に任せるつもりです。毒見もさせます」

「いいよ、そんなの……」

「こんな場所に閉じ込めて言うのも説得力に欠けますが、殿下に何かあれば陛下に面目が立ちません。それにエリアナ王女の食事も毒見はしていますから、ついでのようなものですし気になさらないでください。俺が作るより美味いはずです」


 ヴァルクはそっと、リオネルの頬に触れた。


「だから……ちゃんと食べて。これ以上は痩せないでください」

「……うん」


 寂しい。

 チュチュがいなくなって、この部屋を訪ねてきてくれるのはヴァルクだけだ。エリアナはエリアナで自室に軟禁状態だから、もう長いこと会っていない。

 いや――誰が会いにこようと、ヴァルクが来てくれるのは楽しかった。大変だけど山ほどの仕事を与えてくれるのは、必要とされている気がして嬉しかった。食事もおいしいとは言えないけど、一生懸命作ってくれているのを感じるから、やっぱり嬉しかった。チュチュのお墓も作ってくれたし、頼めばこっそり湯浴みもさせてくれる。一人の人間として、きちんと対等に接してくれるのは、ヴァルクだけだった。


「気をつけてね」

「はい。行ってきます」


 ヴァルクが背中を向ける。明日も明後日も明明後日も、この男は来ない。ここにいない。


「――待って!」


 ヴァルクが怪訝そうに振り返る。特に引き留める口実も考えていなかったリオネルは焦った。


「えっと……あ、そうだ。これ」


 ベッドに置いてあった“クリストバルの航海日記”を手に取って、ヴァルクに押しつける。


「遠征中、寝る前とか……暇だったら読んでみて。僕が一番、好きな本なんだ」

「……そうなんですか」

「うん。本当は十八歳になったら見聞のために、航海に出ようと思ってたんだけど――」


 言いながら、あれ、と思った。なんだろう、この既視感。

 リオネルは思わず、ヴァルクを見上げた。


「僕……前にも君に、この話したことあったっけ?」


 なぜだか急に、ヴァルクの顔が泣きそうに歪んだ。鎧の体に抱きつかれて、押し潰されそうになる。本がばさりと床に落ちた。


「殿下」


 妙に熱っぽい声で呼ばれた。手甲を嵌めた武骨な手が頬に触れる。湿った息を感じたと思ったら、唇が重なっていた。

 え、なにこれ。あまりに突然のことに頭がついていかず、リオネルは他人事のように考えた。考えたけど、何も考えつかなかった。その間にキスが深くなる。息と一緒に、ぬめるものが口の中にもぐりこんだ。


「ん、は――…っ」


 待って、と言いたかったのに、口を塞がれてはどうにもならない。息苦しくなって、心臓が早くなる。ヴァルクは何でこんなことしてるんだろう。男相手に、しかも僕相手に、嫌じゃないんだろうか。嫌だったらしないよな――そうか、嫌じゃないのか。

 体から力を抜いた瞬間、肩を掴まれて、ヴァルクがすごい勢いで離れる。


「あ――俺……っ、つい」


 ヴァルクは真っ赤になっていた。目線が泳ぎまくっている。


「……もっ、申し訳ありません!」


 叫んで、部屋を飛び出して行くヴァルクを、リオネルは見送ることしかできなかった。





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