第25話 王子殿下が好きなんだ



 リオネルへの恋情を自覚したところで、事態が何か変わるわけじゃない。強いて言うなら好きな人を牢獄に閉じ込めて独り占めしているという状況に、とてつもない背徳感と優越感が行ったりきたりして、自己嫌悪に陥るくらいだ。

 そんな中でも仕事は増える。ジェラルド達の報告によれば、疲弊しきった国の経済回復状況は、あまり芳しくなかった。革命の戦禍で職を失った人は多いのに、物価上昇が止まらないからだ。


「会議では、政府側で物価を決めてしまってはどうかという声があったのですが……」

「マール帝国のオヌクィデスアレティがやった物価統制みたいに?」


 いつもの、二人きりの牢獄。リオネルの質問にヴァルクは「オヌ……え?」と聞き返した。人名かどうかもわからない。そもそもマール帝国ってどこだ。


「何百年も昔の王だから、知らなくても無理ないよ。価格を決めるのは物価上昇を防げるけど、オヌクィデスアレティの時は失敗だったんだ。生産者側が充分な利益を得られないから、正規の市場には粗悪品しか卸さず、良品は高値で売買できる闇市で商売するようになってね。結果的に余計に飢餓が広まって、良いことなかったんだよ」

「そんな……では、どうすれば?」


 リオネルは財務状況を記した書類に目を通しながら「あまり国が経済介入はしないほうがいいんだけど」と呟いた。


「国庫はもう教会や貴族から横領品を回収して、それなりに回復してる。一時的に、免税するのはどうかな。贅沢さえしなきゃ問題ないはずだよ」

「ですが軍備を整えたかったんでしょう? 金はいくらでも必要ですが」

「民が元気じゃなきゃ、軍備を潤したって意味ない。民が兵士なんだから」


 税が徴収されない。平民からすれば、こんなに嬉しいことはない。稼いだ金を、自分達のためだけに使えるのだ。しかし――…


「一時的とは、どれくらいでしょう」

「そうだね……。国庫も余裕があるっていうわけじゃないし……三年、いや二年かな。二年が妥当だと思う」

「二年後に反発が起こりませんか?」

「そりゃ今みたいな法外な税率に戻せばね。最初の一、二年は低税率、それから数年かけて徐々に通常税率に戻すんだよ。もちろん適正な利率を計算して。それから農民達からの貢納は今後、収穫期だけにする」

「季節ごとに収める必要はないと?」

「冬の蓄えから出させるのは酷だよ。年に一度、収穫量に応じて納付量を決める。それなら負担も一定で済むでしょ」


 そう言ってから、リオネルは伏し目がちに付け加えた。


「まあ……僕がそう思うってだけで、実際に有益かどうかはわかんないけど」

「殿下の案はいつだって素晴らしいです」


 お世辞ではなく、心からそう思う。聞いていても腑に落ちる話ばかりで、反論したいという気が起こらない。

 仲間達に会議でこの内容を伝えると、特に大きな反対もなくあっさり通った。ジェラルドはむしろ関心していた。


「思い切った政策ですが、いい措置です。これなら納税再開後の反発も少なそうですし」

「リオネル殿下の発案だ。彼の名前で公布したい」


 ヴァルクはきっちり付け加えた。どうせダメだと言われるのだろうと諦めていたが、ジェラルドは言った。


「反対はしません」

「え……」

「いいのですか?」


 身を乗り出したのはエリアナだった。彼女も兄の悪評がいつまでも消えないことに、心を痛めていたのだろう。ジェラルドは「はい」と頷く。


「先日、アルノルド・コーリバンの遺体を――実際には事故ではありましたが処刑として公表した結果、世論では王女殿下に対して同情的だったようです。……執政官が王女殿下を熱心に庇護して演説した影響が大きいのでしょう。王子殿下の名前で布令を出したいなら、今のタイミングは悪くありません」

「まあ堕落王子にしちゃ、がんばったんじゃねえの? 暮らしが楽になるなら、誰の名前でもいいぜ」


 上から目線のテオの発言は張り倒したくなったが、ヴァルクは我慢した。ジェラルドは「ただ…」と付け加えた。


「王子の名前で布令を出すよりあなたの名前にしたほうが、新政府への支持率は格段に上がると思いますよ。私だったら後者を選びます」

「殿下の手柄を横取りするのは、もうウンザリだ」

「執政官らしいですね」

「頭固いんだよな」


 背後から聞こえた声にカイルを睨むと、プッと小さく吹き出す声が聞こえた。見ればエレノアが口元に手を当てて「すみません」と謝る。王女が笑うのは初めて見た。不思議と場の空気が一気に緩む。テオに至っては、だらしない顔をしてエリアナを眺めていた。

 納税に対して重要告知がある旨を王都中で布令に出すと、城門前広場には瞬く間に民衆が押し寄せた。ヴァルクが城門の上に姿を見せるなり、彼らの視線が一斉に集まる。


「これから通達する布令はリオネル・アイゼン・レア王子殿下の御名において発せられ、執政官ヴァルク・カーディアが代理として実行に移すことを、先に宣言させていただく」


 王子の名前をしっかり伝え、ヴァルクは声を張り上げた。


「王子殿下は、国民が豊かな生活を取り戻すための期間が必要であると考え、税の徴収を停止することを決定された。この措置は国庫の状況を鑑み、二年間継続される。二年後には、必要に応じて税率を段階的に引き上げるが、国民の負担を考慮し適正な税率を維持することを約束する。さらに農民による貢納は今後、収穫期に限り行うものとし、季節ごとの納付は不要となる。貢納は収穫量に応じて公平に決定する。以上だ」


 民衆達はきょとんとしていたが、次第にざわつき始めた。


「二年も税を払わなくていいのか。それなら店を建て直せそうだ」

「冬の貢納がなくなるなら、安心して年を越せるわ」

「しかし段階的に税が上がるってのはなあ」

「今みたいなひどい税率じゃなきゃいいよ。ひとまずこれで安心だ」


 ざわつきはだんだん大きくなり、歓喜の声が混ざり始めた。


「自由騎士団万歳!」

「やるじゃないか、新政府!」

「ヴァルク様、ありがと~!」


 王子を賞賛する声がない。ヴァルクは急いで言った。


「いや、これは俺じゃなく王子殿下が……!」

「ヴァルク様ーっ、王女殿下とのご結婚はいつですか!?」

「はあ?」


 なんだそれは。棒立ちになるヴァルクを置いて、民衆のひやかすような声はいっそう大きくなった。


「ま、そうなるよなあ」

「カイル! なんなんだ、どういうことだ?」


 縋るように隣に立つ幼馴染みを見れば、カイルは「あれだよ」と、城壁に吊されて無残な有様になっているアルノルドを指した。


「どう見ても嫉妬に狂った男の仕業じゃん」

「なっ、違……!」

「悪者を退治して英雄はお姫様と結婚し、幸せに暮らしました~ってやつ。定番だろ」


 確かに物語の定番ではあるけれども。


「違う! 俺は王女殿下とはそんな関係じゃないっ」


 好きなのは王子殿下のほうなのに!

 しかし焦って否定すればするほど、民衆には照れているように見えたらしい。ヒューヒューと口笛ではやし立てる声まで聞こえてくる。


「とにかく今回の発令は王子殿下の――」

「デキの悪い義兄を持つと苦労するよなぁ! 無能な堕落王子の売名なんかしなくていいぞ!」

「なんだと!?」


 民衆の王子を嘲笑う声に、ヴァルクは思わず腰の剣に手を当てた。しかしカイルがものすごい力で掴んで阻止してくる。


「バカ、こんなところでキレんな!」

「何が売名だ。何も知らないで、王子殿下を」

「わかった、わかった。ほら、退くぞ!」


 カイルに引き摺られて、ヴァルクは城門塔の中に押し込められた。だけど、それでも憤りは収まらない。


「どうして皆、王子殿下を無視するんだ!」

「そりゃあ国を腐敗させた堕落王子だからだろ」

「今は違うっ。立派に政務をこなされて……」

「もう遅いんだよ」


 カイルは苛立ったように呟いた。


「罪人が何をやったって、罪人のレッテルは剥がれない。おまえがいくら王子を庇ったって、大好きなお姫様の兄貴だからだとしか思われない」

「俺は王女殿下のことは……!」

「わかってるよ。でも世間が望んでいるのは、そういう英雄譚なんだ。物語の結末として、これ以上きれいな終わりはない。吟遊詩人のネタにされて後世に語り継がれるのは、いつだってそういう物語だろう?」


 カイルの言いたいことはわかる。自分だって他人事なら、そういうおめでたい結末を期待したかもしれない。しかし……ヴァルクは頭が痛くなった。カイルは更に言った。


「ジェラルドが王子の名前で公表するのを許可したのだって、この流れを読んでたからだと思うぞ。英雄は王子とも険悪ではないとわかれば、民も安心して応援できるしな」

「あの策士め……」

「そう言うなよ。あいつは嫌味な奴だけど、自由騎士団のいい参謀だ」

「だからって、王女殿下は十歳も年下なんだぞ。こんな噂を流されて、婚期に響いたらどうするんだ」

「もうとっくにヒビ割れまくってんだろ。アルノルドの有様を見て、それでも英雄にケンカ売ろうなんて奴はいねーよ。責任とって嫁にもらってやればいいじゃねえか。美人で上品で、文句ねえだろう?」

「他に好きな人がいる」


 カイルは驚いたように目を見張ったが、すぐに合点がいったように言った。


「もしかして前に連れ込んでたっていう金髪美女か? あれはどっかの娼婦だろう?」

「王子殿下だ」

「なんだって?」

「俺は王子殿下が好きなんだ」


 カイルは絶句したように黙り込み、慌てて周囲に人がいないか確かめた。そのまま「ちょっと来い!」とヴァルクの腕を掴んで城門塔を出、人のいない庭園まで引っ張ってきた。


「嘘だろ?」


 開口一番、そう聞かれる。ヴァルクは横に首を振った。


「本気だ」

「なんで?」

「理由が重要か?」


 リオネルが本来、どんなに美しくて可愛くて賢くて優しい天使かだなんて、もったいなくて誰にも言いたくない。


「理解できないから聞いてるんだ」

「理解しなくていい。ライバルが増えたら困る」

「増えねーよ! ……もしかしておまえが王子の塔に入り浸ってんのって」

「まだ手は出してない」

「まだ!?」

「……努力してる」


 かなり際どいが。つい抱きしめたくなった時のことを思い出し、頬が熱くなった。それを見て、カイルの顔は青くなった。


「わかった……。ひとまず王子のことはよそに置いて、おまえに好きな相手がいることはわかった」

「なんでよそに置くんだ」

「呑み込めねえからだよっ、察しろよ!」


 わめきちらされて、ヴァルクは「わかった」と言うしかなかった。


「でもおれは、おまえがお姫様と結婚する道が一番いいと思うぞ。皆だって、それを期待してる」

「俺も王女殿下も望んでいない」

「そりゃそうだけど、そこをなんとか」

「ならない。王女殿下にも失礼だろう」

「あの子は『皆のためなら』ってタイプだと思うぞ」

「そんな我慢を十八歳の子にさせたいのか?」


 カイルは「いや…」と苦々しげに目線を逸らした。


「良い子だし、おまえならって思ったのになあ」

「そんなに気に入っているなら、カイルが王女殿下を幸せにしてやればいい」

「おれだってお子様に手を出す気はねえよ」


 その時、がさっと落葉を踏みしめる音がした。カイルと同時に振り返れば、侍女を連れたエリアナ王女がいた。彼女は呆けたように自分達を見ていたが、やがてにこりと微笑んだ。


「……よいお天気ですね。それでは、ごきげんよう」


 そう言い繕って去って行くが、空は今にも雨が降り出しそうな鈍色をしている。城館に去っていく彼女を見送り、ヴァルクは言った。


「追いかけなくていいのか?」

「なんでおれが」

「お子様って言ったのが聞こえたんじゃないのか。あきらかに顔が強張ってたぞ」

「事実じゃないか」

「今のおまえは、彼女の護衛なんだ。いいから謝ってこい」


 カイルは面倒くさそうに溜め息をついた。


「さっきの話だが、おまえの想い人の話は誰にもするな。テオあたりが聞いたらぶっ倒れるぞ」

「それくらい俺だって承知してる。カイルだから話したんだ」

「おまえと友達になったのが、おれの運のツキだった気がする」


 カイルはぼやいて、エリアナのあとを追いかけていった。


「なんでこう、うまくいかないんだ……」


 リオネルを皆に認めてほしい。

 今回はその、絶好の機会だったはずなのに――何が結婚だ。


「……」


 そういえば、そろそろリオネルの夕食を作らないと。

 ヴァルクは憂鬱な気分で、厨房へと足を向けた。




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