第24話 湯浴み事変③



 訓練は昼過ぎに行うことを各所に伝達させ、朝食を塔へ運ぶと、すでに起きていたリオネルが飛んで来た。


「エリーは大丈夫だった!?」


 心配で眠れなかったのかもしれない。顔色が良くなかった。可哀想に、もっと早く来てあげればよかったとヴァルクは思った。


「大丈夫です。もうすっかりお元気ですよ」

「そう、良かった……」


 リオネルが安堵したように胸を撫で下ろす。

 それにしても――

 昔、薄汚れた灰色の野良猫を洗ってやったら、真っ白な綿毛の美猫に変貌して驚いたことがある。昨夜は夜だったからわからなかったが――明るい陽射しの中で見る王子の黄金の髪は、信じられないほどキラキラと輝いていた。それが糸のように肩に落ち、背中に流れている。まるで生きた芸術品みたいだ。


「すごく……きれいですね……」


 思わず見惚れて、呟いてしまう。リオネルは「え?」と首を傾げた。ヴァルクは慌てて言い直す。


「よ、汚れが落ちて、きれいさっぱりしましたね」

「ああ、うん。君のおかげ。ねえ、エリーに何があったか教えて」


 リオネルはエリアナのことで頭がいっぱいのようだ。子供の頃も、妹と遊ぶ時間だと言って面倒を見ていた。妹思いの優しい兄なのは、昔から変わらないらしい。ヴァルクは「はい」と返事をしてひとまず朝食を机に置き、これまでの経緯を話した。

 リオネルはベッドに腰掛けて話を聞いていたが、ずっと黙っていた。真剣な横顔は女神のように美しかったが、それ以上にヴァルクの心を揺さぶったのは、リオネルが組んだ長い足だった。まだ昨夜のバスローブ姿のままなので、足を組むとローブがはだけてしまって、太股まで露わになっている。直してあげたほうがいいのか、指摘すべきなのか、とにかく目のやり場に困った。リオネルが口を開く。


「アルノルドの遺体は?」

むしろにくるんで、とりあえず地下墓所に移しました」

「他の貴族みたいに、城壁から吊さないの?」

「……処刑したわけではないので」

「生きてたら処刑したでしょ。吊してよ」


 リオネルの青い瞳が射貫くようにヴァルクを見る。思わずハイと返事をしそうになったのを、理性でこらえた。


「そうするとエリアナ王女が、アルノルドに襲われたことを公表することになります。王女殿下を傷つけるような噂が立つ可能性もありますし……」

「あの子が逃げ出すために、アルノルドを誑かしたとでも?」

「……民は今、その……王侯貴族に批判的ですから」


 リオネルは悔しげに唇を噛みしめた。唇から、じわりと赤い血が滲み出す。ヴァルクは慌てて、リオネルの顎に手を当てた。


「殿下、おやめください。血が」

「妹は何も悪くない。僕と違って、まじめでおとなしくて」

「わかっています」


 リオネルは子供みたいに癇癪を起こし、青い瞳からボロボロと涙をこぼし始めた。

 少し前だったら、感情的に暴れる王太子の姿に呆れたかもしれない。

 けれど今、ヴァルクは純粋に驚いていた。リオネルが泣くのを初めて見たからだ。正確には、これまで王子が一度も泣かなかったことに今、気づいたからだ。

 牢獄にブチ込まれても、二日間食事を抜かれても、毒を盛られた時だって、騒ぎはしたけど泣かなかった。少なくとも人前では……。

 今頃になって、王子の気高さに打ちのめされる。それと同時に、妹が傷つけられるとこんなに取り乱して泣くのかと、その脆さに愛おしさを感じずにはいられなかった。


「王女を侮辱したら…っ、罰せられて当然じゃないか。僕は間違ったことなんか、言ってない……」


 ヴァルクはリオネルの涙に濡れた頬を、掌で拭ってやった。


「殿下のおっしゃる通りです。すぐにでもアルノルドは城壁に吊し、その蛮行を公表しましょう。カラスに肉を喰わせ、骨が干涸らびるまで。王女殿下に非がないことは、俺から皆に伝えます。彼女を愚弄することは王国法に基づき、絶対に許さないと」

「……本当に?」

「はい。アルノルドと同じ考えを持つ貴族が、他にいないとも言えません。彼の遺体を晒すことは良い警告になるでしょう。……ですからどうか、もう泣かないでください」


 抱きしめたい。

 甘い香りがする体を押さえ付け、こぼれる涙を一滴残らず舐め取りたい。

 目の前で慰めている男が、そんな妄想を抱いているなどとは考えもしないのだろう。リオネルは泣きながら、見惚れるほど可愛らしく頬を綻ばせた。


「ありがとう、ヴァルク」


 ――もう認めざるを得ない。

 この執着は、若く青い夢の未練だけじゃない。

 リオネルが好きだ。




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