第21話 王女への恋文②



 夜も更けたのでエリアナはマリアンに侍女の服を借り、頭に頭巾を被って自室を出た。バレたらバレた時だと高を括って堂々としていたせいか、見張りの兵士はちらりと一瞥しただけで不審がる様子もなく、ランプを持ったエリアナが廊下を通り過ぎても何も言わなかった。

 護衛もなく城の中を歩くなんて、自由に走り回っていた子供の頃以来かもしれない。もっとも護衛がいなかったわけじゃなくて、護衛から逃げる鬼ごっこや隠れんぼを、こちらが一方的に仕掛けていただけだ――リオネルと一緒に。

 エリアナが転ばないよう手を握ってくれていた、笑う兄の姿を思い出す。あんなふうに無邪気に笑う兄を、もう何年見ていないだろう……。

 ランプで照らしながら城館を出、庭園を歩く。庭師も城から離れてしまったのか、植込みには雑草が生え始めていた。城の裏手に回って、一番背の高いオークの木を目指す。

 木の傍に、人影が見えた。フードで顔を覆っているが、黒い影の形は男性のものだ。


「アルノルド様?」


 恐る恐る声をかけると、その人影が顔を上げた。


「王女殿下」


 表情を和らげ微笑んだのは、まちがいなくアルノルド・コーリバンだった。久しぶりに会ったせいか、エリアナも安堵と共に頬が綻ぶ。


「本当にいらしたのですね。いったい、どうやって……」

「裏門にいた見張りに、酒を驕ってやりました」

「たったそれだけ?」

「少し薬を混ぜたので、ぐっすり眠っているでしょう」


 勤務中に酒だなんて、近衛兵団だったら懲戒処分間違いなしだ。自由騎士団が本当に、これから国を率いていけるのだろうかと不安になる。エリアナは周囲を見回して尋ねた。


「お一人で来られたのですか?」

「ええ。お恥ずかしい話ですが、父が処刑されてから家来達の統率がうまくいっておらず……。ですが一時的な問題に過ぎません。世間が落ちつけば、彼らも戻るでしょう」

「……どこも同じなのですね」


 王城からも大勢の家来達が消えた。革命に巻き込まれてはたまらないと、我が身可愛さに逃げたのだ。俯くエリアナに、アルノルドは「さあ」と声をかけた。


「ぐずぐずしていて、平民共に見つかっては面倒だ。門の外に馬車を待たせているんです。急ぎましょう」


 思いかげずアルノルドが急ぐので、エリアナは「お待ちください」と慌てて止めた。


「わたくしのために来て下さったことは大変感謝しています。ですが、父と兄が城にいるのに、わたくしだけ逃げるわけにはいきません」

「お気持ちはわかります。しかし自由騎士団は、荒くれ者の集まりです。あなたに何かあれば取り返しがつかないし、私は生涯後悔するでしょう」

「でも……」

「お願いします、王女殿下。陛下の娘でも王子の妹でもなく、一人の王族としてご理解ください。我々は、王家の血を絶やすわけにはいかないのです。この国を守り継いできた者の子孫として――あなただけでも逃がすことが、私の使命だと思っています」

「アルノルド様……」


 月光に照らされたアルノルドの緑の瞳が、熱くエリアナを見つめる。エリアナは初めて、この貴公子にドキドキした。

 エリアナをこの城に縛り付けるのは、王女という自負と、家族への情と、責任感からだ。父は幼い頃に倒れてしまったので、ろくに甘えたことも、遊んでもらった記憶もない。兄も同じ時期に変わり始めてしまって、エリアナはいつも孤独だった。

 ついていきたい。衝動的に、そう思った。この人に愛してもらえたら、幸せになれるかもしれない。

 ――でも、本当にそれでいいのだろうか?


「わたくしがこの城からいなくなれば……残っている貴族達は支えを失うことになります」


 たとえお飾りの王女でも、自分がいるから、王族に仕える貴族として彼らは誇りと体裁を保っていられるのだ。それが急に消えたとなれば、彼らは王族に見捨てられたと思うだろう。そして崩壊しかけている自分達の立場を守るために、貴族は今よりもっと必死にならなくてはいけなくなる。そうなれば、平民の衝突はますます激しくなるだろう。


「わたくしを想うなら、あなたも城に戻って下さい。この城で、わたくしを支えていただけませんか」

「……あいつらは、私の父を殺しました。遺体を城壁に吊し、晒し者にしたのです。本当なら今すぐ、この城ごと害虫どもを焼き払いたいくらいだ」


 忌々しげに呟き、アルノルドは俯いた。


「逃げおおせた貴族達のほとんどは、異国に亡命しました。ですがすぐに軍隊を連れて、この国に戻ってくるでしょう。私はそんな彼らを支援するつもりです。この国と城を取り戻します。でも、その時にここにあなたがいては手が出せない」

「……戦争をしかけるというの? わ、わたくしが逃げたって……お父様とお兄様が、ここに残るのよ」

「寝たきりの王や、無能な王子より、この国の未来の方が大切です。あなたさえいれば、その未来が拓けるんだ」


 エリアナはさっと身を後ろに引いた。アルノルドから距離を取って言う。


「わたくしは行けません。戦争が起こるなら尚更よ。これ以上、事態を悪くしないで」

「悪くなったものを元に戻すだけです。あなただって、愚民どもに蹂躙されることを望んでいるわけじゃないでしょう」

「行けません。あなたがここに残って――」


 アルノルドがすばやく動いたかと思うと、腹部に鈍い衝撃が走った。ランプが落ち、砕け散る音がする。激しい痛みにエリアナは、腹を押さえて崩れ落ちた。


「最初から、こうすればよかった」

「ア……ルノ……」

「全部、正しい道に戻すんです。革命なんか起こらなければ私はあなたと結婚するはずだった。女王の夫となり、やがては新王の父親になるはずだったんだ」


 アルノルドが目の前に屈む。冷たい眼差しにぞくりとした。ああ、そうだ。この人に惹かれなかった理由。どんなに笑顔を向けられても、優しい言葉で口説かれても、少しも心を感じなかった。他人を利用できる道具だとしか思っていない、ディオニーや元老院の貴族達と同じ眼差し。


「あ……なた、お兄様に……手を掛ける気……だったの……?」

「自由騎士団のおかげで、あなたを王太子に推し上げることが簡単になった。それだけは連中に感謝してもいい。エリアナ、領地に戻ったらすぐに結婚しよう」


 痛みで、意識が朦朧とする。だめだ、気を失っては。エリアナは地面の土を掴み、自分を抱え上げようとする男に向かって投げつけた。アルノルドが呻く。


「何を――くそっ、目に……」


 土が目に掛かったらしく、必死に擦っている。今のうちに逃げなければ。けれど、腹が痛くて立てなかった。這ってでも逃げようとするが、頭をぐっと掴まれた。頭巾がずり落ち、栗色の髪がこぼれる。


「ぃ、や……っ」


 抵抗しようとしたら、こめかみを殴られた。くらくらして、視界が暗くなる。抱き上げられる浮遊感があった。

 嫌。この人に連れて行かれたくない。叫ぼうとしたが、掠れた息が漏れただけ。

 助けて、お兄様……。

 そう心の中で訴えたのを最後に、エリアナは意識を失った。





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