第18話 お返し



 ヴァルクは一日二回、簡単な食事を作ってリオネルのもとへ運んだ。最初はスープや粥ばかりだったが、リオネルがベッドから出られるようになると、肉や魚も焼いて出すようにした。しかし、リオネルはヴァルクの半分も食べなかった。


「やっぱり、まずいですかね?」


 味の問題かと思ったが、リオネルは「そんなことないよ」と言った。


「前みたいにお腹がすかないだけ。前が食べ過ぎだったんだよ。何か食べてないと、落ち着かなくて……」

「今は違うんですか?」

「やることが多くて、それどころじゃないというか……。そうだ、これ。農地を買い上げて貴族達のサロンを作ってるけど、いらないよね? こんなの」

「はい。そういう娯楽施設はあちこちに建設されましたが、飽きるのか管理が面倒なのか廃墟になっている場所がほとんどです」

「壊して農地に戻さないといけないね。ただでさえ食糧不足なんだから」

「ですが、金も人手も時間もかかりますよ」


 リオネルは「ん…」と俯いて書類を眺めていたが、やがて思いついたように顔を上げた。


「北洋改革史の開拓者権利」

「はい?」

「前に読んだ北洋の歴史書にあったんだ。エバルド国を築いたクリッテンスティール王が荒野を征服した時の話でね。荒野を開拓するのも管理するにも財力と人手も足りないから、開拓者権利を発令したんだ。『土地を開拓した者には、その土地の所有権利を与える』って。奴隷でも平民でも商人でも、誰でもいいって言ってね。それで皆、自分が安住できる土地が欲しくて取り合うように開拓したってわけ」


 なるほど。それなら金と人手の問題は解決できる。リオネルは羊皮紙を床に広げた。机は書類と、食べた食器で塞がっていたからだ。背中を丸めて、ガリガリと羽根ペンを走らせる。


「こんなのでどうかな」


 石床の上で書いた文字は、ところどころ引っかかってガタガタだった。


『開拓布令


我が国の繁栄を取り戻すため、今般、廃墟となりし地を再び農地へと甦らせるべく、以下の布令を公布する。


一、今より指定の廃墟地(貴族がかつて娯楽施設とした土地)を開拓し、農地として整備した者には、その土地の所有権を与える。


一、開拓者は、一定の農作物を国に納める義務を負うものとする。


一、納めるべき農作物の量を満たした後、その土地の残りの部分は、開拓者の自由なる利用に任せるものとする。


一、土地の放棄、または規定の納税を怠りたる者は、所有権を喪失するものとし、その土地は再び国の管理下に置かれる。


この布令はただちに施行され、すべての開拓者に厳粛なる遵守を求む』


 ヴァルクは「いいですね」と感心して呟いた。


「農作物を一定量収めればあとは自由に使っていい……。それなら、廃墟を修復して家にしてもいいってことですし、喜ぶ者は多いでしょう」

「ほんと? 悪くない?」

「ええ、俺は名案だと思いますよ。次の会議で皆に相談してみます」


 リオネルは、気恥ずかしそうに「うん」と頷く。

 書庫の本の内容が全部頭に詰まっているのかと疑いたくなるほど、リオネルの知識は豊富だった。判別に困る問題が出てきても、過去の事例ではこうだった、異国ではこういう対処をしたといって、解決策を導き出してしまう。

 それなのにリオネルはディオニー達から無能扱いされていたせいで、提案をするのも褒められるのも、あまり慣れていないみたいにモジモジする。


「あまり頑張りすぎないでください。病み上がりなんですから」

「もう平気だよ」


 リオネルはずっと「平気」としか言わない。熱は本当に引いたのだろうか。食が細いのも気になって、ヴァルクはリオネルの額に手を伸ばした。丸い額はほんのり温かいものの、特に熱くはない。心配すぎか、と安堵する。

 気づけば、リオネルが書類から顔を上げてじっとこちらを見ていた。ヴァルクは自分がしたことに「あ、すみません」と謝る。


「いきなり、無礼な真似をしました。熱がないかと思って……」

「あのさ……変なこと頼んでもいいかな」

「はい?」

「頭を撫でてほしい」


 頭を撫でる?

 質問の意図が理解できなかったが、ヴァルクは言われるまま「はあ…」と返事をし、リオネルの金髪の頭を撫でてみた。するとリオネルは、くすぐったそうに笑った。


「やっぱり。ヴァルクの手は、父上の手に似てるね」

「え……」

「固くて大きくて。懐かしくなる」


 ヴァルクは、寝たきりの痩せ細った王の姿を思い出した。昔は熊のように大きかったのに、年齢よりも遙かに年老いて弱々しく見えた。


「父上の具合はどう?」

「それが……宮廷医を探しているんですが見つからず、俺の知り合いの医者に診てもらっている状態です。処方していた薬もわからないので、無闇に飲ませるわけにもいかなくて」

「そう……」


 流動食と滋養に良いという生薬を飲ませてはいるが、それだけだ。いつ容態が悪化するかわからない。


「申し訳ありません……」

「なんで君が謝るの」

「俺がここに来なければ、医者も逃げなかったでしょう」

「父上が叱るとしたら、きっと君じゃなくて僕だよ」

「殿下のおかげで、改革が早く進んでいます」


 フォローというより真実だったが、リオネルは「気を遣わなくていい」と流してしまった。


「変な話をしてごめん。君は、ご両親を亡くしているのに無神経だった」

「い、いえ……俺は」


 子供の頃に父親が倒れたリオネルとは違い、親に頭を撫でてもらいたいとはもう思わない。しかしリオネルはふと思いついたように、白い手をヴァルクの頭にぽすんと載せた。褒めるように「よしよし」と言って撫でてくる。目が合うと、リオネルはにこっと笑った。


「お返しだよ」

「………」

「妹にもよくやってあげたな。あの子はあんまり、父上と遊べなかったから」


 リオネルは何でもないように言って、再び書類に取り掛かった。けれどヴァルクは、優しい感触がいつまでも頭に残っているような気がして落ち着かなかった。




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