第17話 僕の友達
鳥の鳴き声が聞こえ、ヴァルクは目を覚ました。眩しい朝陽が牢の格子窓から差し込んでいる。どうやら看病しながら、ベッドの傍に跪いて寝ていたらしい。身じろぎすると、固い床に押し当てていたせいで膝が痛かった。
ベッドを見れば、リオネルは青白い顔で横たわっている。唇に掌を翳せば、微かに呼吸が感じられた。心底ホッとする。
水差しを持ってきて、そっと口元にあてがう。ゆっくり飲ませてやると、ごくんと喉が動くのが見えた。触った感じからして、熱は引いたようだ。汗で額にこびりついた前髪を掻き上げてやる。
「ん……」
金色の睫が震えて、青い瞳が見える。ヴァルクは「殿下」と呼びかけた。
「気づかれましたか。体調はいかがですか」
「……っう」
「苦しいなら喋らないでください。医者を呼んできます」
ヴァルクは一階の看守室にむりやり泊めさせていた医者を起こし、強引に診察をさせた。医者は寝惚けた顔で言った。
「峠は越えたようじゃ。が、まだ体内に毒素が残っとる。しばらく熱が続くぞ。水をしっかり飲ませとけ」
「はい、先生。ありがとうございます」
ヴァルクはさっそく、目覚めたリオネルに水を飲ませてやった。リオネルはまだ半分覚醒したような状態で、起きてもボーッとしている。
「殿下。イードが食事を持って来たので、食べませんか」
病み上がりなので、腹に負担をかけないよう野菜屑を煮込んだスープだ。けれどリオネルはちらりとこっちを見たものの「欲しくない」と背を向けて寝返りを打つ。
「でも、少しは食べないと……」
「……チュチュは?」
「えっ」
「部屋にネズミがいたでしょ……」
あの血を吐いて死んでいたネズミか。ヴァルクは「ああ…」と思い出しながら言った。
「死んでいたので、外に……」
「外に埋めてくれたの?」
捨てたとは言えなかった。ヴァルクがしどろもどろになっていると、リオネルは「ありがとう」と礼を言った。
「……僕の友達だったんだ」
まずい。あとで墓を作っておかなくては。どこに捨てたか、ヴァルクは必死に思い出そうとした。
「あなたに毒を盛ったという侍女ですが、捕まえ次第処罰を――」
「捕まえなくていいよ」
ヴァルクは耳を疑った。
「それは、どういう……」
「いいんだ」
リオネルはそれきり、黙り込んでしまった。喋るのもつらそうだし、無理させるのも気が引けたのでヴァルクは何も言えなかった。
しかし翌朝になっても、リオネルは何も食べようとしなかった。言えば水は飲んでくれるが、それだけだ。このままでは良くなるものも良くならない。
悩んだ末、ヴァルクは厨房で林檎をすりおろし、ハチミツを加えたものを用意した。風邪で具合が悪くなった時、いつも母が用意してくれたものだった。これなら食欲がなくても食べられるかもしれない。
しかし、リオネルの返事は同じだった。
「欲しくない」
「しかし殿下、昨日から何も召し上がっていません……」
リオネルは拒絶するように、こちらに背中を向けたままだ。ヴァルクはトレーを持ったまま言った。
「どうか一口だけでも。俺、具合が悪い時はいつもこれだったんです。俺は料理はヘタですけど、林檎をすりおろしただけなのでまずくはないかと」
ようやく、ごそりとリオネルがこちらに寝返りを打った。青白い顔は、やつれていて元気がない。
「……君が作ったの?」
「はい……」
「じゃ、食べる……」
ヴァルクは「えっ」とトレーを落としそうになった。
「あ、あの……俺が作ったから、食べるんですか?」
「うん」
「なぜです?」
料理はヘタだと言っているのに。リオネルは俯きがちに、ぼそぼそと答えた。
「君は……毒を入れたりしないでしょ」
「え……」
「……水も、君が持って来てくれたものだから。でも、他の人のは……怖い」
それはそうだ。毒殺されそうになったんだから、飲むのも食べるのも怖いに決まっている。怯えるリオネルを見て、なんでそんな当たり前のことにも気づいてやれなかったのだろうと、ヴァルクは失態を悔やんだ。
「だ――大丈夫です、殿下。これからはすべて、毒見してからお出しします」
「いい。チュチュみたいに、関係ないのに死んじゃったらどうするの」
「ですが、そうしないと怖くて食べられないんですよね……?」
「食べなければいいだけだから」
「でも、食べなければ死んでしまいます」
「……うん」
リオネルは何でもないみたいに頷いて、ヴァルクの手からトレーを受け取った。そして匙で一口食べて「おいしい」と呟く。
毒は怖いけど、食べられなくて死んでもいいなんて――気を許していた侍女に殺意を向けられたことで、よほど精神的に堪えたらしい。
「わかりました。それなら今度から俺が、殿下の食事を作ります」
「え……?」
「それで、一緒にここで食べましょう。それなら怖くないですよね?」
リオネルは不思議そうにヴァルクを眺めた。
「……なんでそこまでするの? 僕はただの罪人なのに」
「それは――」
一度は主君にと、心に決めた人だから――とは言えず、ヴァルクは別の理由を告げた。
「殿下には、これまでサボっていたぶん働いてもらわないと困りますので」
「……僕なんか、あんまり役に立たないと思うけど」
「なぜそう思うんです」
リオネルは「だって…」と暗い顔をして呟いた。
「……僕じゃ無理だって皆、ずっとそう言ってたし……」
ヴァルクはディオニーや元老院の連中を殴り飛ばしたくなった。いや、ディオニー以外はすでに処刑したが。ヴァルクはリオネルの手を握った。
「そんなことありません。俺が断言します」
「……君は、優しいね」
リオネルが少しだけ、笑った。前よりずいぶん痩せたせいだろうか。その笑顔は、十二年前の眩しいほど可愛らしかったリオネルの笑顔を思い出させた。
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